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幸薄令嬢コレット
「私が妻に欲しかったのはお前ではなく妹のフェリシーったというのに! 素行が悪いと評判の長女コレットが妻など冗談ではない! 私の心は既にフェリシーに捧げている! 私がお前を愛することはない!」
そう激昂しながら言っているのは、昨年の戦でに二十代という若さながら多大な戦果をあげた金髪碧眼のシリル侯爵。
そしてそう言われているのは、一目見れば男遊びが激しいと言われても疑いが先に出そうなくらい地味な見た目をした茶髪茶目の公女、コレットだった。
そしてそのコレットの横では、彼女の侍女であるイネスが主人を侮辱された怒りのあまり震えていた。
◇
王国のとある公爵家には有名な少女が二人いた。一人は長女のコレット。もう一人は妹のフェリシー。そして有名と言っても、良い意味で有名なのはフェリシーだった。貴重な聖属性の魔力を持ち、治癒魔法を自在に操ることから定期的に重病人や重症患者が侯爵家を訪れて彼女の世話になった。聖属性を持つ女性であることからも、人々を救っているところからも、人呼んで聖女と呼ばれていた。
そして悪い意味で有名なのが長女のコレット。妹が出来が良すぎたために嫉妬して妹に当たり散らし、その影響でフェリシーはもっと患者を診たいのに診れないのだとか。妹をそんな扱いしておきながら、自分は男遊びでストレス解消するという淑女にあるまじき女性として社交界では誰もがコレットの名を聞くと眉をひそめた。
シリルはかつてフェリシーの治療に命を救われていた。治療をしてもらった際、何故かフェリシーの顔はベールで覆われており、その時は誰か分からなかったが、あとでフェリシーだと教えてもらった。なんでも自分の顔に自信がないからそうしているのだと。そんな風に卑下しなくても、骨まで達する傷を温かい光で満たし、治療が終わったあとも患部を優しくなでる仕草は美しいと感じたのに。その後、社交界で見た華やかな女性がフェリシーと分かったその時からフェリシーとの婚姻を夢見ていたのだが、公爵家に必死で頼みようやく公爵筋から「娘をやる」 と返答を貰ったかと思えば、やってきたのはフェリシーを苛めていると有名な姉のほう。騙されたと知ってシリルは激怒したが、もう遅かった。剣術ばかり磨いて社交を怠った弊害だろう、ろくに書類も確認せずサインし、そのうえで屋敷にまでやってきた娘を追い出すのはこちらに非があると言われても仕方ない。
シリルは家令の男に愚痴を漏らす。
「姉がいるなんてことも忘れていた。コレットだと分かっていたら絶対に婚姻などしなかった。私の初恋の女性を苛めた悪魔だあれは。こんな人間を妻として扱わねばならぬとは嘆かわしい……」
ひとしきり愚痴を言ったあと、シリルは家令に言った。
「まあ、こうなっては仕方あるまい。私はあの女と交流するつもりはないが、そちらで相応に対処してくれ」
シリルとしては「妻とは思ってないが、侯爵夫人として不足ないように扱ってくれ」 と言ったつもりだった。だが家令としては散々悪口を聞かされたあとである。
「こうまで言ってるんだから分かるよな? あの女をどう扱っていいかなんて。わざわざ交流するつもりはないとまで言ってるんだぞ? 察したよな?」
と言われたと解釈し、屋敷の使用人一同に「あの女をシリル様の妻として扱う必要はない。シリル様の初恋の女性を加害した悪魔だ。相応に扱え」 と言ってしまった。
その夜、侍女のイネスがコレットが夕飯に呼ばれないのを不審に思って厨房まで行った。
「どうなっているのですか? 我が主の夕食は?」
と訴えると、侯爵家の使用人一同はドッと笑った。アウェーから来たイネスへの洗礼である。
「主のぶん、ですって! ねえみんな聞いた?」
「あんなのを主と思ってる人がいるなんて、世の中って広いのねえ」
「夜遊びが激しいなら今からが主人の本番じゃない。外で食べてくればいいのに」
イネスはコレットを侮辱されたことに怒り、「侯爵家の使用人はずいぶんマナーのなってない失礼な方が多いのですね!」 と嫌味を言うが、使用人は一番のマナー知らずのコレットを主にしている侍女ごときに言われたくないと腹立ち紛れに嫌味を返す。
「あら、うちはとっても評判がいいのよ? 料理人は引き抜きの話が何度もあったけどここが良いって留まってくれたし」
「シリル様はどこぞの女みたいに夜遊びなどなさらないもの。一途よね、どこぞの女と違って」
「私達がマナーがないなんて、言うほうがおかしいってものよ。以前お客様に魚の小骨が入っていたと怒鳴られた時には使用人一同で土下座したんだから。私達一人一人が、侯爵家の使用人って自覚があるもの」
要するに、お前とお前の主にはその価値がないんだよという嫌味である。イネスは顔を真っ赤にしたあと「このお屋敷の方のお考えは分かりましたわ」 と言って去っていった。
イネスが去ると、厨房にいた全員が歓声をあげてハイタッチした。ゲームで強敵を倒したようなノリである。
「これで思い知ったでしょ! あんたの居場所はうちにはないんだって!」
「……でも、やりすぎじゃない?」
「何よ悪女の肩を持つの? ああいう思い上がった人間には最初にガツンとやらないと駄目なのよ」
「シリル様が嫌う人間の料理なんか作りたくねえしな!」
◇
盛り上がる厨房から離れた、掃除もまともにできてい無いような部屋――今はコレットの部屋である――に戻って来たイネスは言った。
「駄目でした……ここの使用人は終わっています」
「イネス……ごめんなさい」
「コレット様が謝ることではありません! それより、ここに居たら飢え死にしかねません、今すぐ脱出しますよ!」
イネスはそう言うとすぐさま鞄から庶民が着るような服を出し、コレットにそれを手早く着せた。その慌ただしさにコレットも思わずつぶやく。
「今すぐである必要があるの?」
「当然ありますよ! だって本物の聖女のコレット様がいなくなった公爵家が何もしないはずないでしょう? 今なら目撃者もいないでしょうから」
そう、巷では妹のフェリシーが治癒魔法を使う聖女だと言われているが、実際に治癒魔法を持っているのはコレットである。これには深い事情があった。
コレットの実父は由緒正しい公爵家の当主であるが、若い頃は派手な恋愛をしていたと聞く。コレットの実母とは完全な政略結婚で、そこに愛はなかった。愛があったのはフェリシーの実母とである。フェリシーの実母は派手な異性関係で有名だったにも関わらず公爵はぞっこんで、コレットの実母を不当に扱った。一人寂しくコレットを産んだ母は産後の体調不良が回復することなく数年後に亡くなり、父は待ってましたとばかりにフェリシーの実母を後妻として迎え入れる。父の娘を名乗るフェリシー付きで。
「私の娘はフェリシーだけだ。ああ、私の可愛いフェリシー」
そんな父の言葉をコレットは何回聞いただろう。
「お姉様は今までずっとお父様を独り占めしてたんでしょう? ずるいわ! 本当ならお姉様が得ていたものは全部私の物のはずよ! だってお父様が愛していたのは私のお母様だけだもの! でも何もないのは可哀想だから、私の悪評は貴方にあげるね! 姉なんだから可愛い妹のために泥くらいかぶれるでしょ?」
そう言ってコレットから何もかも奪っていくフェリシー。気が付けばコレットの部屋は必要最低限の物しかない、貴族令嬢どころか平民でさえもっとあるだろうと言いたくなるような、殺風景な部屋になってしまった。そしてフェリシーが茶色のかつらをかぶって夜な夜な遊びまわっている件は、全てコレットがやったことだとされた。家族の中でそれに異を唱える人間はいなかった。
「治癒魔法を持っているんですって? 後からやってきたフェリシーに譲りなさい! フェリシーが早く公爵家に馴染んで、良い縁談を得るためよ!」
お父様の真実の愛の相手こと継母はそう言って、患者に顔が分からないようにベールを被せて治療にあたらせ、フェリシーがしたのだと周りを騙していた。
コレットは正真正銘公爵家の令嬢であるのに、食べるものも着るものも平民の方がマシと言いたくなるような扱いをされている。更に一言も言葉を発するなと厳命でひたすら患者を診ることが週に二日。その日は一日働き通しで、魔力を消費するものだから次の日はベッドの住人と化していることが多い。
一度どうして私が、と父親に訴えたら、殴られた。
「妹が可愛くないのか! 母親と同じ、心無い女め!」
コレットは諦めた。きっとこれは、前世で何かとんでもない重い罪を犯したのだろう。だから今世はそれをひたすら償い続けなければいけないのだ。
