20 / 155
第3章 死線の抱擁
3-7.黄色の潜伏者
しおりを挟む
翌日は一転して晴天だった。
透明度は抜群。サラは昨日の襲撃の正体を突き止めるべく、いつもより深く、意識的に深度を下げた。
肉体にかかる重圧。
肺が圧縮され、鼓動が耳の奥で響く。
水深70メートル、80メートル……。
その時、視界の隅に、海の色にはそぐわない「異物」が映った。
海底に鎮座する、黄色の物体。
(……小型の潜水艦!?)
驚愕した次の瞬間、艦橋のハッチが開き、2人のダイバーがサラを目指して猛然と浮上してきた。
逃げようと周囲を見渡すが、今日はあまりに潮が澄みすぎている。
相手はフィンを履き、こちらは素足。逃げ切れない。
(……昨日は下に引っ張られた。つまり、私をあの艦の中に連れて行く気? ならば、すぐに殺されることはないはず)
瞬時に覚悟を決めたサラは、肺の空気を吐き出した。
そして、その場で意識を失ったフリをして脱力する。
2人のダイバーが彼女を確保した。
サラは「物」のように扱われながら、海底の潜水艦へと引き込まれていく。
ハッチに入り、注水音が止み、排水が始まる。ガコン、という音と共に下の内扉が開いた。
薄目を開けて構造を確認する。
出る時は逆の手順を踏めばいい。
「誰か手伝って! 早く蘇生処置を! このままだと死んでしまうわ!」
叫んだのは、昨日膝蹴りを見舞ったあの女ダイバーだった。
奥から医師と看護師が駆け寄ってくる。
全裸でぐったりとしたサラは、彼らの手によって中央の冷たいベッドへと運び込まれた。
ここが、ホワイトキャットの白石が用意した、逃げ場のない監獄。
潜水艦の中央医療室。
冷たいベッドに横たわるサラを、4人の男女が戸惑いの表情で見つめていた。
医師、看護師、そして昨日サラに叩きのめされたダイバーの男女。彼らの顔に凶悪な影はない。
彼らは白石に雇われただけの医療関係者、そしてケアンズ在住のプロダイバーだった。
その目的が「黒崎への身代金目的の拉致」だとは知らされていても、目の前の「伝説のミューズ」をどう扱えばいいのか、持て余しているのは明白だった。
「目が覚めたのね。……お願い、暴れないで。私たちはあなたを傷つけるつもりはないわ」
女性ダイバーが怯えながら声をかける。
サラはゆっくりと上体を起こし、全裸のまま周囲を見渡した。
「白石さんはどこにいるの?」
実は昨晩、ブラックドッグのシステムエンジニアであるヘンリー・西谷から、ホワイトキャットの白石のこと、そして、身代金目的の拉致、その後の、鎖や網を使った殺害計画までも、事前に知らされていたのだ。
ヘンリーは21歳の天才ハッカーで、10代のころ、国の重要データベースを閲覧したとして逮捕歴がある。
数年前までアール島唯一の診療所事務員として働いており、そのときに一度だけサラと会ったことがある。
黒崎に才能を見出され、ブラックドッグに入ったのだ。
「白石さんは……ニューカレドニア本島の北にある街で秘密の会合をしているところだ。あなたがここに収容されたと聞いて、今頃、代理人が黒崎さんに巨額の身代金を要求しているはずだわ」
ひょろっとした男性ダイバーが、酸素マスクを外して消え入るような声で言った。
「黒崎さんが金を払えば、すぐに解放する手はずなんだ。だから、大人しくしていてくれ。……昨日のレギュレーターの恨みは、もういいから……」
サラはふっと鼻で笑った。
「エドワードが、私1人のために金を払うと思う? ……いいえ、彼はそんな男じゃないわ。彼は、私が自力で帰ってくるのを待っている」
サラはベッドから降り、迷いのない足取りでエアロックへと向かった。
「待て! どこへ行くつもりだ!」
医師が慌てて立ちはだかった。
「ここは水深90メートルだぞ! 装備なしで外に出れば、水圧で肺が潰れるか、肺塞栓を起こして死ぬ! 自殺行為だ!」
サラは医師の目をまっすぐに見つめ返した。
「私、水深200メートルに潜ったこともあるの。それにこの辺は私の庭なの。……どいてくださる?」
「耳を守るための忠告だ。まずはその部屋にある黄色のボタンで充分に加圧し、耳抜きを行うんだ。それから外に出なさい」
その瞳に宿る圧倒的な意志に気圧され、医師は力なく道を開けた。
「ご忠告ありがとうございます」
サラはエアロック室に入ると、迷わず内側のドアを閉めた。
そして加圧する。
装備は何もいらない。フィンさえも、今の彼女には不要だった。
彼女は操作パネルを叩き、注水を開始した。冷たい海水が足元から満ち、やがて視界を覆い尽くす。
彼女は肺に残った空気を細心の注意でコントロールし、潜水艦の外部ハッチを解放した。
バコン! という衝撃音と共に、90メートルの水圧が彼女を包み込む。
暗黒の深海。潜水艦のハッチから飛び出したサラは、素足のまま、強靭な腸腰筋と背筋を駆使したドルフィンキックで上昇を開始した。
フィンがなくても、彼女の肉体は一本の鋭利な魚のように水を切り裂く。
上昇するにつれ、水圧から解放された肺が膨らもうとする。
サラは気泡を微量ずつ吐き出しながら、完璧な減圧コントロールで海面を目指した。
透明度は抜群。サラは昨日の襲撃の正体を突き止めるべく、いつもより深く、意識的に深度を下げた。
肉体にかかる重圧。
肺が圧縮され、鼓動が耳の奥で響く。
水深70メートル、80メートル……。
その時、視界の隅に、海の色にはそぐわない「異物」が映った。
海底に鎮座する、黄色の物体。
(……小型の潜水艦!?)
