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五章 ソルディング領
48話 招かれざる客
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パレットとジーンは、領主館に近い場所にある宿に泊まることにした。
領主館に近いほど設備が整っているのも理由だが、警備が厳重でないと危険であると判断したためだ。
「貧民街の近くだと、次の日には荷馬車ごとなくなっているな」
そうぼやいているジーンとしては、荷馬車はもちろんだが、フロストを盗られるのは避けたいようだ。
二人が泊まった宿には風呂があった。
風呂に入る贅沢を知ったパレットとしては有り難いと思う一方、当然宿賃もそれ相応な額となる。
そもそも風呂がある宿は、王都であっても高級といわれる部類にしかない。
この宿が誰を客として見ているのか、わかろうというものだ。
――金持ちと貴族以外は、客じゃないみたいね。
実際、パレットたちが泊まりたいと言った時にもひと悶着あった。
宿側から、誰か貴族の紹介があるのかと問われたのだ。
そんなものはないとジーンが告げると、宿の従業員は途端に嫌な顔をして宿泊を拒否する。
それにイラッときたパレットが前金で金を積んで、ようやく泊まることができたというわけだ。
だがこの時従業員は、パレットたちを貴族のお忍びだと勘違いをしたようで、とたんに媚びを売る態度に豹変した。
これにはジーンと二人でげんなりすることとなった。
――ジーンの容姿が、貴族に見えたんでしょうね。
ジーンもそれがわかっているのだろう、宿に入ってからずっと機嫌が悪い。
だがそれも仕方がないことだとパレットは思う。
いつも貴族の中で仕事をするジーンは、細かい仕草が洗練されてきている。
それが誤解を招く原因なのだろうが、本人は非常に不本意そうだ。
ともあれ、無事に宿を確保したパレットとジーンは、数日ぶりの温かい食事にありついた。
しかしそこでも問題が起きた。
一階が食堂になっているのは、宿としてはよくあることだ。
だがここでは、テーブルごとに給仕が付いて食事を提供していた。
給仕が付く食事というものには、パレットは両親が生きていた頃に経験がある。
ジーンもアレイヤードに厳しく指導されているようで、ナイフとフォークを握る手つきに戸惑いはない。
しかし食事の内容も豪勢で、庶民の食事としては考えられないものだった。
これではまるきり貴族の食卓だ。
――王都の宿も、ここまでじゃないわ。
王都の宿がここまで貴族を意識することはない。
貴族は王都との行き来のために別邸を持っている上、宿泊は縁者の邸宅にすることがほとんどだ。
宿とはあくまで、庶民が利用するものなのである。
それがここまで貴族におもねられると、ある種の脅迫感すら感じられる。
「宿は綺麗だし、食事も美味しいんだけれど。
疲れますね」
「全く同感だ」
パレットとジーンは、美味しい食事を肩を落として食べるのだった。
そしてその夜、パレットは旅の内容の報告を書いていた。
この作業は旅の間定期的に行っており、ジーンもアレイヤードに書いているはずである。
そのジーンは今、情報を集めに酒場を巡りに行っている。
――謀反に繋がる反乱なんて、起こらないといいけど。
この旅が肩透かしに終わるのが一番いいのだが、そうはいかない雰囲気である。
パレット重いため息をついて報告を書き進める。
そうしていると、気が付けばすっかり夜も遅くなっていた。
「それにしても、ミィってば遅いわね」
いつもなら、とっくに帰ってきている時間である。
どこかで美味しいものに夢中になっているのかもしれない。
そう考えたパレットは笑いを漏らす。
ジーンとミィはまだ帰ってきていないものの、もう遅い時刻なので先に風呂を遣わせてもらおうとパレットは決める。
だがその前に喉が渇いたので、水を貰いに食堂へと降りる。
階段を降りて一階へ着いた、その時。
「やあパレット、久しぶりだね」
横手からそう声をかけられた。
突然のことに、パレットは飛び上がらんばかりに驚く。
声がした方を振り返ると、階段の陰になる場所から姿を現したのは。