そう思って、廊下で高価な壺を割ったと叱られている使用人を「私がやりました」 と庇ったら、その使用人に懐かれてしまった。それが今のイネスである。
イネスには妹につくほうがいいと何度も言ったのだ。だがその度にこう言われる。
「あり得ません。だってあの時、あの壺を割ったのは廊下で走り回っていたフェリシー嬢なんですよ? 侍女頭が音を聞いて駆けつけて来たら、たまたま近くにいた私を指さして「あいつがやった!」 なんて。平然と嘘をつく人間なんて信用なりません。あんな女につくくらいなら死んだほうがマシです」
そう言ってコレットの世話を焼くイネスには何度助けられたか分からない。気が付けばイネスはコレットにとってなくてはならぬ人物になっていた。
だからイネスが「逃げましょう」 と言うのなら、コレットはイネスの判断に従うまでだ。
逃げるには好機ともいえる、月のない夜だった。ランタンの灯りで道を歩き、あらかじめ目星をつけていた空き家で一晩過ごす。不謹慎かもしれないが、外出自体が稀なコレットはわくわくしていた。
「こんな日が来るなんて思ってなかったわ。一生あの公爵家で誰かの治療をして過ごすんだとばかり……」
コレットの言葉にイネスは反論した。
「いいえ、それは無理ですよ。どうあがいてもコレット様があの家の長女なのですから、年頃になったら片付けないといけません。病気で療養してるというには、フェリシー嬢の男遊びをそのまんまコレット嬢がしてることにしてるんだから無理があるし、当主にするにも公爵はフェリシー嬢可愛さで次期当主をフェリシー嬢ということにしてるし、大体なんです、あのフェリシー嬢の夫とかいう人。初対面から無礼な!」
コレットが侯爵家に嫁ぐひと月ほど前、公爵家に婿入りしてきたエタンという男がコレットに話しかけてきた。
『君がフェリシーの姉だね? ふん、フェリシーとは似ても似つかない容姿だ! 不細工はやはり性格も悪いんだな。妹の方が美人だからってフェリシーを苛めるなんて最低だよ。この家の癌め。僕が来たからには君にはこの家から出て行ってもらうからな!』
エタンは隣国の王家の第三子という恵まれた出生に、恵まれた容姿の男だった。そして話したこともないのにコレットを毛嫌いしてた。だが彼には感謝するべきだろう。あれよあれよと公爵家に嫁入りとなって家から出ることになったのだから。どうも実家の権力をフルに使ってコレットを追い出しにかかったらしい。
『あんな姉、この家にいてはいけない!』
と強行されれば、エタンの身分の高さと今まで悪評をコレットに押し付けていたことが災いして誰もまともに反論できなかったのだ。そして最大のライバルだった侯爵のシリルに公爵の名前を借りて『娘(姉のほう)をやる』 と押し付けたと。
普通なら自分の扱われ方に腹の立つところだろうが、家族のほうがよほど酷かったのでもはや何も感じない。むしろ家を出られたのだから感謝すらしている。それを言うとイネスは「麻痺していらっしゃる……お労しい」 と嘆くので、コレットはエタンの話はしないことにした。家族のことも、もしかしたら本当は自分と結婚するかもしれなかったエタンのことも、もうどうでもいい。
コレットは、イネスさえいればいいのだ。初めて、コレットの人生に光を与えてくれた人。
◇
コレットとイネスは下町の酒場で住み込みで働くことにした。治安が治安なので従業員は随時募集している。おまけにここはまかないつき。多少の不自由は目をつぶるしかない。今はただ、生活を安定させることに集中だ。
意外にもコレットはこの仕事に馴染んだ。イネスからは客のセクハラに気をつけろと言われていたが、公爵家で治療中にも年配の患者からされることは少なくなかったし、あしらいかたも堂に入ったものだ。フェリシーでないと疑われるようなことをすると継母に殴られていたから、仕事中は全神経を集中させて少しのミスもないようにしていた。同じノリで働いていたら、「あの女、可愛いけど何か常にピリピリしてて怖い」 と言われてしまった。難しいものである。
なので、どちらかというとイネスのほうがよくセクハラ客につかまった。
「きゃっ!?」
「へっへっへ。いいじゃねえか減るもんじゃねえし」
尻を撫でられたイネスが悲鳴を上げたのを聞いて、コレットはすぐさまイネスの元へ向かう。
「イネスに何するんですか! 嫌がってるでしょう!」
咎められた男は良い気分になってたのに水を差されたと思ってコレットに当たり散らす。
「何だよおめーに何の権利があって文句言うんだよ。お前が代わりに相手してくれんのか? あ?」
「……そうすれば、イネスには手を出さないんですね?」
「ああ、まあな。お前さんは何だか品もあるし……ぐぇ!?」
コレットが多少のセクハラは仕方ないかと思っていると、急に相手の男が他の冒険者達によって店の外に連れ出された。
「コレット! 言っているでしょう、私を庇うことはないって!」
「イネス……だって、貴方に万が一のことがあったら、私……貴方無しでは生きていけない……」
「もう……バカなんだから」
この酒場の名物はお嬢様っぽい子×従者っぽい子の百合が生で見られることである。本人達にそのつもりはないが、見た目が可愛い子が百合百合しい雰囲気を絶えず出しているので、それを見に来る客も多い。客の間ではどっちが左でどっちが右か絶えず論争がおこっているとか。そしてそういう客にとっては、百合の間に挟まろうとする男は絶対に許せない存在である。
酒場の主人と女将は、この事態をどうしたものだろうと静観していたが、結果的に酒場の治安は良くなるし、売り上げにも貢献しているしで見て見ぬふりを決め込んだ。女将はそのお礼によく二人にまかないも出している。
「女将さん、いつもありがとうございます」
そうコレットが言うと女将は笑って言うのだ。
「なあに、コレットちゃん達が来てくれてから儲かってるんだよ。それにコレットちゃんも、この前は財布を置き忘れた人を追いかけて返してあげたりさ、今時珍しく真面目で優しいって結構評判良いんだよ? 他にあてがないって言うなら、このままずっとここで働いとくれよ」
コレットは頬が熱くなるのを感じた。イネス以外に他人から褒められたのは、初めて……。
私はここで必要とされてるんだと思うと、毎日の生活にも張りが出てくるというものだ。
イネスはコレットの身分を思えば正直泣けてくる生活だと思ったが、コレットは殴られることも無く、あの疲れる治療魔法を使うこともなく、大好きなイネスがずっと傍にいてくれる日々。なんて充実しているんだろうと楽しんでいた。そしてそんなニコニコ顔のコレットを見て、これで良かったんだと思い直すイネス。
そんな日々を一年も過ごした。
◇
シリルの屋敷に、エタンが来た。憔悴しきった表情で。
シリルは知らないが、エタンの策略でコレットが嫁入りしたので、ある意味仇の人間ではあったのだが、ともかく愛しのフェリシーの伴侶ということで丁重にもてなしはした。
高級茶を飲んで喉を潤し、それでもまだしばらく言いにくそうにしていたが、エタンは意を決して言った。
「妻が……フェリシーが肌の黒い子を産んだ」
「は?」
「私の子ではあり得ない。誰の子かと問いただしたら……前に屋敷に来た大道芸人に似てると使用人が……」
フェリシーを神聖視していたシリルには理解が追いつかない。だが相手が嘘を言っているとも思えず、ゆっくりゆっくり噛むように話す言葉には徐々に実感がわいてしまう。
「おかしいとは思っていたんだ……。妊娠したら急に治癒能力が使えなくなったのだと言い張り、患者を診なくなった。女性の身体ならそういうこともあるだろうと思っていたのだが、不貞を働いたことが明確になった今ではそんな悠長なことは言ってられない。公爵家の評判を落とさない為にも勘を取り戻して前以上に働いてくれと頼んだら、そもそも自分がやっていたのではないと怒りだして……」
「そ、それは……」
「コレット嬢だったんだ。コレット嬢こそが聖女だったんだよ! 思い返せばそうだ、あのベールもより神聖さを演出するためとか、性別を隠すためとか色々言い訳していたけれど、コレット嬢だと分からないようにつけさせていただけだったんだ! 僕の初恋はコレットだったんだ! 既にフェリシーは軟禁して、コレットの名誉は回復されている。頼む、コレットを返してくれ!」
エタンは悲壮な顔をしていたが、シリルも青ざめた顔をしていた。聖女がコレットだったのなら、自分の初恋もコレットじゃないか、と。そんなコレットに自分は何を言った?
