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追う者
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人類の英知と技術の結集体とも言えよう超大型輸送機アンダムル・セフィロス。
五十名を超える人員を丸ごと空に浮かべてマッハ0.6で航空距離7500kmを誇るそれが空を滑るように大気に軌跡を描く様は、地上から見ればさながら神話体系の怪物でも見た心地だろう。おまけに西部劇で映えるような小さな町ならそのまま攻め落とすことも容易そうな重火器武装を纏ったその怪物には、クルーズ客船染みた弦楽四重奏が響き渡ったバーでさえも、地を離れて浮ついた足元を心から支えてくれるような安心感すらあった。
「…………」
セノフォンテ・コルデロは冷えたブランデーを呷った。若干二十六歳を過ぎたばかりの彼にとって、背伸びをしても足りないような任務の最中であることは重々心得ているが、どこか生命の本質的な部分での不安を掻き消すように二杯目のブランデーを望んだ。
「……あの、そんな物騒な物持ってソワソワしないで頂いてもよろしいでしょうか」
先ほどからセノフォンテが視線の端で捉えていた男。まるで子供でも抱きかかえるかのように大層大切に汎用ライフルを抱えた大男。ごつい見かけにそぐわず、所作には明確に何かに怯え切っている者に共通した震えが伝っており、握ったグラスの中のウイスキーに波紋さえ顕れていた。
「酔った勢いで俺がテメェを撃ち殺すとでも?」
「いえ。単純におっかないだけですよ」
「安心しろ。テメェみてぇなガキは素面じゃなくても殴り殺せる」
強気な大男の態度を前に、セノフォンテはうんざりしながら席を立とうとした。そんな彼を大男は不愉快そうに呼び止める。
「おい、ガキ。テメェどこのどいつだ?なんだってあんな地獄にわざわざ自分から首を突っ込むってんだよ?」
セノフォンテは舌打ちの後、答える。
「仕事ですよ。そういう物の聞き方は好かないんでね。失敬させて頂きますよ」
「観光じゃないならまだマシだな。奴ら三日と経たずにこういうんだ。思ってたよりずっといいトコロだわ、ここに永住しましょ、ってな」
「事実、プログ・Sは移民で成り立っている島です。島の顕現から約70年。あの島に吸い込まれる産業人口は凄まじいものだ。天然資源や税金対策、ありとあらゆる悪行が跋扈する島だからこそ、金と政治がどうしても絡み合って離さない。つまるところあなたはどこぞの資本家の用心棒かそこらでしょう。中東で活躍できる傭兵でもあの島にビビり散らかすあたりは結局役に立たなそうだ…」
それを聞いて、大男が鼻を鳴らす。
「テメェみてぇなガキがあの島じゃあ長生きするもんだぜ。良かったな。金に汚ぇ連中はウジ虫みてぇに涌いて消えやしないが、俺らみたく金持ちの手足で戦う奴らはすぐに死ぬ。その言い様だとテメェはまだあの地獄を見たことがねぇんだろうな、かわいそうなことによ…」
「誰も彼もを悪徳商人だと決めつけないで貰いたい。私はあくまで法と秩序の元の人間ですよ。悪人を成敗しにいく仕事に文句はないでしょう?」
「じゃあどこぞのお国の人間か。ならいよいよ可哀そうだぜ。死ぬぞ、間違いなく。あの世界を見たこともないお前なら、まだ希望とか出世とかの光があるんだろうな。俺にはねぇよ。何にもな。その年であの世行きとは運がねぇこった、これまでせっせに働いてきた分がここで打ち止めだな、こりゃ」
期せずしてグラスが割れる。力んだ掌に吸い付くように鋭利な破片が喰らいつき、腕に何本もの血の道ができた。
「ベラベラと失礼な奴だ。ライフル抜きで俺を殺せるだと?やってみるか、三流傭兵風情がッ!!!」
―――――
セノフォンテ・コルデロ。
国際刑事警察機構―通称インターポールやICPOと呼ばれる機関に所属するサイバー脅威対策機構のICGIに身を置く秘匿機関<ARART>の構成員にして、若くして国際テロ組織<メルム>の掃討に尽力した功労者の一人。軍事力を持たないインターポール内において特に白兵戦から縁遠いICGIが陰に設置した戦闘面に優れた人材を育成するプロジェクトにより擁立されたルーキーの一人が彼であった。
