不機嫌な乙女と王都の騎士

黒辺あゆみ

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五章 ソルディング領

60話 帰還

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ルドルファン王国との交渉は無事に済んだ。
 パレットたちはベラルダの領主の好意で領主館でもう一泊した後、王都へ帰ることになった。

「それでは、お世話になりました」

ベラルダの領主に挨拶をするパレットは、文官服ではなく庶民の普段着姿で、フロストを繋いだ荷馬車の御者台に乗っている。
隣に座るジーンも同じように、簡素な服に短剣を腰に差しただけの恰好である。
ミィはパレットとジーンの間に寝そべって、まったりとくつろいでいた。

「帰りの道中気をつけてな」

二人はベラルダの領主に見送られながら領主館を出ると、国境の街を後にした。
 帰り道は特に急ぐことなく、ゆっくりと進んでいく。
立ち寄った街で、屋敷のみんなへのお土産を買うことも忘れない。
旅の期日が予定よりも長くなってしまったので、みんなきっと心配しているに違いない。
そのお詫びも込めて、パレットはお土産を選ぶ。
 思えば誰かにお土産を選ぶなんて初めてだ。
そう思うと自身の幼い頃、いつも父からのお土産を楽しみにしていた思い出がよみがえる。
きっとその時の父も、こんな気持ちだったのだろうか。

 ――お土産選びって、楽しいものね。

 待っている人がいるからこそ、お土産を買う意味がある。
パレットはそのことをしみじみと噛み締めていた。
 現在、パレットの気分はまさしく休暇だ。
立ち寄る街の中にはパレットたちのことを覚えている人もいて、特にミィは相変わらずの人気ぶりだった。
 しかし帰りの道中、奇妙なことがあった。
ジーンが宿をとる際に、部屋を別にするかと尋ねたのだ。

「え、どうして?」

尋ね返すパレットに、ジーンが困ったような顔をした。

「どうして、っていうかなぁ」

その後言葉を濁しているが、パレットにはなにが言いたいのかさっぱりわからない。
 身分証は往路と同じく夫婦である上、二部屋とる宿賃ももったいない。
同じ部屋に泊まることにすでに慣れてしまったパレットは、一緒でいいと答えた。
だがジーンの方が悩んでいたようである。

 ――どうしたのかしら?

 最近のジーンは謎だ。
 こうしてパレットが新たな疑問に首を傾げながらも、旅は終わりに近付いて行く。
そしていよいよ、遠くに王都が見えて来た。

 ――この景色を見るのは、何度目かしらね。

 王都を見晴るかす時は、いつだってパレットの転機だった。
良くも転ぶし、悪くも転ぶ。
けれどそろそろ、自分の人生は自分の手で転がしたいものだ。
叔父が遠くでなにかをやるのであれば、パレットは無害で済んだ。
しかし今回、放置しておくわけにはいかない。

 ――もう叔父さんに振り回されるのは、終わりにしなくちゃ。

 強い決心を抱いたパレットだったが、ジーンがその様子を横目に見ていたことなど、本人は気付いていなかった。
 たどり着いた王都の門で見張りをしていた兵士は、ジーンの知り合いだった。

「ジーン、ずいぶん長く王都を空けたな」
「ああ、ちょっと国境まで行ってきた」

気安く声をかけて来たところを見ると、そこそこ上手く交流できている相手のようだ。
兵士は隣に座るパレットにも視線を向けてくる。

「へえ、お嬢さんと一緒にか。
お帰り、遠かっただろう」

兵士がこちらに声をかけると思っていなかったので、パレットは驚く。

「……どうも」

上手く応対できないパレットを、愛想のない女と思われたのだろうか。
兵士はそれ以上なにも話しかけることなく、パレットたちに通行許可を出した。

「ジーン、今度旅の話を聞かせろよ!」
「ああ、訓練所でな」

ジーンがひらりと手を振りながら、荷馬車は王都へ入った。

 ――お帰り、か。

 パレットは家出して王都に来るまで、誰かに帰りを出迎えられたことなど、一度もない。
それが王都に来てジーンの屋敷で暮らすようになってから、屋敷に戻るたびに「お帰り」と声をかけられる。
パレットにはいつも、それがこそばゆく感じていた。
パレットがそうして自分の思考に浸っていると。

「なあ、パレット」

ジーンが声をかけてきた。
パレットがそちらを向くと、ジーンはフロストの手綱を持って、正面を向いたまま話し出した。

「あんたはあの時言ったな、帰る場所があるのは幸せだと」

ソルディアの街で、反乱集団の若者たちに言った言葉を、ジーンは覚えていたようだ。

「……そうね」

帰るべき家、それは十年前にパレットが失ったものだ。
パレットのそれまでの楽しいふわふわとした気持ちが、とたんに沈んでいく。
それを見て取ったのか、ジーンがパレットの髪をぐしゃぐしゃにかき回す。