ともかく相手の目的が分かったシリルだが、だからといって相手の要求を呑むわけにはいかない。
「……今更でしょう。貴方が望んで妻にした相手はフェリシー嬢ではないですか」
「違う! 僕は騙されていたんだ! 大体君だってコレットとの結婚は不本意だったのだろう? 仲良くやっていれば社交界の一つにくらい出ているはずだからな! そんな話は聞いた事がない!」
「そ、それは妻を守るためです。治癒能力の本当の持ち主が妻だったと分かれば、何をされるか分かったものじゃない。なにせ身内が虐げていたんですからね。ええ。私は分かっていましたとも」
初手で聖女相手に愛することはないなんて言ったと知られたら、この侯爵家は地に落ちる。侯爵家も自身も身の破滅だ。だから事実を認める訳にはいかなかった。だからシリルは嘘をつき続ける。
「コレットは君のところで幸せにやっているというのか……?」
「もちろんですよ。ええ。フェリシー嬢の嘘を見抜けなかった貴方とは違うんです」
「頼む、謝らせてくれ! それができないならコレットを遠くから一目見るだけでも……」
「今のコレットは私の妻です。人の妻を軽々しく呼ばないでいただけますか。それに……謝りたいという割には手ぶらなんですね。素晴らしい誠意をお持ちのようだ」
痛いところをつかれたエタンはすごすごと帰って行った。馬車が遠くに去るのを見届けてから、シリルは慌ててコレットを探した。本当の初恋の相手であったコレットを。
取る物を取らずにコレットの部屋に行くと、埃がたまっていて何年も誰も住んでいないかのよう。使用人にコレットはどうしたと聞くと「部屋にいないんですか? じゃあ私は知らないです」 と呑気すぎる返事。
待て、侯爵夫人を一体今までどうしていたんだと使用人一同に問いただすと、とんでもないことが分かった。
「初日に……彼女の侍女をちょっとからかって……それ以来二人とも見てません」
「家令が少し懲らしめてやれっていうから家事はしませんでした。それでどこからも文句なかったから今日までそのまま……」
「侍女長が、あんな遊び人はどうせ外で食べるって言うから、何も作らなくていいだろうと思って……」
初日で妻は消えていた。シリルは感情のまま使用人を怒鳴り散らし、相応に対処しろと言ったのはそういう意味ではない! コレットを見つけるまで給料は払わないからなと宣言した。
使用人は慌ててコレット達の足取りを追うが、何せ一年前である。それとなく外の人間に聞こうにも「昨日や一週間前とかならまだしも、一年も前のことなんて思い出せって言われても……」 と歯切れが悪い。
探している間にも、コレットの実家の公爵家の事態は悪くなっていった。何せフェリシーは治癒魔法があるから称えられていたのであって、それが他人のものだったとなれば、普段から性格が悪く空気の読めないフェリシーの評判は庇う人間もなくあっという間に地に落ちた。ついでにその実母も。そして彼女達を大切にしていた公爵家当主も。
公爵はそれでも治癒魔法は公爵家の血に連なる者に発現しやすい魔法だから、フェリシーがこの先発現する可能性だってあるはずだと豪語してたが、不貞をしたフェリシーと離婚したいエタンが詳しく調べたところ、フェリシーの父親は昔の継母の取り巻きの一人だったということが発覚。鑑定魔法でクロとはっきり出た。更により詳しく調べたら、実はコレットの妹ではなく数か月とはいえ姉であるということも。これには使用人すら呆れてしまっていた。結局、身分を詐称したとして親子は牢獄へ。牢獄の中では母親は「私はヒロインなのよ!」 と意味の分からないことを叫び、フェリシーは「姉なら妹を助けに来てよ!」 と喚いたのを聞いた看守が「お前本当は姉らしいぞ」 と見かねてツッコむと「妹なら姉を助けなさいよ!」 とどっちにしろ高圧的に言うだけだったので、どの立場になろうがも近くにいる人間を苦しめるタイプの人間なんだろうなと誰もが思い、わざわざ近づこうとする人間もいなくなった。父親である公爵は突然「やっぱり親子はともにあるべきだと思う」 と言い出しシリルをチラチラ見てくる。そしてエタンは晴れてフェリシーと離婚できたはいいものの、母国に戻った途端に下の病気が発覚し、フェリシーから移されたのだと察した。シリルのところには「コレットに会わせてくれ。もう恋愛関係になりたいとか言わないから」 「最初に容姿を貶したのは、思いのほか清純で可愛い女性だったのを見て気恥ずかしくなっただけなんだ。これを最初に謝るべきだったと思ってる」 「多くは願わない。健康な身体に戻りたいよ」 と慟哭のような手紙が何通も届くが、無理な話である。
これでコレットが行方不明と知られたら多くの人間を謀った罪で最悪侯爵家の関係者全員が処刑になるかもしれない。
せめて女二人で領地外に行くとは考えられなかったのが救いだろう。関所や国境を抜けるには通行証がいるのだから。使用人の一人が下町を探し回ったすえに疲れ切って一軒の酒場で飲んでいると、コレットと呼ばれる女性を見かけて歓喜の悲鳴をあげた。
そんな経緯で、コレットは侯爵家に戻ることになったのである。
◇
コレットとイネスは揃って馬車に乗り、侯爵家に戻るなり磨き上げられた。実家でも着たことないような豪華な服を着て、イネスも高級そうな侍女服を着せられている。そしてやけにニコニコ顔のシリルが豪華な夕食に誘ってくるのだから嬉しいよりも不信感が勝る。
「これはほんのお詫びだよ。うちの料理人達が腕によりをかけて作ったんだ」
とシリルは言うが、元より食が細く、胃腸があまり丈夫でないコレットには重すぎるディナーだった。この家の趣味なのかあらゆる肉料理が並んでいた。牛、馬、羊、豚、鳥……。これなら酒場の女将が作ってくれるあまりもので作ったスープやパンのほうが食べられる。また、それ以外にもコレットは一人で食べるのに慣れ過ぎていてた。なんなら大勢で食べる時は公爵家で父や継母や妹などから「そのマナーおかしくない?」 「食べるのに時間がかかりすぎ」 「妹より食べ方が汚い」 といつもからかわれていた思い出があり、コレットにとっては大勢で食べること自体が食欲を失せさせる行為だった。どれほど美味しそうな見た目や香りを漂わせていても、コレットの胃はキリキリするばかりで一口も食べる気にはなれない。
「ど、どうしたんだいコレット。せっかくうちの料理人達が君のために作ったのに……」
「はあ……突然どうしてですか?」
「どうしても何も、君が聖女だったんだろう? エタンが屋敷に来たんだ。全部教えてくれた。つまり私の初恋も君だったんだよ。これからやり直そうじゃないか。君は君の権利を取り戻したんだよ」
ああ、そういうことかとコレットは思った。命の危機に優しくされて愛を囁く人は多かった。最近では吊り橋効果とかいうらしいけど。でも目の前の男はフェリシーが聖女だと思っていた。それを間違っていたと言われたからといって……。
冷めた反応のコレットと違い、イネスは主人の傍に仕えながらも内心怒り狂っていた。
「コレット様はこのようなものは召し上がりません。身体が丈夫ではないのです。消化しやすいものはないのですか?」
イネスの言葉に使用人達はぽかーんとした。喜んでもらえるとばかり思っていたのに、思った反応と違くて理解が追いつかないといった顔。なおのこと腹が立つ。
「この家は食べられないものでも無理して食べろと仰るのですか? 奥様が食べたくなくても? まあ、そもそも今まで一度も食事なんて出されたことありませんけどね。とすると、これもコレット様に出されたものではないのかしらね」
そうまでイネスに言われてやっと何人かが慌てて厨房に向かった。慌てて作ったであろうスープを用意されたが、イネスはそれでも前に言われたことを思い出したら嫌味を言わずにいられない。
「そういえば侯爵家の使用人は、お客様の不興を買った際には使用人一同で土下座するらしいですね? 貴方達一人一人が、侯爵家の使用人って自覚があると言っていましたもの。で、コレット様の体質に合わないものを出して、何かすることがあるんじゃありません?」
