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第2章 硝子の禁域
2-5.「エターナル・オービット」 --- 蒼い環の審判
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黒崎が構築した「Abyss Cathedral」の極致、第3の舞台「エターナル・オービット(永遠の軌道)」は、サラの圧倒的な身体能力を「芸術的な拷問」へと昇華させる場所だった。
第1の舞台、巨大フラスコの床から2メートルの高さに、それは浮かんでいる。
直径25メートル、水深8メートル。
客席の頭上をぐるりと一周するこのドーナツ型のリング水槽は、幅は1.8メートル。
底面までもが透明なアクリルで構成されていた。観客は水槽の下を歩き回り、真下から見上げることで、まるで全裸の女神が空を舞っているかのような錯覚に陥る。
水槽内には、黒崎が選別した極彩色の熱帯魚たちが群れをなして泳いでいる。だが、この楽園には**「入口が一つしかない」**という致命的な欠陥があった。
「サラ、1周約78メートル。お前の泳力なら1分半もかからない距離だ。だが、それでは『ショー』にならない」
バスローブ姿の黒崎の冷徹な指令が、楽屋に響く。
「5分だ。5分かけて、この死の環を歩むように泳げ。それが観客への、そして私への捧げ物だ」
サラは頷き、全裸でハッチから潜行した。水深8メートル、水槽の底に辿り着くと、彼女は時計回りに遊泳を開始した。
本来の彼女なら、強靭なドルフィンキックで一気に出口まで辿り着ける距離だ。しかし、サラはあえて四肢を緩やかに動かし、時を止めたかのようなスローモーションで進む。
アクリル越し、真下にいる観客たちと目が合うたび、彼女は艶やかな微笑を浮かべ、指先をひらひらと動かして手を振る。
熱帯魚の群れをかき分け、優雅に、残酷なほどゆっくりと。
2分、3分。
観客はその余裕に満ちた美しさに酔いしれるが、サラの体内では、ゆっくりと泳ぐがゆえの二酸化炭素の蓄積が、じわじわと肉体を蝕んでいた。
4分を過ぎ、リングの4分の3に差し掛かる頃、サラの動きに微かな震えが混じる。
出口はすぐそこに見えている。全力で蹴れば数秒で辿り着ける。しかし、彼女は止まらない。
黒崎に命じられた「5分」という絶対的な境界線を守るため、酸素を欲する本能を意志の力で圧殺する。
(……肺が、震えてる。でも、まだ……まだ見せてあげるわ)
あえて速度を落とし、観客に最後の「別れの挨拶」として投げキッスを送る。その瞳には、死を弄ぶ者だけが持つ狂気的な悦びが宿っていた。
5分ちょうど。
サラは元来たハッチの真下に到達し、一気に水面へと突き抜けた。
バシャァッ!!
「……ハァッ!……ハァッ……!」
楽屋の床に膝をつき、激しく肩を揺らすサラ。
黒崎はストップウォッチを見つめたまま、満足げに彼女の顎をクイと持ち上げた。
「5分01秒。完璧な時間配分だ、サラ。……苦しかったか?」
サラは酸素不足で赤く上気した顔で、艶然と微笑んだ。
「……いいえ。あのまま……一生、あの環の中で、あなたの視線に縛られていたかったわ……」
彼女は海水に濡れたまま、黒崎の胸に顔を埋めた。
直径25メートル、一周78メートルの巨大なドーナツの型水槽の底を、あえて「ゆっくり」と、死を味わうように泳ぎ切った充足感。
頭上のリングでは、主がいなくなった後も熱帯魚たちが静かに泳ぎ続けていた。真下で見上げる観客たちは、今しがた自分たちの頭上を通り過ぎた「死を恐れない女神」の残像に、いつまでも拍手を送り続けていた。
第1の舞台、巨大フラスコの床から2メートルの高さに、それは浮かんでいる。
直径25メートル、水深8メートル。
客席の頭上をぐるりと一周するこのドーナツ型のリング水槽は、幅は1.8メートル。
底面までもが透明なアクリルで構成されていた。観客は水槽の下を歩き回り、真下から見上げることで、まるで全裸の女神が空を舞っているかのような錯覚に陥る。
水槽内には、黒崎が選別した極彩色の熱帯魚たちが群れをなして泳いでいる。だが、この楽園には**「入口が一つしかない」**という致命的な欠陥があった。
「サラ、1周約78メートル。お前の泳力なら1分半もかからない距離だ。だが、それでは『ショー』にならない」
バスローブ姿の黒崎の冷徹な指令が、楽屋に響く。
「5分だ。5分かけて、この死の環を歩むように泳げ。それが観客への、そして私への捧げ物だ」
サラは頷き、全裸でハッチから潜行した。水深8メートル、水槽の底に辿り着くと、彼女は時計回りに遊泳を開始した。
本来の彼女なら、強靭なドルフィンキックで一気に出口まで辿り着ける距離だ。しかし、サラはあえて四肢を緩やかに動かし、時を止めたかのようなスローモーションで進む。
アクリル越し、真下にいる観客たちと目が合うたび、彼女は艶やかな微笑を浮かべ、指先をひらひらと動かして手を振る。
熱帯魚の群れをかき分け、優雅に、残酷なほどゆっくりと。
2分、3分。
観客はその余裕に満ちた美しさに酔いしれるが、サラの体内では、ゆっくりと泳ぐがゆえの二酸化炭素の蓄積が、じわじわと肉体を蝕んでいた。
4分を過ぎ、リングの4分の3に差し掛かる頃、サラの動きに微かな震えが混じる。
出口はすぐそこに見えている。全力で蹴れば数秒で辿り着ける。しかし、彼女は止まらない。
黒崎に命じられた「5分」という絶対的な境界線を守るため、酸素を欲する本能を意志の力で圧殺する。
(……肺が、震えてる。でも、まだ……まだ見せてあげるわ)
あえて速度を落とし、観客に最後の「別れの挨拶」として投げキッスを送る。その瞳には、死を弄ぶ者だけが持つ狂気的な悦びが宿っていた。
5分ちょうど。
サラは元来たハッチの真下に到達し、一気に水面へと突き抜けた。
バシャァッ!!
「……ハァッ!……ハァッ……!」
楽屋の床に膝をつき、激しく肩を揺らすサラ。
黒崎はストップウォッチを見つめたまま、満足げに彼女の顎をクイと持ち上げた。
「5分01秒。完璧な時間配分だ、サラ。……苦しかったか?」
サラは酸素不足で赤く上気した顔で、艶然と微笑んだ。
「……いいえ。あのまま……一生、あの環の中で、あなたの視線に縛られていたかったわ……」
彼女は海水に濡れたまま、黒崎の胸に顔を埋めた。
直径25メートル、一周78メートルの巨大なドーナツの型水槽の底を、あえて「ゆっくり」と、死を味わうように泳ぎ切った充足感。
頭上のリングでは、主がいなくなった後も熱帯魚たちが静かに泳ぎ続けていた。真下で見上げる観客たちは、今しがた自分たちの頭上を通り過ぎた「死を恐れない女神」の残像に、いつまでも拍手を送り続けていた。
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