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最終章
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最終章:境界の終わり、あるいは音の始まり**
目を覚ましたとき、僕の隣に――理央がいた。
現実の部屋。見慣れた天井。回っていないレコードプレーヤー。
でも、それらすべての細部が、どこか微妙に“静かすぎた”。
理央は、窓辺に座っていた。朝の光が彼女の肩をやさしく撫でていた。
五年前にいなくなった姿そのままで、いや、それよりも少し柔らかく、少し疲れていた。
「おはよう」と、僕は言った。
彼女は振り返って、小さく笑った。「おはよう、午後三時。」
「午後三時じゃないよ。今は、朝の──」
理央が指を唇に当てた。「ここはまだ、“午後三時の余韻”の中。」
僕は息を飲んだ。理央の背中から、ほんのわずかに音の粒がこぼれていた。ピアノの鍵盤から零れ落ちる未完成の音。彼女はまだ完全に“戻ってきて”いなかった。
「本当に、帰ってきたのか?」
理央はゆっくりうなずいた。「ええ。あなたが、音の終わりまで辿ってくれたから。」
「だけど、まだ全部じゃないんだろう?」
理央は、手のひらを開いた。そこには、僕があの図書館で手に入れた音叉があった。だけど、それは砕けていた。中心からひびが走り、もはや音を奏でることはできない。
「この世界には、もう“出口”はないの。今ここにあるのは、“選択”だけ。」
「選択?」
「この午後三時の世界に、あなたは入り込んだ。そして、私を見つけた。でもそれは、ただの奇跡じゃない。」
彼女は視線を落とした。
「あなたは、ずっと私を忘れてなかった。忘れられなかった。だから、午後三時のレコードは開いた。」
僕は問うた。
「じゃあ、ここから先は?」
理央は、僕の目をまっすぐに見た。
「ここであなたが私と共に残れば、私の存在はこの部屋に留まり続ける。でも──あなたの現実は止まるわ。」
「逆に、もし僕が一人で現実に戻れば?」
「私は、音の中に戻る。そして、もう二度と再生されない。」
沈黙が、部屋を包んだ。
外の街の音も、車の走る音も、鳥のさえずりも、何一つ聞こえなかった。ただ、僕の鼓動と、彼女のまばたきの間の空白だけがあった。
僕は、決断した。
終幕:午後三時の最後の再生
僕はプレーヤーの蓋を開け、もう一度、レコードをターンテーブルに乗せた。
それが何度目の再生か、もうわからない。
ただ、これが最後の再生であることはわかっていた。
「これが終わったら、君は?」
理央は微笑んだ。
「音が終わったら、私は記憶になる。」
「でも、消えたりはしない?」
「記憶は消えない。少なくとも、あなたの中にあるかぎり。」
針が落ちる音がした。やがて、ビル・エヴァンスの《Waltz for Debby》がゆっくりと流れ出す。あの、少し懐かしくて、やわらかい旋律。二人が出会った午後。別れた朝。迷い込んだ午後三時の都市。
すべてが音に溶けて、回転していく。
僕は目を閉じた。
音が終わったとき、僕はまだそこにいた。
ただし──理央の姿は、もうなかった。
レコードは静かに止まり、針はスッと戻っていた。
窓の外から、秋の風が吹いていた。
そしてその風の中に、ほんのわずかに聞こえた。あの声が。
「じゃあね、午後三時。また、どこかで。」
目を覚ましたとき、僕の隣に――理央がいた。
現実の部屋。見慣れた天井。回っていないレコードプレーヤー。
でも、それらすべての細部が、どこか微妙に“静かすぎた”。
理央は、窓辺に座っていた。朝の光が彼女の肩をやさしく撫でていた。
五年前にいなくなった姿そのままで、いや、それよりも少し柔らかく、少し疲れていた。
「おはよう」と、僕は言った。
彼女は振り返って、小さく笑った。「おはよう、午後三時。」
「午後三時じゃないよ。今は、朝の──」
理央が指を唇に当てた。「ここはまだ、“午後三時の余韻”の中。」
僕は息を飲んだ。理央の背中から、ほんのわずかに音の粒がこぼれていた。ピアノの鍵盤から零れ落ちる未完成の音。彼女はまだ完全に“戻ってきて”いなかった。
「本当に、帰ってきたのか?」
理央はゆっくりうなずいた。「ええ。あなたが、音の終わりまで辿ってくれたから。」
「だけど、まだ全部じゃないんだろう?」
理央は、手のひらを開いた。そこには、僕があの図書館で手に入れた音叉があった。だけど、それは砕けていた。中心からひびが走り、もはや音を奏でることはできない。
「この世界には、もう“出口”はないの。今ここにあるのは、“選択”だけ。」
「選択?」
「この午後三時の世界に、あなたは入り込んだ。そして、私を見つけた。でもそれは、ただの奇跡じゃない。」
彼女は視線を落とした。
「あなたは、ずっと私を忘れてなかった。忘れられなかった。だから、午後三時のレコードは開いた。」
僕は問うた。
「じゃあ、ここから先は?」
理央は、僕の目をまっすぐに見た。
「ここであなたが私と共に残れば、私の存在はこの部屋に留まり続ける。でも──あなたの現実は止まるわ。」
「逆に、もし僕が一人で現実に戻れば?」
「私は、音の中に戻る。そして、もう二度と再生されない。」
沈黙が、部屋を包んだ。
外の街の音も、車の走る音も、鳥のさえずりも、何一つ聞こえなかった。ただ、僕の鼓動と、彼女のまばたきの間の空白だけがあった。
僕は、決断した。
終幕:午後三時の最後の再生
僕はプレーヤーの蓋を開け、もう一度、レコードをターンテーブルに乗せた。
それが何度目の再生か、もうわからない。
ただ、これが最後の再生であることはわかっていた。
「これが終わったら、君は?」
理央は微笑んだ。
「音が終わったら、私は記憶になる。」
「でも、消えたりはしない?」
「記憶は消えない。少なくとも、あなたの中にあるかぎり。」
針が落ちる音がした。やがて、ビル・エヴァンスの《Waltz for Debby》がゆっくりと流れ出す。あの、少し懐かしくて、やわらかい旋律。二人が出会った午後。別れた朝。迷い込んだ午後三時の都市。
すべてが音に溶けて、回転していく。
僕は目を閉じた。
音が終わったとき、僕はまだそこにいた。
ただし──理央の姿は、もうなかった。
レコードは静かに止まり、針はスッと戻っていた。
窓の外から、秋の風が吹いていた。
そしてその風の中に、ほんのわずかに聞こえた。あの声が。
「じゃあね、午後三時。また、どこかで。」
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