使用人達は青ざめた。あの時は傲慢なコレットとその侍女だと信じ切ってたから適当なことを言っただけなのに。助けを求めて何人かはシリルを見たが、そもそもシリルは使用人達の勝手な行動で迷惑を被った側だ。しかしイネスの言ったことが事実ならば、自分の言ったことくらい自分で責任を取れとしか言いようがない。シリルはぷいと目線を逸らした。
梯子を外された使用人達が屈辱に耐えながら土下座をしようと床に膝をつけた時、コレットが溜息をつく。
「やめなさい、イネス。貴方の品位まで堕ちるわ」
「コレット様……申し訳ありません」
「貴方達も、そういう真似はしなくてよろしい。そもそもここは食事の場ですもの」
使用人達は思った。イネスとかいう侍女は昔のことをいつまでも掘り返す嫌味ったらしい人だけど、止めて下さるコレット様は優しいのだ、と。シリルも思った。やはり自分が好きになった人だ。聖女と呼ばれる人はどこまでも高潔なのだと。
しかしコレットはシリルに目を向けると、失望を隠しきれない顔で言った。
「シリル様。私、使用人を悪く思えません。私もイネスに害を与えるかもしれない人が近くにいたら、警戒せずにいられないでしょうし。それほど彼らはシリル様を大事に思っているのでしょう。その気持ちはよく理解できます。……でも、貴方はそうではないのですね。使用人を庇おうともなさらないなんて。大事な方は一人もいないんですか? 世話になったと感じる方も全く? 私には理解できない……」
シリルとコレット。元からあった二人の心の距離が更に開いた瞬間だった。
その後、シリルは事の経緯を詳しく説明した。エタンがコレットを狙っていること、実家の公爵家もコレットを取り戻そうとしていること、表向きは自分がコレットを大事にしているからこそコレットがこの屋敷から出てこないこと。
一連の話を聞いたコレットは「そうですか。でもそれって貴方が勝手になさったことですよね?」 と興味がなさそうに言うだけ。家族のことはどうでもいいし、エタンにいたっては……思い込みが激しそうだから下手に会ったら何かされそうと思うと助ける気が失せた。何しろ悪い意味で実績がある男なので。
「シリル様は私にどうしてほしいんです?」
と聞かれたシリルは「正式な夫婦になりたい!」 と言って「うわっ気持ち悪い……」 と酒場で働いて口調が荒っぽくなったコレットに引かれていた。
シリルの希望がゴリゴリ削られて、絶望だけが積み重ねられていく。
「私に申し訳ないとお思いなら、今まで通りの生活をさせてもらえませんか?」
「今まで通りって……」
「酒場で働きます。ここに居る時より充実してるんですよ? まあここには数時間しかいませんでしたけど」
「そんなの誰かにバレてしまったら」
「バレるはずがないでしょう。誰も私のことなど知りませんもの。実家では一度も家を出ませんでしたし、ここでも一応夫婦だったというのに、式の一つもなかったですからね」
「そもそも侯爵夫人がそんな」
「私が一度でも侯爵夫人であったことがありましたか? 使用人からの冷遇もエタンがくるまで一つも気づかなかったくせに」
「外で働くなんて許さないと言ったら……」
「私は治癒能力でいつでも本人証明が出来ますの。面倒な能力だと思ったけど、今は感謝しかないですね。外でこの屋敷での経験を話したら、皆さんどう思ってくださるかしら? そうならないようにいっそ私を監禁します? そうなったら潔く死んだほうがマシですけど」
ぐうの音も出ないシリルは、翌朝スープだけ飲んで下町の酒場に戻るコレットとイネスを窓辺から見送った。馬車に乗り込む時に「急に侯爵家の家紋入りの馬車で出て行ったんだもの。女将さんに何て言い訳しようかしら」 「侯爵家の勘違いだったって言えばいいんですよ。無能が多いのは事実でしょう」 「不敬だって女将さんに叱られるわよ。内情なんて知らないんだから」 と無邪気に笑い合っている姿を見て、一度も笑顔を見たことが無かったことを思い出し、少し泣いた。
その日の昼食時、シリルのぶんだけ用意された食事を見たシリルは頭に血が上るのを感じた。
「おい、どういうことだこの食事は」
「どういうこととは? いつも通りの……」
「何故妻のぶんが用意されていない?」
「コレット様は……屋敷を出て行かれましたし……」
「ふざけるな! 以前は悪女だから出さなくていい、冤罪だったと分かっても自分から出て行ったなら出さなくていい、お前達は自分が楽したいだけじゃないか! 急に気が変わってコレットが帰ってきた時、何も用意しない、するつもりもなかったお前達は何て言い訳する気だ? そういう考えがコレットを傷つけたんだ! 反省しろ!」
実際のところ、これは使用人がちゃんとしていればコレットは出て行かなかったかもしれないと思ったシリルの八つ当たりだった。だが負い目があった使用人達は慌ててコレットの分も作り、誰もいない席に皿を並べた。
東洋の陰膳という風習のようで縁起が悪い、と零す使用人もいた。だが当主が強硬に主張するならどうにもならない。結局、毎食コレットのぶんが用意された。
こんな職場辞めたいと思う使用人もいた。だが辞められない。シリルがエタン相手に嘘をついた瞬間から、使用人も共犯なのだ。新しく就職したところで、前職のことを聞かれたら絶対聖女について根掘り葉掘り聞かれる。自分達はボロが出た終わりなのだ。聖女に一食だって出さなかったなんて知られたら、その辺の通行人に殺されたって文句は言えない。
世間ではコレットとシリルのことが演劇の題材になるくらいもてはやされている。冷遇されていた公女を真実を見抜いた侯爵が引き取って外に出さないくらい溺愛するという話。
「今が幸せなら治療の一つくらいしてくれてもって思うけど、実家が酷かったんだから仕方ないよね、侯爵が警戒するのも無理はないわ」 という声が世間では大多数だ。
全然外に出ないコレットのことが美化された上に正当化されている。侯爵家は評判を落としたくないのなら、この嘘に乗るしかないのだ。
シリルは毎食コレットのぶんも作らせて侯爵家で待っていた。いつか戻ってくることを信じて。
しかしコレットは戻るつもりはない。何故なら今いる場所が楽しいから。イネスもいるし。
そもそも結婚自体に忌避感があるのだ。四歳の時、母親の臨終の際に傍にいた。母は苦しい息の下から「結婚なんかするんじゃなかった。あの男と結婚して得られたのは苦しみだけ。その娘のお前も、この先幸せがあると思わないことね。一人で生きていけるならそうしなさい。貴方の母は結婚によってこんな死に方をする羽目になったのだから」 と言って死んでいった。
あの時の衝撃を塗り替えるような男の人と出会えたのなら結婚もやぶさかではないのだが、生憎そんな人には会ったことがない。シリル? 正直エタンと区別がつかないからどうにも……。
そんな二人の運命が再び交わる時がくるのかは、神のみぞ知る。
そう激昂しながら言っているのは、昨年の戦でに二十代という若さながら多大な戦果をあげた金髪碧眼のシリル侯爵。
そしてそう言われているのは、一目見れば男遊びが激しいと言われても疑いが先に出そうなくらい地味な見た目をした茶髪茶目の公女、コレットだった。
そしてそのコレットの横では、彼女の侍女であるイネスが主人を侮辱された怒りのあまり震えていた。
◇
王国のとある公爵家には有名な少女が二人いた。一人は長女のコレット。もう一人は妹のフェリシー。そして有名と言っても、良い意味で有名なのはフェリシーだった。貴重な聖属性の魔力を持ち、治癒魔法を自在に操ることから定期的に重病人や重症患者が侯爵家を訪れて彼女の世話になった。聖属性を持つ女性であることからも、人々を救っているところからも、人呼んで聖女と呼ばれていた。
