【完結】恋となる執着

蓼脇 尚(たでわき なお)

文字の大きさ
3 / 6

何も無い

しおりを挟む
 ひどく強い香り。
 それが血の匂いだと知ったのは、数年後だった。暖かな海から引き上げられ、混乱から泣き叫ぶ。

「タリスマンを!」

 俺の耳元で女が喚いた。

「私のタリスマンを、取って……神に祝福を……この子への、祝福、を……」

 女の──母の遺言は、そのまま俺の名前になった。



 母は娼婦だった。
 スラムで俺を産んだ後、すぐ死んだ。
 父親が誰かなんて、俺も周りも、誰1人関心を持たなかった。娼婦のガキなんてそんなもんだ。

 母の娼婦仲間から残飯を賜って、幼児と呼べる歳になった頃。“慈善活動好きの貴族に救われた孤児”として雇われた。

 ただ、所詮雇われなので、教育なんかは付けてもらえない。俺は定期的に呼ばれて、丸洗いされて、社交場でニコニコと突っ立っているだけだった。

「スラムで酷いことをされて以来、口がきけない」
「食べ物を受け付けず、吐いてしまう」
「体調が安定しないから、社交場に出席できない時もある」

 雇い主がそう宣えば、何も問題なかった。
 そういう事例は山ほどあるし、俺みたいな雇われも沢山いたから。公然のナントヤラだ、馬鹿らしい。

 粗相はしない。できない。
 できないように、飯もダンスも、何もしてはいけない事になっていたから。

(きもちわりぃ)

 俺からすれば、スラムも社交場も同じようなもんだった。貴族たちはひたむきに人皮を被り続けて、あれそれと虚妄を語っている。

 心根の歪んだ奴は、必ず黒雲を纏っていた。

 唇や指先から、踊るように噴き出す黒雲は、発生源の全身に張り付いている。それに近づくと吐き気がして、表情が崩れるから、極力人には近づかずにやり過ごした。

 そうして、数年が過ぎた。





「ごらん、あれがアルケニアス様だよ」

 雇い主が目線を向けた先には、豪奢な階段から降りてくる、絹のような黒髪を垂らした少女が居た。上等な服に相応しい華やかな顔立ちをしている。それ故に、雲を纏った空を思わせる瞳が目についた。

 俺より幾らばかりか歳上らしい彼女は、少女である前に“貴族”であるらしい。伸びた背筋で澱みのない笑顔を浮かべながらも、自然体で大人と接している。

 彼女の瞳を見ていると、なんとなく、変な感じがした。胸中を占める、ざらついた感覚の正体が知りたくて、彼女の一挙手一投足を観察していた。

 その時だった。

「失礼。こちらの御子は、貴方が支援していらっしゃるのですか?」

 俺が神官に見初められたのは。




「類まれな才能だ」
「不浄を黒雲に喩えるとは」
「ゆくゆくは神官長に……」

 代わるがわるにやって来る神官たちは、俺に浄化能力を見出して、アレソレと物申す。

 彼らの言うとおりにすれば、意図的に黒雲を祓えるようになった。おかげさまで、社交場で吐きそうになる事態は激減した。

 当時は、彼らに深く感謝していた。
 神官たちに不浄は無かったし、彼らが俺の元にやって来るのを楽しみにしていたんだ。

 ただ、しばらくして違和感に気づいた。
 連中は皆、透き通った瞳をしていた。
 神を無為に信じ、俺の浄化能力に期待して、祈りやら祝福やらを捧げていた。
 
 暴力的な無邪気さに、吐き気を催した。
 我ながら戸惑った。脳内に浮かんだのは、母の今際の際だった。もうずっと、忘れかけていた。あの時、母は確かに、タリスマン神の聖物を模ったものに縋っていた。

 目眩がした。

(全員死んでくれ)

 俺はこれから、神殿に入るのだろう。
 そしたら、母さんを見捨てた奴が与えた力で、人を救わなくてはいけなくなるんだ。

(こんな不平等を、月の女神は許すのか?)

 そもそも神なんていないだろう、と。
 口が裂けても言えない言葉を飲み込んだ。



 俺は神殿に入った。
 高すぎる浄化能力は、人に害を及ぼすらしい。つまるところ、逃げられなかったのだ。

「ごらん、タリス。あちらにいらっしゃるのが、我々がお仕えする、今代の聖女様だよ」

 礼拝堂の中。どこかで聞いたような言い回しにつられ、月の女神を象ったステンドグラスを見上げた。

 息を呑む。

 そこに立っていたのは、アルケニアス様だった。細絹の黒髪を揺らし、曇天の瞳で下々を見下ろしている。少女から女性となって、より一層美しくなった彼女は、完璧な笑顔を浮かべていた。

「目だ……」

 数年越しに、違和感の正体に気づいた。
 彼女の瞳の奥。そこに、不浄が存在している。神殿の関係者で、不浄を携える人を初めて見た。しかも聖女だ。神殿の最高責任者。対外向けのシンボル。それなのに、渦を巻くほどの不浄を溜め込んでいる。

「目? ああ、シフォン様の双眸か。今日も曇りなき瞳をしていらっしゃる。まるで晴空のようだ」

 自分の耳を疑った。
 彼女が名を改めていた事もそうだが、それ以上に、俺以外の人間には、彼女の不浄が見えていないらしい事に驚いた。周囲を見渡すと、人々は恍惚とした表情で彼女を見上げていた。安心しきった、しかし、蕩けるような顔で──観察しながらも、ふと、己の口元に指を滑らせる。

 自然と口角が上がっていた。
 同時に、激しい動揺が落ち着いていくのを感じる。心臓を撫でられているような、奇妙な安心感により、全身が弛緩していった。

(浄化されているのか?)

