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「……お嬢様。例の『廃棄物』が、あろうことか勝手に処理場を抜け出し、こちらの城門まで這いずってきたようですわ」
執務室の窓から、ランが心底不快そうに下の広場を見下ろしている。
私は、ラグナート王国の次年度予算案に最後の署名をし、ペンを置いた。
「あら。警備のゴーレムは、動植物以外のゴミを排除する設定にしていたはずだけれど?」
「どうやら、かつての『婚約者の証』を衛兵に見せて、死に物狂いで訴えたようです。……会わなければここで自害する、と」
「……はぁ。自害するなら、自分の植えた芋の肥やしにでもなれば効率的でしたのに」
私は溜息をつき、椅子から立ち上がった。
「いいわ、ラン。広場まで行くのは時間の無駄ですから、バルコニーから引導を渡してあげましょう」
私がバルコニーへ出ると、そこには泥にまみれ、見る影もなくやつれたジュリアンが跪いていた。
かつての煌びやかな王子服はボロ布となり、その顔には悲壮感だけが漂っている。
「……ロ、ローゼリア! ああ、ローゼリア! ようやく顔を見せてくれたか!」
ジュリアンが、震える声を上げて私を見上げた。
「……何か御用かしら? ジュリアンさん。私の今の時給は、貴方の国の年間予算に匹敵するのですけれど。……手短にお願いするわ」
「ローゼリア……! 僕は間違っていた! あのミエッタという女は、僕の愛ではなく、僕の地位と金だけを見ていたんだ! あんな女、もう捨てた! だから……!」
ジュリアンは、必死の形相で両手を広げた。
「……だから、君を許してやる! 君が僕の隣に戻り、あの完璧な事務能力で僕を支えてくれるなら、特別に正妃として迎えてやろう! このラグナートの公爵には、僕から『返還要求』を出してあるから安心しろ!」
一瞬、あまりの言葉に周囲の衛兵たちまでもが沈黙した。
私は、扇を広げて口元を隠し、肩を震わせた。
「……ぷっ。あ、あはははは! ラン、聞いたかしら? 『返還要求』ですって! 物品の返品じゃあるまいし、なんて斬新な外交センスかしら!」
「お嬢様、笑いすぎです。……ですが、確かに計算外の愚かさですね。脳の構造を一度、解体して再構築(リストラ)する必要があるかと」
私が笑い転げていると、背後から重厚な足音が響いた。
「――私の妻に、一体何のご用かな? 元・王子殿」
アルフレッド様だ。
彼は私の腰に手を回し、バルコニーから冷徹な視線で下の男を射抜いた。
その場が、一瞬で凍りついたような静寂に包まれる。
「あ、アルフレッド……! 貴様、ローゼリアは僕の婚約者だった女だ! 今すぐ彼女を解放しろ! 彼女は僕という太陽がなければ、輝けない月のような存在なんだぞ!」
「太陽? ……ふん。泥にまみれて芋を掘る太陽など、聞いたこともないな」
アルフレッド様は私を引き寄せ、わざと見せつけるように私の額に深い接吻を落とした。
「ローゼリアは、君のような無能に浪費されるための道具ではない。……彼女は、私の人生という帳簿において、最も欠かせない『愛』という名の資産だ」
「……な、何を……!」
「ジュリアン。……君が送ったという『返還要求書』だが、先ほど私の執務室で薪(まき)の代わりに使わせてもらったよ。……おかげで、暖かい部屋で彼女と朝食を楽しむことができた。感謝しよう」
アルフレッド様は、氷のような微笑みを浮かべ、衛兵に合図を送った。
「その男を、元の芋畑へ強制送還しろ。……次、この国に無断で立ち入れば、それは我が国への侵略行為と見なし、残っている旧王族全員の配給を半分にする」
「ひ、ひぃぃっ! ま、待て! ローゼリア! 愛しているんだ! 君がいなければ、僕は何もできないんだ!」
引きずられていくジュリアンの叫びが、遠ざかっていく。
私は、その背中を一度も振り返ることなく、アルフレッド様の胸に顔を埋めた。
「……閣下。ありがとうございます。……でも、『愛している』なんて言葉、あの方に言われると、帳簿の数字が狂いそうなほど不愉快ですわ」
「……ああ。あのような汚らわしい言葉は、私がすべて上書きしてやる。……ローゼリア、君はもう、過去という名の『不良在庫』を気にする必要はないんだ」
アルフレッド様は、私の手を握り、その指の一本一本に愛おしそうに触れた。
「……さあ、執務室に戻ろう。……君の好きな、最高級の紅茶と、私という『最高のご褒美』が待っているよ」
「……ふふ。幸せすぎて、すみません。……閣下。次は、あの方たちの『芋の収穫量』をグラフにして、どれだけ無能か分析してみてもよろしい?」
「……ははっ! 君のその容赦のなさが、本当に愛おしいよ」
私たちは、澄み渡る青空の下、新しい未来へと歩き出した。
旧王国の断末魔は、もう二度と私たちの耳に届くことはない。
