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愛称「アル」

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 ミリーは憂鬱な気持ちで生徒会室に入った。するとそこにはミリー以外の全員が既に来ていて席に座っており、自分は遅刻してしまったのだろうかと慌ててミリーも座ろうとするのだが、一体どこに座っていいのか分からない。
 おろおろするミリーに副会長のセンテが助け舟を出した。

「書記の人は生徒会長の隣よ。重要なことは会長の後ろの黒板に書いてもらうわ」
「ありがとうございます」

 お礼を言うが、内心は複雑だ。アルフォンスの隣とは……いや、これも書記になったからには仕方ない、のだろう。ミリーは書記に選ばれたこと自体には不服はない。何せ母親から「貴族になったからには字だけでも綺麗に」 と家庭教師を雇って練習させられていた。きっと気合いを入れて書いた入学時の提出書類の字が美しかったのだろうと思えば誇らしくなる。
 ミリーが着席ついでに適切に距離がとれているかとアルフォンスのほうを見ると、目が合った。
 また冷たい目で睨まれるのかと思っていたが、アルフォンスはにこりと恋人に向けるような笑みを浮かべていた。
 ……? 後ろに美人な幽霊でもいたのだろうかとミリーは首をかしげる。
 ミリーは自分に笑顔が向けられたなどとは微塵も思わない。

「ではまず……全員で自己紹介をしましょう。お互い名前も知らないでしょうから」

 副会長のセンテが場を取り仕切る。はきはきしていてアルフォンスよりリーダーシップがありそうだとミリーは思う。
 自己紹介は立場が上の順で行われた。
 会長のアルフォンス、副会長のセンテ……順々に行われていく中で、ある人物の時にその場が凍った。

「ア、アルフォンス・トイフェルです。隣国の商人ギルドの会長の息子です。何故自分が生徒会に選ばれたのか分かりませんが、選ばれたからには精一杯頑張ろうと思います」

 よりにもよってと言うべきか、その会計の男性は生徒会長と同じ名前だった。
 ちなみにアルフォンスという名前は珍しくない。建国の英雄の一人に同じ名前がいるから、どこの村でも一人はその名前がいるくらいにはメジャーだ。
 工作したセンテは同じ名前がいたことを知らなかったのかぎょっとしている。そして焦っていた。

 まずい。前身が商人の父親の代から貴族のミリー、有力商人の息子ではあるが貴族ではないアルフォンス・トイフェル。トイフェルのほうの容姿は教師陣に言い含めていたのもあって会長のアルとは比較にもならないが、その立場は共感を誘うには充分だ。可愛いいとこのアルフォンスの邪魔にならないように、出る杭は早めに打っておかなくては。

「あら、トイフェルくんも会長と同じ名前なの? でもこれじゃあ紛らわしいわね? そうだわ、ベルクヴァイン会長が一番に自己紹介して、トイフェルくん二番目でしょ? だからこれからはトイフェルくんは二番くんって呼びましょう!」

 さも素晴らしい考えを思いついたとばかりに提案するセンテ。それなら確かに被らないなと笑って「そうしよう、いいね?」 と同意を求める一番ことアルフォンス・ベルクヴァイン。庶務や広報、風紀担当の人間もその場にいたが、全員貴族なので二番ことアルフォンス・トイフェルの気持ちは考えずに笑って会長に胡麻をすった。

「そうですね。そのほうが分かりやすいです」
「センテ副会長って凄いわ。咄嗟にそんなこと思いつくなんて頭の回転が速いのですね」
「よっ二番くん!」

 そんな冷やかしにトイフェルは死んだ魚の目で「……はい。二番ですね。僕らしいあだ名です……」 と口の端だけ笑って受け入れた。

 センテは安心した。二番とか呼ばれるような人間はこれで同じ土俵にも立てないであろうと。
 けれど実際のところは逆効果だった。

 ベルクヴァイン会長が平民嫌いなのは知っていたが、彼だけが特別ではなくてほとんどの貴族がそうなのか。
 番号呼びが基本の抽選会場や、誤診を防ぐための番号呼びの病院ならいざ知らず、こんな身内の集まりみたいな場でわざわざ番号呼びするなんて酷い侮辱だ、とミリーは激怒していた。どうせなりたくてなった役職じゃない。こんな状況を自分も笑って受け入れるくらいなら喜んで反感を買ってやろう。

「皆さんはトイフェルさんのことをそう呼ぶのですね。なら私はトイフェルさんのことを『アル』 って呼びます。私にはそのほうが呼びやすいので」

 不思議とベルクヴァイン会長がショックで凍り付いたように見えたが、気のせいだろうとミリーは無視した。副会長のセンテは一体どうしたのか慌ててミリーの言葉を否定する。

「ちょ、ちょっとバルリングさん。ダメでしょう、アルフォンスがいるのに。訂正しなさい。この場でアルフォンスは一人だけよ」

 いとこのアルフォンスとミリーをくっつけようとしているのに、モブ同然の男がミリーから愛称呼びされようとしている。これは許されることではない。外の世界ならいざ知らず、ほぼ貴族しかいないこの学園で男女の愛称呼びは「自分達、交際しています」 と宣言するのと同じなのだ。