そして悪い意味で有名なのが長女のコレット。妹が出来が良すぎたために嫉妬して妹に当たり散らし、その影響でフェリシーはもっと患者を診たいのに診れないのだとか。妹をそんな扱いしておきながら、自分は男遊びでストレス解消するという淑女にあるまじき女性として社交界では誰もがコレットの名を聞くと眉をひそめた。
シリルはかつてフェリシーの治療に命を救われていた。治療をしてもらった際、何故かフェリシーの顔はベールで覆われており、その時は誰か分からなかったが、あとでフェリシーだと教えてもらった。なんでも自分の顔に自信がないからそうしているのだと。そんな風に卑下しなくても、骨まで達する傷を温かい光で満たし、治療が終わったあとも患部を優しくなでる仕草は美しいと感じたのに。その後、社交界で見た華やかな女性がフェリシーと分かったその時からフェリシーとの婚姻を夢見ていたのだが、公爵家に必死で頼みようやく公爵筋から「娘をやる」 と返答を貰ったかと思えば、やってきたのはフェリシーを苛めていると有名な姉のほう。騙されたと知ってシリルは激怒したが、もう遅かった。剣術ばかり磨いて社交を怠った弊害だろう、ろくに書類も確認せずサインし、そのうえで屋敷にまでやってきた娘を追い出すのはこちらに非があると言われても仕方ない。
シリルは家令の男に愚痴を漏らす。
「姉がいるなんてことも忘れていた。コレットだと分かっていたら絶対に婚姻などしなかった。私の初恋の女性を苛めた悪魔だあれは。こんな人間を妻として扱わねばならぬとは嘆かわしい……」
ひとしきり愚痴を言ったあと、シリルは家令に言った。
「まあ、こうなっては仕方あるまい。私はあの女と交流するつもりはないが、そちらで相応に対処してくれ」
シリルとしては「妻とは思ってないが、侯爵夫人として不足ないように扱ってくれ」 と言ったつもりだった。だが家令としては散々悪口を聞かされたあとである。
「こうまで言ってるんだから分かるよな? あの女をどう扱っていいかなんて。わざわざ交流するつもりはないとまで言ってるんだぞ? 察したよな?」
と言われたと解釈し、屋敷の使用人一同に「あの女をシリル様の妻として扱う必要はない。シリル様の初恋の女性を加害した悪魔だ。相応に扱え」 と言ってしまった。
その夜、侍女のイネスがコレットが夕飯に呼ばれないのを不審に思って厨房まで行った。
「どうなっているのですか? 我が主の夕食は?」
と訴えると、侯爵家の使用人一同はドッと笑った。アウェーから来たイネスへの洗礼である。
「主のぶん、ですって! ねえみんな聞いた?」
「あんなのを主と思ってる人がいるなんて、世の中って広いのねえ」
「夜遊びが激しいなら今からが主人の本番じゃない。外で食べてくればいいのに」
イネスはコレットを侮辱されたことに怒り、「侯爵家の使用人はずいぶんマナーのなってない失礼な方が多いのですね!」 と嫌味を言うが、使用人は一番のマナー知らずのコレットを主にしている侍女ごときに言われたくないと腹立ち紛れに嫌味を返す。
「あら、うちはとっても評判がいいのよ? 料理人は引き抜きの話が何度もあったけどここが良いって留まってくれたし」
「シリル様はどこぞの女みたいに夜遊びなどなさらないもの。一途よね、どこぞの女と違って」
「私達がマナーがないなんて、言うほうがおかしいってものよ。以前お客様に魚の小骨が入っていたと怒鳴られた時には使用人一同で土下座したんだから。私達一人一人が、侯爵家の使用人って自覚があるもの」
要するに、お前とお前の主にはその価値がないんだよという嫌味である。イネスは顔を真っ赤にしたあと「このお屋敷の方のお考えは分かりましたわ」 と言って去っていった。
イネスが去ると、厨房にいた全員が歓声をあげてハイタッチした。ゲームで強敵を倒したようなノリである。
「これで思い知ったでしょ! あんたの居場所はうちにはないんだって!」
「……でも、やりすぎじゃない?」
「何よ悪女の肩を持つの? ああいう思い上がった人間には最初にガツンとやらないと駄目なのよ」
「シリル様が嫌う人間の料理なんか作りたくねえしな!」
◇
盛り上がる厨房から離れた、掃除もまともにできてい無いような部屋――今はコレットの部屋である――に戻って来たイネスは言った。
「駄目でした……ここの使用人は終わっています」
「イネス……ごめんなさい」
「コレット様が謝ることではありません! それより、ここに居たら飢え死にしかねません、今すぐ脱出しますよ!」
イネスはそう言うとすぐさま鞄から庶民が着るような服を出し、コレットにそれを手早く着せた。その慌ただしさにコレットも思わずつぶやく。
「今すぐである必要があるの?」
「当然ありますよ! だって本物の聖女のコレット様がいなくなった公爵家が何もしないはずないでしょう? 今なら目撃者もいないでしょうから」
そう、巷では妹のフェリシーが治癒魔法を使う聖女だと言われているが、実際に治癒魔法を持っているのはコレットである。これには深い事情があった。
コレットの実父は由緒正しい公爵家の当主であるが、若い頃は派手な恋愛をしていたと聞く。コレットの実母とは完全な政略結婚で、そこに愛はなかった。愛があったのはフェリシーの実母とである。フェリシーの実母は派手な異性関係で有名だったにも関わらず公爵はぞっこんで、コレットの実母を不当に扱った。一人寂しくコレットを産んだ母は産後の体調不良が回復することなく数年後に亡くなり、父は待ってましたとばかりにフェリシーの実母を後妻として迎え入れる。父の娘を名乗るフェリシー付きで。
「私の娘はフェリシーだけだ。ああ、私の可愛いフェリシー」
そんな父の言葉をコレットは何回聞いただろう。
「お姉様は今までずっとお父様を独り占めしてたんでしょう? ずるいわ! 本当ならお姉様が得ていたものは全部私の物のはずよ! だってお父様が愛していたのは私のお母様だけだもの! でも何もないのは可哀想だから、私の悪評は貴方にあげるね! 姉なんだから可愛い妹のために泥くらいかぶれるでしょ?」
そう言ってコレットから何もかも奪っていくフェリシー。気が付けばコレットの部屋は必要最低限の物しかない、貴族令嬢どころか平民でさえもっとあるだろうと言いたくなるような、殺風景な部屋になってしまった。そしてフェリシーが茶色のかつらをかぶって夜な夜な遊びまわっている件は、全てコレットがやったことだとされた。家族の中でそれに異を唱える人間はいなかった。
「治癒魔法を持っているんですって? 後からやってきたフェリシーに譲りなさい! フェリシーが早く公爵家に馴染んで、良い縁談を得るためよ!」
お父様の真実の愛の相手こと継母はそう言って、患者に顔が分からないようにベールを被せて治療にあたらせ、フェリシーがしたのだと周りを騙していた。
コレットは正真正銘公爵家の令嬢であるのに、食べるものも着るものも平民の方がマシと言いたくなるような扱いをされている。更に一言も言葉を発するなと厳命でひたすら患者を診ることが週に二日。その日は一日働き通しで、魔力を消費するものだから次の日はベッドの住人と化していることが多い。
一度どうして私が、と父親に訴えたら、殴られた。
「妹が可愛くないのか! 母親と同じ、心無い女め!」
コレットは諦めた。きっとこれは、前世で何かとんでもない重い罪を犯したのだろう。だから今世はそれをひたすら償い続けなければいけないのだ。
そう思って、廊下で高価な壺を割ったと叱られている使用人を「私がやりました」 と庇ったら、その使用人に懐かれてしまった。それが今のイネスである。
イネスには妹につくほうがいいと何度も言ったのだ。だがその度にこう言われる。
「あり得ません。だってあの時、あの壺を割ったのは廊下で走り回っていたフェリシー嬢なんですよ? 侍女頭が音を聞いて駆けつけて来たら、たまたま近くにいた私を指さして「あいつがやった!」 なんて。平然と嘘をつく人間なんて信用なりません。あんな女につくくらいなら死んだほうがマシです」
