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第3章 死線の抱擁
3-11.沈黙の1時間と黄金の絆
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数日前、アール島近海で、白石によって海に放りこまれたサラ。
水深40メートルの砂底。
鉄塊と鎖に縛り付けられたサラの足先が、あの日置き忘れた**「黄色い空気ボンベ」**に触れた。
これにより、彼女は頭をフル回転させて考えたことでパニックに陥ることはなかった。
網が仕掛けられていること、そして白石が上から凝視していることを察知したサラは、レギュレーターを咥えるが、3分に一度だけ、短く空気を吸い、吐き出した気泡が目立たないよう細心の注意を払う。
その網の向こうに、一瞬黒い人影が見えたような気がしたが、それは気のせいだったのか。
冷たい海底で、彼女はまるで冬眠する魚のように代謝を落とし、じっと「その時」を待った。
白石の部下たちが網を回収し、船が遠ざかってから5分後、つまりサラが海に放り込まれてから1時間05分後、漆黒の海に、もう一つの影が現れた。スキューバ装備を身に纏い、強力なボルトカッターを携えた男――黒崎だった。
――サラ拉致のときに時を戻す――
アール島北端の駐車場に着いたのは、サラとの電話が途切れてから10分も経っていなかった。
真昼の太陽は、空のど真ん中でぎらついている。白い光が海面に跳ね返り、視界を刺す。
駐車場のアスファルトも、手すりの金属も熱を帯びていた。
黒崎は走りながら、桟橋の方に目を向けた。
瞬間、足が止まった。
──サラが、男たちに抱えられている。
桟橋の上、日差しを吸収した濃い影の中で、黒いウェットスーツ姿の屈強な男たちが彼女を肩に担ぎ上げていた。
サラは意識がないのか、腕がだらりと揺れ、長い金髪が光を受けてきらめく。
そのまま男たちは桟橋の端のモーターボートへと消え、エンジンが甲高い轟音を上げた。
白い水柱が太陽光を浴び、飛沫が虹色に光った。
桟橋に辿り着いたとき、黒崎の携帯電話が鳴った。
黒崎はポケットから乱暴に取り出し、画面も見ずに応答した。
「黒崎さん、聞こえますか!」
ヘンリーの声は焦りに満ちていた。
「ホワイトキャット社のモーターボート、アール島を出ました。GPSハッキング成功。座標送ります!」
すぐに端末の画面に一列の数字が表示された。
黒崎は購入したばかりのモーターボートに慌てて乗りこんだ。
そして、計器にその座標を打ち込み、即座にエンジンをかける。
「ヘンリー、継続追跡頼む!」
「了解しました!」
船首が海を切り裂き、太陽の反射で銀色に光る波が左右へ弾けた。
沖へ出るにつれ、風の匂いが変わる。
潮と熱気が混ざり、肌にまとわりつく。
黒崎は双眼鏡を構え、逃走するモーターボートを探した。
やがて水平線の向こうに、巨大な影がゆっくりと浮かび上がった。
白石CEOの大型ヨットだ。
陽光を受けて白い船体が眩しく、黒い影を海へ落としている。
小型モーターボートがその船体に横付けされ、黒崎は、サラが男たちにヨットに乗せられているのを、はっきりと見た。
「……白石……!」
唇が自然と歯を噛んだ。
やがら大型ヨットは小型モーターボートを切り離し、北西方向へ進路を変えた。
黒崎の携帯が再び鳴る。
「黒崎さん! ヨット、現在この座標です。継続追跡中!」
「さすが相棒、見逃すなよ」
黒崎は舵を切り、白い光の帯を引いてヨットを追った。
途中、小型の漁船4隻が合流した。
しばらくして、ヨットが止まり、ヨットを中心に4隻の漁船が10数メートル距離を置き、停泊する。
漁船には、いずれも、デッキに小型のクレーンがついており、それぞれから網が投げ込まれる。
やがて、中央のヨットの甲板で影が動いた。
双眼鏡の視界で、細い影が宙に浮き、海へ落ちた。
しぶきが太陽を反射し、一瞬だけ銀色に跳ねた。
「サラ!」
叫んでも届かない。
だが、ヘンリーの報告してくるヨットの座標を見たとき、黒崎の頭の中で何かが繋がった。
数学が得意な黒崎は無機質な数字の並びでも、無意識に覚えていることがある。
──ここは、数日前、サラと一緒に来た場所だ。
モーターボートの航跡を呼び出し、GPS履歴と照合する。
完全に一致していた。
(偶然か?白石は……なぜここへ?)