国連に加盟しない仮想非統一国家であるプログ・Sへの派遣は組織的な線引きにおいては筋が通っていない。だからこそ、投入しやすく、潜伏しやすく、ある程度の実績が期待できる彼が今回の派遣に抜擢されたのだ。
世界規模での犯罪の調整役のような立ち位置であるICGIでは、日々様々な犯罪者に纏わる刑事機構だけでは知り得ない情報が飛び交うが、例えば犯罪者のバックに国家そのものが絡んでいた場合では権限行使に無限の障壁による阻みがあると言っても過言ではない。ARARTではインターポールの非加盟国に難を逃れた大犯罪者の情報特定や場合によっての抹殺が蓋然性を有した任務となる。
―――――
握られた拳により血と力が籠められる中、罵られた大男は腰に巻いたホルダーから拳銃を取り出して微笑んで見せた。
「…構えてみろ、アンタが発砲してからでも俺はアンタを制圧できるぞ?」
「馬鹿言うな」
大男は表情をそのままに軽く握っていた拳銃をそのままセノフォンテの方に放り投げた。気の抜けた軌跡を描きながらそれはセノフォンテの足元で数度回転し、やがて止まる。
肌を刺すような感に緩みが生じ、セノフォンテは視線を落とした。
「…………」
「餞だ。ヒト同士で殺し合うのが生業だが、何も文明国の領空でそれをやることはねぇ。忠告だけしてやるぜ、プラグ・Sでヒトがいくら跋扈できようが決して支配者にはなれねぇ…。バカみたいな平和も理想も今のうちに捨てちまいな。そんで尊厳あるお高く留まった死に様がお望みならそいつを使え」
そして吐き捨てるように視線を拳銃に向けた後、大男はバーから姿を消した。
胃から上がってくるような不快感。後味の悪い邂逅に残るのは妙な倦怠感だけだった。
セノフォンテは悪態をつきながらその拳銃を拾う。少なくとも他人の握っていた拳銃をおいそれと私用物に転用などとはまかり間違っても思い至ることはないが、どうしてもあの大男の同様の仕方や得物すら《自害用》にくれてやるという常軌の逸し様が気になってしまう。
セノフォンテとて、これから自分が赴く場所が景気の良い観光地やテーマパークの類だとは考えてはいない。天地無用の怪物が巣食う島という世迷言じみた噂もそこまで邪険にできない評価というのも納得している。
そも、彼がARARTとして今回の派遣任務を受ける原因となる存在がある。国際犯罪者の所在特定や緊急的な拿捕捕縛の遂行が求められる特殊部隊が手を出さなくてはいけないのは必然的にICPOに非加盟の国家や勢力内部に潜伏する犯罪者に絞られる。しかし、今度の派遣のトリガーとなる存在は少し異質だった。
ICPOに限らず国際的な組織機関には世界中のあらゆる情報や集めてしかるべき人間の溢れんばかりの情報がデータベース化されているものだが、それらは基本的に堅牢かる強固なセキュリティシステムによって保護されている。アクセス権を一時的に取得することでさえ骨折りものであるデータベース内には無論非加盟国家に潜伏する犯罪者や地域における所定の情報が蓄積されているものだが、その中で唯一《プラグ・S》島の情報だけが大きく欠落してしまっているのだ。
その道の人間であるセノフォンテからしてみれば、情報統制のなんたるかがまさにプラグ・S島の存在そのものであるとでも言わんばかりの禁忌の孤島であるというのに、事もあろうに島の顕現から七十年経った今になって、これまで一度も起こることがなかった《プラグ・S島の先住民族による加盟国内での殺人事件》が勃発してしまったのだ。
元々謎に包まれた島であるプラグ・S島の内部勢力として知られていた先住民族たちに人外未踏未知の技術が存在するという嬌声が上がることは顕現当初から確認されていたことではあるが、その詳細や技術・土地・文化に関する一切の情報が高度な情報操作と印象操作によって世界の主たる基軸から敢て外され続けてきた。無数の国家の策略と謀略がその島に何をもたらしたのか、あの島は顕現より七十年経った今になっても入っていく人間と出ていく人間の採算が合わないという事実だけが一人歩きしている状況にあった。
プラグ・Sに存在すると言われる先住民族らが一般国際社会の舞台に立つことはただの一度も存在しなかったが、つい三週間前にはその寡黙な掟は平凡極まりない一都市の壊滅をもって淘汰された。
