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第2章:レコードと無音の部屋
僕はミドリが消えたあと、しばらく音楽が聴けなくなっていた。いや、正確に言えば、音楽を「聴いているふり」はしていた。Spotifyを流したり、レコードを回したりはしていた。でも、音は耳に届いても、心には届かなかった。
それでも、ある晩、ふと思い立ってレコードプレーヤーを磨き、埃をかぶったジャズのアルバムを一枚かけてみた。1958年録音のビル・エヴァンス。針が落ちた瞬間、小さな“プチッ”というノイズとともに、音楽が空間に染み込んだ。
だが、音はなかった。無音だった。スピーカーは確かに作動している。レコードもちゃんと回っている。でも音楽は、どこにもなかった。
部屋の空気は静まり返り、時計の針の音すら聞こえない。音という音が、世界から消えていた。あるいは、僕だけが「音のない層」に移動してしまったのかもしれなかった。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。無音の世界で、唯一の音。少し歪んだ音だった。まるで、過去の録音テープを無理やり再生したときのような、時間が引き伸ばされたような音。
扉を開けると、そこには猫がいた。黒くて、しっぽの先だけが白い猫。首輪には、小さなタグがついていた。
MIDORI
僕はその猫を部屋に入れた。猫は何も言わず、黙って部屋の隅にあるミドリの残したグレープフルーツジュースのグラスの匂いをかいだ。そして、まるで何かに満足したように、ソファの上で丸くなって眠った。
翌朝、猫の姿はなかった。代わりに、テーブルの上に一枚の紙が置かれていた。手書きでこう書いてあった。
「17個目の月は、音のない世界で生まれる。音楽は戻ってくる。あなたが“気づいた”ときに。」
それ以来、レコードをかけると音が鳴るようになった。ただし、曲の途中に、必ずどこかで“無音”の箇所が現れる。それは数秒だけだったり、数分続いたりすることもある。でも僕はその無音を、怖れずに受け入れることにした。
無音は、ミドリが残してくれた、ひとつの記憶の通路なのかもしれない。彼女の声も、煙草の匂いも、あの喫茶店の午後4時も、すべてがそこに流れ込んでいる。
僕はミドリが消えたあと、しばらく音楽が聴けなくなっていた。いや、正確に言えば、音楽を「聴いているふり」はしていた。Spotifyを流したり、レコードを回したりはしていた。でも、音は耳に届いても、心には届かなかった。
それでも、ある晩、ふと思い立ってレコードプレーヤーを磨き、埃をかぶったジャズのアルバムを一枚かけてみた。1958年録音のビル・エヴァンス。針が落ちた瞬間、小さな“プチッ”というノイズとともに、音楽が空間に染み込んだ。
だが、音はなかった。無音だった。スピーカーは確かに作動している。レコードもちゃんと回っている。でも音楽は、どこにもなかった。
部屋の空気は静まり返り、時計の針の音すら聞こえない。音という音が、世界から消えていた。あるいは、僕だけが「音のない層」に移動してしまったのかもしれなかった。
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扉を開けると、そこには猫がいた。黒くて、しっぽの先だけが白い猫。首輪には、小さなタグがついていた。
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「17個目の月は、音のない世界で生まれる。音楽は戻ってくる。あなたが“気づいた”ときに。」
それ以来、レコードをかけると音が鳴るようになった。ただし、曲の途中に、必ずどこかで“無音”の箇所が現れる。それは数秒だけだったり、数分続いたりすることもある。でも僕はその無音を、怖れずに受け入れることにした。
無音は、ミドリが残してくれた、ひとつの記憶の通路なのかもしれない。彼女の声も、煙草の匂いも、あの喫茶店の午後4時も、すべてがそこに流れ込んでいる。
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