疑問より先に、体が動いた。
エンジンを切ると、不気味な静寂が訪れた。
黒崎は、このモーターボートに常備されている予備のスキューバ一式を身に着けた。
ヨットまでは直線で300メートル弱。
水深は40メートル。
5~6分はかかる。
太陽は無慈悲に海面を照らし続けている。
水の色は昼でも深く濃く、底が見えない。
太陽の光が海に散りばめられ、青白い縞が揺れている。
「頼む……」
小さく呟き、モーターボートの底から海へ身を投げた。
この特注のモーターボートには、海中へ直接エントリーできる船底ハッチが備わっている。
水中は、真昼の光を浴びているのに暗かった。
光は浅くまでしか届かず、下へ行くほど深い蒼が濃くなる。
黒崎はライトを構え、海底の方へ蹴り下ろした。
やがて巨大な影が現れた。
白石が仕掛けた特注ネットだ。
その網の向こう──揺れる光の筋の中に、人影がかすかに見えた。
サラだ。
だが、顔は俯き、こちらを見てはいない。
酸素ボンベをつけてはいるが、意識があるのかないのかもわからない。
ただ、海水の冷たさに震えているように見えた。
黒崎は胸を締めつけられた。
(生きてる……早く助けないと……)
しかし、よく見ると、サラは1度呼吸をすると、すぐレギュレータから口を離し、じっと横たわる。
また、数分後に呼吸をする、の繰り返し。
(なるほど、酸素を節約しているのか……ということは?しばらくは大丈夫だな、よし、……これを逆手に)
一度水面へ戻り、船体の横に固定してあった大型カッターを掴むと、再び水へ身を沈めた。
しばらくそのまま。
(白石の野郎、相当しつこいな、もうすぐ1時間になるぞ)
と思っていた矢先、網が一斉に水面に向かって上がっていく。
そして、網の回収が終わると、白石の大型ヨットは、この海域を離脱した――。
ということがあったのだ。
「……待たせたな」
水中でサラと黒崎の視線が交差する。
黒崎は手際よく鎖を断ち切り、自由になったサラを抱き寄せた。
水深40メートルの砂底。
鉄塊と鎖に縛り付けられたサラの足先が、あの日置き忘れた**「黄色い空気ボンベ」**に触れた。
これにより、彼女は頭をフル回転させて考えたことでパニックに陥ることはなかった。
網が仕掛けられていること、そして白石が上から凝視していることを察知したサラは、レギュレーターを咥えるが、3分に一度だけ、短く空気を吸い、吐き出した気泡が目立たないよう細心の注意を払う。
その網の向こうに、一瞬黒い人影が見えたような気がしたが、それは気のせいだったのか。
冷たい海底で、彼女はまるで冬眠する魚のように代謝を落とし、じっと「その時」を待った。
白石の部下たちが網を回収し、船が遠ざかってから5分後、つまりサラが海に放り込まれてから1時間05分後、漆黒の海に、もう一つの影が現れた。スキューバ装備を身に纏い、強力なボルトカッターを携えた男――黒崎だった。
――サラ拉致のときに時を戻す――
アール島北端の駐車場に着いたのは、サラとの電話が途切れてから10分も経っていなかった。
真昼の太陽は、空のど真ん中でぎらついている。白い光が海面に跳ね返り、視界を刺す。
駐車場のアスファルトも、手すりの金属も熱を帯びていた。
黒崎は走りながら、桟橋の方に目を向けた。
瞬間、足が止まった。
──サラが、男たちに抱えられている。
桟橋の上、日差しを吸収した濃い影の中で、黒いウェットスーツ姿の屈強な男たちが彼女を肩に担ぎ上げていた。
サラは意識がないのか、腕がだらりと揺れ、長い金髪が光を受けてきらめく。
そのまま男たちは桟橋の端のモーターボートへと消え、エンジンが甲高い轟音を上げた。
白い水柱が太陽光を浴び、飛沫が虹色に光った。
桟橋に辿り着いたとき、黒崎の携帯電話が鳴った。
黒崎はポケットから乱暴に取り出し、画面も見ずに応答した。
「黒崎さん、聞こえますか!」
ヘンリーの声は焦りに満ちていた。
「ホワイトキャット社のモーターボート、アール島を出ました。GPSハッキング成功。座標送ります!」
