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第二部 魔獣襲来イベント
Episode40.婚約者からの愛の言葉
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目を覚まして、そういえば医務室に運ばれたのだと思い出す。
ジークに助けられ、安心してそのまま気を失った。
移動途中に一度意識が戻ったけれど、明確には覚えていない。
ロサミリスが覚えている事といえば、ジークに抱かれながら医務室に運ばれた事、ニーナに泣きつかれた事、セロースとルークスに手を握られた事、くらいだろうか。
視線を動かしてみると、腕に取り付けられ透明な液体が管を通っている。魔力補給のための点滴だと思われた。
体を起こしてみると、手先に温かさを感じる。
(え、ジーク様…………?)
ロサミリスの手に手のひらを重ねるように、ジークが寝台に上体を預けている。倒れているでは。血の気が失せ、あわてて自由の利く左手をジークの顔近くに持っていった。手の甲に穏やかな吐息がかかり、ロサミリスは安堵の息を吐く。
(眠ってらっしゃるのね……)
彼が穏やかな顔で眠っている。
たったそれだけなのに、胸の内に温かな気持ちが広がっていく。災害級魔獣は、彼が一人で片づけてしまった。なんということだろう、あんなに色々考えて彼から魔獣を引きはがそうとしたのに。
彼が一瞬で何とかしてしまった。
最初から何もしなくても、こうなっていたのではないか。
そうも思うと笑ってしまう。
ロサミリスは、ジークの美しいご尊顔を眺める事にした。
なんて綺麗な寝顔なのだろう。
伏せられた長い睫毛が、静かな呼吸に合わせて、時折ピクピク動いている。内緒だけれど、ロサミリスは彼の肖像画と写真を何枚も持っている。家宝だ。墓場まで持っていくつもりである。
(お肌綺麗…………殿方の肌って女性と違うのかしら)
触ってみたい。
ロサミリスはあまりジークとスキンシップを取らない。茶会ではロサミリスが一方的に見惚れているだけだし、腕を掴むような恋人らしい真似事なんてなくて、唯一それっぽいとすれば舞踏会のダンスくらい。婚約者同士ならもっと仲睦まじい様子を演出したほうが良いと言われたことがあるけれど、自分から行くのは躊躇われた。羞恥心もあるけれど、浮ついた女だと思われて嫌われたくなかった。
(髪なら、いいかしら……)
手を繋いだこともなかったけれど、ロサミリスはほんの少しだけ、勇気を出してみた。
そっと、彼の髪に触れる。
(男性の髪って硬いのね……あ、でもあったかい)
これこそ、彼が生きている証拠。
冷たくなっていない、血も流していない、生命の温かさ。
一度触ってしまえば、最初の壁は超えたも同然で。
えいや! と、彼の肌にも手を伸ばす。
「その辺りにしてくれないか」
「じ、じ、ジーク様っ!? おき、起きてっ!?!?」
むくりと体を起こしたジーク。
怒ってはいなさそうだが、口が真一文字に引き結ばれている。ロサミリスはとっさに手を引っ込め、好奇心とはいえども、尊い御身に触れてしまったことを詫びた。
「謝らなくてもいい」
「こうでもしなければ気持ちが収まりませんわ」
「違う、嫌だから止めてくれと言ったんじゃない」
「嫌じゃないのなら、なぜ……」
「ロサに悪戯されると仕返しをしたくなる。手加減できるとは思えない」
「さ、さようでございますか……」
(ジーク様の仕返しって、なにかしら……っ!?)
