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「……はぁ。この『新産業育成のための特区構想案』、我ながら完璧な出来ですわ」
私は、テラスに広げた大量の羊皮紙を愛おしげに撫でた。
ラグナート王国の風は、どこまでも澄んでいて心地よい。
この数ヶ月で、私のペンが動くたびに、この国の経済指標は右肩上がりの美しい曲線を描き続けている。
「お嬢様、またそうやって休憩時間に仕事を……。アルフレッド様に叱られても知りませんよ」
ランが呆れたように、冷たいフルーツ水を差し出してきた。
「あら。私にとっては、この複雑な数式を組み替える瞬間こそが、最高の休息ですのよ。……ラン、あちらの国では、今頃何が『流行って』いるかしら?」
「ええ。最新の報告によりますと、王都では『雑草の美味しい調理法』が大流行だそうです。紙も、インクも、食料も底をつき、ついにジュリアン殿下はご自身のコレクションの剣を売却されたとか」
「……あらまあ。あんなに自慢していた宝剣を? 『真実の愛』を守るための武器さえ手放すなんて、ロマンチックですわね。ふふっ」
私は扇を広げ、優雅に笑い声を上げた。
前の国で、私が深夜まで帳簿と格闘していた時、殿下はミエッタ様と「愛に金は関係ない」と語り合っていた。
その願いが叶って、本当に金のない生活が送れているのだから、これ以上のハッピーエンドはないはずだ。
「……誰が、ロマンチックだって?」
不意に、背後から大きな手が伸びてきて、私の腰をぐいと引き寄せた。
「あ……。アルフレッド様、お仕事は?」
「君が昨晩、寝る間を惜しんで『効率化の極意』を私の机に置いていったおかげで、一日の公務が午前中に終わってしまったよ。……全く、有能すぎる妻を持つと、夫は暇で困るな」
アルフレッド様は私の首筋に顔を埋め、深く息を吐いた。
「……閣下、くすぐったいですわ。それに、まだ公爵夫人(つま)ではありません」
「契約書(婚約届)にはサイン済みだろう。……ローゼリア。君はまだ、あのような無能な男の話で笑うのか? 私の前では、私のことだけを考えていてほしいと言ったはずだが」
「……。……閣下。それは、いわゆる『嫉妬』という計算不能な感情かしら?」
私がからかうように見上げると、アルフレッド様の紺色の瞳が、熱を帯びて私を射抜いた。
「ああ、そうだ。私は君の時間を一秒たりとも、あのゴミのような連中に割きたくない。……君のその鋭い頭脳も、美しい指先も、すべて私とこの国の未来のために独占したいんだ」
彼は私の指を一本ずつ丁寧に、愛おしそうに口づけた。
「……っ。……全く、貴方は本当に、可愛げのない私を甘やかす天才ですわね」
「可愛げがない? とんでもない。……冷徹に予算を切り捨て、無能を論破し、私にだけその計算高い微笑みを見せる。……これ以上の可愛げが、この世にあるものか」
アルフレッド様は私を抱き上げたまま、テラスのソファへと腰を下ろした。
「……ちょ、閣下! ランが見て……」
「先ほど、別の公務(壁の掃除)を命じて席を外させた。……今は、私と君だけの『緊急決済』の時間だ」
アルフレッド様の唇が、私の言葉を遮るように重なる。
前の国では、私はただの「便利な道具」だった。
けれどここでは、私は「愛される理由」そのものなのだ。
私の才能が、私の厳しさが、そのままこの方の愛に直結している。
「……ふふ。幸せすぎて、何かすみません」
私は彼の首に腕を回し、降参するように目を閉じた。
窓の外では、私の引いた赤線に沿って、新しい物流の馬車が活気に満ちて走り抜けていく。
かつての場所への復讐など、もう興味もない。
私は、私を世界で一番必要としてくれるこの腕の中で、これからも最高に幸せな「公務」を執行し続けるのだから。