コード・LUNA―
そう呼称されるに至った襲撃者はアメリカのマンハッタンに突如として出現し、その身一つで彼の国の国軍と対峙して見せた。その戦闘と形容していいかもわからない意味不明な襲撃活動の全貌は世界的な報道規制と情報操作により錯綜した憶測と偏向しきった噂の流布によって今でも詳細が明かされていないが、少なくとも襲撃が起こった後のマンハッタンはイースト川の一部を干上がらせ、ニューヨーク州に甚大な人的・物的資源の損害を齎した後、ニューヨークに置かれた国連本部の機能を一時的に完全に麻痺させるに至った。
個人が町を壊滅させるなど、ダークヒーローコミックの超人でもない限りは理論的に不可能だ。ダークヒーローだとしてもそれが論理に適っている存在とは言えない。だが、事実として焦土や目を覆いたくなるような惨劇が既に生み出されてしまった世界にとって相手が誰であろうと、相手が誰かを突き止めねばならなかった。
コード・LUNAと呼ばれるに至った所以は有耶無耶に情報操作された犯人像の中に月の怪物をモチーフにした二十一世紀初頭のSF作家の空想生物が元になっているとされている。当初は正体不明知的生命体と呼称されていた「それ」も、混沌たる情報が入り乱れる中では案外定着が早かった。LUNAは推定7フィートとされる巨躯を有し、獣の如き体毛とけたたましい咆哮から周囲のありとあらゆる命を震撼させたと言われた。獣人を思わせるそれが真っ向から陸軍の派遣した戦車の防壁をねじ伏せ、降り注ぐ鉛の雨を物ともせずに機関銃の群れを食い散らしたとさえ言われている。
その証拠に今のニューヨークには町中に獣につけられたような深く鋭利な爪痕と通常兵器ではおよそ残ることがないような奇妙な破壊痕が数多く残されていた。
被害者数は概算で二百人。安否不明と行方不明を併せればその倍近くの人々に被害が及んだとさえ言われている災害級の怪物は世界規模で史上最悪の存在と既に囃し立てられているのが現状だった。
この地球外からの侵略者とでもいえよう文明破壊者LUNAがどこかの国家や何らかの組織に所属している保有兵力であるという憶測はかなり真剣に議論される命題であったが、生物兵器の範疇として捉え、秘密裏に研究・開発されたものだと仮定してアメリカは国家の威信を掛けて情報の解析と対象の把握に躍起になっていたが、現状として有力な手掛かりや何らかの明瞭な証拠を得ることができていないのだった。
そこでスポットライトを浴びたのは人智未踏とさえ言われている歴史の裏舞台プラグ・S島だった。元々人智未踏と呼ばれる所以である島内部の原住勢力に備わると言われている超次元的な能力こそが今回の襲撃に関与するという見解は多くの研究者が匙を投げた犯人捜しの言い訳とも言える屁理屈だが、国連やらICPOやらはかなりこの説を真面目に取沙汰そうとしているのも事実だった。
結果、お誂え向きと言わんばかりに早々と派遣が決定されたのが彼、セノフォンテ・コルデロである。最悪死んでも差し支えないとさえ思われている優秀な人材だからこそ、能力と官僚気質を買われてその凶悪な怪物が潜伏すると見られているその島に差し向けられてしまった。
しかし、セノフォンテ自身はその説に対してあくまで懐疑的な立場の人間であった。
超能力的な資質を持った人間がうごめく秘境の原住民族など、大航海時代の頃からよくある話だ。シャーマンや呪術師、祈祷師など非文明的な存在を依り代に民族存続を果たそうという局所的な文化は世界中で知見されていることであり、プラグ・S島は極度の情報規制と膨れ上がった妄言・妄想により神格化された想像の産物だと考えていた。
「コード・LUNAねぇ……」
セノフォンテは自席にて腕を組みながら瞼を閉じた。
(確かに、プラグ・S島はその近海ですらカテゴリー4に分類される危険度。…常に避難勧告が出ているようなものだ。そこに怪物がいようがいまいが、単独潜行して無事に帰還できる保証はない)
思い出されるのは故郷のビスコッティの味であった。いや、今何よりも奇想するのは幼少期に観たタイタニック号の沈没のシーン。よもやこのアンダムル・セフィロスが墜落するなどとは考えたくないが、凍てつく暗い海に投げ出されていく豪華客船の無辜の人間たちの悲鳴が、何故だか訴えかけるようにセノフォンテの心臓を締め付けてくるのだ。