 ハ、とアルケニアス様を見上げた。

(瞳の濁りが濃くなっている……)

 そんな浄化能力もあるのか、と。
 月の女神は本当に気色悪い祝福ばかり与えるな、と。

 この時は、その程度の感想しか持たなかった。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

団長様、再婚しましょう!~お転婆聖女の無茶苦茶な求婚~

甘寧
恋愛
主人公であるシャルルは、聖女らしからぬ言動を取っては側仕えを困らせていた。 そんなシャルルも、年頃の女性らしく好意を寄せる男性がいる。それが、冷酷無情で他人を寄せ付けない威圧感のある騎士団長のレオナード。 「大人の余裕が素敵」 彼にそんな事を言うのはシャルルだけ。 実は、そんな彼にはリオネルと言う一人息子がいる。だが、彼に妻がいた事を知る者も子供がいたと知る者もいなかった。そんな出生不明のリオネルだが、レオナードの事を父と尊敬し、彼に近付く令嬢は片っ端から潰していくほどのファザコンに育っていた。 ある日、街で攫われそうになったリオネルをシャルルが助けると、リオネルのシャルルを見る目が変わっていき、レオナードとの距離も縮まり始めた。 そんな折、リオネルの母だと言う者が現れ、波乱の予感が……

どちらの王妃でも問題ありません【完】

mako
恋愛
かつて、広大なオリビア大陸にはオリビア帝国が大小合わせて100余りある国々を治めていた。そこにはもちろん勇敢な皇帝が君臨し今も尚伝説として、語り継がれている。 そんな中、巨大化し過ぎた帝国は 王族の中で分別が起こり東西の王国として独立を果たす事になり、東西の争いは長く続いていた。 争いは両国にメリットもなく、次第に勢力の差もあり東国の勝利として呆気なく幕を下ろす事となった。 両国の友好的解決として、東国は西国から王妃を迎え入れる事を、条件として両国合意の元、大陸の二大勢力として存在している。 しかし王妃として迎えるとは、事実上の人質であり、お飾りの王妃として嫁ぐ事となる。 長い年月を経てその取り決めは続いてはいるが、1年の白い結婚のあと、国に戻りかつての婚約者と結婚する王女もいた。 兎にも角にも西国から嫁いだ者が東国の王妃として幸せな人生を過ごした記録は無い。

離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない

柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。 バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。 カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。 そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。 愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。

私は、聖女っていう柄じゃない

蝋梅
恋愛
夜勤明け、お風呂上がりに愚痴れば床が抜けた。 いや、マンションでそれはない。聖女様とか寒気がはしる呼ばれ方も気になるけど、とりあえず一番の鳥肌の元を消したい。私は、弦も矢もない弓を掴んだ。 20〜番外編としてその後が続きます。気に入って頂けましたら幸いです。 読んで下さり、ありがとうございました(*^^*)

ポンコツ娘は初恋を諦める代わりに彼の子どもを所望する

キムラましゅろう
恋愛
辺境の田舎から聖騎士となった大好きな幼馴染フェイト(20)を追って聖女教会のメイドとして働くルゥカ(20)。 叱られながらもフェイトの側にいられるならとポンコツなりに頑張ってきた。 だけど王都で暮らして四年。そろそろこの先のない初恋にルゥカはケリをつける事にした。 初恋を諦める。諦めるけど彼の子供が欲しい。 そうしたらきっと一生ハッピーに生きてゆけるから。 そう決心したその日から、フェイトの“コダネ”を狙うルゥカだが……。 「でも子供ってどうやって作るのかしら?」 ……果たしてルゥカの願いは叶うのか。 表紙は読者様CさんがAIにて作成してくださいました。 完全ご都合主義、作者独自の世界観、ノーリアリティノークオリティのお話です。 そして作者は元サヤハピエン至上主義者でございます。 ハピエンはともかく元サヤはなぁ…という方は見なかった事にしていただけますと助かります。 不治の誤字脱字病患者が書くお話です。ところどころこうかな?とご自分で脳内変換しながら読むというスキルを必要とします。 そこのところをご了承くださいませ。 性描写はありませんが、それを連想させるワードがいくつか出てまいります。 地雷の方は自衛をお願いいたします。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

だいたい全部、聖女のせい。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」 異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。 いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。 すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。 これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

あなたのためなら

天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。 その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。 アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。 しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。 理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。 全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。

傷物の大聖女は盲目の皇子に見染められ祖国を捨てる~失ったことで滅びに瀕する祖国。今更求められても遅すぎです~

たらふくごん
恋愛
聖女の力に目覚めたフィアリーナ。 彼女には人に言えない過去があった。 淑女としてのデビューを祝うデビュタントの日、そこはまさに断罪の場へと様相を変えてしまう。 実父がいきなり暴露するフィアリーナの過去。 彼女いきなり不幸のどん底へと落とされる。 やがて絶望し命を自ら断つ彼女。 しかし運命の出会いにより彼女は命を取り留めた。 そして出会う盲目の皇子アレリッド。 心を通わせ二人は恋に落ちていく。

処理中です...