すぐに端末の画面に一列の数字が表示された。
黒崎は購入したばかりのモーターボートに慌てて乗りこんだ。
そして、計器にその座標を打ち込み、即座にエンジンをかける。
「ヘンリー、継続追跡頼む!」
「了解しました!」
船首が海を切り裂き、太陽の反射で銀色に光る波が左右へ弾けた。
沖へ出るにつれ、風の匂いが変わる。
潮と熱気が混ざり、肌にまとわりつく。
黒崎は双眼鏡を構え、逃走するモーターボートを探した。
やがて水平線の向こうに、巨大な影がゆっくりと浮かび上がった。
白石CEOの大型ヨットだ。
陽光を受けて白い船体が眩しく、黒い影を海へ落としている。
小型モーターボートがその船体に横付けされ、黒崎は、サラが男たちにヨットに乗せられているのを、はっきりと見た。
「……白石……!」
唇が自然と歯を噛んだ。
やがら大型ヨットは小型モーターボートを切り離し、北西方向へ進路を変えた。
黒崎の携帯が再び鳴る。
「黒崎さん! ヨット、現在この座標です。継続追跡中!」
「さすが相棒、見逃すなよ」
黒崎は舵を切り、白い光の帯を引いてヨットを追った。
途中、小型の漁船4隻が合流した。
しばらくして、ヨットが止まり、ヨットを中心に4隻の漁船が10数メートル距離を置き、停泊する。
漁船には、いずれも、デッキに小型のクレーンがついており、それぞれから網が投げ込まれる。
やがて、中央のヨットの甲板で影が動いた。
双眼鏡の視界で、細い影が宙に浮き、海へ落ちた。
しぶきが太陽を反射し、一瞬だけ銀色に跳ねた。
「サラ!」
叫んでも届かない。
だが、ヘンリーの報告してくるヨットの座標を見たとき、黒崎の頭の中で何かが繋がった。
数学が得意な黒崎は無機質な数字の並びでも、無意識に覚えていることがある。
──ここは、数日前、サラと一緒に来た場所だ。
モーターボートの航跡を呼び出し、GPS履歴と照合する。
完全に一致していた。
(偶然か?白石は……なぜここへ?)
疑問より先に、体が動いた。
エンジンを切ると、不気味な静寂が訪れた。
黒崎は、このモーターボートに常備されている予備のスキューバ一式を身に着けた。
ヨットまでは直線で300メートル弱。
水深は40メートル。
5~6分はかかる。
太陽は無慈悲に海面を照らし続けている。
水の色は昼でも深く濃く、底が見えない。
太陽の光が海に散りばめられ、青白い縞が揺れている。
「頼む……」
小さく呟き、モーターボートの底から海へ身を投げた。
この特注のモーターボートには、海中へ直接エントリーできる船底ハッチが備わっている。
水中は、真昼の光を浴びているのに暗かった。
光は浅くまでしか届かず、下へ行くほど深い蒼が濃くなる。
黒崎はライトを構え、海底の方へ蹴り下ろした。
やがて巨大な影が現れた。
白石が仕掛けた特注ネットだ。
その網の向こう──揺れる光の筋の中に、人影がかすかに見えた。
サラだ。
だが、顔は俯き、こちらを見てはいない。
酸素ボンベをつけてはいるが、意識があるのかないのかもわからない。
ただ、海水の冷たさに震えているように見えた。
黒崎は胸を締めつけられた。
(生きてる……早く助けないと……)
しかし、よく見ると、サラは1度呼吸をすると、すぐレギュレータから口を離し、じっと横たわる。
また、数分後に呼吸をする、の繰り返し。
(なるほど、酸素を節約しているのか……ということは?しばらくは大丈夫だな、よし、……これを逆手に)
一度水面へ戻り、船体の横に固定してあった大型カッターを掴むと、再び水へ身を沈めた。
しばらくそのまま。
(白石の野郎、相当しつこいな、もうすぐ1時間になるぞ)
と思っていた矢先、網が一斉に水面に向かって上がっていく。
そして、網の回収が終わると、白石の大型ヨットは、この海域を離脱した――。
ということがあったのだ。
「……待たせたな」
水中でサラと黒崎の視線が交差する。
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