「なにをするんですか!」

ムッとして睨みつけるパレットに、ジーンは微笑んだ。

「その帰る場所は、今のあんたにもちゃんとあるさ」
「え?」

ジーンの言葉に、パレットは戸惑う。
 フロストの引く荷馬車が、貴族区の道をゆっくり進んでいく。
そしてその先に、すっかり見慣れた屋敷が見えた。
屋敷の門の前に、複数の人影がある。

「ジーンにぃ、パレットさん、ミィちゃん、おかえりー!!」

屋敷の前で、アニタが叫びながら大きく手を振った。
屋敷の者が全員で出迎えてくれている。
偶然遊びに来ていたのか、貴族の子供たちの姿もある。

「あの屋敷は、あんたの家になれているか?」

そう言ったジーンは、優しい眼差しをしていた。

「私の……」

パレットは言葉を詰まらせる。

 ここに戻って来たと、ホッとしている自分がいる。
パレットが十年さすらった間、一度も抱かなかった感情だ。
そう、自分にもちゃんとあったのだ。

 ――私の家、私の帰るべき場所。

「……もったいないわ」

目に涙を滲ませるパレットに、ミィが甘えるようにすり寄る。
ジーンがパレットの肩を軽く叩いた。

「おう、今帰った! ほら、パレットも」
「……みんな、ただいま!」

***

王都に戻った次の日。
ジーンはアレイヤードへの報告のために王城へ向かった。
 長く王城に顔を出さなかったジーンのことを、騎士のほとんどは辞めさせられたと思っていたようだ。
久しぶりに見るジーンの姿に、あからさまにしかめっ面をされた。
彼らの悪態はいつものことなので、ジーンは気にせずにアレイヤードの執務室へと向かった。

「ジーン・トラストです」

ジーンが名乗ると、すぐに入室の合図が来る。
ジーンを待っていたのか、室内にはアレイヤード一人しかいない。

「まずは、無事の帰還を喜ばしく思う。
よく戻った」
「ありがとうございます、ただいま戻りました」

帰還の挨拶が済むと、ジーンは早速旅の間の報告書をアレイヤードの執務机の上に置いた。

「旅の報告書です。
私としては、十分な結果を出したと思っています」
「ソルディング領からも、事件のあらましの報告は来ている。
時間がかかるかと思っていたが、予想外にあっさりとかたがついたな」

アレイヤードはジーンの話に耳を傾けながら、報告書を手に取って読んでいく。

「現場で怪しい男を一人逃しました。
私の不手際です」

ジーンが己の失敗を口にすると、アレイヤードはひらりと片手を振った。

「私がお前に与えた任務は、パレット・ドーヴァンスの監視だ。
今回お前は己の仕事をやりきった。
後の話は、我々が考えるべきことだ」

どうやら咎めたてたりはしないらしい。
ジーンはそのことにホッとすると共に、肝心のことを聞こうと、ぐっと拳を握りしめた。

「私の調査は、パレット・ドーヴァンスの嫌疑を晴らすに足りますか?」

ジーンの言葉に、アレイヤードが報告書から顔を上げた。
 パレットの嫌疑を晴らすためだと言われ、ジーンは今回様々なことを試した。
旅の間の行動観察はもちろん、旅に出る前に屋敷の自分の部屋に仕事の書類を放置したりと、地味な工作をしていたのだ。
だがパレットは、ジーンの部屋を家探ししようとはしなかった。
これは家人にも確認している。

「もうこれ以上、身内を疑うような真似をしたくありません」

ジーンの真剣な眼差しを、アレイヤードは正面から受け止める。

「パレット・ドーヴァンスは、お前にとって身内か?」

この質問に、ジーンは目を細めた。

「庶民にとって、同じ屋根の下で暮らし、同じ食卓を囲む者は家族同然です。
貴族の方には、理解し難いことかもしれません」

パレットが家族の一員であれば、屋敷の主であるジーンは、その家族を守らなければならない。
その覚悟を、ジーンは視線に込める。
二人でしばし無言で見合っていると、ふっとアレイヤードが目元を緩めた。

「……そうか、お前には酷なことを強いた。
だがこれで、必ずパレット・ドーヴァンスの嫌疑を晴らすと約束しよう」
「そう願います」
「お前には一週間の休みをやる。
まずは旅の疲れをとることだ」

ジーンは一礼して退室した。

「若造が、女を守る男の顔をした」

アレイヤードの呟きは、既に部屋を出たジーンには届かなかった。
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