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【外伝】Episode-α 氷華の女王 第2章 紺碧の呼吸
2-6.リビングの静かなる火花
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目の前には、虚飾を削ぎ落とした「黒」を纏うエレーナが立っている。
「さあ、立ち話もなんだ。中へ入って」
黒崎の穏やかな声に促され、彼女は砂浜で脱いでいた黒のハイヒールを履き直した。
指先で砂を払い、細いヒールに吸い込まれるように足を滑り込ませるその所作は、計算され尽くした絵画のように優雅だ。
カツ、カツ、と乾いた音がチーク材のウッドデッキに冷ややかに響く。
案内されたリビングは、ミニマリズムの極致と南洋の濃密な空気が、ガラス一枚を隔ててせめぎ合う広大な空間だった。
「素敵な家ね、ミスター・黒崎。あなたの審美眼は、ビジネス界の喧騒にいた頃よりも、ずっと鋭く、自由になったみたい」
エレーナは最高級カーフスキンのバッグをソファーの脇に置き、窓の外に広がるエメラルドグリーンの海を眺めた。逆光を浴びる彼女のシルエットは、この楽園の色彩を拒絶するような、凛とした「個」を主張している。
「組織を離れて、ようやく自分だけの時間を手に入れたんだ。……ところで、よくこの場所がわかったな。このアドレスを知る人間は、世界でも片手で数えるほどしかいないはずだが」
黒崎が投げた静かな探りに対し、エレーナはビジネスライクな、それでいて底の知れない余裕を感じさせる微笑を返した。
「ロスネフチの調査能力を侮らないでください。私たちは、有益なパートナーが世界のどこに潜んでいようと、必ず見つけ出します。かつてあなたがケアンズで成し遂げた革命を考えれば、私たちがこうして対峙しているのは、必然以外の何物でもないでしょう?」
黒崎は答えず、キッチンへと向かった。 やがて彼の手によって、使い込まれた青いマグカップに熱いココアが注がれる。
立ち上る湯気と共に、シナモンと海塩の独特な、どこかエキゾチックな香りがリビングの静寂を浸食していく。
黒崎はそのカップを、そっと彼女の前のテーブルに置いた。
エレーナの視線が、手元のカップへと落ちる。
「素敵な香り。……熱いココアは意外だわ。南国の午後には少し重すぎる気もするけれど、何か特別なこだわりがあるのかしら?」
「ああ。僕は一途でね。この味が好きで、これだけは手放さずに淹れ続けているんだ。お口に合うといいが」
黒崎は彼女の正面に座り、無機質な投資案件を持ってきた「ロシアのエリート」の真意を測るように、その反応を静かに見守った。
「……私は、甘い誘惑よりも確かな数字を信じるタイプなの」
エレーナはそう言い放つと、迷いなくココアを一口啜った。
その味に何を感じたのか、彼女の表情からは一切読み取ることはできない。
彼女はただ、冷徹なエリートビジネスマンの仮面を崩さぬまま、カップをソーサーに戻した。
「期待通りの味だわ、ミスター・黒崎。……さて、未来の話を始めましょうか」
窓の外では、凪いだ海が不気味なほどに青く、ただ2人の沈黙を映し出していた。
「さあ、立ち話もなんだ。中へ入って」
黒崎の穏やかな声に促され、彼女は砂浜で脱いでいた黒のハイヒールを履き直した。
指先で砂を払い、細いヒールに吸い込まれるように足を滑り込ませるその所作は、計算され尽くした絵画のように優雅だ。
カツ、カツ、と乾いた音がチーク材のウッドデッキに冷ややかに響く。
案内されたリビングは、ミニマリズムの極致と南洋の濃密な空気が、ガラス一枚を隔ててせめぎ合う広大な空間だった。
「素敵な家ね、ミスター・黒崎。あなたの審美眼は、ビジネス界の喧騒にいた頃よりも、ずっと鋭く、自由になったみたい」
エレーナは最高級カーフスキンのバッグをソファーの脇に置き、窓の外に広がるエメラルドグリーンの海を眺めた。逆光を浴びる彼女のシルエットは、この楽園の色彩を拒絶するような、凛とした「個」を主張している。
「組織を離れて、ようやく自分だけの時間を手に入れたんだ。……ところで、よくこの場所がわかったな。このアドレスを知る人間は、世界でも片手で数えるほどしかいないはずだが」
黒崎が投げた静かな探りに対し、エレーナはビジネスライクな、それでいて底の知れない余裕を感じさせる微笑を返した。
「ロスネフチの調査能力を侮らないでください。私たちは、有益なパートナーが世界のどこに潜んでいようと、必ず見つけ出します。かつてあなたがケアンズで成し遂げた革命を考えれば、私たちがこうして対峙しているのは、必然以外の何物でもないでしょう?」
黒崎は答えず、キッチンへと向かった。 やがて彼の手によって、使い込まれた青いマグカップに熱いココアが注がれる。
立ち上る湯気と共に、シナモンと海塩の独特な、どこかエキゾチックな香りがリビングの静寂を浸食していく。
黒崎はそのカップを、そっと彼女の前のテーブルに置いた。
エレーナの視線が、手元のカップへと落ちる。
「素敵な香り。……熱いココアは意外だわ。南国の午後には少し重すぎる気もするけれど、何か特別なこだわりがあるのかしら?」
「ああ。僕は一途でね。この味が好きで、これだけは手放さずに淹れ続けているんだ。お口に合うといいが」
黒崎は彼女の正面に座り、無機質な投資案件を持ってきた「ロシアのエリート」の真意を測るように、その反応を静かに見守った。
「……私は、甘い誘惑よりも確かな数字を信じるタイプなの」
エレーナはそう言い放つと、迷いなくココアを一口啜った。
その味に何を感じたのか、彼女の表情からは一切読み取ることはできない。
彼女はただ、冷徹なエリートビジネスマンの仮面を崩さぬまま、カップをソーサーに戻した。
「期待通りの味だわ、ミスター・黒崎。……さて、未来の話を始めましょうか」
窓の外では、凪いだ海が不気味なほどに青く、ただ2人の沈黙を映し出していた。
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