仕返しの内容は全く想像できなかったけれど、仏頂面で言うものだから、ロサミリスは内心で戦々恐々だ。
「冗談だ。そう緊張するな」
「よ、良かったです……」
「ずっと手を握っていてすまない。痛かっただろう」
大きな手に握られていたロサミリスの指は、ほんのり赤く色づいている。
ジークはそっと、壊れ物を扱うかのように赤くなった指を撫でる。
「痛みはありませんでした。ジーク様はお気になさらず……」
「そうか……」
沈黙。
いつもの彼ならこのあたりで話を切り上げて、仕事に向かう。茶会だってそうだった。彼は真面目で寡黙な人。ロサミリスも二人きりだと緊張を隠すのに必死になるので、必要以上の会話は避けていた。
「ロサ」
「は、はい」
急に名前を呼ばれて、驚く。
「今さらこれを聞くのもどうかと思うが、なぜセロース嬢のところへ向かった? 周りの騎士にでも言えば、きっと助けになってくれただろう。なのに、なぜ?」
あの天幕の周りには何人か騎士もいたし、その気になればジークやサヌーンにも助けを求められた。でも、ロサミリスはニーナだけを連れて向かった。
「あの場で、セロース先輩がいる場所を正確に、迷うことなく行けたのはわたくしだけです。それに、他の方も、少しでも多くジーク様やサヌーンお兄様がいる場所で、結界石を……町を、守っていただきたかっただけです。……あとはもう、がむしゃらだったのです」
「がむしゃら、か」
「はい。セロース先輩が危ないと思った時点で、もう……いつの間にか動いておりました。自分でも驚きましたわ。わたくし、けっこう感情で動いちゃうタイプみたいです。そしてジーク様、遅くなりましたが、あのときは助けていただき本当にありがとうございました」
深々と頭を下げたロサミリスに、ジークは小さく首を横に振った。
「ロサの救援信号のおかげだ。あれがなければ、おそらく気付いていなかっただろう。現場指揮官は他の大型魔獣に手をこまねいていたし、暗黒竜も急に予想外の進路をとった。俺は騎士ではない。単独行動出来たのが吉と出たな」
「俺は死なない。あの言葉は、真実だったのですね」
「当たり前だ。ロサを残して死ねるものか」
いつもは寡黙な分、直接的な言葉は心に響く。麗しの婚約者の顔を見れず、視線を落としてしまう。
「耳が赤いな……」
耳を全力で隠す。
しばらくそうやって心を落ち着かせたあと、ロサミリスはジークを見た。
「あの、ありがとうございます。本当に、ジーク様は婚約者思いの方ですね。ご自分の御身のことも顧みずに……」
「前々から気にはなっていたが……」
ジークは小さなため息を吐いていた。
なぜため息を吐くのか分からなくて、小首をかしげる。
(わたくし、変なこと言っちゃったかしら……)
深緑の瞳が強く輝いている。これは、なんらかの感情が彼の中で渦巻いている。どんな感情なのか、顔から読み取ることは出来ない。
「ロサは、俺がロサ自身を愛しておらず、婚約者という立場だから仕方なく愛しているフリをしている、と、本気で思っているのか?」
「え…………?」
違うのですか? と。
そう言いたげなロサミリスの戸惑いに、ジークは今度こそ顔を手で覆った。指の隙間から彼の表情がうかがい知れる。これは、後悔と苛立ちの感情だ。ロサミリスに対して、ではなく、自分自身に対する感情のようだった。
「俺の責任だ。ロサに不安な思いをさせた。
謝罪させてくれ」
「か、顔をあげてくださいませ! ジーク様に落ち度などあるはずがないですわ! きっとわたくしが、変な事を申したのでしょうっ。だから謝るのはわたくしの方でっ!」
(むしろ責められるべきは、わがままなことを言いまくっているわたくしのほうで!)
ジークに悪い点など一ミリもないことを強調しておく。
「ロサ」
「はいっ!」
「伝わっていると思っていたのは俺の傲慢だ。……ロサはずっと隣にいた。俺にとってロサは大切で、大事で、かげがえのない人なのに、想いを告げることでロサが離れていくような気がしていた。……これは失態だ。もっと素直に伝えていれば、オルフェンに言い寄られることもなかっただろうに」
「ジーク様がわたくしのことを……大事に、思ってくださっていた……?」
「あたりまえだ。……オルフェンからは分かりやすくて分かりにくい男だと言われたことがある」
「なんですか、それ……」
笑ってしまう。
目と目を合わせていると、ジークの手がロサミリスの頬を包み込んだ。
「愛している」
手を握られながら、耳もとで甘い言葉を囁かれて。
刺激が強すぎて、ロサミリスの頭がぼうっとする。
「ジーク様、あの……」
「分からないのなら何度でもやってやるが」
「ずっと、思っておりました。ジーク様は金髪のほうがお好きで、わたくしみたいな地味で何の取り柄もない黒髪女なんて本当はお嫌なのに、婚約者だから、ジーク様は割り切っていらっしゃるんだって。ずっと……」
「俺がいつ金髪が好きだと言った?」
「いえ……噂ですけれど……」
「ロサ」
「はい……」
ジークの顔が再び接近して、ロサミリスは視線をさ迷わせた。
