猫のじかん

ドルドレオン

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「猫のいない午後」 – 第四章
「君は猫をなくした。そして、名前も知らない女を探している」

ページを開いて最初に書かれていたその一文は、僕の心臓を静かに締めつけた。誰がこんな言葉を書いたのだろう。僕のことを知っている人間が、ここにいるはずはないのに。

その文の下には、短い章がいくつか続いていた。

第一章 六月の終わり
六月の終わり、彼は猫を失った。名前はソーダ。炭酸のような目をしていたから、彼女がそう呼んだ。彼女の名前は、風見しおり。でもそれは、仮の名前だった。

本当の名前は、もう誰も覚えていない。

僕はそこで、ページを閉じた。

まるでこの本が、僕の中のなにかを見透かしているようだった。けれどそれ以上に、僕自身がこの本の続きをすでに知っているような感覚があった。

次の朝、僕は図書館の開館前に、地下の書庫に降りた。書庫の一番奥、薄暗い蛍光灯の下に、小さな閲覧机がある。誰も来ない、音もない、まるで世界から切り離されたような空間だ。僕はそこで、再び本を開いた。

第二章 雨の夜
雨が降っていた。彼は駅の階段で彼女を見つけた。彼女は片方の靴を失くしていて、それを気にするふうでもなく、ただ立っていた。

「探してるの?」

「探しているわ。でも何を探してるのか、もう思い出せないの」

その場面は、僕の記憶の奥に確かにあった。大学時代、渋谷の駅の雨の夜。傘も差さずに、ずぶ濡れになっていた女の子。片方のパンプスだけが光って見えた。声をかけた記憶はある。でも、あれが風見しおりだったのか?

本の中に描かれている彼女は、明らかに僕の記憶と交差していた。いや、それは記憶そのものだった。

僕は机にうつぶせになり、目を閉じた。

ふいに、あの猫の声が聞こえた。鈴の音のような、かすかな鳴き声。

「ソーダ……?」

顔を上げると、閲覧室の入り口に、黒い猫がいた。しおりが連れていたあの猫。僕の部屋から消えた、あの猫。

猫は静かに僕を見つめ、やがてくるりと背を向けて、書庫の奥へと歩いていった。

僕は立ち上がり、猫を追った。

書庫の一番奥、普段は施錠されている扉が、わずかに開いていた。

その先には──見たことのない、狭く深い、まるで井戸のような空間が広がっていた。

猫はそこへ、迷いもなく飛び降りた。

僕は、扉の前で立ち止まり、しおりの言葉を思い出した。

「最後まで読まないで」

けれど僕は、ページを閉じることができなかった。何かが、僕をこの深さへと引き込もうとしていた。

そして僕は、一歩、井戸の中へと足を踏み入れた。

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