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第二部 魔獣襲来イベント
Episode28.事務部の一致団結
しおりを挟む帰りの馬車の中は、ジークがむすっとしていたせいで空気が悪かった。
(婚約者として、別の殿方と二人きりになったのはいけない事よね)
婚約者として年若い男と二人きりになるのは、あらぬ疑いをかけられかねない。
未婚の男女同士なのだから、侍女や執事など、二人きりではなかったという証明が必要なのだ。
(謝るべきよね……?)
正直、むすっとしたジークに話しかけるのは寿命が縮みそうなくらい怖いのだけれど、そうは言っていられない。唇を湿らせ、決意を固める。身を乗り出した。
「あの、ジーク様……」
「……謝らなくてもいい」
「い、いえ。あれは婚約者として恥ずべき行為、体裁を重んじるならば考えられない事です。謝罪すべき事です。なので、せめてお詫びを……」
ずっと帝都のガス灯を見つめていたジークが、ふと、こちらを見つめてくる。
怒りの感情で揺れていた深緑の瞳が、少しだけ色を変えた。一番近い感情は、嫉妬だろうか。オルフェンに対する嫉妬?
(いいえ。ジーク様は確かにお優しい方だけれど、そんな事を思うような方では……)
婚約者として、彼は最高の男性だ。
些細なロサミリスへの気遣いはもちろんのこと、ロサミリスの家族の配慮も忘れない。見目も麗しく魔法の才能もあり、家柄とて申し分ない。素晴らしい。本当に素晴らしい男性だ。
彼から嫌われているわけではなく、少なくとも人としては好意を持たれている、ということは分かってきた。
でなければ、早朝から門の前で体を震わせながらロサミリスを待っていないだろうし、エルダにいじめられたと聞いて憤慨する事もないだろうし、魔法の練習の際におでことおでこをぶつけて熱を測ったりしないだろう。
もしかして、彼は──。
(いいえ。そんなの…………ジーク様がわたくしのことを異性として好きかもしれない、なんて……期待してはダメよ。また六度目みたいなことになるわ)
六度目の人生。
婚約破棄され、裏切られた前世の事を思い返せば、今世は『期待しない』とロサミリスは決めている。
期待さえしなければ、どんなことがあっても平常心を装える
例え彼が『実は好きな人がいる』と言ってきても、動じないように。
(ジーク様の妻、公爵夫人として立派に責務を果たせばいい。わたくしに求められているのはそれだけ……)
そもそも、好きな男性が自分の婚約者なのだ。
好きになっても身分差などがあれば話しかける事すら許されない世界で、いまの状態は幸せといっていい。
高望みしてはいけない。
(わたくしはこれで充分……)
そう、ロサミリスは思い込んだ。
「一つだけ、聞いても良いか」
「は、はい」
「オルフェンに何かされたか?」
「いえそのような事は……」
「そうか。なら良かった」
本当は壁ドンされたのだけれど、それを言える状況ではない。
すぐ近くにジークの顔がある。
いつもなら平気なのに、今日はやけに鼓動がうるさかった。
「ロサは無理をするな」
「無理なんてしておりませんが……」
「いいや、ロサは無理をしなくていい。試用期間が終わったら、延長なんて考えるな。ラティアーノ伯爵もサヌーンルディア卿も、そもそもこの仕事に反対している」
「ええ、それは分かっております」
そもそも事務部に潜入したのは、魔獣襲来の手がかりを掴むため。長居は無用だ。ロサミリスも同じ思いなのだけれど、ジークの今の言葉には、それ以上の深い意味があるように感じられた。
「無理をするのは俺の役目だ」
また窓の外を見始めたジークの横顔には、憂慮深い表情が浮かんでいた。
◇
書類の作成期限まで、もう一日を切った。
早朝から仕事に取り組んでいるものの、なんといっても分量が多い。手書きなのでどうしても時間がかかってしまう。上層部宛に提出するものに手を抜くなんてことは出来ないので、とにかく集中して取り組むしかない。
(セロース先輩、昨日のケーキで充電できたって言ってたけれど、あんまり寝てないんじゃないかしら)
迷惑をかけていると思っているらしく、ロサミリスよりも早く出勤していた。日が昇る前から取り掛かっているという。いままでだって残業時間が長かったのに、過労で倒れてしまうのではないかと心配だった。
だが、ロサミリスにもそこまで余裕はない。体が分裂してくれれば、すぐにでも彼女を休ませてあげたい。
「──あの、リサ君。セロース君も、ちょっといいかな」
「え? 私も?」
セロースがやってくる。
「ローズウェイズ部署長、どうなされたのですか?」
無精髭をたくわえ、いつも疲れた顔をしている五十代半ばの男性ローズウェイズ。
若い頃よりバリバリ仕事をこなし、平民ながらも事務部の部署長に選ばれた彼。しかし事務部に占める貴族の割合が多くなるにつれ、権力をたてに過重な労働を強いられてきた一人。なんとセロースよりも残業時間が多く、休みを返上して泊まり込み作業をしていることもあるという。
「私達に手伝えることはあるかな」
部署長の後ろには、昨夜部署長と一緒に残業していた職員達の姿がある。みんな残業をして疲れているはずだ。セロースとロサミリスの仕事を手伝えるほど精神的な余裕もないだろう。
「今はエルダ君が席を外している。言うなら今だと思ったんだ」
確かにエルダがいれば、手伝うと言った部署長にどんな嫌がらせを行うか分からない。
「お気持ちはとても嬉しいですが、なぜ? ローズウェイズ部署長も、自分の仕事で手一杯なのでは」
「ここにいる者は昨日で急ぎの用事を終えている。そっちの提出のほうが重要だろう、君たちばかりに負担を押し付けてはいられない」
「ローズウェイズ部署長……」
「昨日、リサ君はこの中で一番最年少なのに、あのエルダ君に果敢に挑んだ唯一の人だ。とってもかっこよかった、みんなそれに感銘を受けたのだよ。私達みたいな庶民にも、味方になってくれる貴族がいるんだって」
「あれはただカッとなっただけですよ」
「正しい事を正しいと言えることは素晴らしい事だよ」
ローズウェイズ部署長は、煙草を吸って黄色く変色した歯を見せて笑った。
「みんなで頑張って、平民の団結力と意地を見せつけてやろう。まぁ、リサ君は平民じゃないけどね」
すると、その話を聞いていた別の職員もロサミリスの周りに集まって来た。
「あの、私も手伝ってもいいですか?」
その女性職員は貴族出身だ。誰かに仕事を押し付けているような方ではなく、こつこつ仕事をこなしていく大人しい方。生活ぶりは他の平民と変わりないはずなのに、貴族というだけで他の平民出自の職員から白い目で見られていた。
「私は……一応貴族です。……でも、偉そうに出来るほど有能でも身分が高いわけでもありません。本当はみなさんと一緒に、この仕事をやっていきたいんです」
「私も……」
「俺も一緒だ」
ローズウェイズ部署長は、目を丸くして驚いていた。
「……そうか。そうだな、貴族っていうだけで敵だと思っていた時もあったけど、そうじゃなかった。仕事を共にする仲間だもんな。みんなで頑張って乗り越えよう」
「「「おおっ!」」」
「みなさん……」
セロースは、目に小さな涙を浮かべていた。
きっと嬉しいのだろうと、ロサミリスは推測する。
もちろん、貴族が彼女たちのように平民に寄り添うかと問われれば、そうではないだろう。でも、中には寄り添おうとする貴族もいるのだ。
彼らが団結する様子を見て、ロサミリスはある考えを思いついた。
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