「深淵のサラ」 〜極限の潜水パフォーマンスに挑む金髪の美姫。独占欲に溺れるCEOと、立ちはだかる女帝たち〜

Mina_Underwater

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第4章 人魚の弔鐘

4-11.忍び寄る影

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午前9時。
アール島の空は、突き抜けるようなコバルトブルーに染まり、天頂へ昇り始めた太陽が容赦なく海面を照らし出していた。

心地よいはずの潮風は、どこか火薬のような乾燥した緊張を孕んでいる。

サラ邸のテラス。
エリザベスは、自身の肉体の変貌を静かに噛み締めていた。
1ヶ月前、この島に降り立った時の自分とは違う。
サラによる苛烈な指導……呼吸の1回、指先の動き一つに至るまで徹底的に「深淵の理」を叩き込まれた結果、エリザベスの肢体は、もはや彫刻を越えて一振りの細剣(レイピア)のように研ぎ澄まされていた。

大腿四頭筋のしなやかな隆起。
そして特筆すべきは、その心肺機能だ。
サラの課した限界突破のトレーニングにより、エリザベスの肺胞は拡張され、赤血球の酸素運搬能力は極限まで高められている。

今や彼女は、1度の換気で肺の隅々まで酸素を供給し、深海での長時間活動を可能にする「人魚の心臓」を手に入れつつあった。
だが、その師であるサラの様子がおかしい。

「……大丈夫? サラ」

エリザベスが声をかける。
サラの顔色は決して悪くない。
しかし、その佇まいはあまりに静かすぎた。いつもなら修行の前に放つ、あの肌を刺すような闘気が感じられない。

「大丈夫よ。少し風邪かしら……」

サラは力なく微笑んだ。
その微笑みが、エリザベスの中の冷徹な「任務」を加速させる。

「でも、日課だもの。今日もトンネルへ行きましょう」

サラの声が静かに響く。
午前10時。
運命の刻限だ。

エリザベスは

「ちょっと支度をしてくる」

と短く告げ、パウダールームへ滑り込んだ。
閉ざされた密室。
彼女は左手に隠し持っていた携帯電話を素早く取り出す。

訓練で鍛えられた指先は、戦慄くこともなく正確にキーを叩いた。

『ターゲット、移動開始』

安藤への合図。
それは、1ヶ月間自分を鍛え上げてくれた師への、決定的な裏切りの宣告だった。

2人で桟橋へ出ると、テラスから黒崎が向かってきて、サラを呼び止めた。
彼は鋭い眼光でサラを射抜き、その歩みを止めた。

「サラ、顔色が優れないな。薬を飲んでから行け」

有無を言わせぬその言葉に、黒崎とサラは1度サラ邸へ戻った。
2分後、再び桟橋に立つサラの瞳には、微かな光が戻っていた。

それを見つめるエリザベスの視線は、冷酷な観察者のそれでありながら、同時に奇妙な熱を帯びていた。

「行きましょう、エリザベス」
「今日は波が高いから、モーターボートで行こう。おれが運転する」

桟橋まで来ていた黒崎が先にモーターボートに乗り込む。
エリザベスは内心で舌打ちをした。

だが、すぐに考えを改める。黒崎がいかに「陸の王者」であろうと、水深数十メートルの水圧と暗闇の前では無力だ。

むしろ、安藤の罠に嵌まる様子を間近で見物できる絶好の機会だと、冷笑を浮かべた。

一方、陸の上では、もう1人の怪物がその爪を剥き出しにしていた。
ヘンリー・西谷。

彼は病院の事務室という隠れ家で、安藤の牙城を跡形もなく破壊していた。

「……甘いんだよ、ホワイトキャットさん」

ヘンリーの指先が踊る。
安藤のサーバー、その最深部に隠されていた「ホワイトキャット事業計画」の暗号が、剥離する鱗のように次々と解かれていく。

現れたのは、血を啜るような欲望の青写真だった。
• 『アール島西側の大規模開発』……島の美しさをコンクリートで塗り潰し、巨額の利権を独占する
• 『サラ・テヴァリエ抹殺』……計画の最大の抵抗勢力である彼女を、この海域で「事故」に見せかけて消し去る

「黒崎さん……こいつは、ただのビジネスじゃない。戦争だ」

ヘンリーは即座に、取得したデータを黒崎の端末へと転送し始めた。

モーターボートは激しい波を蹴散らし、2キロ先のポイントへと急ぐ。
船べりで目を閉じるサラ。

その隣で、エリザベスは深く、静かな呼吸を繰り返していた。
横隔膜を意図的に下げ、肺の容積を最大化する。

サラから教わった技術が、今まさにサラを追い詰めるための力となっている皮肉。
しかし、彼女たちはまだ知らない。

エメラルドグリーンの海面の遥か下。
太陽の光が屈折し、やがて届かなくなる深淵の底では、安藤が放った水中ドローン部隊が、音もなく編隊を組んでいることを。

その機体が携えた「新兵器」の銃口は、迷うことなく上方の光――サラたちが潜り込んでくる「獲物」の影――に向けられていた。

「着いたぞ」

黒崎がエンジンを止めた。
周囲を囲むのは、荒れ狂う波の音だけ。

サラとエリザベス、2人の女が、それぞれの決意を胸に海へと身を投じようとしていた。
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