「深淵のサラ」 〜極限の潜水パフォーマンスに挑む金髪の美姫。独占欲に溺れるCEOと、立ちはだかる女帝たち〜

Mina_Underwater

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第3章 死線の抱擁

3-4.ポール・白石という男②

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2018年の秋。
シドニー港の夜景が、高級ホテルのバー「オペラ・バー」の巨大なガラス窓を彩る。
エドワード・黒崎は、この窓の外で輝くハーバーブリッジを睨みつけながら、手にしたシングルモルトの氷が溶けていくのを無言で見つめていた。

彼の対面に座るのは、ポール・白石。同じ年齢、同じ大学を出て、同じ銀行でキャリアを積み、そして同じ夢を抱いて会社を立ち上げた男だ。

白石の横には、完璧なプロポーションと、手入れの行き届いた艶やかな黒髪が目を引く30代半ばの女性が寄り添っている。
シドニーの高級住宅街で美容外科医院を経営する医院長、ヴィクトリア・チェン。
彼女の指にはダイヤがきらめき、黒崎を見下ろす視線には、自らの審美眼で対象を評価し、切り取るような冷たさがあった。

「エドワード、聞いてくれよ。ヴィクトリアの医院は今、飛躍の時なんだ。高額会員制のアンチエイジングプログラムを立ち上げたい。顧客層は金持ちばかりだし、ノウハウはある。ただ事業拡大の資金が少し足りないだけだ。うちが投資して、経営ノウハウと資金を注入すれば、間違いなく……」

白石の声は熱に溢れていた。いつもの「直感」が爆発する前の、危険な兆候だ。
黒崎はグラスを置き、ゆっくりと顔を上げた。

「ポール、資料は全部読んだ。この医院の収益は、表向きは堅調だ。だが、細かい取引の内訳を深掘りすると、関連する医療機器リース会社や不動産管理会社への支払いが異常に多い。いや、『支払い』というより『資金流出』に近い」

黒崎の声は低く、しかし刃のように鋭かった。

「監査の報告書にも、キャッシュフローについて『注記が必要』という但し書きがある。お前、これを見落としたのか? それとも、彼女の……『説得』に屈したのか?」

白石の表情が一瞬、曇った。だが、すぐに挑戦的な笑みを浮かべた。

「リスクは常につきものだ。だが、ヴィクトリアは約束してくれた。投資後、彼女が持っている個人の資産 --.あの医院の土地建物を含めて -- を担保に入れると。これはチャンスだ、エドワード。我々が医療・ウェルネス分野に本格参入する足がかりになる。見ろよ、彼女の実績と人脈を。この容姿と話術で、顧客を惹きつける力を」

「個人資産?」

黒崎は鼻で笑った。

「彼女の資産なんて、ほとんどが借入金で購入した医院の不動産だろう。キャッシュフローが怪しい事業の担保に、さらに資金を注げと?」

その時、ヴィクトリアが口を挟んだ。声は滑らかで人を癒すような優しさを湛えているが、その底にはメスを握る者の確信的な冷たさが潜んでいた。

「黒崎さん、おっしゃる通り、私の医院の財務は……拡大期ゆえに複雑です。でも、白石さんはその可能性を理解してくれています。新しい資金が入れば、プログラムを立ち上げ、すべて好転します。あなた方のような確かなパートナーがいれば、必ずシドニーで1番のアンチエイジング・ブランドになれますよ」

黒崎はヴィクトリアを一瞥しただけで、再び白石に視線を戻した。彼女の完璧すぎる美貌が、かえって不気味に感じられた。

「ポール、この投資案件は却下だ。ブラックドッグの資金を、こんな見かけ倒しの『美』のビジネスに放り込むわけにはいかない」

「エドワード!」

白石の声に怒りが混じる。

「いつもだ! お前はいつも数字ばかり見て、人の『魅力』が生み出す価値を見ようとしない! これは単なる投資じゃない、パートナーシップだ! ヴィクトリアのネットワーク、彼女の……『すべて』を手に入れるチャンスなんだ!」

その「すべて」という言葉に、黒崎は白石がヴィクトリアの腰に回した手、そして彼女がほんのりと頬を赤らめて微笑む仕草を見た。これが単なるビジネスではないことを、肌で感じた。

