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「……ふぅ。これでラグナート王国の過去五カ年分の物流統計の整理が完了しましたわ」
私は背伸びをして、凝り固まった肩を回した。
アルフレッド様から与えられた客室は、客室というよりはもはや「超高級オフィス付きスイートルーム」と呼ぶべき場所になっていた。
壁一面の本棚には、私が要求した各領地の台帳が整然と並び、デスクの上には最新の筆記用具が完備されている。
「お嬢様、休憩のお時間です。本日は、領都で評判のパティスリーから取り寄せた、季節の果実のタルトをご用意しました」
絶妙なタイミングでランが紅茶を差し出す。
アールグレイの華やかな香りが、仕事で火照った脳を優しく冷やしてくれる。
「ありがとう、ラン。……あら、このタルト、以前私がアルフレッド様に送った『甘味の関税率引き下げ案』の恩恵を受けているお店のものじゃないかしら?」
「左様でございます。おかげで希少な異国の果実が安く手に入るようになり、この街の製菓レベルは飛躍的に向上したとのことです」
「ふふ、自分の仕事が美味しい結果として返ってくるなんて、最高のご褒美だわ」
私がタルトを一口運ぼうとしたその時、ノックの音が響いた。
「入ってもいいか?」
「ええ、どうぞ。アルフレッド閣下」
現れたのは、公務終わりのアルフレッド様だった。
彼は私のデスクの上に山積みになった――しかし完璧に分類された――書類を見て、感嘆の吐息を漏らした。
「……信じられん。財務官たちが三徹しても終わらなかった統計整理を、君はティータイムのついでに終わらせたのか?」
「ついで、とは失礼ですわね。一時間と十五分、みっちり集中いたしましたもの」
「普通の人間は、それを『一瞬』と呼ぶんだ。……ローゼリア、君に朗報と、少しばかり愉快な報告がある」
アルフレッド様が私の向かいのソファに腰を下ろす。
ランが手際よく、彼にも紅茶を注いだ。
「愉快な報告? 私を笑わせてくださるの?」
「ああ。君が去った後のウェルビア公爵家と、あの第一王子の様子についてだ」
私はタルトを飲み込み、優雅に扇を開いた。
「まあ。あの方たち、まだ息をしていらしたのね」
「息も絶え絶え、といったところだろうな。まず、君が白紙で置いてきた『貿易協定案』だが……。あのアホ王子、あろうことか以前君が書いた『没案』を引っ張り出してきて、そのまま隣国に提出したらしい」
「……えっ。あの、関税率をわざと相手側に有利に設定して、交渉のカードにするためだけに作った『自国に大損させるゴミ箱行き』の案をですか?」
私は思わず、扇で口元を隠すのを忘れて呆然とした。
「その通りだ。提出された側も驚いて、二つ返事で署名したそうだ。結果、あちらの国の国庫からは今、凄まじい勢いで金が流れ出している」
「……っ、ふふ、あはははは! なんてこと! あの方、中身を読みもせずに提出したのね!」
私は堪えきれず、声を上げて笑った。
あんなに「自分は有能だ」と吹聴していた男が、自分から国を売るような真似をするなんて。
「さらに、君の父親であるウェルビア公爵だが……。君がいなくなったことで、家中の事務が完全にストップした。今は、ミエッタ男爵令嬢にねだられた宝石の支払いのために、家宝を売り払おうとして親族一同から突き上げを食らっているそうだ」
「お父様らしいわ。実務をすべて娘に押し付けて、自分はサロンで社交に耽っていたツケが回ったのね」
「君が完璧に準備して去ったおかげで、彼らの崩壊は加速度的に進んでいる。……どうだ、スッキリしたか?」
アルフレッド様が、悪戯っぽく目を細めて私を見た。
私はゆっくりと紅茶を啜り、最高の笑顔を浮かべる。
「いいえ、閣下。まだ序の口ですわ。……私の本当の『仕掛け』は、これから動き出すのですから」
「……仕掛け?」
「ええ。私が三年間、あの国で築き上げたのは書類の山だけではありません。……主要な商会、職人ギルド、そして情報の運び屋たち。彼らは皆、『ローゼリア様がいない国に未来はない』と理解していますわ」
私は、ランから手渡された一通の封筒をアルフレッド様の前に置いた。
「これは、我が国の主要な商会長たちからの『移住願書』です。……彼ら、このラグナート王国に拠点を移したいそうですわよ?」
アルフレッド様が封筒の中身を確認し、今度こそ絶句した。
そこにあるのは、旧王国の経済を支える重鎮たちの名前の羅列だった。
「……ローゼリア。君は、あの国をただ去ったのではない。経済の根幹を、丸ごと引き抜いてきたのか」
「あら、人聞きが悪いですわね。私はただ、『待遇の良い職場がありますよ』とご紹介しただけですわ」
私は楽しげに笑いながら、最後の一口のタルトを口に運んだ。
「幸せすぎて、すみません。……でも、これからはこのラグナート王国を、世界一豊かで事務処理の速い国にしてみせますわ。……それでよろしいでしょう、アルフレッド様?」
「……ああ。君を選んだ私の眼力に、我ながら恐怖すら覚えるよ。……最高の、パートナーだ」