そう言ってコレットの世話を焼くイネスには何度助けられたか分からない。気が付けばイネスはコレットにとってなくてはならぬ人物になっていた。
だからイネスが「逃げましょう」 と言うのなら、コレットはイネスの判断に従うまでだ。
逃げるには好機ともいえる、月のない夜だった。ランタンの灯りで道を歩き、あらかじめ目星をつけていた空き家で一晩過ごす。不謹慎かもしれないが、外出自体が稀なコレットはわくわくしていた。
「こんな日が来るなんて思ってなかったわ。一生あの公爵家で誰かの治療をして過ごすんだとばかり……」
コレットの言葉にイネスは反論した。
「いいえ、それは無理ですよ。どうあがいてもコレット様があの家の長女なのですから、年頃になったら片付けないといけません。病気で療養してるというには、フェリシー嬢の男遊びをそのまんまコレット嬢がしてることにしてるんだから無理があるし、当主にするにも公爵はフェリシー嬢可愛さで次期当主をフェリシー嬢ということにしてるし、大体なんです、あのフェリシー嬢の夫とかいう人。初対面から無礼な!」
コレットが侯爵家に嫁ぐひと月ほど前、公爵家に婿入りしてきたエタンという男がコレットに話しかけてきた。
『君がフェリシーの姉だね? ふん、フェリシーとは似ても似つかない容姿だ! 不細工はやはり性格も悪いんだな。妹の方が美人だからってフェリシーを苛めるなんて最低だよ。この家の癌め。僕が来たからには君にはこの家から出て行ってもらうからな!』
エタンは隣国の王家の第三子という恵まれた出生に、恵まれた容姿の男だった。そして話したこともないのにコレットを毛嫌いしてた。だが彼には感謝するべきだろう。あれよあれよと公爵家に嫁入りとなって家から出ることになったのだから。どうも実家の権力をフルに使ってコレットを追い出しにかかったらしい。
『あんな姉、この家にいてはいけない!』
と強行されれば、エタンの身分の高さと今まで悪評をコレットに押し付けていたことが災いして誰もまともに反論できなかったのだ。そして最大のライバルだった侯爵のシリルに公爵の名前を借りて『娘(姉のほう)をやる』 と押し付けたと。
普通なら自分の扱われ方に腹の立つところだろうが、家族のほうがよほど酷かったのでもはや何も感じない。むしろ家を出られたのだから感謝すらしている。それを言うとイネスは「麻痺していらっしゃる……お労しい」 と嘆くので、コレットはエタンの話はしないことにした。家族のことも、もしかしたら本当は自分と結婚するかもしれなかったエタンのことも、もうどうでもいい。
コレットは、イネスさえいればいいのだ。初めて、コレットの人生に光を与えてくれた人。
◇
コレットとイネスは下町の酒場で住み込みで働くことにした。治安が治安なので従業員は随時募集している。おまけにここはまかないつき。多少の不自由は目をつぶるしかない。今はただ、生活を安定させることに集中だ。
意外にもコレットはこの仕事に馴染んだ。イネスからは客のセクハラに気をつけろと言われていたが、公爵家で治療中にも年配の患者からされることは少なくなかったし、あしらいかたも堂に入ったものだ。フェリシーでないと疑われるようなことをすると継母に殴られていたから、仕事中は全神経を集中させて少しのミスもないようにしていた。同じノリで働いていたら、「あの女、可愛いけど何か常にピリピリしてて怖い」 と言われてしまった。難しいものである。
なので、どちらかというとイネスのほうがよくセクハラ客につかまった。
「きゃっ!?」
「へっへっへ。いいじゃねえか減るもんじゃねえし」
尻を撫でられたイネスが悲鳴を上げたのを聞いて、コレットはすぐさまイネスの元へ向かう。
「イネスに何するんですか! 嫌がってるでしょう!」
咎められた男は良い気分になってたのに水を差されたと思ってコレットに当たり散らす。
「何だよおめーに何の権利があって文句言うんだよ。お前が代わりに相手してくれんのか? あ?」
「……そうすれば、イネスには手を出さないんですね?」
「ああ、まあな。お前さんは何だか品もあるし……ぐぇ!?」
コレットが多少のセクハラは仕方ないかと思っていると、急に相手の男が他の冒険者達によって店の外に連れ出された。
「コレット! 言っているでしょう、私を庇うことはないって!」
「イネス……だって、貴方に万が一のことがあったら、私……貴方無しでは生きていけない……」
「もう……バカなんだから」
この酒場の名物はお嬢様っぽい子×従者っぽい子の百合が生で見られることである。本人達にそのつもりはないが、見た目が可愛い子が百合百合しい雰囲気を絶えず出しているので、それを見に来る客も多い。客の間ではどっちが左でどっちが右か絶えず論争がおこっているとか。そしてそういう客にとっては、百合の間に挟まろうとする男は絶対に許せない存在である。
酒場の主人と女将は、この事態をどうしたものだろうと静観していたが、結果的に酒場の治安は良くなるし、売り上げにも貢献しているしで見て見ぬふりを決め込んだ。女将はそのお礼によく二人にまかないも出している。
「女将さん、いつもありがとうございます」
そうコレットが言うと女将は笑って言うのだ。
「なあに、コレットちゃん達が来てくれてから儲かってるんだよ。それにコレットちゃんも、この前は財布を置き忘れた人を追いかけて返してあげたりさ、今時珍しく真面目で優しいって結構評判良いんだよ? 他にあてがないって言うなら、このままずっとここで働いとくれよ」
コレットは頬が熱くなるのを感じた。イネス以外に他人から褒められたのは、初めて……。
私はここで必要とされてるんだと思うと、毎日の生活にも張りが出てくるというものだ。
イネスはコレットの身分を思えば正直泣けてくる生活だと思ったが、コレットは殴られることも無く、あの疲れる治療魔法を使うこともなく、大好きなイネスがずっと傍にいてくれる日々。なんて充実しているんだろうと楽しんでいた。そしてそんなニコニコ顔のコレットを見て、これで良かったんだと思い直すイネス。
そんな日々を一年も過ごした。
◇
シリルの屋敷に、エタンが来た。憔悴しきった表情で。
シリルは知らないが、エタンの策略でコレットが嫁入りしたので、ある意味仇の人間ではあったのだが、ともかく愛しのフェリシーの伴侶ということで丁重にもてなしはした。
高級茶を飲んで喉を潤し、それでもまだしばらく言いにくそうにしていたが、エタンは意を決して言った。
「妻が……フェリシーが肌の黒い子を産んだ」
「は?」
「私の子ではあり得ない。誰の子かと問いただしたら……前に屋敷に来た大道芸人に似てると使用人が……」
フェリシーを神聖視していたシリルには理解が追いつかない。だが相手が嘘を言っているとも思えず、ゆっくりゆっくり噛むように話す言葉には徐々に実感がわいてしまう。
「おかしいとは思っていたんだ……。妊娠したら急に治癒能力が使えなくなったのだと言い張り、患者を診なくなった。女性の身体ならそういうこともあるだろうと思っていたのだが、不貞を働いたことが明確になった今ではそんな悠長なことは言ってられない。公爵家の評判を落とさない為にも勘を取り戻して前以上に働いてくれと頼んだら、そもそも自分がやっていたのではないと怒りだして……」
「そ、それは……」
「コレット嬢だったんだ。コレット嬢こそが聖女だったんだよ! 思い返せばそうだ、あのベールもより神聖さを演出するためとか、性別を隠すためとか色々言い訳していたけれど、コレット嬢だと分からないようにつけさせていただけだったんだ! 僕の初恋はコレットだったんだ! 既にフェリシーは軟禁して、コレットの名誉は回復されている。頼む、コレットを返してくれ!」
エタンは悲壮な顔をしていたが、シリルも青ざめた顔をしていた。聖女がコレットだったのなら、自分の初恋もコレットじゃないか、と。そんなコレットに自分は何を言った?