五十名を超える人員を丸ごと空に浮かべてマッハ0.6で航空距離7500kmを誇るそれが空を滑るように大気に軌跡を描く様は、地上から見ればさながら神話体系の怪物でも見た心地だろう。おまけに西部劇で映えるような小さな町ならそのまま攻め落とすことも容易そうな重火器武装を纏ったその怪物には、クルーズ客船染みた弦楽四重奏が響き渡ったバーでさえも、地を離れて浮ついた足元を心から支えてくれるような安心感すらあった。
「…………」
セノフォンテ・コルデロは冷えたブランデーを呷った。若干二十六歳を過ぎたばかりの彼にとって、背伸びをしても足りないような任務の最中であることは重々心得ているが、どこか生命の本質的な部分での不安を掻き消すように二杯目のブランデーを望んだ。
「……あの、そんな物騒な物持ってソワソワしないで頂いてもよろしいでしょうか」
先ほどからセノフォンテが視線の端で捉えていた男。まるで子供でも抱きかかえるかのように大層大切に汎用ライフルを抱えた大男。ごつい見かけにそぐわず、所作には明確に何かに怯え切っている者に共通した震えが伝っており、握ったグラスの中のウイスキーに波紋さえ顕れていた。
「酔った勢いで俺がテメェを撃ち殺すとでも?」
「いえ。単純におっかないだけですよ」
「安心しろ。テメェみてぇなガキは素面じゃなくても殴り殺せる」
強気な大男の態度を前に、セノフォンテはうんざりしながら席を立とうとした。そんな彼を大男は不愉快そうに呼び止める。
「おい、ガキ。テメェどこのどいつだ?なんだってあんな地獄にわざわざ自分から首を突っ込むってんだよ?」
セノフォンテは舌打ちの後、答える。
「仕事ですよ。そういう物の聞き方は好かないんでね。失敬させて頂きますよ」
「観光じゃないならまだマシだな。奴ら三日と経たずにこういうんだ。思ってたよりずっといいトコロだわ、ここに永住しましょ、ってな」
「事実、プログ・Sは移民で成り立っている島です。島の顕現から約70年。あの島に吸い込まれる産業人口は凄まじいものだ。天然資源や税金対策、ありとあらゆる悪行が跋扈する島だからこそ、金と政治がどうしても絡み合って離さない。つまるところあなたはどこぞの資本家の用心棒かそこらでしょう。中東で活躍できる傭兵でもあの島にビビり散らかすあたりは結局役に立たなそうだ…」
それを聞いて、大男が鼻を鳴らす。
「テメェみてぇなガキがあの島じゃあ長生きするもんだぜ。良かったな。金に汚ぇ連中はウジ虫みてぇに涌いて消えやしないが、俺らみたく金持ちの手足で戦う奴らはすぐに死ぬ。その言い様だとテメェはまだあの地獄を見たことがねぇんだろうな、かわいそうなことによ…」
「誰も彼もを悪徳商人だと決めつけないで貰いたい。私はあくまで法と秩序の元の人間ですよ。悪人を成敗しにいく仕事に文句はないでしょう?」
「じゃあどこぞのお国の人間か。ならいよいよ可哀そうだぜ。死ぬぞ、間違いなく。あの世界を見たこともないお前なら、まだ希望とか出世とかの光があるんだろうな。俺にはねぇよ。何にもな。その年であの世行きとは運がねぇこった、これまでせっせに働いてきた分がここで打ち止めだな、こりゃ」
期せずしてグラスが割れる。力んだ掌に吸い付くように鋭利な破片が喰らいつき、腕に何本もの血の道ができた。
「ベラベラと失礼な奴だ。ライフル抜きで俺を殺せるだと?やってみるか、三流傭兵風情がッ!!!」
―――――
セノフォンテ・コルデロ。
国際刑事警察機構―通称インターポールやICPOと呼ばれる機関に所属するサイバー脅威対策機構のICGIに身を置く秘匿機関<ARART>の構成員にして、若くして国際テロ組織<メルム>の掃討に尽力した功労者の一人。軍事力を持たないインターポール内において特に白兵戦から縁遠いICGIが陰に設置した戦闘面に優れた人材を育成するプロジェクトにより擁立されたルーキーの一人が彼であった。
国連に加盟しない仮想非統一国家であるプログ・Sへの派遣は組織的な線引きにおいては筋が通っていない。だからこそ、投入しやすく、潜伏しやすく、ある程度の実績が期待できる彼が今回の派遣に抜擢されたのだ。