私は、テラスに広げた大量の羊皮紙を愛おしげに撫でた。
ラグナート王国の風は、どこまでも澄んでいて心地よい。
この数ヶ月で、私のペンが動くたびに、この国の経済指標は右肩上がりの美しい曲線を描き続けている。
「お嬢様、またそうやって休憩時間に仕事を……。アルフレッド様に叱られても知りませんよ」
ランが呆れたように、冷たいフルーツ水を差し出してきた。
「あら。私にとっては、この複雑な数式を組み替える瞬間こそが、最高の休息ですのよ。……ラン、あちらの国では、今頃何が『流行って』いるかしら?」
「ええ。最新の報告によりますと、王都では『雑草の美味しい調理法』が大流行だそうです。紙も、インクも、食料も底をつき、ついにジュリアン殿下はご自身のコレクションの剣を売却されたとか」
「……あらまあ。あんなに自慢していた宝剣を? 『真実の愛』を守るための武器さえ手放すなんて、ロマンチックですわね。ふふっ」
私は扇を広げ、優雅に笑い声を上げた。
前の国で、私が深夜まで帳簿と格闘していた時、殿下はミエッタ様と「愛に金は関係ない」と語り合っていた。
その願いが叶って、本当に金のない生活が送れているのだから、これ以上のハッピーエンドはないはずだ。
「……誰が、ロマンチックだって?」
不意に、背後から大きな手が伸びてきて、私の腰をぐいと引き寄せた。
「あ……。アルフレッド様、お仕事は?」
「君が昨晩、寝る間を惜しんで『効率化の極意』を私の机に置いていったおかげで、一日の公務が午前中に終わってしまったよ。……全く、有能すぎる妻を持つと、夫は暇で困るな」
アルフレッド様は私の首筋に顔を埋め、深く息を吐いた。
「……閣下、くすぐったいですわ。それに、まだ公爵夫人(つま)ではありません」
「契約書(婚約届)にはサイン済みだろう。……ローゼリア。君はまだ、あのような無能な男の話で笑うのか? 私の前では、私のことだけを考えていてほしいと言ったはずだが」
「……。……閣下。それは、いわゆる『嫉妬』という計算不能な感情かしら?」
私がからかうように見上げると、アルフレッド様の紺色の瞳が、熱を帯びて私を射抜いた。
「ああ、そうだ。私は君の時間を一秒たりとも、あのゴミのような連中に割きたくない。……君のその鋭い頭脳も、美しい指先も、すべて私とこの国の未来のために独占したいんだ」
彼は私の指を一本ずつ丁寧に、愛おしそうに口づけた。
「……っ。……全く、貴方は本当に、可愛げのない私を甘やかす天才ですわね」
「可愛げがない? とんでもない。……冷徹に予算を切り捨て、無能を論破し、私にだけその計算高い微笑みを見せる。……これ以上の可愛げが、この世にあるものか」
アルフレッド様は私を抱き上げたまま、テラスのソファへと腰を下ろした。
「……ちょ、閣下! ランが見て……」
「先ほど、別の公務(壁の掃除)を命じて席を外させた。……今は、私と君だけの『緊急決済』の時間だ」
アルフレッド様の唇が、私の言葉を遮るように重なる。
前の国では、私はただの「便利な道具」だった。
けれどここでは、私は「愛される理由」そのものなのだ。
私の才能が、私の厳しさが、そのままこの方の愛に直結している。
「……ふふ。幸せすぎて、何かすみません」
私は彼の首に腕を回し、降参するように目を閉じた。
窓の外では、私の引いた赤線に沿って、新しい物流の馬車が活気に満ちて走り抜けていく。
かつての場所への復讐など、もう興味もない。
私は、私を世界で一番必要としてくれるこの腕の中で、これからも最高に幸せな「公務」を執行し続けるのだから。
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