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第三部 お腐れ令嬢

Episode42.〈腐敗〉の呪い

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 時は、即位式の二か月ほど前に遡る──
 
「テオドラ先生。わたくしの体は、あとどれくらい持ちますか」

 帝国西部のローフェン地方の、とある山小屋。
 護衛の者を下がらせ、ロサミリスは一対一でとある人物と向き合っていた。
 
 テオドラ。
 目元の隈が濃いのが特徴的な30代の男性だ。
 魔獣に妻を殺されて以降、この山小屋で一人引きこもって魔獣の研究に没頭しているという。ロサミリスがテオドラを発見し、声をかけたのは一年ほど前のこと。

 彼は魔獣、瘴気、そして呪いに関する研究者だった。

「『知り得る情報を全てあなたに差し上げますから、わたくしの呪いを何とかする方法を教えてくださいませ』──確か、貴女が開口一番に言ってきた台詞ですよね」
「茶化さないでくださいまし。持ち得る情報はお渡しいたしましたわ」
「揺すればまた何か出てくるんですかね?」
「テオドラ先生」
「失礼」

 凄みのある目で睨めば、銀縁眼鏡の奥でテオドラの瞳が細くなる。知識欲の化け物のような人だ。ロサミリスの知る魔獣の情報や自身の呪いに関すること、六回分の前世のことまで洗いざらい彼に伝えている。それを対価として、協力してもらっているのだ。

「すべて言わないと、テオドラ先生はわたくしに協力してくれないでしょう?」
「ロサミリス嬢にそこまで言わせてしまうとは…………」

 ジーっ、とまだ茶化そうとするテオドラを見つめる。
 バツが悪くなったようで、テオドラはおっほんっと咳払いした。

「一年です。私がその諸手に施した封印術と、封印魔法が編み込まれている特注の黒い手袋を嵌めていれば、一年──つまり貴女が17歳の誕生日を迎えるまで、呪いが発現することを抑えることが出来るでしょう」

 ロサミリスは黒い手袋を外し、手を持ち上げてみせる。
 シミ一つない白魚のような手の甲に、真っ黒な魔法印が描かれている。これが封印術。〈腐敗〉の呪いの進行を遅らせるために、テオドラが独自で編み出したものだ。今まで、ロサミリスは寝る時や食事を摂る時も手袋を外したことがない。手の事を知っているのは、テオドラの他に侍女ニーナだけ。

 婚約者であるジークにも話していない。

 手袋を外さないとマナー違反になる目上の者との食事については、何かと理由をつけて避けてきた。

「ロサミリス嬢。これは前にも話した事ですが、今の私の技術では遅らせることが限界です。いついかなるときに腐敗の兆候が出るか分からない以上、むやみに手袋を外さない方が賢明かと」
「ふふっ、分かっておりましてよ。
 ──怖いですか、この手」

 黒い手袋を嵌めながら聞くと、テオドラは「まさか」と笑う。

「私は奇人変人と呼ばれている。魔獣や瘴気、何千年も昔の古い文献上でしか確認されていない魂に刻み込まれた呪いを追いかけ、知識欲のままに調べまくっている。正直私はね、妻が魔獣に殺されてしまった今、いつ死んでも良いと思っているのですよ」
「まだ死なれては困りますわ」
「そうだったね。かつての伝承と再会出来たんだ、貴女が私に聞かせてくれた興味深い話の対価として、最後まで呪いの根本的解決法を探りますよ。きっと神が私に、死ぬ前の試練を与えてくださったんでしょうから」
「その古い文献って、あなたが読んだことがないものもありますの?」
「ありますよ。多くは焚書されてしまいましたがね」

 聖ロヴィニッシュ帝国において、呪いは邪神ミラが関係していると言われている。この世界をひどく愛した邪神ミラは、己の強大な力ゆえに他の神に拒絶され、その大きすぎる悲しみと怒りが世界に呪いを産み落としたのだと。
 呪いを調べることは邪神ミラの心を暴き、彼女を引き寄せてしまうと当時は思われていた。呪いに関する研究が焚書されてしまったのはこれが理由だ。

「ですが、まだ可能性があります。皇宮の書庫室なら、呪いに関する詳細な文献があるかもしれません」
「皇宮……なるほど、確かに可能性は高そうだわ」
「……ちなみに、許可なく書庫室に入れば投獄ですよ?」
「侵入しようだなんて思っておりませんわ、ちょっとくらいしか」
「ちょっとは思ったんですね……」
「書庫室どころか、皇宮ですら用事がないと入れませんわ。わたくしはあくまで伯爵令嬢ですもの」
「あの魔獣たちを見つけてくれたロサミリス嬢なら、伝手の一つや二つ持っているものと思っておりました。いやあ、さすがに期待し過ぎですね」
「あの魔獣……ああ、コルとロンのことかしら。見つけたのはわたくしではなくて──」
「ええ!」

 テオドラの顔がぱっと明るくなる。
 実は、最初はこんなに明るく社交的な雰囲気ではなかった。そう、まるで来る者すべてを拒絶するような……。今でこそ茶髪を整髪剤でそれなりにまとめているが、初対面の時は、髪はボサボサで髭はぼうぼう、死んだ魚のような目をしていて何を言っても「ああ」「うん」「もう死にたいんだ」「放っておいてくれ」の繰り返し。
 
 彼こそが頼みの綱。
 一縷の望みをかけて少しでも興味を持ってもらおうと試行錯誤している際、たまたまセロースとルークスに会う機会があった。そのときルークスが「コルとロンの可愛さがあればその兄ちゃんもメロメロだな!」と提案し、テオドラの山小屋までコルとロンを連れて行ったのだ。

 作戦は効果てきめん。

 人に懐いているうえに瘴気を持っていない魔獣二匹に、テオドラは目をハートにさせて喰いついてきた。

「あの子たちは本当に素晴らしい!! 瘴気を持っていない魔獣というのは昔から姿こそ確認されていたけれど伝承でしか伝えられていないからほとんど伝説のような存在なんです最初に瘴気を保有していない魔獣が確認されたのは今から180年も前と言われていますがそのとき発見した魔獣はすぐに死んでしまい十分な研究が出来なったんですそこから今まで確認された個体はたった16体だけでかの有名な魔獣博士は──」
「はいはい魔獣の話は聞いても分からないのでこの辺で」

 テオドラは興奮すると早口でまくし立てる癖がある。
 初めて聞いた時は内容を理解できず頭から煙が出そうだった。

(いまでもさっぱり分からないけれど)
 
「今度、ぜひコルとロンを連れて来てください。あー大丈夫ですよ、解剖なんてしませんから」
「とか言って、本当は少しだけやってみたかったり?」
「…………」
「いま目を逸らしましたわね!」
「しませんよ! 観察はもちろんしたいですが、毎日死にたくてどん底の毎日を送っていた私を、ロサミリス嬢が救ってくれたんです。そんな恩を仇で返すような事はしませんよ」
「ふふっ、分かっております。ありがとうございますテオドラ先生。次の健診でお会い致しましょう」

 淑女の礼をして、テオドラと別れた。

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