猫のじかん

ドルドレオン

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第5章:17番棚の手紙
それから数日間、僕は静かに過ごした。
レコードは棚に戻した。聴く必要はもうなかった。無音が教えてくれたのは、何かを“知る”ことではなく、何かを“思い出す勇気”のようなものだったからだ。

ある夜、またあの猫がやってきた。
今度はベランダの手すりに座っていた。月明かりに照らされて、しっぽの白い先端が光っていた。

「ミドリ…」と、僕は言ってみた。

猫は何も言わなかった。ただ、足元に一枚の紙を落としていった。それは封筒に入った手紙だった。封筒の裏には、こう書かれていた。

棚番号:17/分類:私信(音にならなかった言葉たち)

手紙の中身は、たったの数行だった。ミドリの文字だった。あの、細くて少し跳ねるような筆跡。

あなたはよく聴いてくれました。
音のないものを聴くことは、誰にでもできることではありません。
でも、忘れないで。無音もまた、音楽の一部だということを。

――M

僕は手紙を読み終えたあと、しばらく部屋の中でじっと座っていた。
外では風が吹いていた。音はしなかった。でも、確かに風はそこにいた。
僕の頬をかすめ、カーテンをわずかに揺らし、窓辺にあった空のグラスを鳴らした。

あれから、あの猫はもう現れていない。
ミドリも。
でも、不思議と寂しさはなかった。
彼女はどこか別の棚に移動したのかもしれない。もっと別の記憶を整理しているのかもしれない。

あるいは、今も誰かの午後4時の“無音”の中で、グレープフルーツジュースを飲んでいるのかもしれない。

レコードは、たまに回す。
ビル・エヴァンスも、キース・ジャレットも。
でも、どんな曲をかけても、途中に必ず訪れる“静寂”を僕は受け入れている。
そこには、確かに彼女がいるからだ。

そして時折、空を見上げると、17個目の月が、何も言わずにこちらを見ている気がする。
それは、もう失ったものではなく、これから先も持ち歩いていく静かな記憶なのだ。

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