「情熱と愚かさは紙一重だ、ポール。しかも相手は、人を『改造』することを生業にしている女だ」

黒崎は立ち上がり、スーツの上着のボタンをかけた。

「明日の役員会で正式に否決する。それまでに、お前がこの女から離れ、現実を見ることを期待する」

黒崎が去ろうとしたその時、白石が低く、しかし激しい声で呟いた。

「……俺はやる。たとえお前が反対してもだ。俺の裁量権限で進める」

黒崎の背筋が凍りついた。振り返り、白石を睨みつける。

「何だって?」

「取締役として、一定額までの投資は単独で決済できる。契約書はもう……サインしている」

一瞬、時間が止まった。バーのピアノの音も、外の波の音も、すべてが遠のいた。

「馬鹿な真似をしやがって」黒崎の声は震えていたが、それは怒りではなく、ある種の悲哀に近かった。「ポール、お前は……会社を、俺たちの夢を、彼女の『メス』で切り裂く気か」

白石は頬をピクつかせたが、目を逸らさなかった。

「夢? 夢は変わるものだ、エドワード。お前の夢が堅実な拡大なら、俺の夢は……一発逆転の『美』だ。見てろ、この投資がブラックドッグを華やかな次のステージに押し上げる様を」

黒崎はそれ以上何も言わなかった。ただ、深いため息をつき、重い足取りでバーを後にした。ガラスのドアを押し開ける時、背後からヴィクトリアの、何事もなかったように優雅にグラスを傾ける姿が見え、微かに香水の甘い香りが鼻を掠めた。

その1ヶ月後、事態は黒崎の最悪の予想をはるかに超える形で爆発した。
ブラックドッグの会議室。緊急取締役会が招集されていた。長いテーブルには、黒崎をはじめとする役員たちの顔が硬く引き締まっている。唯一、白石の席だけが空いていた。

「隠れていた負債と、不当な関連取引による資金流出は、想定投資額の4倍に上ります」

監査法人の責任者が、目の前の書類を指さしながら淡々と報告する。

「ヴィクトリア・チェン氏の医院は、高額な機器リースや建物管理料名目で、実質的に彼女個人の関連会社に資金を移転させていました。担保としていた『土地建物』には多重抵当が設定されており、我々の権利はほぼ無価値です。アンチエイジングプログラムの顧客名簿も、その多くが架空または水増しされた可能性が高い」

黒崎は目を閉じた。頭の中では、シミュレーションが高速で回る。この損失を埋めるには、ブラックドッグの資本の3割を切り崩さねばならない。投資家の信頼は地に落ち、これから数年間は新規事業への投資など夢のまた夢だ。

「白石取締役の所在は?」

誰かが尋ねた。

「……連絡がつきません。ヴィクトリア・チェン氏ともども、先週を最後に消息不明です。医院は突然の閉鎖通知を出し、患者から抗議が殺到しているとの情報もあります」

役員たちから怒りと絶望の声が上がる。黒崎だけは静かなまま、ゆっくりと目を開けた。

「皆さん、一旦落ち着きましょう」

声は低いが、部屋の空気を切り裂くような鋭さがあった。

「ポール・白石を、解任します。同時に、彼に対する背任罪での刑事告訴を検討します。監査の皆さん、警察への連絡をお願いします」

そこには、かつての親友に対する情けなど微塵もなかった。あるのは、会社を守る経営者としての冷徹な決断だけだ。

(この損失から立ち直るには、少なくとも3年はかかる。だが、ブラックドッグは倒れない。俺が倒さない)

ヴィクトリア・チェンはとっくに消えた。彼女からは、最後に「あなたも私の獲物のひとりに過ぎなかったのよ」というメッセージが残されただけだ。

白石はその屈辱を、逆にエネルギーに変えていた。ヴィクトリアから学んだ「騙す技術」、そして黒崎から学んだ「分析の重要性」。それらを歪んだ形で融合させ、新たなビジネススタイルを確立した。

2019年、投資会社ホワイトキャットを立ち上げCEOに就任した。
停滞する事業は冷酷なまでにバッサリと切り捨て、時代の風を読み、次に跳ねる案件へ巨額の資金をベットする。
その博打に近い大胆さと緻密な計算が、ホワイトキャットを瞬く間に一流の座へと押し上げた。

女性関係もまた、彼にとっては容易いゲームだった。複数の女を同時に飼い慣らし、誰も不満を抱かせない。それが彼の日常だった。
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