ともかく相手の目的が分かったシリルだが、だからといって相手の要求を呑むわけにはいかない。
「……今更でしょう。貴方が望んで妻にした相手はフェリシー嬢ではないですか」
「違う! 僕は騙されていたんだ! 大体君だってコレットとの結婚は不本意だったのだろう? 仲良くやっていれば社交界の一つにくらい出ているはずだからな! そんな話は聞いた事がない!」
「そ、それは妻を守るためです。治癒能力の本当の持ち主が妻だったと分かれば、何をされるか分かったものじゃない。なにせ身内が虐げていたんですからね。ええ。私は分かっていましたとも」
初手で聖女相手に愛することはないなんて言ったと知られたら、この侯爵家は地に落ちる。侯爵家も自身も身の破滅だ。だから事実を認める訳にはいかなかった。だからシリルは嘘をつき続ける。
「コレットは君のところで幸せにやっているというのか……?」
「もちろんですよ。ええ。フェリシー嬢の嘘を見抜けなかった貴方とは違うんです」
「頼む、謝らせてくれ! それができないならコレットを遠くから一目見るだけでも……」
「今のコレットは私の妻です。人の妻を軽々しく呼ばないでいただけますか。それに……謝りたいという割には手ぶらなんですね。素晴らしい誠意をお持ちのようだ」
痛いところをつかれたエタンはすごすごと帰って行った。馬車が遠くに去るのを見届けてから、シリルは慌ててコレットを探した。本当の初恋の相手であったコレットを。
取る物を取らずにコレットの部屋に行くと、埃がたまっていて何年も誰も住んでいないかのよう。使用人にコレットはどうしたと聞くと「部屋にいないんですか? じゃあ私は知らないです」 と呑気すぎる返事。
待て、侯爵夫人を一体今までどうしていたんだと使用人一同に問いただすと、とんでもないことが分かった。
「初日に……彼女の侍女をちょっとからかって……それ以来二人とも見てません」
「家令が少し懲らしめてやれっていうから家事はしませんでした。それでどこからも文句なかったから今日までそのまま……」
「侍女長が、あんな遊び人はどうせ外で食べるって言うから、何も作らなくていいだろうと思って……」
初日で妻は消えていた。シリルは感情のまま使用人を怒鳴り散らし、相応に対処しろと言ったのはそういう意味ではない! コレットを見つけるまで給料は払わないからなと宣言した。
使用人は慌ててコレット達の足取りを追うが、何せ一年前である。それとなく外の人間に聞こうにも「昨日や一週間前とかならまだしも、一年も前のことなんて思い出せって言われても……」 と歯切れが悪い。
探している間にも、コレットの実家の公爵家の事態は悪くなっていった。何せフェリシーは治癒魔法があるから称えられていたのであって、それが他人のものだったとなれば、普段から性格が悪く空気の読めないフェリシーの評判は庇う人間もなくあっという間に地に落ちた。ついでにその実母も。そして彼女達を大切にしていた公爵家当主も。
公爵はそれでも治癒魔法は公爵家の血に連なる者に発現しやすい魔法だから、フェリシーがこの先発現する可能性だってあるはずだと豪語してたが、不貞をしたフェリシーと離婚したいエタンが詳しく調べたところ、フェリシーの父親は昔の継母の取り巻きの一人だったということが発覚。鑑定魔法でクロとはっきり出た。更により詳しく調べたら、実はコレットの妹ではなく数か月とはいえ姉であるということも。これには使用人すら呆れてしまっていた。結局、身分を詐称したとして親子は牢獄へ。牢獄の中では母親は「私はヒロインなのよ!」 と意味の分からないことを叫び、フェリシーは「姉なら妹を助けに来てよ!」 と喚いたのを聞いた看守が「お前本当は姉らしいぞ」 と見かねてツッコむと「妹なら姉を助けなさいよ!」 とどっちにしろ高圧的に言うだけだったので、どの立場になろうがも近くにいる人間を苦しめるタイプの人間なんだろうなと誰もが思い、わざわざ近づこうとする人間もいなくなった。父親である公爵は突然「やっぱり親子はともにあるべきだと思う」 と言い出しシリルをチラチラ見てくる。そしてエタンは晴れてフェリシーと離婚できたはいいものの、母国に戻った途端に下の病気が発覚し、フェリシーから移されたのだと察した。シリルのところには「コレットに会わせてくれ。もう恋愛関係になりたいとか言わないから」 「最初に容姿を貶したのは、思いのほか清純で可愛い女性だったのを見て気恥ずかしくなっただけなんだ。これを最初に謝るべきだったと思ってる」 「多くは願わない。健康な身体に戻りたいよ」 と慟哭のような手紙が何通も届くが、無理な話である。
これでコレットが行方不明と知られたら多くの人間を謀った罪で最悪侯爵家の関係者全員が処刑になるかもしれない。
せめて女二人で領地外に行くとは考えられなかったのが救いだろう。関所や国境を抜けるには通行証がいるのだから。使用人の一人が下町を探し回ったすえに疲れ切って一軒の酒場で飲んでいると、コレットと呼ばれる女性を見かけて歓喜の悲鳴をあげた。
そんな経緯で、コレットは侯爵家に戻ることになったのである。
◇
コレットとイネスは揃って馬車に乗り、侯爵家に戻るなり磨き上げられた。実家でも着たことないような豪華な服を着て、イネスも高級そうな侍女服を着せられている。そしてやけにニコニコ顔のシリルが豪華な夕食に誘ってくるのだから嬉しいよりも不信感が勝る。
「これはほんのお詫びだよ。うちの料理人達が腕によりをかけて作ったんだ」
とシリルは言うが、元より食が細く、胃腸があまり丈夫でないコレットには重すぎるディナーだった。この家の趣味なのかあらゆる肉料理が並んでいた。牛、馬、羊、豚、鳥……。これなら酒場の女将が作ってくれるあまりもので作ったスープやパンのほうが食べられる。また、それ以外にもコレットは一人で食べるのに慣れ過ぎていてた。なんなら大勢で食べる時は公爵家で父や継母や妹などから「そのマナーおかしくない?」 「食べるのに時間がかかりすぎ」 「妹より食べ方が汚い」 といつもからかわれていた思い出があり、コレットにとっては大勢で食べること自体が食欲を失せさせる行為だった。どれほど美味しそうな見た目や香りを漂わせていても、コレットの胃はキリキリするばかりで一口も食べる気にはなれない。
「ど、どうしたんだいコレット。せっかくうちの料理人達が君のために作ったのに……」
「はあ……突然どうしてですか?」
「どうしても何も、君が聖女だったんだろう? エタンが屋敷に来たんだ。全部教えてくれた。つまり私の初恋も君だったんだよ。これからやり直そうじゃないか。君は君の権利を取り戻したんだよ」
ああ、そういうことかとコレットは思った。命の危機に優しくされて愛を囁く人は多かった。最近では吊り橋効果とかいうらしいけど。でも目の前の男はフェリシーが聖女だと思っていた。それを間違っていたと言われたからといって……。
冷めた反応のコレットと違い、イネスは主人の傍に仕えながらも内心怒り狂っていた。
「コレット様はこのようなものは召し上がりません。身体が丈夫ではないのです。消化しやすいものはないのですか?」
イネスの言葉に使用人達はぽかーんとした。喜んでもらえるとばかり思っていたのに、思った反応と違くて理解が追いつかないといった顔。なおのこと腹が立つ。
「この家は食べられないものでも無理して食べろと仰るのですか? 奥様が食べたくなくても? まあ、そもそも今まで一度も食事なんて出されたことありませんけどね。とすると、これもコレット様に出されたものではないのかしらね」
そうまでイネスに言われてやっと何人かが慌てて厨房に向かった。慌てて作ったであろうスープを用意されたが、イネスはそれでも前に言われたことを思い出したら嫌味を言わずにいられない。
「そういえば侯爵家の使用人は、お客様の不興を買った際には使用人一同で土下座するらしいですね? 貴方達一人一人が、侯爵家の使用人って自覚があると言っていましたもの。で、コレット様の体質に合わないものを出して、何かすることがあるんじゃありません?」
使用人達は青ざめた。あの時は傲慢なコレットとその侍女だと信じ切ってたから適当なことを言っただけなのに。助けを求めて何人かはシリルを見たが、そもそもシリルは使用人達の勝手な行動で迷惑を被った側だ。しかしイネスの言ったことが事実ならば、自分の言ったことくらい自分で責任を取れとしか言いようがない。シリルはぷいと目線を逸らした。
