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第三部 お腐れ令嬢
Episode51.ベルベリーナという侍女
しおりを挟むベルベリーナは、同年代なかでも飛びぬけて優秀な侍女だった。
見目の麗しさはもちろんのこと、所作や礼儀作法、さらに諸外国の言語や歴史にいたるまで習得し、高位貴族の侍女として華やかな人生を送るのが彼女の目標。
リリアナ皇女の唯一の後ろ盾であるソニバーツ侯爵にも目をかけてもらい、いよいよ皇女の専属侍女に選ばれるかと思った矢先に、あの少女がやってきた。
イゼッタ・ユーリティ。
聞けば何の実績もない平凡な下級貴族の生まれ。
大して整っていない顔立ちに、短く切られたくすんだ茶色い髪。
侍女としての仕事ぶりは確かなものだけれど、諸外国の言語や歴史を習得したベルベリーナの敵ではない。
最初は、そう思っていた。
ベルベリーナの仕事ぶりは正確で速いが、性格がキツい。仕事の遅い周りの侍女たちを「ノロマ」「お荷物」などと平然と罵ったり、ソニバーツ侯爵のお気に入りであることを良い事に、自分が特別な人間であることを吹聴していた。
対してイゼッタは、仲間思いで面倒見がいい。友人と話すときの口調には田舎っぽさが混じっていたが、そこが他の侍女の心を掴んだ。侍女長も侍女を管理する立場上、イゼッタの手を借りることが多いため、イゼッタを気に入っている。
第四皇女の専属侍女の選抜の際は、侍女長の推薦としてイゼッタ・ユーリティが、ソニバーツ侯爵の推薦としてベルベリーナ・ハルヴィカがそれぞれ選ばれた。
結果、選ばれたのはイゼッタだった。
ベルベリーナには与えられたのは、傍付き侍女。専属侍女が皇族に仕える最も名誉ある役回りだとすれば、傍付き侍女はそんな専属侍女の下で働く格下の存在。一番を目指すベルベリーナにとって、これほど屈辱的なことはない。
『ソニバーツ侯爵様! 今回の結果、私は納得できません!! なぜ優秀であるはずの私が選ばれず、彼女が選ばれたのですか!?』
ベルベリーナは、すぐにソニバーツ侯爵に直訴した。
リリアナ皇女の後ろ盾であり、皇女を監督する彼ならば詳細な情報を知っているはずだから。
『最終的な判断を下したのはリリアナ皇女自らです。そして、イゼッタにお墨付きをしたのはカルロス殿下ですよ』
『殿下がなぜ』
『そこまでは分かりません。ですが、心配しなくてもよろしい。私はベルベリーナこそが、皇女殿下の侍女に相応しいと思ってるのです。きっと流れに身を任せれば、リリアナ皇女殿下ご自身が真の侍女が誰か見極められるはずです』
『は、い……』
すでに40を超えた年齢のはずの、ソニバーツ侯爵の風貌。
銀の麗人と称される美しい笑みが、ベルベリーナの心を強く掴んだ。
『ソニバーツ侯爵……』
『しばらくは後輩に華を持たせてやりなさい。然るべき時に、神はあなたに微笑んでくれますよ』
『分かりました。このベルベリーナ、侯爵様のお言いつけ通りに』
『ええ。良い子ですね、ベルベリーナ』
その一か月後、ベルベリーナに機会が訪れた。
イゼッタがどんな失敗をしたのかは分からなかったが、専属侍女から外されたのだ。
専属侍女の座はベルベリーナの手に。
(私専用の部屋に、私が自由に使える侍女が一人。私専用の寝台、机に椅子に、あぁ……なんということなの。鏡台まであるじゃない……!)
皇女の専属侍女になった。
それだけで、劇的に変化する生活環境。
共同生活には、もう戻らなくてよいのだ。
(なんて幸せなの。こんな生活、家にいた頃では到底味わえないわ)
ベルベリーナの家はそれなりに裕福な貴族家庭だったが、ここまでではない。
皇族の専属侍女は格が違う。
(仕えているのが第四皇女でさえなければ、もっと幸せだったのに……)
たった一つだけの不満。
それは、仕える相手が第四皇女殿下であること。
(癇癪が激しい、皇族としての当然のことをやろうとしないなんて…………なんてことなの! 恵まれた立場に生まれながら、その責務を果たそうとしないなんて! それならいっそ皇女の位を捨てて平民として暮らせばいいのだわ!)
