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翌日、僕はあの女が読んでいた白い文庫本のことがどうしても気になって、再び例のレコード店に足を運んだ。
時間は、午後二時五十分。理由はわからないが、午後三時ちょうどに着いていなければいけないような気がした。まるで、そこに小さな窓があって、それ以外の時間には開かないとでもいうように。
階段を降りると、あのレコード店は前と同じように静かだった。いや、正確に言えば、少し違っていた。
カウンターの奥には誰もいなかったが、古い棚が一列だけ奥に増えていて、そこに小さな札が下がっていた。
《図書室》
僕はその棚に近づき、文庫本を一冊、手に取った。それは真っ白な表紙で、中央に小さく金色の文字で書かれていた。
「午後三時の図書室」
ページを開くと、そこには理央の筆跡でこう書かれていた。
わたしはここにいます。
あなたが音の中に入り込むことができるなら。
鍵は、三度目の再生にある。
僕は店を出ると、すぐに自宅へ戻り、もう一度あのレコードをかけた。一度目は昨日と同じ曲が流れた。二度目は異なる旋律だった。静かで、冬の湖に雪が降り積もるような、冷たくも柔らかいピアノ。
三度目の再生の前に、ふと、部屋の時計を見る。ちょうど午後三時を指していた。
再生ボタンを押した。
針が落ちた瞬間、音が鳴らなかった。スピーカーからは何も流れてこない。ただ静寂だけが、部屋を包んでいた。
僕は耳を澄ませた。どこかで水の流れる音がした。
それは、スピーカーの奥から聞こえていた。
立ち上がって近づくと、スピーカーの表面がわずかに揺れていた。僕は吸い込まれるように顔を近づけると、音の中へ──滑り落ちた。
第四章:音の街
気づいたとき、僕は見知らぬ場所に立っていた。
そこはまるで夢の中の街だった。音でできた街。すべてが振動していて、風はヴァイオリンの音色で吹き、歩道はピアノの鍵盤のように軋んでいた。
空には時計が浮かんでいた。大きな、古い柱時計。その針は、ぴったり午後三時で止まっていた。
そしてその広場の真ん中に、理央がいた。
彼女は以前と変わらず、けれどどこか透明になっていた。輪郭が少しぼやけていて、向こう側の空が透けて見えた。
「ここは?」僕は尋ねた。
「音の中」と彼女は答えた。「あなたが三度目に聴いたとき、やっとここに来られた。」
「君はずっとここにいたのか?」
理央は首を横に振った。
「違うわ。私はここに来たんじゃない。消えたの。」
「なぜ?」
彼女は空を見上げた。時計の針は、微動だにしなかった。
「午後三時は、境界なの。世界と世界の間にある、小さな隙間。そこに音が入り込むと、出口がなくなる。」
「じゃあ、君は……」
「出口を探してた。でも、出口は最初から、外にはなかったの。」
「中に?」
「ううん。あなたの中に。」
僕は息を呑んだ。その瞬間、理央の体がふっと揺れた。
「この場所は長くいられない。時間が動き出したら、すべて消えてしまう。」
「じゃあ、一緒に戻ろう。僕の中に出口があるなら──」
理央はかすかに微笑んだ。
「じゃあ、鍵を渡すわ。」
彼女は僕の手に、**音叉(おんさ)**のようなものをそっと握らせた。小さく、冷たく、でもどこかで聴いたことのある音が微かに響いていた。
「目が覚めたら、それを使って。午後三時に、音を鳴らして。」
「そうすれば、私は……」
彼女の声が、かき消えていった。空の時計が、カチリと動いた。
午後三時を、一分過ぎた。
世界が一気に崩れ始めた。鍵盤の道が沈み、風の音が止まり、空から音符のような雨が降ってきた。
そして、僕は再び──
第五章:午後三時の残響
──目を覚ました。自分の部屋だった。
時計は午後三時を、三分過ぎていた。
手には、まだあの音叉が握られていた。重く、現実的な感触。夢ではない。
僕はゆっくり立ち上がり、部屋の中央に立って、その音叉を振った。
澄んだ、透明な音が部屋に響いた。
どこまでもまっすぐに、どこにもぶつからない音。
