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「……私、結構役に立ってたと思うんですけどね」

「立ってたよね、うん」

「なんで今更異動なんでしょうねー」


 隣に座る岡先輩にぼやいてみる。


「けどさー、別に左遷されたってワケじゃないんだし。そう、気に病む事もないでしょ」


 確かに”降格人事”ではないのだからこちらが文句を言う筋合いもないのだが。

 去年職場復帰したばかりの勤務地から早くも異動なんて、どう考えても変じゃないか!


 内示から小一時間経った今、出向辞令への衝撃は大分吸収・緩和できている。

 あの告示を見た瞬間は退職も考えたが、やめるにしても転職先を見つけるのが先決だった。

 それなら、ここは黙って辞令に従う以外に道はない。

 でも、理由が分からない気持ち悪さが、まとわりつくように絢音を不快にさせる。

 それが分からない限り、また同じ事をやる可能性があるということだ。

 分からないまま無意識に地雷を踏んだ場合は、さらに転属させられるのだろうかと考えたりして、馬鹿馬鹿しくてひとりで自嘲した。


 そこへ、去年短大からの新卒で採用されたばかりの、秘書課の女の子が弾んだ足取りでやって来た。
  
  
「和泉せんぱ~い。今回の出向ご一緒する秘書課の笹本麻衣で~すぅ」


 麻衣は短大卒なら20か21にはなるハズなのに”キャピキャピ”というJK(女子高生)的表現がまんま当てはまるような女の子だった。

 (今日って、まだエイプリルフールじゃないよね……?)
  
 悪夢なら早う醒めて欲しい!
  
 絢音は人事部の采配基準がますます分からなくなった。
   
   
「―― あ、そうそう、出向、三上統括部長とも一緒だって?」

「えっ ―― 初耳です」


 新情報に体を起こして絢音は声をかけた先輩を見た。


「あ、麻衣もーたった今、ご挨拶してきたところでーす」


 と、秘書課の麻衣。
  
  
「メール見てないの? 今回の出向、と三上統括部長と和泉とその笹本さんの3人だぞ」

「いえ、てっきり私だけだと思ってました」


 三上の名前に、絢音の顔が強張った。

 出向の衝撃よりも大きな動揺が、脳内を走る。


「挨拶行っといた方がいいよ」

「え?」

「だって一緒に出向だろ。味方は多けりゃ多い方がいいと思うけど」

「敵陣行くんじゃないですから……」


 そう言いながらも、先輩の言うことが正しいのは絢音にも分かっていた

 複雑な思いで絢音は社内メールを確認した。

 そこには、本当に三上と笹本麻衣、それに自分の名前があった。


「それにしても変な人事だよな……三上統括部長って、元々本店勤務だろー。今までのこっち勤務は単なるヘルプだって俺は聞いてたけど」

「えぇ。私もそう聞いてました」

「どっちにしろ、全く知らない仲じゃないから、かなり心強くはあるな」
 
「え、えぇ、まぁ……」


 言葉を返しながら、ドキッとした胸の内がバレないように、薄く笑う。

 自分的に三上勇人は゛現在進行形゛の恋人(?)なので、確かに知らない仲ではない。

 だからなおさら゛公私混同゛を避けるという意味で、出来るなら仕事上関わりたくないと思うのは自分勝手だろうか。

 定職を失いたくないのなら、上層部が右といえば右を向くのが仕事だ。


「―― 統括部長、今どちらでしたっけ?」

「情報室。早い方がいいぞ、行って来い」

 
 パソコン画面で、絢音は管理職者の在席表を確認した。
  

 『総務統括部、三上勇人』

 と、表示された箇所は青くなっている。
 在席しているという事だ。

 絢音は受話器をとり、深呼吸した。

 今、躊躇えば、多分ずっと気まずい感じを引きずっていく事になる。

 意を決して、絢音は内線を鳴らした。

 三上は、すぐに内線に出た。
 時間を頂戴したいと畏まった絢音に、三上は柔らかい声で答えた。


『オッケー、絢音のためなら、時間はいくらでも作るよ』
 

 その口調を聞いた瞬間、三上があの事を忘れていないと、絢音は確信した。

 そして、また溜息をつく。

 忘れていないのは、当然だった。

 私だって自分が好意を持ってる相手から平手打ちを食らったら、そいつの顔は当分の間見たくない。

 絢音は立ち上がり、震える足で、情報室があるフロアへ向かった。
  


「―― ごぶさたしております」


 デスクの前で直立不動になり、頭を下げる。

 目を合わせる事も出来ないで、デスクを見つめたまま、体を起こした。


「ん~? そんなにご無沙汰してたっけー?」


 おかしそうに、三上が笑うのが分かった。


 (ったくもうっ! この人は……)
  
  
「まぁ、いいや。で、出向の件?」

「はい。ご一緒と伺いましたので、ご挨拶に」

「和泉」

「はい」

「今日の夜、空いてる?」

「今夜、ですか……」


 絢音は頭の中で今日のスケジュールを思い出す。


「6時半まで打ち合わせがありますが、その後は空いています」

「じゃ、店とっとくから、メシでもどう?」

「分かりました。ご一緒させていただきます」

「話はそこで。じゃ、7時、1階のロビー」


 次のアポがあるようで、三上は素早く席を立った。

 絢音は静かに頭を下げて、それを見送った。
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