幸せの収支は、いつだって私の想定を軽々と超えていくのだから。
執務室の窓から、ランが心底不快そうに下の広場を見下ろしている。
私は、ラグナート王国の次年度予算案に最後の署名をし、ペンを置いた。
「あら。警備のゴーレムは、動植物以外のゴミを排除する設定にしていたはずだけれど?」
「どうやら、かつての『婚約者の証』を衛兵に見せて、死に物狂いで訴えたようです。……会わなければここで自害する、と」
「……はぁ。自害するなら、自分の植えた芋の肥やしにでもなれば効率的でしたのに」
私は溜息をつき、椅子から立ち上がった。
「いいわ、ラン。広場まで行くのは時間の無駄ですから、バルコニーから引導を渡してあげましょう」
私がバルコニーへ出ると、そこには泥にまみれ、見る影もなくやつれたジュリアンが跪いていた。
かつての煌びやかな王子服はボロ布となり、その顔には悲壮感だけが漂っている。
「……ロ、ローゼリア! ああ、ローゼリア! ようやく顔を見せてくれたか!」
ジュリアンが、震える声を上げて私を見上げた。
「……何か御用かしら? ジュリアンさん。私の今の時給は、貴方の国の年間予算に匹敵するのですけれど。……手短にお願いするわ」
「ローゼリア……! 僕は間違っていた! あのミエッタという女は、僕の愛ではなく、僕の地位と金だけを見ていたんだ! あんな女、もう捨てた! だから……!」
ジュリアンは、必死の形相で両手を広げた。
「……だから、君を許してやる! 君が僕の隣に戻り、あの完璧な事務能力で僕を支えてくれるなら、特別に正妃として迎えてやろう! このラグナートの公爵には、僕から『返還要求』を出してあるから安心しろ!」
一瞬、あまりの言葉に周囲の衛兵たちまでもが沈黙した。
私は、扇を広げて口元を隠し、肩を震わせた。
「……ぷっ。あ、あはははは! ラン、聞いたかしら? 『返還要求』ですって! 物品の返品じゃあるまいし、なんて斬新な外交センスかしら!」
「お嬢様、笑いすぎです。……ですが、確かに計算外の愚かさですね。脳の構造を一度、解体して再構築(リストラ)する必要があるかと」
私が笑い転げていると、背後から重厚な足音が響いた。
「――私の妻に、一体何のご用かな? 元・王子殿」
アルフレッド様だ。
彼は私の腰に手を回し、バルコニーから冷徹な視線で下の男を射抜いた。
その場が、一瞬で凍りついたような静寂に包まれる。
「あ、アルフレッド……! 貴様、ローゼリアは僕の婚約者だった女だ! 今すぐ彼女を解放しろ! 彼女は僕という太陽がなければ、輝けない月のような存在なんだぞ!」
「太陽? ……ふん。泥にまみれて芋を掘る太陽など、聞いたこともないな」
アルフレッド様は私を引き寄せ、わざと見せつけるように私の額に深い接吻を落とした。
「ローゼリアは、君のような無能に浪費されるための道具ではない。……彼女は、私の人生という帳簿において、最も欠かせない『愛』という名の資産だ」
「……な、何を……!」
「ジュリアン。……君が送ったという『返還要求書』だが、先ほど私の執務室で薪(まき)の代わりに使わせてもらったよ。……おかげで、暖かい部屋で彼女と朝食を楽しむことができた。感謝しよう」
アルフレッド様は、氷のような微笑みを浮かべ、衛兵に合図を送った。
「その男を、元の芋畑へ強制送還しろ。……次、この国に無断で立ち入れば、それは我が国への侵略行為と見なし、残っている旧王族全員の配給を半分にする」
「ひ、ひぃぃっ! ま、待て! ローゼリア! 愛しているんだ! 君がいなければ、僕は何もできないんだ!」
引きずられていくジュリアンの叫びが、遠ざかっていく。
私は、その背中を一度も振り返ることなく、アルフレッド様の胸に顔を埋めた。
「……閣下。ありがとうございます。……でも、『愛している』なんて言葉、あの方に言われると、帳簿の数字が狂いそうなほど不愉快ですわ」
「……ああ。あのような汚らわしい言葉は、私がすべて上書きしてやる。……ローゼリア、君はもう、過去という名の『不良在庫』を気にする必要はないんだ」
アルフレッド様は、私の手を握り、その指の一本一本に愛おしそうに触れた。
「……さあ、執務室に戻ろう。……君の好きな、最高級の紅茶と、私という『最高のご褒美』が待っているよ」
「……ふふ。幸せすぎて、すみません。……閣下。次は、あの方たちの『芋の収穫量』をグラフにして、どれだけ無能か分析してみてもよろしい?」
「……ははっ! 君のその容赦のなさが、本当に愛おしいよ」
私たちは、澄み渡る青空の下、新しい未来へと歩き出した。
旧王国の断末魔は、もう二度と私たちの耳に届くことはない。
幸せの収支は、いつだって私の想定を軽々と超えていくのだから。
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