すぐに彼の手が顔をがっちりホールドして、どこに視線を向けてもジークの顔しか見えなくなる。
「俺は金髪より黒髪が好きだ。ロサのこの、指通りがよくていい匂いのする黒髪がな。何も言わず髪を切った時は驚いた。この髪型でも十分に可愛いが、また髪を伸ばしてくれ」
「はい……」
「ロサは地味ではない。笑ったところも、ダンスしてる時の顔も、悲しんでる顔も、怒ってる顔もすべて美しく、そして素敵だ。これから先、ロサはもっと気高く美しくなるだろうな」
「本当に、そう思っておられますか……? 夢、ではなくて……?」
「俺は……。俺は、そんなにロサを嫌っていたように見えたのか?」
いいや違う。
ロサミリスは怖かっただけだ。
六度目のように、好きな人に裏切られてしまうことがたまらなく恐ろしかった。
だから、ずっと期待しないようにしていた。
「これからは出来る限り口にしよう。口にしてこなかったせいで、ロサに多大な心配をかけた」
「……謝らないで、くださいませ」
「謝るだろう、悪いのは全部俺だ。
ロサは俺の事が嫌いか?」
深緑の瞳が、小さく揺れる。
きっと、不安なのは彼も同じなのだ。
ロサミリスは、一度も彼に向かって好きだと言ったことはなかったから。
「……す、きです」
「…………声が小さいな」
「もう! わたくしの一世一代の告白をからかわないでくださいましっ!」
「すまない。あんまりにもロサが可愛いから」
もう一度ジークの顔が近づいてきて、反射的に手で押しとどめる。
嬉しさと羞恥心で感情がごちゃごちゃになって、ロサミリスはいつのまにか泣いていた。
「愛してます、ジーク様」
そう言うと、ジークは動きを止めた。
「あの、ジーク様……?」
「……。いや、予想以上に、こう……来るもんだなと……。破壊力が凄まじいな」
そう言って、ジークは小さく笑っていた。
◇
ロサミリスは、セロースに呼ばれてシェルアリノ騎士公爵の天幕に来ていた。そこには、焼き菓子をもぐもぐ食べるオルフェンとセロース、二匹の小さな魔獣を抱きかかえるルークスがいた。
「コル、ロンじゃない。ここまで連れてきたの?」
真っ黒な毛並みを持つロンが、ルークスの腕を飛び出して走ってくる。
尻尾を振りながらロサミリスの腕にすっぽり収まり、その柔らかな毛並みを押し当ててくる。その温もりにロサミリスの頬は緩みまくり、心の中できゃっきゃした。
(か、か、可愛い~っ)
もふもふをさわさわ。
もふもふもふもふもふ。
「こいつら、きっとオレに助けを求めてきたんだ。あのでっかい魔獣から助けてくれって。それで、オレ決めた。オレ、コルを飼うよ!」
「魔獣って飼えるのでしょうか。オルフェン様はどう思われます?」
「魔獣の食事はなにも生命力を吸うだけじゃない。動物みたいに肉を食べたりする。前例はないが、案外普通の動物と同じように飼えると思う」
瘴気を出さない魔獣がいるのなら、飼うことも出来るかもしれない。
「でも生命力を吸うんじゃありませんか?」
「そうだね。でもどうやらコルとロンは、腹をすかせた時しか生命力を吸わないようだ」
「なるほど……」
本当に不思議な魔獣だ。
「ロンは?」
「それが、オレが抱きかかえてもすぐ離れちゃうんだ。たぶん、ロサのところへ行こうとしたんだと思う」
「わたくしのところへ……」
ロンは、きゅうんと高く鳴いた。
「ロンはロサの近くにいたいんだ。オレは、その気持ちを汲んでやりたい。ロンを、連れてってくれないか?」
(ロンを…………)
家に連れて帰る。
しかし、出来るだろうか。
背中を撫でると、ロンは気持ちよさそうに小さく鳴く。確かに可愛らしいと思うが、動物……この際は魔獣を飼うのは責任が伴う。ロサミリスは伯爵家の令嬢として、そしてジークの将来の伴侶として、さらに忙しい日々を送らなければいけない。
思うようにロンを気にかけられないだろう。
「ルークス君、しばらくロンを預かってもらえるかしら」
「え? 連れて行かないのか?」
「いま連れて帰るのは、かえってロンを不幸にさせるわ。それにロンも、コルと離れるのは寂しいと思うかもしれないじゃない? 何年も経ったあと、ロンがわたくしと共に行きたいと言うのなら、そのとき連れて行くわ」
「そっか……ロサは、色んな事を考えているんだな。うん、分かったよ。それまで、僕が責任をもってロンとコルを育てるね!」
二匹の魔獣に顔を舐められて、ルークスはくすぐったそうに笑う。
セロースの表情を見ると、諦めたように眉をさげている。
この子は一度決めたら聞かないんです、とでも言いたげな表情だ。
◇
それから二か月後、ルークスは無事に退院した。
今では野原をコルとロンで走り回れるほどに快復し、元気な笑顔を見せていると、セロースからの文では書かれていた。
ロサミリスというと、習慣になっている魔法武術の稽古に、伯爵令嬢としての勉強、茶会などなど、忙しく日々を暮らしている。
そして来る〈呪い〉に対抗するため、作戦を練り始めていた。
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