アルフレッド様が私の手を取り、熱のこもった視線を送ってくる。
私はその熱を心地よく感じながら、次の「仕事」の計画を頭の中で組み立て始めていた。
私は背伸びをして、凝り固まった肩を回した。
アルフレッド様から与えられた客室は、客室というよりはもはや「超高級オフィス付きスイートルーム」と呼ぶべき場所になっていた。
壁一面の本棚には、私が要求した各領地の台帳が整然と並び、デスクの上には最新の筆記用具が完備されている。
「お嬢様、休憩のお時間です。本日は、領都で評判のパティスリーから取り寄せた、季節の果実のタルトをご用意しました」
絶妙なタイミングでランが紅茶を差し出す。
アールグレイの華やかな香りが、仕事で火照った脳を優しく冷やしてくれる。
「ありがとう、ラン。……あら、このタルト、以前私がアルフレッド様に送った『甘味の関税率引き下げ案』の恩恵を受けているお店のものじゃないかしら?」
「左様でございます。おかげで希少な異国の果実が安く手に入るようになり、この街の製菓レベルは飛躍的に向上したとのことです」
「ふふ、自分の仕事が美味しい結果として返ってくるなんて、最高のご褒美だわ」
私がタルトを一口運ぼうとしたその時、ノックの音が響いた。
「入ってもいいか?」
「ええ、どうぞ。アルフレッド閣下」
現れたのは、公務終わりのアルフレッド様だった。
彼は私のデスクの上に山積みになった――しかし完璧に分類された――書類を見て、感嘆の吐息を漏らした。
「……信じられん。財務官たちが三徹しても終わらなかった統計整理を、君はティータイムのついでに終わらせたのか?」
「ついで、とは失礼ですわね。一時間と十五分、みっちり集中いたしましたもの」
「普通の人間は、それを『一瞬』と呼ぶんだ。……ローゼリア、君に朗報と、少しばかり愉快な報告がある」
アルフレッド様が私の向かいのソファに腰を下ろす。
ランが手際よく、彼にも紅茶を注いだ。
「愉快な報告? 私を笑わせてくださるの?」
「ああ。君が去った後のウェルビア公爵家と、あの第一王子の様子についてだ」
私はタルトを飲み込み、優雅に扇を開いた。
「まあ。あの方たち、まだ息をしていらしたのね」
「息も絶え絶え、といったところだろうな。まず、君が白紙で置いてきた『貿易協定案』だが……。あのアホ王子、あろうことか以前君が書いた『没案』を引っ張り出してきて、そのまま隣国に提出したらしい」
「……えっ。あの、関税率をわざと相手側に有利に設定して、交渉のカードにするためだけに作った『自国に大損させるゴミ箱行き』の案をですか?」
私は思わず、扇で口元を隠すのを忘れて呆然とした。
「その通りだ。提出された側も驚いて、二つ返事で署名したそうだ。結果、あちらの国の国庫からは今、凄まじい勢いで金が流れ出している」
「……っ、ふふ、あはははは! なんてこと! あの方、中身を読みもせずに提出したのね!」
私は堪えきれず、声を上げて笑った。
あんなに「自分は有能だ」と吹聴していた男が、自分から国を売るような真似をするなんて。
「さらに、君の父親であるウェルビア公爵だが……。君がいなくなったことで、家中の事務が完全にストップした。今は、ミエッタ男爵令嬢にねだられた宝石の支払いのために、家宝を売り払おうとして親族一同から突き上げを食らっているそうだ」
「お父様らしいわ。実務をすべて娘に押し付けて、自分はサロンで社交に耽っていたツケが回ったのね」
「君が完璧に準備して去ったおかげで、彼らの崩壊は加速度的に進んでいる。……どうだ、スッキリしたか?」
アルフレッド様が、悪戯っぽく目を細めて私を見た。
私はゆっくりと紅茶を啜り、最高の笑顔を浮かべる。
「いいえ、閣下。まだ序の口ですわ。……私の本当の『仕掛け』は、これから動き出すのですから」
「……仕掛け?」
「ええ。私が三年間、あの国で築き上げたのは書類の山だけではありません。……主要な商会、職人ギルド、そして情報の運び屋たち。彼らは皆、『ローゼリア様がいない国に未来はない』と理解していますわ」
私は、ランから手渡された一通の封筒をアルフレッド様の前に置いた。
「これは、我が国の主要な商会長たちからの『移住願書』です。……彼ら、このラグナート王国に拠点を移したいそうですわよ?」
アルフレッド様が封筒の中身を確認し、今度こそ絶句した。
そこにあるのは、旧王国の経済を支える重鎮たちの名前の羅列だった。
「……ローゼリア。君は、あの国をただ去ったのではない。経済の根幹を、丸ごと引き抜いてきたのか」
「あら、人聞きが悪いですわね。私はただ、『待遇の良い職場がありますよ』とご紹介しただけですわ」
私は楽しげに笑いながら、最後の一口のタルトを口に運んだ。
「幸せすぎて、すみません。……でも、これからはこのラグナート王国を、世界一豊かで事務処理の速い国にしてみせますわ。……それでよろしいでしょう、アルフレッド様?」
「……ああ。君を選んだ私の眼力に、我ながら恐怖すら覚えるよ。……最高の、パートナーだ」
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