驚愕した次の瞬間、艦橋のハッチが開き、2人のダイバーがサラを目指して猛然と浮上してきた。
逃げようと周囲を見渡すが、今日はあまりに潮が澄みすぎている。
相手はフィンを履き、こちらは素足。逃げ切れない。
(……昨日は下に引っ張られた。つまり、私をあの艦の中に連れて行く気? ならば、すぐに殺されることはないはず)
瞬時に覚悟を決めたサラは、肺の空気を吐き出した。
そして、その場で意識を失ったフリをして脱力する。
2人のダイバーが彼女を確保した。
サラは「物」のように扱われながら、海底の潜水艦へと引き込まれていく。
ハッチに入り、注水音が止み、排水が始まる。ガコン、という音と共に下の内扉が開いた。
薄目を開けて構造を確認する。
出る時は逆の手順を踏めばいい。
「誰か手伝って! 早く蘇生処置を! このままだと死んでしまうわ!」
叫んだのは、昨日膝蹴りを見舞ったあの女ダイバーだった。
奥から医師と看護師が駆け寄ってくる。
全裸でぐったりとしたサラは、彼らの手によって中央の冷たいベッドへと運び込まれた。
ここが、ホワイトキャットの白石が用意した、逃げ場のない監獄。
潜水艦の中央医療室。
冷たいベッドに横たわるサラを、4人の男女が戸惑いの表情で見つめていた。
医師、看護師、そして昨日サラに叩きのめされたダイバーの男女。彼らの顔に凶悪な影はない。
彼らは白石に雇われただけの医療関係者、そしてケアンズ在住のプロダイバーだった。
その目的が「黒崎への身代金目的の拉致」だとは知らされていても、目の前の「伝説のミューズ」をどう扱えばいいのか、持て余しているのは明白だった。
「目が覚めたのね。……お願い、暴れないで。私たちはあなたを傷つけるつもりはないわ」
女性ダイバーが怯えながら声をかける。
サラはゆっくりと上体を起こし、全裸のまま周囲を見渡した。
「白石さんはどこにいるの?」
実は昨晩、ブラックドッグのシステムエンジニアであるヘンリー・西谷から、ホワイトキャットの白石のこと、そして、身代金目的の拉致、その後の、鎖や網を使った殺害計画までも、事前に知らされていたのだ。
ヘンリーは21歳の天才ハッカーで、10代のころ、国の重要データベースを閲覧したとして逮捕歴がある。
数年前までアール島唯一の診療所事務員として働いており、そのときに一度だけサラと会ったことがある。
黒崎に才能を見出され、ブラックドッグに入ったのだ。
「白石さんは……ニューカレドニア本島の北にある街で秘密の会合をしているところだ。あなたがここに収容されたと聞いて、今頃、代理人が黒崎さんに巨額の身代金を要求しているはずだわ」
ひょろっとした男性ダイバーが、酸素マスクを外して消え入るような声で言った。
「黒崎さんが金を払えば、すぐに解放する手はずなんだ。だから、大人しくしていてくれ。……昨日のレギュレーターの恨みは、もういいから……」
サラはふっと鼻で笑った。
「エドワードが、私1人のために金を払うと思う? ……いいえ、彼はそんな男じゃないわ。彼は、私が自力で帰ってくるのを待っている」
サラはベッドから降り、迷いのない足取りでエアロックへと向かった。
「待て! どこへ行くつもりだ!」
医師が慌てて立ちはだかった。
「ここは水深90メートルだぞ! 装備なしで外に出れば、水圧で肺が潰れるか、肺塞栓を起こして死ぬ! 自殺行為だ!」
サラは医師の目をまっすぐに見つめ返した。
「私、水深200メートルに潜ったこともあるの。それにこの辺は私の庭なの。……どいてくださる?」
「耳を守るための忠告だ。まずはその部屋にある黄色のボタンで充分に加圧し、耳抜きを行うんだ。それから外に出なさい」
その瞳に宿る圧倒的な意志に気圧され、医師は力なく道を開けた。
「ご忠告ありがとうございます」
サラはエアロック室に入ると、迷わず内側のドアを閉めた。
そして加圧する。
装備は何もいらない。フィンさえも、今の彼女には不要だった。
彼女は操作パネルを叩き、注水を開始した。冷たい海水が足元から満ち、やがて視界を覆い尽くす。
彼女は肺に残った空気を細心の注意でコントロールし、潜水艦の外部ハッチを解放した。
バコン! という衝撃音と共に、90メートルの水圧が彼女を包み込む。
暗黒の深海。潜水艦のハッチから飛び出したサラは、素足のまま、強靭な腸腰筋と背筋を駆使したドルフィンキックで上昇を開始した。
フィンがなくても、彼女の肉体は一本の鋭利な魚のように水を切り裂く。
上昇するにつれ、水圧から解放された肺が膨らもうとする。
サラは気泡を微量ずつ吐き出しながら、完璧な減圧コントロールで海面を目指した。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