 だがセンテのその言葉はミリーの神経を逆撫でした。あまりの言いように下を向いて屈辱に耐えるトイフェルを見て周囲の人間に怒りがわく。やっぱりこの人達も平民を人間とは思っていないのか。酷い差別意識だ。仮にトイフェルさんの二番呼びを了承したところで、どうせ次は平民上がりのミリーが同じ目に合うのだろう。だったら今ここで徹底的に拒否してやる。

「まあおかしなことを仰いますね。センテ副会長には他人の名前を変える権限までありますの? 私は平民上がりで貴族の価値観にも疎いものでそういうのがよく分からないのです。それに私がアルフォンス会長を愛称呼びすることはこれから先も絶対に無いし、会長も自分が愛称呼びされるとは絶対思わないでしょう? 間違いがなくていいじゃないですか。私一人くらい彼を愛称呼びしたからって何の問題があるんですか。もちろんこの呼び方はトイフェルさんが許可するのであれば、ですが」

 そう言ってトイフェルを見ると、彼はまさか自分を庇う人がいるとは思わなかった、という顔でミリーを見ていた。そしてこの場で唯一自分を庇ったミリーの意を汲んで言う。

「僕は……バルリングさんに愛称呼びされても構いません。むしろ嬉しいです」

 名前がなくなったみたいな扱いをされないだけでも喜ばしい、とは思っていても言わなかった。ミリー以外、番号呼びを強制してくる人間しかいないここはトイフェルにとって敵地だ。

「決まりですね。じゃあこれからよろしくお願いします、アル。……あ、私の自己紹介がまだでしたね。ミリー・バルリングです。私は絶対自分の意見を曲げたくありません。そのことに不満がございましたら、会長か教員の方にどうぞ。苦情は受け入れますわ」

 しばらくその場は沈黙していたが、センテが気を取り直して今後取り組む議題のことを話した。一方、生徒会長のアルフォンスは茫然としていた。

 ずっと後悔していた。愛称呼びをしたミリーを手酷く突き放したことを。
 再び仲良くなって何年も経った頃にはきっともう一度呼んでくれる。本当は今すぐにでもまた呼んでほしいけど、自分がしたことを思えばそれくらい我慢できる。そう思っていたのに……。
 生徒会初日。モブみたいな男が愛称呼びをかっさらっていった。
 その事実だけでもおぞましいのに、もう一つ懸念がある。
 ミリーが前みたいに熱のこもった目で自分を見てくれない。完全に道端の通行人を見る目だ。え、あれ、本当にもう俺への気持ちは一片もない……?
 アルフォンスはショックを受けたが、その件でミリーに文句を言う筋合いがないことは流石に分かっていた。

  



 後日、ミリーは何故自分は生徒会を首にならないのだろう? と思いながら書類整理をしていた。他の役員は全員クラスの仕事があるからとかで会長と二人きりで。息苦しいったらありゃしないと溜息をつきそうになる。
 十月には二年生の学外実習という名の小旅行があるので、そのしおり作りを手伝わされている。生徒会ってこんなことまでするの……?
 さらさらと手書きで注意事項を書いた後は魔導具で人数分印刷。さらに人気のあるイベントのため、ポスターも用意。どこそこへ行ってどのような作業をするのかと書き込んでまた印刷。無くてもいいが学園全体が盛り上がるので毎年作っているのだそう。まあ気持ちは分かる。
 黙々と作業をするミリー。その横でアルフォンスはふと席を立つ。
 トイレかな、水分補給に行くのかな。どちらにしてもいちいち口に出すなんて野暮だと思い、ミリーは視線も向けずに作業に没頭する。
 作業が終わる頃、ミリーの手元にカップが置かれた。

「まだ暑いんだ。君も水分補給したほうがいい」

 わざわざ自分のために持ってきてくれたのか? 会長が? とミリーは驚いた。そんな優しい人には見えなかったが、半年で何かあったのだろうか。ともかく親切な行為には違いないからお礼は言わないと。

「あ、ありがとうございます」
「ああ。……ん? そこ、間違ってる」

 アルフォンスがミリーの手元の資料を見て言った。

「え」
「ほら、ここ。二年が一年になってる」

 アルフォンスが手を伸ばして該当箇所を示そうとした時、ミリーの手と触れ合った。


ばちん。

 アルフォンスには何が起こったか一瞬分からなかった。手の痛みからするに勢いよく振り払われたのだと気づいたのは数秒後。

「わ、私のほうから触ったのではありません!」

 これまたミリーが何を言っているのかアルフォンスには咄嗟に理解できなかった。だがミリーの婚約者だった最後の日、愛称呼びを怒ると同時に勝手に触るなと忠告したのを、別れてから初めて思い出した。今ミリーが言っているのはそのことなのだろう。