「……叔父さん?」
そこにいたのはパレットの叔父で、現在ドーヴァンス商会の会長である男性だった。
パレットが家出して以来の、実に十年ぶりの再会だった。
叔父は濃茶の髪を油で後ろに撫でつけ、髭を綺麗に整えていた。
パレットの記憶にある姿よりも、若干太ったようだ。
それに金糸を豪華にあしらった服を着ており、金持ちであることを主張している。
「どうして、ここに?」
パレットはそう尋ねたものの、実は叔父がこの街にいることが予想できなかったわけではない。
ドーヴァンス商会の馬車が領主の街へ入ったのだ。
身分の高い者との取引の上で、それに乗っているのが商会長である可能性は高い。
しかし、こんな風に自分が待ち伏せされているとは思わなかった。
警戒するパレットに、叔父は笑顔で告げた。
「どうしてとは、こちらが言いたいね。
ここは貴族専用区域だというのに」
この叔父の言葉に、パレットは眉をひそめる。
――貴族専用って……。
王都の貴族区でも、そのような言い方はしない。
あそこはあくまで、貴族の邸宅が集まっている場所だ。
王城が近いという点からも警備は厳しいものの、庶民が入ってはいけない場所ではない。
でないと、ジーンたちがあそこに住むことなどできないのだから。
嫌な顔を隠そうともしないパレットに、叔父はニタリと笑った。
「ああそうか。
お前は抜け目のない女だからな、貴族にすり寄るのはお手のものか。
いつの間にか貴族区に入り込み、大物貴族を誑し込むくらいだ」
「……は?」
叔父の物言いに、パレットは眉間にぎゅっと皺を寄せる。
そんなパレットの様子を見て、叔父はさらに続ける。
「あの貴族の男は財務の大物だろう。
どうやって近づいたんだ、身体か?
その貧相なものでも、物好きはいるんだな」
そう言って叔父は、パレットの全身をじっとりと眺める。
これにパレットはかっと頭に血が上ると同時に、鳥肌が立つ。
叔父の顔を平手打ちしたい衝動に駆られたのを、パレットはぐっとこらえる。
――落ち着くのよ、私。
そう自分に言い聞かせ、両手をぎゅっと握り締めて呼吸を整える。
ここで乱暴なことをしては、叔父の思うツボだ。
妙な言いがかりをつけて、兵士を呼ばれてはたまらない。
今はジーンと共に、秘密裡に行動している最中なのだから。
それにしても、叔父が言っている相手は、もしや室長のことだろうか。
――叔父さん、私を見張っていたの?
見られたとしたら、あの時だ。
仕事で帰りが遅くなったので、心配した室長がジーンの屋敷の前まで送ってくれた時。
叔父の周囲に、あれを見ていた者がいるのだ。
そんなパレットの内心を知ってなのか、叔父はさらに続ける。
「私としては、お前のような盗人はとっとと兵士にでも突き出したいところだが。
あの貴族を紹介してくれるのならば、全てを水に流してやってもいい。
いい話だろう?」
――どの口が、ぬけぬけと!
パレットは握りしめた拳に、手が白くなるほどに力を込めた。
パレットの両親の死後、ドーヴァンス商会を盗み取ったのは、叔父の方であるというのに。
パレットが持ち出した金は、一年間休みなく働いた賃金だ。
むしろ対価としては安かったくらいだと思っている。
パレットは声を低くして、叔父に告げた。
「叔父さんが妄想を抱くのは勝手ですが、それに私を巻き込まないでください。
叔父さんに紹介する相手も、くれてやる金もありませんので、どうかお引き取りを」
パレットが丁寧に頭を下げて見せると、今度は叔父が顔を真っ赤に染めた。
パレットが反抗してくるとは考えていなかったのかもしれない。
「育ててやった恩を忘れて、ずいぶんな口を聞くな!」
唾を飛ばさんばかりに言われたものの、パレットは叔父に育ててもらった覚えはこれっぽっちもない。
妄想を吐くのも大概にしてほしいものだ。
だが叔父が、再びニタリとした笑みを浮かべた。
「だが、お前が素直に頷くような可愛げのある女ではないことくらい、とっくにわかっていることだ」
そう言ってくると同時に、パレットの背後からぬっと腕が突き出た。
「……え!?」
その腕に身体を捕らえられ、なにか甘い匂いのする布をあてられたと思った直後、パレットは意識が朦朧とし出す。
「ふん、大人しくしていればいいものを。