梯子を外された使用人達が屈辱に耐えながら土下座をしようと床に膝をつけた時、コレットが溜息をつく。
「やめなさい、イネス。貴方の品位まで堕ちるわ」
「コレット様……申し訳ありません」
「貴方達も、そういう真似はしなくてよろしい。そもそもここは食事の場ですもの」
使用人達は思った。イネスとかいう侍女は昔のことをいつまでも掘り返す嫌味ったらしい人だけど、止めて下さるコレット様は優しいのだ、と。シリルも思った。やはり自分が好きになった人だ。聖女と呼ばれる人はどこまでも高潔なのだと。
しかしコレットはシリルに目を向けると、失望を隠しきれない顔で言った。
「シリル様。私、使用人を悪く思えません。私もイネスに害を与えるかもしれない人が近くにいたら、警戒せずにいられないでしょうし。それほど彼らはシリル様を大事に思っているのでしょう。その気持ちはよく理解できます。……でも、貴方はそうではないのですね。使用人を庇おうともなさらないなんて。大事な方は一人もいないんですか? 世話になったと感じる方も全く? 私には理解できない……」
シリルとコレット。元からあった二人の心の距離が更に開いた瞬間だった。
その後、シリルは事の経緯を詳しく説明した。エタンがコレットを狙っていること、実家の公爵家もコレットを取り戻そうとしていること、表向きは自分がコレットを大事にしているからこそコレットがこの屋敷から出てこないこと。
一連の話を聞いたコレットは「そうですか。でもそれって貴方が勝手になさったことですよね?」 と興味がなさそうに言うだけ。家族のことはどうでもいいし、エタンにいたっては……思い込みが激しそうだから下手に会ったら何かされそうと思うと助ける気が失せた。何しろ悪い意味で実績がある男なので。
「シリル様は私にどうしてほしいんです?」
と聞かれたシリルは「正式な夫婦になりたい!」 と言って「うわっ気持ち悪い……」 と酒場で働いて口調が荒っぽくなったコレットに引かれていた。
シリルの希望がゴリゴリ削られて、絶望だけが積み重ねられていく。
「私に申し訳ないとお思いなら、今まで通りの生活をさせてもらえませんか?」
「今まで通りって……」
「酒場で働きます。ここに居る時より充実してるんですよ? まあここには数時間しかいませんでしたけど」
「そんなの誰かにバレてしまったら」
「バレるはずがないでしょう。誰も私のことなど知りませんもの。実家では一度も家を出ませんでしたし、ここでも一応夫婦だったというのに、式の一つもなかったですからね」
「そもそも侯爵夫人がそんな」
「私が一度でも侯爵夫人であったことがありましたか? 使用人からの冷遇もエタンがくるまで一つも気づかなかったくせに」
「外で働くなんて許さないと言ったら……」
「私は治癒能力でいつでも本人証明が出来ますの。面倒な能力だと思ったけど、今は感謝しかないですね。外でこの屋敷での経験を話したら、皆さんどう思ってくださるかしら? そうならないようにいっそ私を監禁します? そうなったら潔く死んだほうがマシですけど」
ぐうの音も出ないシリルは、翌朝スープだけ飲んで下町の酒場に戻るコレットとイネスを窓辺から見送った。馬車に乗り込む時に「急に侯爵家の家紋入りの馬車で出て行ったんだもの。女将さんに何て言い訳しようかしら」 「侯爵家の勘違いだったって言えばいいんですよ。無能が多いのは事実でしょう」 「不敬だって女将さんに叱られるわよ。内情なんて知らないんだから」 と無邪気に笑い合っている姿を見て、一度も笑顔を見たことが無かったことを思い出し、少し泣いた。
その日の昼食時、シリルのぶんだけ用意された食事を見たシリルは頭に血が上るのを感じた。
「おい、どういうことだこの食事は」
「どういうこととは? いつも通りの……」
「何故妻のぶんが用意されていない?」
「コレット様は……屋敷を出て行かれましたし……」
「ふざけるな! 以前は悪女だから出さなくていい、冤罪だったと分かっても自分から出て行ったなら出さなくていい、お前達は自分が楽したいだけじゃないか! 急に気が変わってコレットが帰ってきた時、何も用意しない、するつもりもなかったお前達は何て言い訳する気だ? そういう考えがコレットを傷つけたんだ! 反省しろ!」
実際のところ、これは使用人がちゃんとしていればコレットは出て行かなかったかもしれないと思ったシリルの八つ当たりだった。だが負い目があった使用人達は慌ててコレットの分も作り、誰もいない席に皿を並べた。
東洋の陰膳という風習のようで縁起が悪い、と零す使用人もいた。だが当主が強硬に主張するならどうにもならない。結局、毎食コレットのぶんが用意された。
こんな職場辞めたいと思う使用人もいた。だが辞められない。シリルがエタン相手に嘘をついた瞬間から、使用人も共犯なのだ。新しく就職したところで、前職のことを聞かれたら絶対聖女について根掘り葉掘り聞かれる。自分達はボロが出た終わりなのだ。聖女に一食だって出さなかったなんて知られたら、その辺の通行人に殺されたって文句は言えない。
世間ではコレットとシリルのことが演劇の題材になるくらいもてはやされている。冷遇されていた公女を真実を見抜いた侯爵が引き取って外に出さないくらい溺愛するという話。
「今が幸せなら治療の一つくらいしてくれてもって思うけど、実家が酷かったんだから仕方ないよね、侯爵が警戒するのも無理はないわ」 という声が世間では大多数だ。
全然外に出ないコレットのことが美化された上に正当化されている。侯爵家は評判を落としたくないのなら、この嘘に乗るしかないのだ。
シリルは毎食コレットのぶんも作らせて侯爵家で待っていた。いつか戻ってくることを信じて。
しかしコレットは戻るつもりはない。何故なら今いる場所が楽しいから。イネスもいるし。
そもそも結婚自体に忌避感があるのだ。四歳の時、母親の臨終の際に傍にいた。母は苦しい息の下から「結婚なんかするんじゃなかった。あの男と結婚して得られたのは苦しみだけ。その娘のお前も、この先幸せがあると思わないことね。一人で生きていけるならそうしなさい。貴方の母は結婚によってこんな死に方をする羽目になったのだから」 と言って死んでいった。
あの時の衝撃を塗り替えるような男の人と出会えたのなら結婚もやぶさかではないのだが、生憎そんな人には会ったことがない。シリル? 正直エタンと区別がつかないからどうにも……。
そんな二人の運命が再び交わる時がくるのかは、神のみぞ知る。
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世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。
ざまぁ必須、微ファンタジーです。
婚約破棄のたった一つの条件は
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カルロスは、婚約者のローゼリアの妹マリナに惹かれて、婚約破棄とマリナの婚約をローゼリアに申し出た。あっさりと受け入れるローゼリアに、カルロスは「何かお詫びの品を渡したい」と希望を訊くのだが、ローゼリアが望んだ物は……。
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
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「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
「お前を愛する事はない」を信じたので
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「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
感想ありがとうございます!やっぱりそう思っちゃいますよね。
ヒロインが自分一人で生きられる思考でも境遇でもないので、生存のためにもハイスぺ侍女をつけたらもう侍女がいればいいよ状態に……。
ヒロインに恋する男達はまず侍女を越えなければいけませんが、まあ無理ですね。
わあ恥かしい……。気が付いたら直しておきますね。ご指摘ありがとうございます。