世界規模での犯罪の調整役のような立ち位置であるICGIでは、日々様々な犯罪者に纏わる刑事機構だけでは知り得ない情報が飛び交うが、例えば犯罪者のバックに国家そのものが絡んでいた場合では権限行使に無限の障壁による阻みがあると言っても過言ではない。ARARTではインターポールの非加盟国に難を逃れた大犯罪者の情報特定や場合によっての抹殺が蓋然性を有した任務となる。
―――――
握られた拳により血と力が籠められる中、罵られた大男は腰に巻いたホルダーから拳銃を取り出して微笑んで見せた。
「…構えてみろ、アンタが発砲してからでも俺はアンタを制圧できるぞ?」
「馬鹿言うな」
大男は表情をそのままに軽く握っていた拳銃をそのままセノフォンテの方に放り投げた。気の抜けた軌跡を描きながらそれはセノフォンテの足元で数度回転し、やがて止まる。
肌を刺すような感に緩みが生じ、セノフォンテは視線を落とした。
「…………」
「餞だ。ヒト同士で殺し合うのが生業だが、何も文明国の領空でそれをやることはねぇ。忠告だけしてやるぜ、プラグ・Sでヒトがいくら跋扈できようが決して支配者にはなれねぇ…。バカみたいな平和も理想も今のうちに捨てちまいな。そんで尊厳あるお高く留まった死に様がお望みならそいつを使え」
そして吐き捨てるように視線を拳銃に向けた後、大男はバーから姿を消した。
胃から上がってくるような不快感。後味の悪い邂逅に残るのは妙な倦怠感だけだった。
セノフォンテは悪態をつきながらその拳銃を拾う。少なくとも他人の握っていた拳銃をおいそれと私用物に転用などとはまかり間違っても思い至ることはないが、どうしてもあの大男の同様の仕方や得物すら《自害用》にくれてやるという常軌の逸し様が気になってしまう。
セノフォンテとて、これから自分が赴く場所が景気の良い観光地やテーマパークの類だとは考えてはいない。天地無用の怪物が巣食う島という世迷言じみた噂もそこまで邪険にできない評価というのも納得している。
そも、彼がARARTとして今回の派遣任務を受ける原因となる存在がある。国際犯罪者の所在特定や緊急的な拿捕捕縛の遂行が求められる特殊部隊が手を出さなくてはいけないのは必然的にICPOに非加盟の国家や勢力内部に潜伏する犯罪者に絞られる。しかし、今度の派遣のトリガーとなる存在は少し異質だった。
ICPOに限らず国際的な組織機関には世界中のあらゆる情報や集めてしかるべき人間の溢れんばかりの情報がデータベース化されているものだが、それらは基本的に堅牢かる強固なセキュリティシステムによって保護されている。アクセス権を一時的に取得することでさえ骨折りものであるデータベース内には無論非加盟国家に潜伏する犯罪者や地域における所定の情報が蓄積されているものだが、その中で唯一《プラグ・S》島の情報だけが大きく欠落してしまっているのだ。
その道の人間であるセノフォンテからしてみれば、情報統制のなんたるかがまさにプラグ・S島の存在そのものであるとでも言わんばかりの禁忌の孤島であるというのに、事もあろうに島の顕現から七十年経った今になって、これまで一度も起こることがなかった《プラグ・S島の先住民族による加盟国内での殺人事件》が勃発してしまったのだ。
元々謎に包まれた島であるプラグ・S島の内部勢力として知られていた先住民族たちに人外未踏未知の技術が存在するという嬌声が上がることは顕現当初から確認されていたことではあるが、その詳細や技術・土地・文化に関する一切の情報が高度な情報操作と印象操作によって世界の主たる基軸から敢て外され続けてきた。無数の国家の策略と謀略がその島に何をもたらしたのか、あの島は顕現より七十年経った今になっても入っていく人間と出ていく人間の採算が合わないという事実だけが一人歩きしている状況にあった。
プラグ・Sに存在すると言われる先住民族らが一般国際社会の舞台に立つことはただの一度も存在しなかったが、つい三週間前にはその寡黙な掟は平凡極まりない一都市の壊滅をもって淘汰された。
コード・LUNA―