余計なことをするからこうなる」
そんな叔父の声を聞きながら、パレットは意識を失ってしまった。
領主館に近いほど設備が整っているのも理由だが、警備が厳重でないと危険であると判断したためだ。
「貧民街の近くだと、次の日には荷馬車ごとなくなっているな」
そうぼやいているジーンとしては、荷馬車はもちろんだが、フロストを盗られるのは避けたいようだ。
二人が泊まった宿には風呂があった。
風呂に入る贅沢を知ったパレットとしては有り難いと思う一方、当然宿賃もそれ相応な額となる。
そもそも風呂がある宿は、王都であっても高級といわれる部類にしかない。
この宿が誰を客として見ているのか、わかろうというものだ。
――金持ちと貴族以外は、客じゃないみたいね。
実際、パレットたちが泊まりたいと言った時にもひと悶着あった。
宿側から、誰か貴族の紹介があるのかと問われたのだ。
そんなものはないとジーンが告げると、宿の従業員は途端に嫌な顔をして宿泊を拒否する。
それにイラッときたパレットが前金で金を積んで、ようやく泊まることができたというわけだ。
だがこの時従業員は、パレットたちを貴族のお忍びだと勘違いをしたようで、とたんに媚びを売る態度に豹変した。
これにはジーンと二人でげんなりすることとなった。
――ジーンの容姿が、貴族に見えたんでしょうね。
ジーンもそれがわかっているのだろう、宿に入ってからずっと機嫌が悪い。
だがそれも仕方がないことだとパレットは思う。
いつも貴族の中で仕事をするジーンは、細かい仕草が洗練されてきている。
それが誤解を招く原因なのだろうが、本人は非常に不本意そうだ。
ともあれ、無事に宿を確保したパレットとジーンは、数日ぶりの温かい食事にありついた。
しかしそこでも問題が起きた。
一階が食堂になっているのは、宿としてはよくあることだ。
だがここでは、テーブルごとに給仕が付いて食事を提供していた。
給仕が付く食事というものには、パレットは両親が生きていた頃に経験がある。
ジーンもアレイヤードに厳しく指導されているようで、ナイフとフォークを握る手つきに戸惑いはない。
しかし食事の内容も豪勢で、庶民の食事としては考えられないものだった。
これではまるきり貴族の食卓だ。
――王都の宿も、ここまでじゃないわ。
王都の宿がここまで貴族を意識することはない。
貴族は王都との行き来のために別邸を持っている上、宿泊は縁者の邸宅にすることがほとんどだ。
宿とはあくまで、庶民が利用するものなのである。
それがここまで貴族におもねられると、ある種の脅迫感すら感じられる。
「宿は綺麗だし、食事も美味しいんだけれど。
疲れますね」
「全く同感だ」
パレットとジーンは、美味しい食事を肩を落として食べるのだった。
そしてその夜、パレットは旅の内容の報告を書いていた。
この作業は旅の間定期的に行っており、ジーンもアレイヤードに書いているはずである。
そのジーンは今、情報を集めに酒場を巡りに行っている。
――謀反に繋がる反乱なんて、起こらないといいけど。
この旅が肩透かしに終わるのが一番いいのだが、そうはいかない雰囲気である。
パレット重いため息をついて報告を書き進める。
そうしていると、気が付けばすっかり夜も遅くなっていた。
「それにしても、ミィってば遅いわね」
いつもなら、とっくに帰ってきている時間である。
どこかで美味しいものに夢中になっているのかもしれない。
そう考えたパレットは笑いを漏らす。
ジーンとミィはまだ帰ってきていないものの、もう遅い時刻なので先に風呂を遣わせてもらおうとパレットは決める。
だがその前に喉が渇いたので、水を貰いに食堂へと降りる。
階段を降りて一階へ着いた、その時。
「やあパレット、久しぶりだね」
横手からそう声をかけられた。
突然のことに、パレットは飛び上がらんばかりに驚く。
声がした方を振り返ると、階段の陰になる場所から姿を現したのは。
「……叔父さん?」
そこにいたのはパレットの叔父で、現在ドーヴァンス商会の会長である男性だった。
パレットが家出して以来の、実に十年ぶりの再会だった。
叔父は濃茶の髪を油で後ろに撫でつけ、髭を綺麗に整えていた。
