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第三部 お腐れ令嬢
Episode56.バレてしまっては仕方ありませんわ
しおりを挟む「話がある。大事な話だ」
そんなことを言われたのは、ジークが第四皇女と簡単な挨拶を済ませた後のことだった。二人きりになりたいらしく、場所を移動する。先ほどのソニバーツ侯爵との事を問いただされるのではとロサミリスは思ったけれど、何もなかったのだし、なによりロサミリスには彼への好意がない。だから大丈夫だ。
(まあ、気なる人であることは確かなのよね。…………さっきのアレはともかく、独特の雰囲気が妙に気にかかるというか…………気にしても仕方ないわよね)
穏やかな笑みを浮かべて去っていった銀の麗人を脳裏から消し去る。
視線を感じた。
「ジーク様?」
「あの男のことを考えていたのか?」
「はい。先の代よりも皇族に仕えていて、リリアナ様の後見の立場でもありますから」
「……そうか」
さきほど直ったと思った機嫌が、また悪くなったような気がする。
ほんのちょっとだけ、顔がむっすりしていた。
「それよりも、ジーク様はどうして皇宮に?」
「陛下から呼び出しを受けた。呪いに関する本──経典が書庫室から盗まれたらしい。盗人は死んだが、そいつが所属しているであろう組織の根城がラティアーノ領内にある可能性がある」
「!」
(やっぱり書庫室に呪いにまつわる本があるんだわ)
確信を得られたのは嬉しい。
(でも盗まれた? しかも犯罪組織が領内に潜んでいるかもしれないって……)
咄嗟に思い浮かべたのは家族のことだった。
兄であるサヌーンならばこのことを知っているだろうか。いや、もう何かしらの情報が陛下から伝わっているだろう。今ごろは父とともに、親子揃って情報を収集している最中かもしれない。
(お兄様なら心配してなくてもいいわ)
ロサミリスが好き過ぎるという欠点を除いて、我が兄は完璧な人だ。
何かあれば情報を寄こしてくれるだろうし、変に首を突っ込んで調査の邪魔するのも良くない。
「お話くださってありがとうございますジーク様」
丁寧に礼をして、顔をあげたところで目が合った。
「話はまだある。ロサの、その黒い手袋のことだ」
「…………」
「正直に話してほしい」
「なんのことでしょう? ですからこれは、ただのファッションだと」
「ロサ」
神秘的な、深い緑を閉じ込めた瞳が真剣味を帯びた。
ロサミリスの頬にジークの大きな手が添えられて、端正な顔がぐっと近づく。
懇願するような、掠れ声だった。
「こう見えても、俺は心配しているんだ。ロサになんらかの呪いが宿っているのではないかと」
「!」
いまの反応は、いただけなかったかもしれない。
彼の言葉に、ロサミリスは肩を揺らしてしまった。
「はいそうです」と言っているようなものだ。決してジークの負担にならぬよう、息をひそめて、自分の力だけで何とかする予定だった。でももう、隠し通すことができない。
ロサミリスは出来る限り強気に見えるよう微笑った。
「バレてしまっては仕方ありませんわ」
「ではやはり──」
「ジーク様の仰る通り、わたくしはこの身に呪いを宿しております。輪廻転生を繰り返してもなお、魂に刻まれる呪いに体を蝕まれ、残酷な『死』が訪れて終わり、そしてまた繰り返す。わたくしは六度もその『死』に直面し、今度は七度目。──でも、心配には及びませんわ。七度目こそは幸せを勝ち取るため、この髪を切り落した『あの夜』から行動を開始いたしましたの」
ね、なにも心配はいらないでしょう?
言葉には出さずに、ロサミリスはジークの手を軽く払う。
「今世の身に宿すのは〈腐敗〉の呪い。手に触れた物や人が腐り落ちていく死の呪い。ですが、もう『お腐れ令嬢』なんて呼ばせませんわ」
最後は、己に言い聞かせるための一言だった。
ジークは何か考えているようで、口もとを手で覆っていた。
「ジーク様もご公務で忙しいでしょう? ほら、顔が少しむくんでおられますし、良い睡眠を取れていないのではありませんか?」
「俺のことはいい。最近寝不足なのは、よくない夢を見るようになったからだ」
「あら、悪夢でしょうか。そういえば昔からジーク様は悪い夢を見がちでしたわね。悪夢を見なくなる魔除けのアロマを、後で送らせますね」
「………………ロサ」
「はい、なんでしょう」
ジークが再び距離を詰めてくる。
思わず後退すれば、逃げ場がなくなって壁に背中がぶつかった。
「俺の事はいいと、さっきも言ったな。ロサはいつも俺の心配をするが、俺はロサの方が心配なんだ。強気に振る舞っているのがただの演技ということくらい、分かる」
「それは…………あの……」
声に怒気が帯び、深緑の瞳も激情に揺れている。
諦めたように、ロサミリスは声を発した。
「意地、だと思っていますわ」
「意地だと?」
「ええ、意地です。ジーク様に頼れば己の弱さを認めてしまうことになる。わたくし、人に弱みを見せるのが苦手でして……」
言いながら、ロサミリスはジークの頬に手を添えようとして──
己の手に嵌められた黒い手袋を見た瞬間、前世の記憶がフラッシュバックした。
「…………ごめんなさい」
思い出したのは、前世の大親友が腐って死んでいく様子。
触れてしまったのだ。
手に宿った〈腐敗〉の呪いがあらゆる物を腐らせる邪悪なものだと知りながら、手が触れ合うという禁忌を侵した。そのときに悟ったのだ。
────誰とも触れ合うべきではなかったのだと。
(呪いがまだ発現したわけじゃない。なのに、ジーク様に触れようとすると心が苦しくなる。張り裂けそうになるわ…………)
愛しているからこそ、触れられない。
触れたくない。
呪いが消えるまで、ロサミリスはもう自らの意志で彼に触れないだろう。
彼の大きな手を握ることも、金色に輝く髪に指を通す事も、ダンスの相手をすることもない。
寂しいことだけれど、仕方ない。
「ロサ……?」
「本当に、大丈夫です。この黒い手袋と封印術を施してくださった偉大な先生がいらっしゃいますの、ジーク様にも今度ご紹介いたしますわ」
ロサミリスは腕をおろし、ジークと少し距離を取る。
「ですから、本日はもう帰ってくださいませ。この手に宿る呪いが、いつ御身を傷つけてしまうか分からない以上、わたくしに触れない方がよろしいと思いますの。ジーク様を……失いたくないのです」
震える声でそう言うと、いつの間にかジークに抱きしめられていた。
息苦しさを感じるほどの強い力だった。
「ジーク様……っ?」
「ロサが意地を張るなら俺も意地を張らせてもらうことにした」
「え……?」
「俺に触れたくないと言っても、傷つけるかもしれないと怖がっても、近づくなと言われても、俺はロサに触れる。俺自身がロサに触れたいから、そうする」
正直、わがままだと思った。
こちらの意思を無視してジークは触れたいと言うのだ。
子どもじみたわがままで、とてもストレートな愛情表現で。
だからこそ、ロサミリスは素直に嬉しいと思ってしまう。
「この手をとって、俺はロサと一緒に呪いを考える。いいな?」
有無を言わせない強い感情を宿した、深い森の瞳に見つめられて。
「はい……」
ロサミリスは小さく頷いた。
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