ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

文字の大きさ
上 下
31 / 47
【3】アイ、エニシ、ワカレ

3-10 最後の説得

しおりを挟む
「前にも話したはずです。そもそも勇者の血筋なんて問題ではないと!
 何故ならば! 貴方たち人類は、誰もが、誰しもが、何かしらの勇者の血を引く子孫だからです!
 何万年という年月を経て、勇者の血は人類全てに行き渡りました。
 今や全人類が勇者の血筋。勇者の子孫なのです!
 貴方に勇者の資格が無いなんて、誰にも言わせません!
 何度も話したはずです。何度も、何度も、何度も、何度も! 忘れてしまいましたか?」

 アンティはフランツに近寄ると、酒瓶を取り上げ床に叩きつける。
「忘れたというなら、思い出してください!
 若かりし日の輝きを、思い出してください!
 これが最後のチャンスなんです! 思い出してください!
 私のフランツ! どうか! どうか! どうか!」
 フランツの肩を掴み、アンティは訴える。その目からは涙が、噴き出すように流れ落ちてゆく。
 こんなにアツい妖魔だったろうか……。それがフランツの素直な感想だった。
 これほどまでに感情的に訴えかけるアンティを、フランツは知らない。演技なのか本気なのかの区別も付かない。しかし、その訴えは確かにフランツの心に響いた。

 勇者になる? このワシが、勇者に?

 少年の頃、フランツは勇者になりたかった。だから、何者にも負けないチカラが欲しかった。
 そして10歳の誕生日にアンティが現れた。望むチカラはあっさり手に入ってしまった。
 チカラを手に入れて、真っ先にやることと言えば1つしかない。早速いじめっ子をぶちのめした。スカッとした。
 次の日、いじめっ子のお礼参りに不良が来た。返り討ちにした。
 その次の日にはゴロツキが、さらにその次の日にはチンピラが現れた。どいつもこいつもぶちのめした。
 最後にはギャングが束になって現れた。まとめてぶちのめした。痛快だった。
 下町の娘っ子からチヤホヤされ、調子の良い腰巾着に持ち上げられ、次々と子分が出来て、気がつけばギャング団のリーダーになっていた。
 だけど、アンティにたしなめられた。「これは貴方の望む勇者ではない」と。
 確かにそうだった。気がつけばマフィアの手先として、犯罪に荷担していた。若気の至りで済まされるレベルを超えていた。
 そんな自分に絶望したフランツは、アンティのチカラで名を変え顔を変え、人生をやり直そうとした。まっとうに生きようとした。妻をめとり、子供も出来、貧しいながらも幸せな家庭を……。結局は無駄だったが。
 再び闇落ちし、"ゴホンツノ"のボスとなったフランツは、ジェイクと対峙する。
 ギャング団"ロストボーイ"のリーダーとして暴力の限りを尽くすジェイクは、フランツに若かりし日の自分を思い起こさせた。
 だが、明らかに違っていた。フランツはチカラを己の欲望のために使っていたが、ジェイクは良き者、弱き者を救うためにチカラを使っていたのだ。
 あの頃のジェイクは、紛れもなく勇者だった。フランツが理想とする姿だったのだ。
 己のためではなく、誰かのためにチカラを振るう。それがフランツには出来なかった。勇者になれるわけがない。
 だが……しかし………
 アンティはフランツに、勇者になれる最後のチャンスを与えようとしている。
 方法は簡単だ。ケモノビトの娘を養子にすればいい。法の手続きは必要無い。ただ一言、宣言するだけでいいのだ。
 ただ一言……
「養子にする」と……

「ははっ……はははっ………」
 フランツは自虐的に笑いながら、力無く床にしゃがみ込む。
「無理だ。無理なんだよ、アンティ……」
「何故なんです……。何故無理なんですか、フランツ」
「そんなことしちまったら、"オーガ"に楯突いちまったら、"マダムオーガ"を失望させちまう。できねぇ。そんな事出来ねぇよ…」
「そう……ですか……」
 やはり変えられなかった。若き日の輝きを思い出せば、あるいはと思ったが……。"マダムオーガ"の"魅了"には勝てなかった。
 いっそのこと、モナカちゃんの"魅了"で上書きできないかとも考えた。しかし、いかにチカラが強くとも、制御出来ていないモナカちゃんの"魅了"では、暗殺術にまで磨き上げた"マダムオーガ"の"魅了"を打ち破るのは不可能だ。
 万策は尽きた。アンティの敗北だ。

「仕方……ありませんね……。名残惜しいですが、ここでお別れです」
「お、お別れ? 待ってくれアンティ、もっと話そう。話し合おう!」
「もう十分話しました。ずっとずっとすれ違いでしたね。もう十分使役しました。お暇するには遅すぎるくらいです」
 そう言うと、アンティはドアへと向かい、ノブに手をかける。
「ま、待てアンティ! ワシを見捨てる気なのか? そ、そんな事しないよな? な? な?」
「ああ、そうだフランツ、うっかりして話すのを忘れておりましたが、この屋敷に危機が迫っています」
「え? 危機って……何?」
「ここに戻る直前に、情報屋と接触したのですが、昨日から野薔薇ノ王国の特務部隊が帝国に潜り込んでいたようです。任務は拉致された国民の救出。つまり、お目当てはモナカちゃんというわけです」
「それが……どうしたんだ?」
「ふふふ、そうですね。その程度でしたら想定済みでしょう。虎の子の"王宮戦士"が来るわけじゃない。いくら救出のためとはいえ、他国で勝手に暴れ回れば外交問題に発展しますし、下手すりゃ戦争ですからね。ですから救助部隊のメンバーも諜報部員が精々でしょう。ところがですね。この諜報部員、とんでもない食わせ物のようでして……。高い金で買ったモナカちゃんの情報を、逆にばらまくよう指示したんだそうです。フランツ、これがどういうことか分かりますか?」
「ま、まさか………」
「帝国の裏社会全体に、モナカちゃんの存在が知れ渡ってしまいました。しかも居場所の最有力地として、この屋敷の住所までバラされました。"ケモノビト"を欲しがるのは"オーガ"だけではありません。金に糸目を付けない富豪や王族が、その筋のプロを派遣するでしょう。"オーガ"の手先だって黙って見てたりはしません。貴方の手柄を横取りしようと企てる輩もいるでしょうね。つまり、帝国内のクズや、クズの手先が、モナカちゃんを狙って屋敷の前で一堂に会するんですよ。何が起きると思います? 血で血を洗う、楽しい楽しいモナカちゃん争奪戦の始まりです。ですからフランツ。命が惜しいなら、今すぐ逃げ出すか、パニックルームに避難する事をお薦めします」
 アンティはノブを回し、ドアを開ける。
「それでは、ごきげんよう」
「待て! 待ってくれ! アンティ! アンティ!! アンティ!!!」
 子供のように泣き叫ぶフランツを置いて部屋を出る。アンティはもう、決して振り返らない。


第3章・完
しおりを挟む

処理中です...