なにより、自分が優しく話しかけてあげたのに、リリアナ皇女ときたら「口をきくことは許可していない」だと。頭にきたので、それからは侍女として最低限の仕事をして、すぐ私室に戻らせてもらった。
(なんてつまんないの。せっかく皇族の専属侍女になったっていうのに)
そんな日々を過ごしていると、ベルベリーナに話しかけてきた者がいた。
リリアナ皇女の話し相手として召し上げられた、ロサミリスという伯爵令嬢だ。リリアナ皇女の教育のために、力を貸してほしいのだという。
リリアナ皇女は侍女との関係を修復しつつある。ベルベリーナのところにもやってきて謝ったくらいだから、変わろうと努力しているのは事実なのだろう。
(皇女以前に、人として当たり前よね。10歳のリリアナ皇女殿下が出来ても、全然不思議じゃない。いいえ遅すぎるくらいよ。皇族ならそれくらいの礼儀は5歳で身に着けるべきね。ま、過ぎた話だからもういいけれども)
ベルベリーナは、そこまでリリアナ皇女が嫌いなわけではない。
リリアナ皇女がわがままな態度を改め、将来のために力を貸してほしいと言うのならば、「まぁしょうがないわね」と応じてやるのがデキる侍女の役目だ。
ただ、好敵手も協力しているとは思わなかった。
「どうしてイゼッタさんがこちらに? リリアナ皇女殿下から苦言を呈されたのではありませんの?」
「これはこれはベルベリーナさん。ご機嫌麗しゅう。そのような話でしたが、実はついさっき、誤解だったということが判明したのですよ」
「あらそうだったのですか、よかったですね。でもその自信がいつまで持つかしら? 皇女殿下からまた苦情を言われたら、今度こそ田舎に帰る羽目になるから、その前に大役をおりることをお勧めしますわよ?」
「これはこれはご丁寧にありがとうございます。で・す・が、私はリリアナ様から全幅の信頼を寄せられていますからね! そんなことは二度と起らないから!」
「まぁ強気なのですね」
「そっちこそ」
「うふふふ」
「あはは……」
「「おーほっほほほほほっ!!」」
バチッバチの火花が散る。
田舎娘と一緒に、リリアナ皇女の皇女教育に励むようになって三日経った後のこと。
ベルベリーナは、リリアナ皇女の成長ぶりを実感していた。
(リリアナ皇女殿下、びっくりするくらいに素直になったみたいね)
皇族としての自覚を持ち、身の振り方や勉学に励んでいる。他人を労うことも覚え、誰かに嫌な事を言われても、いきなり魔法を放つような暴挙には出ない。
(皇族として相応しくないって、思ってた……)
面と向かって口にしたこともある。
そのときリリアナ皇女は、寝台に包まっていた。何もしようとせず、ただ逃げていた。でも今のリリアナ皇女は違う。ベルベリーナから語学の指導を受け、イゼッタから人とのコミュニケーションの練習をし、ロサミリスからはダンスのレッスンを受けている。
(最初は……、どうせ何も変わらない。あんな皇女に何を教えても無駄だって思ってたのに)
陰で、リリアナ皇女の頑張りを笑う者がいる。その者たちはかつてのベルベリーナのように『どうせ無理だ』と思っている。リリアナ皇女は皇族らしくない、威厳も足りないわがまま娘だと笑っている者たちだ。
ベルベリーナは、そんな風に皇女を陰で笑う者たちが、いつのまにか鬱陶しく感じるようになっていた。
皇族の傍付き侍女にもなれない、侍女になる努力をしようともしない。おまえたちこそ、ベルベリーナからすれば笑いものだ。
リリアナ皇女は変わる。
誰にも笑われない、他の兄妹姉妹のように立派な皇族の一員になることが出来る。
彼女が変わる手伝いを、担うことが出来る。
嬉しい。
リリアナ皇女に仕えて嬉しいと思える日がくるなんて、思ってもいなかった。
「────ですけれども、いくらなんでもこの女にベタベタし過ぎではありませんか! リリアナ皇女殿下、専属侍女はこの私・ベルベリーナ・ハルヴィカですのよ!?」
「すまない。ベルベリーナが良い子じゃということは分かったが、わらわにとっての一番はイゼッタなのじゃ」
いけすかない。
本当にいけすかない。
(この天才ベルベリーナを差し置いて田舎娘のほうが皇女のお気に入り!? 語学の才能も見目の美しさも家柄も何もかも私の方が上なのに…………くやじぃいい)
それにイゼッタときたら、さっきのリリアナ皇女の言葉を聞いて「勝ったわ」なんて顔をしている。
「どうベルベリーナさん。田舎者に負けた今のご感想は?」
「聞き捨てなりませんわよイゼッタさん! 今のリリアナ皇女殿下の専属侍女はこの私よ!!」
「まぁまぁ立場を振りかざしてくるなんて、なんて高慢ちきなのでしょう。そんなところがリリアナ様に嫌われる所なんですよ」
「わらわはベルベリーナも好きじゃぞ」
「なっ!?」
「ほら見なさい、リリアナ皇女殿下はどちらがより格式高い侍女であるか、よく分かっていらっしゃいますわ」
「でもイゼッタも好きじゃ。じゃから、二人とも大好きじゃ」
にっこり笑うリリアナ皇女。
愕然とする侍女二人。
──そんな様子を、ロサミリスは紅茶を啜りつつ、穏やかな気持ちで眺めていた。
「喧嘩するほど仲がいいと言いますし。ふふ、二人ともよくお似合いだわ」
最初はイゼッタこそがリリアナの侍女にふさわしいと思っていたが、今は違う。リリアナにはベルベリーナも必要だ。ベルベリーナの所作の美しさや教養の深さは、必ず将来のためになる。皇族として、これから厳しい世界を生きていかなければならないのだ。味方は一人でも多い方が良い。
(あともうちょっとでお友だち候補としての役割が終わる。そしたら、念願の皇宮書庫室に入れるわ。でもイゼッタさんが専属侍女から外された件も気になるし、このまま何も起きなければいいけれど……)
毎度毎度、身に宿る呪いが不幸を招きよせている気がして、黒い手袋を嵌めた手をさする。
(嫌な予感がするわ……)
応援ありがとうございます!
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