パレットの記憶にある姿よりも、若干太ったようだ。
それに金糸を豪華にあしらった服を着ており、金持ちであることを主張している。
「どうして、ここに?」
パレットはそう尋ねたものの、実は叔父がこの街にいることが予想できなかったわけではない。
ドーヴァンス商会の馬車が領主の街へ入ったのだ。
身分の高い者との取引の上で、それに乗っているのが商会長である可能性は高い。
しかし、こんな風に自分が待ち伏せされているとは思わなかった。
警戒するパレットに、叔父は笑顔で告げた。
「どうしてとは、こちらが言いたいね。
ここは貴族専用区域だというのに」
この叔父の言葉に、パレットは眉をひそめる。
――貴族専用って……。
王都の貴族区でも、そのような言い方はしない。
あそこはあくまで、貴族の邸宅が集まっている場所だ。
王城が近いという点からも警備は厳しいものの、庶民が入ってはいけない場所ではない。
でないと、ジーンたちがあそこに住むことなどできないのだから。
嫌な顔を隠そうともしないパレットに、叔父はニタリと笑った。
「ああそうか。
お前は抜け目のない女だからな、貴族にすり寄るのはお手のものか。
いつの間にか貴族区に入り込み、大物貴族を誑し込むくらいだ」
「……は?」
叔父の物言いに、パレットは眉間にぎゅっと皺を寄せる。
そんなパレットの様子を見て、叔父はさらに続ける。
「あの貴族の男は財務の大物だろう。
どうやって近づいたんだ、身体か?
その貧相なものでも、物好きはいるんだな」
そう言って叔父は、パレットの全身をじっとりと眺める。
これにパレットはかっと頭に血が上ると同時に、鳥肌が立つ。
叔父の顔を平手打ちしたい衝動に駆られたのを、パレットはぐっとこらえる。
――落ち着くのよ、私。
そう自分に言い聞かせ、両手をぎゅっと握り締めて呼吸を整える。
ここで乱暴なことをしては、叔父の思うツボだ。
妙な言いがかりをつけて、兵士を呼ばれてはたまらない。
今はジーンと共に、秘密裡に行動している最中なのだから。
それにしても、叔父が言っている相手は、もしや室長のことだろうか。
――叔父さん、私を見張っていたの?
見られたとしたら、あの時だ。
仕事で帰りが遅くなったので、心配した室長がジーンの屋敷の前まで送ってくれた時。
叔父の周囲に、あれを見ていた者がいるのだ。
そんなパレットの内心を知ってなのか、叔父はさらに続ける。
「私としては、お前のような盗人はとっとと兵士にでも突き出したいところだが。
あの貴族を紹介してくれるのならば、全てを水に流してやってもいい。
いい話だろう?」
――どの口が、ぬけぬけと!
パレットは握りしめた拳に、手が白くなるほどに力を込めた。
パレットの両親の死後、ドーヴァンス商会を盗み取ったのは、叔父の方であるというのに。
パレットが持ち出した金は、一年間休みなく働いた賃金だ。
むしろ対価としては安かったくらいだと思っている。
パレットは声を低くして、叔父に告げた。
「叔父さんが妄想を抱くのは勝手ですが、それに私を巻き込まないでください。
叔父さんに紹介する相手も、くれてやる金もありませんので、どうかお引き取りを」
パレットが丁寧に頭を下げて見せると、今度は叔父が顔を真っ赤に染めた。
パレットが反抗してくるとは考えていなかったのかもしれない。
「育ててやった恩を忘れて、ずいぶんな口を聞くな!」
唾を飛ばさんばかりに言われたものの、パレットは叔父に育ててもらった覚えはこれっぽっちもない。
妄想を吐くのも大概にしてほしいものだ。
だが叔父が、再びニタリとした笑みを浮かべた。
「だが、お前が素直に頷くような可愛げのある女ではないことくらい、とっくにわかっていることだ」
そう言ってくると同時に、パレットの背後からぬっと腕が突き出た。
「……え!?」
その腕に身体を捕らえられ、なにか甘い匂いのする布をあてられたと思った直後、パレットは意識が朦朧とし出す。
「ふん、大人しくしていればいいものを。
余計なことをするからこうなる」
そんな叔父の声を聞きながら、パレットは意識を失ってしまった。
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