三時の雨

ドルドレオン

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終わり

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第十章:最後のレコード

Vacuum No.10 は、紙のスリーブにも何も書かれていなかった。
手触りだけは、他の9枚とはまったく違っていた。
もっと軽くて、柔らかく、まるで“作られたばかりの記憶”のようだった。

レコードの中央には、タイトルすらなかった。
小さな手書きの数字だけ。

10.

彼女はそれをプレイヤーに乗せたあと、静かに言った。

「この中には、私が何も入れてないの。
でも、何かが記録されるのを、待っていたような気がする」

僕は息をのんだ。
これは“記録”ではなく、“記憶の器を、誰がどう満たすか”の実験なのだ。

つまり――今ここで、僕がどう思い出すかによって、このレコードは“再生”される。

無音の開始

針を落とす。音はない。
でも、確かに“何か”が流れ始めていた。
無音の中に、かすかに揺れる気配。
それは、言葉になる前の感情。
名前になる前の存在。

そして、僕は思い出した。

それは、夢の中で何度も聞いた声だった。
何度も繰り返し、僕を呼ぶような、小さな声。
それは、名前ではなく、音楽のような響きだった。

「……君の名前、思い出した」

「ずっと思い出せなかった。何度も夢に出てきたのに、
何度もすれ違ったのに、いつも“呼ぶ勇気”がなかった」

「でも、今ならわかる。
それが君を存在させることになるなら、僕は呼ぶ」

「君の名前は───」

(沈黙)
でも、言葉はもう音になっていた。
そしてその瞬間、レコードが“音”を返し始めた。

やわらかいピアノ。
とても短く、でもすべてが詰まっているような旋律。
その旋律は、どこかで聴いたことがあった。

午後三時の音楽室。
最初に彼女と出会ったとき、レコード室でかかっていたあの曲。

それは彼女のテーマ。
彼女という記憶が、初めて“音”として世界に響いた瞬間だった。

再生の終わり

レコードが止まり、彼女は目を閉じていた。
何かを見ているようで、何も見ていないまなざし。
そして、静かに言った。

「思い出してくれて、ありがとう」

「君の名前……それ、本当に合ってた?」

「うん。今は、そう思える。
あなたが“私の存在”に名前を与えた瞬間、私はもう、記憶の影じゃなくなった」

彼女は一歩、僕に近づいた。

「でも、ここで終わらせるね。
このレコードが再生された時点で、私は“記憶”から自由になれる」

「消えるの?」

「違う。“始まる”の。今度は、私自身として」

彼女の輪郭が、やわらかく光に溶けていく。
まるで再生の終わりと同時に、新しい音が生まれたように。

「さようならは言わないよ」
「だって、私は今、ようやく“誰か”になれたんだから」

エピローグ:午後三時の音楽室

あれから時間が経った。
図書館は静かに閉鎖された。
Vacuum Projectの記録も、今では都市伝説のように囁かれるだけになった。

でも、午後三時になると、あの音楽室では誰かがピアノを弾いている。
やわらかな旋律。懐かしくて、でも今はもう寂しくない。

僕は時々そこに行く。
名前を持った誰かを思い出しながら。
そして、もう一度だけレコードに針を落とす。

午後三時の静かな穴に、
今日もまた、音が生まれる。

*終わり*
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