そう呼称されるに至った襲撃者はアメリカのマンハッタンに突如として出現し、その身一つで彼の国の国軍と対峙して見せた。その戦闘と形容していいかもわからない意味不明な襲撃活動の全貌は世界的な報道規制と情報操作により錯綜した憶測と偏向しきった噂の流布によって今でも詳細が明かされていないが、少なくとも襲撃が起こった後のマンハッタンはイースト川の一部を干上がらせ、ニューヨーク州に甚大な人的・物的資源の損害を齎した後、ニューヨークに置かれた国連本部の機能を一時的に完全に麻痺させるに至った。
個人が町を壊滅させるなど、ダークヒーローコミックの超人でもない限りは理論的に不可能だ。ダークヒーローだとしてもそれが論理に適っている存在とは言えない。だが、事実として焦土や目を覆いたくなるような惨劇が既に生み出されてしまった世界にとって相手が誰であろうと、相手が誰かを突き止めねばならなかった。
コード・LUNAと呼ばれるに至った所以は有耶無耶に情報操作された犯人像の中に月の怪物をモチーフにした二十一世紀初頭のSF作家の空想生物が元になっているとされている。当初は正体不明知的生命体と呼称されていた「それ」も、混沌たる情報が入り乱れる中では案外定着が早かった。LUNAは推定7フィートとされる巨躯を有し、獣の如き体毛とけたたましい咆哮から周囲のありとあらゆる命を震撼させたと言われた。獣人を思わせるそれが真っ向から陸軍の派遣した戦車の防壁をねじ伏せ、降り注ぐ鉛の雨を物ともせずに機関銃の群れを食い散らしたとさえ言われている。
その証拠に今のニューヨークには町中に獣につけられたような深く鋭利な爪痕と通常兵器ではおよそ残ることがないような奇妙な破壊痕が数多く残されていた。
被害者数は概算で二百人。安否不明と行方不明を併せればその倍近くの人々に被害が及んだとさえ言われている災害級の怪物は世界規模で史上最悪の存在と既に囃し立てられているのが現状だった。
この地球外からの侵略者とでもいえよう文明破壊者LUNAがどこかの国家や何らかの組織に所属している保有兵力であるという憶測はかなり真剣に議論される命題であったが、生物兵器の範疇として捉え、秘密裏に研究・開発されたものだと仮定してアメリカは国家の威信を掛けて情報の解析と対象の把握に躍起になっていたが、現状として有力な手掛かりや何らかの明瞭な証拠を得ることができていないのだった。
そこでスポットライトを浴びたのは人智未踏とさえ言われている歴史の裏舞台プラグ・S島だった。元々人智未踏と呼ばれる所以である島内部の原住勢力に備わると言われている超次元的な能力こそが今回の襲撃に関与するという見解は多くの研究者が匙を投げた犯人捜しの言い訳とも言える屁理屈だが、国連やらICPOやらはかなりこの説を真面目に取沙汰そうとしているのも事実だった。
結果、お誂え向きと言わんばかりに早々と派遣が決定されたのが彼、セノフォンテ・コルデロである。最悪死んでも差し支えないとさえ思われている優秀な人材だからこそ、能力と官僚気質を買われてその凶悪な怪物が潜伏すると見られているその島に差し向けられてしまった。
しかし、セノフォンテ自身はその説に対してあくまで懐疑的な立場の人間であった。
超能力的な資質を持った人間がうごめく秘境の原住民族など、大航海時代の頃からよくある話だ。シャーマンや呪術師、祈祷師など非文明的な存在を依り代に民族存続を果たそうという局所的な文化は世界中で知見されていることであり、プラグ・S島は極度の情報規制と膨れ上がった妄言・妄想により神格化された想像の産物だと考えていた。
「コード・LUNAねぇ……」
セノフォンテは自席にて腕を組みながら瞼を閉じた。
(確かに、プラグ・S島はその近海ですらカテゴリー4に分類される危険度。…常に避難勧告が出ているようなものだ。そこに怪物がいようがいまいが、単独潜行して無事に帰還できる保証はない)
思い出されるのは故郷のビスコッティの味であった。いや、今何よりも奇想するのは幼少期に観たタイタニック号の沈没のシーン。よもやこのアンダムル・セフィロスが墜落するなどとは考えたくないが、凍てつく暗い海に投げ出されていく豪華客船の無辜の人間たちの悲鳴が、何故だか訴えかけるようにセノフォンテの心臓を締め付けてくるのだ。
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