遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!

文字の大きさ
91 / 125

しあわせの朝④

しおりを挟む
 一日中落ち着かなかった、と金香は夜の一人の部屋でため息をついた。
 湯を使って気持ちはほどけたものの、なんだか胸がいっぱいだった。
 今朝、朝餉の出来上がったあとには「いただきます」と先生のご挨拶で食事がはじまって、金香は黙々と料理を口に運んだ。
 その間、ちらりと視線を向けたけれど、先生は特に変わりのない様子で食事をされていた。
 でも、この朝餉の前に。
 膳は普段通り金香が運んだ。
 流石に緊張した。昨日の今日なので。
「有難う」
 先生は言ってくれたが、お礼を言う前に金香の目を覗き込んできた。
 昨夜以前なら顔を赤くしたり視線を逸らしたりしていただろうに、今日は何故かそれがなかった。
 穏やかな焦げ茶の瞳と数秒、合ったままになる。それは変わった関係をまざまざと表していた。
 そしてお礼を言い、何事もなかったかのような様子に戻り、金香もそのまま支度をして食事となったのだった。
 そんな今朝の出来事を思い返すと、やはりくすぐったくてならない。
 どうしてだろう、これまでは恥ずかしかったり緊張したり、もしくは不安だったりしたのに。
 きっとそれは先生の、麓乎のくれた『安心』なのだろう。
 そんな気持ちを抱えながら金香は文机に向かった。
 昨日の続きを書くつもりだった。砂時計を逆さにして昨日かかった時間から逆算して、「今日使える時間は何分」と決める。砂時計の半分くらいの量だと計算した。
 話は書きかけではあるがこのあとどういう展開にしてどう結ぼうかは考えていた。なのでそう苦労することも無いと思ったのだが。
 金香の鉛筆はちっとも動かなかった。
 なんだか抵抗があるのだ。自分の考えた話に。
 日をまたいで同じ話を続けて書くことはこれまでにもあった。というか、そのほうがよくあることだったかもしれない。心の中に「こういう話を書こう」と決めているのはいつもと同じなのに。
 はっと気づくと砂はだいぶ減っていた。使える時間はもう無い。
 残り時間では到底、考えた最後まで書ききることはできないだろう。
 だめだ、これは諦めよう。まったく違う話を考えよう。
 新しい一時間で新しい話を書くことを許してもらうように、出す前にお願いしなければ。
 思って金香は半紙を畳んだ。新しい半紙を出す。なにを書こうかまた悩んだ。
 『川』。
 ……川の流れる様子を恋人同士に例えようか。
 そう思ってしまって金香は眉根を寄せてしまう。あまりあからさまに恋の話を書くのも。
 麓乎は、……先生は、ちょっと人をからかって楽しむような子供のような部分がある。そのようにつつかれてしまうかもしれない。
 それはどうにも恥ずかしい。
 悩んで、悩んで。
 結局書いたのは川の流るる様子を見た旅人が川に沿って歩いていき、海の見えるところまでたどりついて感嘆する、という話。
 一応完成させたものの、金香は半紙をじっと見て小さくため息をついた。
 きちんと一時間で書けた。脈絡も整っていると思う。ひとつの話、作品として成立しているとは思う。
 が、ため息になってしまったのは、どうしてか「この話は無難すぎる」と思ってしまったためだった。
 しかし仕方がない。これはこれで課題なので提出せざるを得ないのだ。
 出来はともかく、というか気に入るかはともかく、ひとまず課題も終わったので金香はもう寝ようかと床をのべた。布団に潜りこむ。慣れた自分の香りに包まれて体はほどけていく。
 今日は妙に気を張ってしまって疲れていた。すぐにでも眠れそうだったのに。
 ふと思う。
 先生は今、どうしてらっしゃるかしら。
 もう眠ってしまったかもしれない。
 それともなにか書かれているかもしれない。
 もしくは本でも読まれているかもしれない。
 色々と想像を巡らせて、最後に思った。
 今の私のように、私のことを考えてくださっていればいいのに、と。
 思ったことに頬が熱くなる。
 想いは叶ったのに、また違うことを望むようになってしまった、と思った。
 恋というものは際限がないのだろうか。
 欲しいと思ってしまうことに、きりはないのだろうか。
 それでは恋の行きつく先はどこなのかしら。
 思いながら、金香はうとうとしてきた。
 明日、先生とお話ができればいいな。
 最後に意識で感じたのはそんな望みであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。

NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。 中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。 しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。 助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。 無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。 だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。 この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。 この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった…… 7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか? NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。 ※この作品だけを読まれても普通に面白いです。 関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】     【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...