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本編
10 お酒・前
しおりを挟む玄関が開くのと同時に、私は頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
ジルクス様がジャケットを脱いだので、受け取ろうと手を伸ばすとジルクス様に止められる。よく目を凝らすと、ジャケットにはべったりと血が付着しているように見えた。
「ジルクス様、それ……!」
「ほとんど返り血だから心配するな。この間言っていた大型魔物の討伐に成功してな、そいつから受けたものだ。待て、このジャケットは直接触らない方が良い。不浄な魔物の力が沁み込んでいて、素手で触るのはおすすめしない」
「厚めの手袋をすればよろしいですか?」
「まぁ……──っておい、これはいいぞ。業者に洗ってもらう」
厚手の手袋をつけた私がジャケットに手を伸ばすと、ジルクス様は体を背けたりしてジャケットを掴ませてくれない。ジルクス様の身長が私よりも頭一個分は高くて、その長い手を活用してジャケットを私から遠ざけようとする。……手が届かないわ!
(ああいうものも洗えるようになれば、ジルクス様にお仕えする侍女として完璧だと思うの)
魔物討伐を生業にする家に勤めているのだから、魔物の血のついた服の一着や二着くらい、洗えるようになっておきたい。
「通常の洗濯ではダメなやつなんだ。専門の業者じゃないと、この魔物の血は落ちない。不浄の力もちゃんと取り除かないといけないからな」
ガーン。
「……そうなのですね」
「大好きなおもちゃを取り上げられた子犬のような目をしている…………可愛い」
「何か仰いましたか?」
ジルクス様が最後に、とても小さな声で「可愛い」と仰られたような気がしたのだけれど。
まさか私に対して「可愛い」なんて言うはずがないし。
(空耳…………?)
混乱する私をよそに、ジルクス様はこほんっと小さく咳払いをして私の横を通り過ぎた。
「食事の前に話がある。すまないが、俺が湯を浴びるまで、書斎で待っていてくれ」
◇
居住まいを正して待っていると、ジルクス様がワインとワイングラスを持って、書斎にやってきた。立ち上がってお持ちしようと手を伸ばした私に、ジルクス様は「君はそこに座ってくれ」とソファを指し示す。
主人よりも先に座っていいものでしょうか。
戸惑う私を横目に、ジルクス様はソファの前に小さな机を持ってきて、ワインとワイングラスを置いた。
立ち尽くす私の傍で、どっかりと座りこむジルクス様。
「何してるんだ?」
「え……」
「ここに座りなさい」
(座れって…………)
トントンっ、とジルクス様が指で叩いたのは、ジルクス様の隣。主人の隣に侍女が座るのはありえないだろう。けれど、その主人が座れと命令しているのだから、座っても良いのだろう。
少しだけジルクス様との距離を空けて、ソファに座る。
「まずは君にお礼が言いたい。レティシアがくれた魔導護符は、魔物討伐において何度も俺を救ってくれた」
「ちゃんと役に立ったのですね……」
「役に立ったどころではないぞ。この魔導護符は相手の力によって結界の強度が変わるんだな。魔物の攻撃は防ぐのに、人が触れたりするのは結界を張らない。絶妙な調整具合だ、本当に感謝している」
ジルクス様の首掛けられた魔導護符は、傷つき、魔水晶の色が落ちているようだった。ジルクス様を守るために何度も結界を張って、そのたびに魔力を消費したからだろう。魔導護符は消耗品。使えば使うほど魔力が減っていくのだ。
「すでに仲間と飲んだ後なのだが、祝賀会といこう。レティシアの魔導護符に感謝して」
言いながら、ジルクス様は二つのワイングラスにワインを注いでいく。
「今日は無礼講だ。好きなだけ飲め」
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