「俺は」

 アルフォンスが弁解しようとした時、センテの策略で先生から仕事を押し付けられていたアルがようやく生徒会室にやってきた。扉がノックされる。

「……二番です、入ります」
「アル!」

 トイフェルの顔を見て愛称呼びしながら安堵の笑みを浮かべるミリー。
 アルフォンスは先程のこともあり、もしかしてミリーからああいう風に接してくれることは二度とないのだろうか? と初めてまとも考えた。

 帰り際、生徒会室を出るのは律儀に綺麗に片付けしてから帰宅するミリーが一番遅かった。施錠は会長の役目なのでアルフォンスは扉の前で待っている。トイフェルはミリーを軽く手伝い、一人だけ先に帰るのも憚られたので会長と同じく扉の前でミリーを待った。横に並んだ時にアルフォンスは妬みのあまり思わず嫌味を言ってしまう。

「いい気になるなよ平民が」

 ミリーには決して聞こえないように言われたそれにトイフェルは困惑する。どうして自分はこの人と副会長にこんなに恨まれているのだろう。何もしていないのに、平民というだけで……。
 その時、ミリーが華やかな笑顔を浮かべて「アル」 と呼んだ。
 アルフォンスは一瞬自分を呼んでくれたのでは、と思ってしまった。前みたいに親しい人を見る目だったから。

「手伝ってくれてありがとうアル。お陰で早く終わったわ。私鈍くさいから、いつももたついちゃって」

 ミリーはアルフォンスではなく隣のトイフェルに話しかけた。

「構わないよ。君は熱心だから、こっちも付き合っていて楽しくなるんだ」
「アルも熱心よね。そうだ、この前借りた隣国でしか流通していない本なんだけど……」

 そんな会話を聞きながら一人で施錠している間、アルフォンスは自分の心が砂漠のように枯れていくのを感じた。
 こんなやつがいなければ、もしかしたら今頃自分がミリーにアル呼びされていたかもしれないのに。ただでさえ後れを取っているのに。こんな地味男のせいで……。

 逆恨みの怒りが頂点に達したアルフォンスはセンテに多少強硬手段を使ってもいいと命令して二番とミリーを引き離すよう命じた。
 センテも自分の対応がことごとく裏目に出ているのも申し訳なく思っていたので、ほぼパワハラといえるような手段でトイフェルにやらなくてもいい書類仕事を大量に命じた。

「終わるまで生徒会室を出るんじゃないわよ!」
「え……でもこんな量、一人でなんて……」
「何でこんなのやらされるのかって? 自分の胸に聞いてみなさいよ、平民!」

 淑女とは思えないような足音を立ててセンテは去っていった。
 生徒会室には大量の書類の山とともにトイフェルだけが残る。
 トイフェルは溜息をつきながら一番上の書類から手を付けていく。この量だと、帰るのは夜中になるかもしれない。
 窓から外を見ると今にも雨が降りそうな空だった。くたくたに疲れて、濡れながら帰るのかと溜息が零れた。
 四分の一ほど終わった頃、天の助けのような存在が現れる。

「アル? センテ副会長がやたら機嫌が悪くてもしかして……と思ってたけど」
「ミリーさん!」

 ミリーはトイフェルの前に置かれた書類の山を見て察した。

「酷いことするのねあの人達。私も手伝うわ」
「あ……でも女性を手伝わせるなんて。それに天気も悪くなってきたし……」
「傘を持ってきたわ。それにうちの両親、前に婚約が破断になったの気にして早く帰るほど気をもむような人達だから大丈夫よ」

 実はミリーもセンテの策略に巻き込まれていた。
 天気の崩れる日を選んで教師からミリーに用事を押し付けてもらい、帰宅を遅らせる。
 ミリーが帰宅する頃に合わせてアルフォンスも帰宅する。
 ここでアルフォンスが「天気がこんなに悪いのにレディーを一人帰らせるなんて紳士のすることではない」 と自宅まで送る。
 天気の悪い中送っていったアルフォンスの株がミリーとミリーの両親の中で上がる。
 そういう寸法だった。
 頃合いを見て学園の入り口付近でアルフォンスはミリーを待っていた。だが彼女は一向に現れない。
 それもそのはず、ミリーは遠くからアルフォンスを見るなり引き返したのだ。簡単に挨拶だけして横をすり抜けることも考えたが、とにかく必要な時以外で彼の姿を見たくない、言葉を交わしたくない近寄りたくないと思い、そういえばセンテ副会長の様子がおかしかったような……と思い至り、生徒会室に立ち寄ったら大量の書類に埋もれるようなアルがいた。
 何でこんな嫌がらせをするんだろうとミリーの中でアルフォンスとセンテの株が下がる。ミリーは入口にいたアルフォンスのことなどすぐ忘れて書類整理に没頭した。

 一方、アルフォンスはいつまで待ってもミリーが来ないので何かあったのかと教室まで行ったが、電気もついていなかった。もしや行き違いになったかと入口に戻るが、ミリーの傘は傘立てに置いたままになっていた。
 まさかと思い生徒会室に行こうと思ったが、公爵家の使いの者が来て「坊ちゃま、ご両親が心配されています。こんなに遅くなったことはないのに、と」 と懇願する。

 結局どうする事も出来ずに、アルフォンスはその日自宅に帰った。
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