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ピンチを電話に救われる

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 エレベーターから降りてさっさと進んでいく
 佐渡の背中を見ながら
 私はひたすら早足でその少し後ろを歩く。

 夏休みには一般客へも開放するというが、
 今は季節外れで、廊下もシーンと静まり返っている。  

 その廊下の突き当りでやっと足を止めた
 佐渡の背にどすんとぶつかった。


「わっ ―― あ、ごめんなさい」

「……さて、契約の確認だ」


 くるりと振り返った佐渡が、
 いきなり私のぽかんと半開きになった口を
 キスで塞いだ。

 人通りのない廊下で私に気づく余裕があれば、
 そこは客室の数も少ないエグゼクティブルームの
 並ぶフロアだと分かったはずだ。

 やがて離れた唇は、私が最も恐れていた言葉を
 耳元で囁いた。


「ここから先はキミの自由意志だ……来るか?」


 さっきまでは、あんなに優しく綻んでいた表情が、
 能面のように冷たく凄みを帯びる。

 その手に握られたカードキー。

 目の前に振りかざされ、全身が硬直する。

 その意味が分かるようになったのは、
 一体いつの事だったか……。

 カードキーと、何の感情も読み取れない佐渡の顔を
 交互に見比べ、私はしばし立ち竦んだ。
 
 だが、自分の意志と言われたって、今の私に、
 他にどんな選択肢があっただろう。

 思い切るように閉じた瞼の裏に、佐渡とは正反対の
 凪いだ瞳の持ち主が、一瞬よぎって消えた。


***** ***** *****


 佐渡は悠里を伴ってその客室に入ると、
 そのまま悠里をリビングの真ん中辺りまで連れて行き何故か?
 そこで手を離した。

 立ち尽くす悠里はそのままに、
 カウチソファーに腰かけた佐渡は ――、


『―― さ、服を脱いで、
 ありのままのキミを私だけに見せておくれ』
 
 
 悠里は言われた通り、
 自分の衣服を脱ぎ始める。
  
 その途中で佐渡は『もっとゆっくり』と、
 注文をつけた。
  
 薄手のジャケット・ワンピース・
 シュミーズ、と、脱ぎ進み、
 残るは下着とストッキングとなった時。
  
 ホテルの固定電話のベルが鳴った。
 
 しかし、佐渡は応対に出ようとしない。
  
 傍で聞いてる悠里の方がやきもきしてくる。
  
  
「……あ、あのぉ、佐渡社長」

「さっきも言ったが、
 私の事は宗一郎と呼んで欲しい」

「電話、お出になった方が宜しいかと?」


 悠里がそう言うと、
 佐渡は”仕方がないか”みたいな感じで、
 渋々電話の応対に出た。
  
  
『なんだ。あぁ、お前か……分かってる。
 母さんの誕生日だ、忘れる訳がなかろう。
 あぁ……あぁ……』
 
 
 その電話の相手は会話の内容から察するに、
 恐らく佐渡の家族だろうと、悠里は思った。

 でも、会話が進んでいくうち佐渡の口調は
 だんだんきついものに変わっていった ――。 

  
『あぁっ?! もう、いい加減にしてくれ。
 帰ると言っただろ。話しがこれだけなら切るが? 
 …… あぁ、じゃ、明日』
 

 受話器を戻した佐渡は悠里に手を差し伸べ、
  
  
『さぁ、こっちにおいで?』

  
 悠里は佐渡に手を引かれ、
 彼の胸の中へ抱かれながら、
 今の状況とは全く反対の言葉を発した。
  
  
「ご家族の所へお帰り下さい」


 対する佐渡は悠里のブラのホックを外し、
 ゆっくりその胸に唇を這わせながら言う。
  
  
「キミまで、唯一の癒やしを私から奪うのか」

「こんなのはただの浮気。癒やしなんかじゃ
 ありません」


 悠里はそう言って、佐渡に身を任せつつも、
 固定電話の受話器を取ってどこかへダイヤルした。
  
  
『―― あ、もしもし、フロントですか? 
 佐渡さんのスウィートの会計をお願いします……
 えぇ、今すぐ』
 
『……』


 ***  ***  ***
 

 佐渡が予約していたスウィートを出た後、
 降りたフロント・ロビーには何故か、
 各務がいて ――。
  
  
「―― あっれぇ~~っ、随分と早かったねぇ」

「は? え ―― えっと……
 どうしてボスがここに」

「あぁ! 
 あのおっさん、早漏だったのかぁ」

「ボス……」

「それとも、勃たなかったとか」

「……」  




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