そして、理央の声がまた聴こえた。
「もうすぐ、扉が開くわ。」
時間は、午後二時五十分。理由はわからないが、午後三時ちょうどに着いていなければいけないような気がした。まるで、そこに小さな窓があって、それ以外の時間には開かないとでもいうように。
階段を降りると、あのレコード店は前と同じように静かだった。いや、正確に言えば、少し違っていた。
カウンターの奥には誰もいなかったが、古い棚が一列だけ奥に増えていて、そこに小さな札が下がっていた。
《図書室》
僕はその棚に近づき、文庫本を一冊、手に取った。それは真っ白な表紙で、中央に小さく金色の文字で書かれていた。
「午後三時の図書室」
ページを開くと、そこには理央の筆跡でこう書かれていた。
わたしはここにいます。
あなたが音の中に入り込むことができるなら。
鍵は、三度目の再生にある。
僕は店を出ると、すぐに自宅へ戻り、もう一度あのレコードをかけた。一度目は昨日と同じ曲が流れた。二度目は異なる旋律だった。静かで、冬の湖に雪が降り積もるような、冷たくも柔らかいピアノ。
三度目の再生の前に、ふと、部屋の時計を見る。ちょうど午後三時を指していた。
再生ボタンを押した。
針が落ちた瞬間、音が鳴らなかった。スピーカーからは何も流れてこない。ただ静寂だけが、部屋を包んでいた。
僕は耳を澄ませた。どこかで水の流れる音がした。
それは、スピーカーの奥から聞こえていた。
立ち上がって近づくと、スピーカーの表面がわずかに揺れていた。僕は吸い込まれるように顔を近づけると、音の中へ──滑り落ちた。
第四章:音の街
気づいたとき、僕は見知らぬ場所に立っていた。
そこはまるで夢の中の街だった。音でできた街。すべてが振動していて、風はヴァイオリンの音色で吹き、歩道はピアノの鍵盤のように軋んでいた。
空には時計が浮かんでいた。大きな、古い柱時計。その針は、ぴったり午後三時で止まっていた。
そしてその広場の真ん中に、理央がいた。
彼女は以前と変わらず、けれどどこか透明になっていた。輪郭が少しぼやけていて、向こう側の空が透けて見えた。
「ここは?」僕は尋ねた。
「音の中」と彼女は答えた。「あなたが三度目に聴いたとき、やっとここに来られた。」
「君はずっとここにいたのか?」
理央は首を横に振った。
「違うわ。私はここに来たんじゃない。消えたの。」
「なぜ?」
彼女は空を見上げた。時計の針は、微動だにしなかった。
「午後三時は、境界なの。世界と世界の間にある、小さな隙間。そこに音が入り込むと、出口がなくなる。」
「じゃあ、君は……」
「出口を探してた。でも、出口は最初から、外にはなかったの。」
「中に?」
「ううん。あなたの中に。」
僕は息を呑んだ。その瞬間、理央の体がふっと揺れた。
「この場所は長くいられない。時間が動き出したら、すべて消えてしまう。」
「じゃあ、一緒に戻ろう。僕の中に出口があるなら──」
理央はかすかに微笑んだ。
「じゃあ、鍵を渡すわ。」
彼女は僕の手に、**音叉(おんさ)**のようなものをそっと握らせた。小さく、冷たく、でもどこかで聴いたことのある音が微かに響いていた。
「目が覚めたら、それを使って。午後三時に、音を鳴らして。」
「そうすれば、私は……」
彼女の声が、かき消えていった。空の時計が、カチリと動いた。
午後三時を、一分過ぎた。
世界が一気に崩れ始めた。鍵盤の道が沈み、風の音が止まり、空から音符のような雨が降ってきた。
そして、僕は再び──
第五章:午後三時の残響
──目を覚ました。自分の部屋だった。
時計は午後三時を、三分過ぎていた。
手には、まだあの音叉が握られていた。重く、現実的な感触。夢ではない。
僕はゆっくり立ち上がり、部屋の中央に立って、その音叉を振った。
澄んだ、透明な音が部屋に響いた。
どこまでもまっすぐに、どこにもぶつからない音。
そして、理央の声がまた聴こえた。
「もうすぐ、扉が開くわ。」
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