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本編
01 婚約破棄されて
しおりを挟むぽたぽたと、冷たいものが頭からしたたりおちる。
ツンと香るアルコールの匂い。
お気に入りだった白いドレスに紫色のシミが広がっていくのを、私は呆然と見下ろしていた。
(…………なにが起こっているの?)
王家主催のパーティに出席し、婚約者とダンスを踊る。
今まで何度となく繰り返してきた事なのに、今日はいつもと違っていた。
(私……あぁそうだ、ジャークス様に話しかけようとして……)
ジャークス・ハルクフルグ様は、汚らわしそうな顔で私を見ている。
あれ?
ジャークス様はそんな顔はしないはず。
幼い頃の婚約の挨拶では、穏やかな微笑を浮かべて私のことを抱きしめてくださった。ともにハルクフルグ家を盛り立てて行こうと仰ってくださった。
私は愚図でのろまな女だ。何か失敗するたびに、ジャークス様は困った表情を浮かべて、これからだねと仰ってくださった。
頑張ろう。
この方のために頑張りたい、一生添い遂げていこうと思った。
『俺は大人っぽい女性が好きなんだ』
そう言われたときは、じゃあ今のままじゃダメだと思って、お喋りをやめて、嫌いだった勉強もたくさんした。公爵閣下の妻として恥じない女性になろう、もっと博識になろう、もっと淑やかになろう。
もっともっとを積み重ねた結果が、コレ。
「自分からワインをかぶりにいっておいて、なんて白々しい」
違います。
これはワインをかけられたんです!
そう言おうと思ったけれど、震える唇から何も言葉が出てこない。
昔から人前が苦手だったため、周囲から浴びせられる視線で私の鼓動が早くなる。
「ジャークス様…………あの、その隣にいらっしゃるご令嬢は」
ようやく絞り出せた声は、自分でも笑っちゃうほど震えていて。
周りから「無様ね」と失笑する声も聞こえる。
この場から消え去りたい思いが募ったけれど、腰が抜けて動きそうもない。
「ようやく気付いたか。そうだ、彼女はイースチナ・レイツェット子爵令嬢。俺の新しい婚約者だ」
ジャークス様に、胸を押し当てるようにして腕を絡ませている若い女性。
蜂蜜色の髪が長くふんわりとしていて、目が丸っこく人懐っこそう。
確かに可愛らしい女性だと思ったけれど、ジャークス様の好みとは正反対だと思った。
だってジャークス様は、大人っぽい女性が好きだったはずで……。
「レティシア・ラードハム様でしたっけ?」
「違い、ます。レティシア・ランドハルスです……」
「そうそう、それです。ごめんなさい、私ったら名前を間違えてしまって」
全然悪びれる様子がない。
名前を間違えてしまったのもわざとだろう。
(…………ワインをかけたのはイースチナ様?)
こうなる前は、私はワイングラスを持って歩いていた。
パーティーではワインを飲むのが習慣なのだけれど、強い酒が飲めないので、正直持て余していた。ジャークス様はどこだろう? そう思いながらフラフラしていたら、向こうからイースチナ様がやってきて、すれ違った。
強く腕をぶつけられて、バランスを崩した。
ワインが飛び散り、髪が濡れてドレスが汚れた。
イースチナ様は手を少し濡らしただけだったのに「きゃあ!」と、ことさらに大きな声で悲鳴をあげ、ジャークス様に助けを求めたのだ。
『聞いてくださいませ、ジャークス様。彼女にかけられたんです!』
と。
本当はそんなこと思いたくなかった。
まさかイースチナ様が、そんな事までして私を悪者扱いしたいだなんて。
甘かった。
お子様だった。
他者から憎悪をあまり向けられた事がなかった私は、イースチナ様のあの表情を見るまで悪意を信じられなかったのだ。
──いい気味ね。
イースチナ様は、唇だけ動かしてそう言った。
「おまえは人形みたいで何を考えているか分からない。最初こそ、美しいと感じることもあったが、その正体を知ってからは気持ち悪いと考えるようになった」
「なにを……」
「銀色の髪に紫紺の瞳……その容姿だけでも疑う余地はあったが、見逃していた。そんなはずはないと高をくくっていた。そんな不出来な俺に、聡いイースチナが教えてくれたのだ」
「なにを仰って……」
「薄気味悪い魔女め。おまえの悪行をここにて読み上げ、断罪する」
恐ろしく冷えた目だった。
そうしてジャークス様は、私に対するありもしない悪行を一つずつ述べていった。
「一つ、俺の婚約者という身でありながら数々の男を手玉にかけ不貞を働いた。
以上、12個の悪行をもって俺ジャークス・ハルクフルグは、レティシア・ランドハルスに対し婚約破棄を申し付ける」
──いよいよランドハルス侯爵も終わりだな。
──いいや、こんなの侯爵が認めないだろう。
──いま読み上げた悪行、俺も聞いたことがある。
第一、公衆の面前でハルクフルグ次期公爵が断罪をなされたのだ。
真実がどうあれ、こうなってしまったら娘の
令嬢としての価値はなくなったも同然。
──侯爵はなんと言うだろうな。
──娘を外に出すだろう。
ランドハルス侯爵家は王家の血が入っている歴史あるお家柄。
そんな家に魔女と断罪された娘がいてみろ、
家格の低下は避けられない。
──可哀想に。
失笑まじりの声。
周りを見渡しても、目を逸らすだけで誰も助けれくれない。私の味方は誰もいない。
この話はすぐ父であるランドハルス侯爵の耳に届き、娘の私は勘当を言い渡されるだろう。いや、勘当だけならいいかもしれない。密命を受けて殺されるかもしれない。父は非常に合理的で冷酷な男性だから、間接的に……なんて十分にありうる。
「ランドハルス侯爵令嬢よ、今すぐこの場から去るがいい。俺の気が変わらぬうちにな」
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