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数年後の春。
ギニョール帝国の帝都は、色とりどりの花と、焼き立ての菓子の香りに包まれていた。
皇帝宮のプライベートガーデンでは、今日も賑やかな声が響いている。
「ママー! 見て、お花のクッキー焼けたよ!」
黄金の髪をなびかせ、小さな手で銀の皿を掲げて走ってくるのは、第一皇女のシュクレだ。
彼女はレティシアの食欲と、アラルの行動力を完璧に受け継いで成長していた。
「まあ、シュクレ。なんて可愛らしい色合いかしら。……どれ、毒見をさせていただきますわね」
レティシアは、すっかり落ち着いた、しかしどこか少女のような瑞々しさを残した手つきでクッキーを口にした。
「サクサクで、ハチミツの香りが鼻を抜けますわ。……合格ですわね、シュクレ」
「わーい! パパにも食べさせてくる!」
シュクレが再び元気に走り去っていく。
その先では、帝国の重鎮たちを相手に峻厳な表情で政務の指示を出していたアラルが、娘の姿を見た瞬間に顔を綻ばせ、膝をついて彼女を抱きとめていた。
「……。アラル様、公務中ではありませんの?」
レティシアが呆れたように声をかけると、アラルはシュクレから貰ったクッキーを大事そうに噛み締めながら、こちらを振り返った。
「……娘が作った初めての菓子だ。これを食わずに何の皇帝か。……レティシア、君もこっちへ来い。日差しが強い、私の影に入れ」
アラルは相変わらず、レティシアを少しでも外気に触れさせたくないというような、重度の過保護っぷりを発揮している。
「もう。私はお菓子ではありませんから、溶けたりしませんわよ」
「いいや、君は私にとって最高に甘い存在だ。……あの日、君が断罪の場に遅れて現れた時、私は君という奇跡に出会った」
アラルはレティシアの手を引き、その指先に深い口づけを落とした。
レティシアは、ふと遠い空を見上げた。
「……。そういえば、あの夜会のことは、今でも不思議な気がいたしますわ。もし私が、限定スイーツの行列に並んでいなかったら。……もし、あそこで普通に断罪されていたら。今頃、どうなっていたのでしょうね」
「……。そんな未来は存在しない。あったとしても、私がすべてを焼き払って君を奪い去っただろう」
アラルの独占欲の強い言葉に、レティシアはクスリと笑った。
今、かつてのエストニア王国は、隣国との交易の中継地点として帝国の属領となり、緩やかに再生を始めている。
そこに、かつての王子や男爵令嬢の姿はない。
噂によれば、彼らは帝国の端にある小さな村で、一日の食い扶持を稼ぐために泥にまみれて働いているという。
レティシアには、彼らを恨む気持ちも、ましてや助ける気持ちもなかった。
ただ、今のこの「甘い日常」が、彼らと引き換えるにはあまりに惜しい宝物だという確信があるだけだ。
「アラル様。……あ。見てください、あちらの木陰に新作のデコレーションケーキが運ばれてきましたわ!」
「……。ふっ、今日は私の分も君にやろう。君が幸せそうに食べている姿を見ることが、私の人生のメインディッシュだからな」
「まあ! では、遠慮なく!」
レティシアは、愛する夫と愛らしい娘と共に、柔らかな芝生の上を歩き出した。
逃げ遅れた断罪。
失ったはずの婚約。
それらはすべて、この甘くて、温かくて、終わらない幸福へと続くための、ほんの少しの回り道だったのだ。
「アラル様。これからも、美味しいお菓子をたくさん、一緒に食べましょうね」
「ああ。一生どころか、来世まで予約済みだ」
二人の笑い声が、春の風に乗ってどこまでも広がっていく。
世界で一番甘い、ハッピーエンドのその先へと。
ギニョール帝国の帝都は、色とりどりの花と、焼き立ての菓子の香りに包まれていた。
皇帝宮のプライベートガーデンでは、今日も賑やかな声が響いている。
「ママー! 見て、お花のクッキー焼けたよ!」
黄金の髪をなびかせ、小さな手で銀の皿を掲げて走ってくるのは、第一皇女のシュクレだ。
彼女はレティシアの食欲と、アラルの行動力を完璧に受け継いで成長していた。
「まあ、シュクレ。なんて可愛らしい色合いかしら。……どれ、毒見をさせていただきますわね」
レティシアは、すっかり落ち着いた、しかしどこか少女のような瑞々しさを残した手つきでクッキーを口にした。
「サクサクで、ハチミツの香りが鼻を抜けますわ。……合格ですわね、シュクレ」
「わーい! パパにも食べさせてくる!」
シュクレが再び元気に走り去っていく。
その先では、帝国の重鎮たちを相手に峻厳な表情で政務の指示を出していたアラルが、娘の姿を見た瞬間に顔を綻ばせ、膝をついて彼女を抱きとめていた。
「……。アラル様、公務中ではありませんの?」
レティシアが呆れたように声をかけると、アラルはシュクレから貰ったクッキーを大事そうに噛み締めながら、こちらを振り返った。
「……娘が作った初めての菓子だ。これを食わずに何の皇帝か。……レティシア、君もこっちへ来い。日差しが強い、私の影に入れ」
アラルは相変わらず、レティシアを少しでも外気に触れさせたくないというような、重度の過保護っぷりを発揮している。
「もう。私はお菓子ではありませんから、溶けたりしませんわよ」
「いいや、君は私にとって最高に甘い存在だ。……あの日、君が断罪の場に遅れて現れた時、私は君という奇跡に出会った」
アラルはレティシアの手を引き、その指先に深い口づけを落とした。
レティシアは、ふと遠い空を見上げた。
「……。そういえば、あの夜会のことは、今でも不思議な気がいたしますわ。もし私が、限定スイーツの行列に並んでいなかったら。……もし、あそこで普通に断罪されていたら。今頃、どうなっていたのでしょうね」
「……。そんな未来は存在しない。あったとしても、私がすべてを焼き払って君を奪い去っただろう」
アラルの独占欲の強い言葉に、レティシアはクスリと笑った。
今、かつてのエストニア王国は、隣国との交易の中継地点として帝国の属領となり、緩やかに再生を始めている。
そこに、かつての王子や男爵令嬢の姿はない。
噂によれば、彼らは帝国の端にある小さな村で、一日の食い扶持を稼ぐために泥にまみれて働いているという。
レティシアには、彼らを恨む気持ちも、ましてや助ける気持ちもなかった。
ただ、今のこの「甘い日常」が、彼らと引き換えるにはあまりに惜しい宝物だという確信があるだけだ。
「アラル様。……あ。見てください、あちらの木陰に新作のデコレーションケーキが運ばれてきましたわ!」
「……。ふっ、今日は私の分も君にやろう。君が幸せそうに食べている姿を見ることが、私の人生のメインディッシュだからな」
「まあ! では、遠慮なく!」
レティシアは、愛する夫と愛らしい娘と共に、柔らかな芝生の上を歩き出した。
逃げ遅れた断罪。
失ったはずの婚約。
それらはすべて、この甘くて、温かくて、終わらない幸福へと続くための、ほんの少しの回り道だったのだ。
「アラル様。これからも、美味しいお菓子をたくさん、一緒に食べましょうね」
「ああ。一生どころか、来世まで予約済みだ」
二人の笑い声が、春の風に乗ってどこまでも広がっていく。
世界で一番甘い、ハッピーエンドのその先へと。
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