女の首を所望いたす

陸 理明

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 大阪城の羽柴秀吉の出陣をまつ犬山城では、徳川方の意表を突く計画が立てられていた。

「中入りをする」

 この計画を提言したのは森長可であった。
 足助某という三河の住人の提案を検討し、池田恒興と池田之助がこれを支持したことにより、秀吉に進言することができた。
 中入りとは、両軍が四つに組んでいる状況において、その一方の一部隊が敵の背後または側面に回り込み、急襲攪乱するというものである。
 織田信長が考えたとされる奇抜な作戦で、信長以外の武将はすべて失敗に終わっているといわれるほど難易度が高い。
 戦術の天才と呼ばれた秀吉でさえ、危険な策であるとして即座に許可しなかったが、もともと尾張出身であり、犬山城主であった恒興が先鋒になるということを条件に四月六日になってようやく認められることになる。
 この少し前、羽黒八幡林の戦いにおいて屈辱的な敗戦を経験した鬼武蔵の異名を持つ森長可による、完全なる汚名返上のためのものというのは明らかであった。
 だが、作戦の成功による戦略的効果は絶大なため、秀吉ですら認めざるを得なかったともいえよう。
 なぜなら、この作戦の目的は、兵が出払っていてわずかな留守部隊しかいないはずの家康の本拠地岡崎城を落とすというものであり、硬直状態に陥った戦況を良くも悪くも変化させられるものと考えられたからである。

「さすがは鬼の武蔵どのだ。先だっての敗戦の無念、存分に晴らしてくるがよかろう」
「任せてくだされ」

 秀吉の許可を得ると、長可はすぐに犬山城から岡崎へと抜ける道を調べ始めた。
 家康が陣を張った小牧山を避けるとなると、春日井から長久手、岩崎、東郷を進んでいくのが良さそうだった。
 ほとんどが雑木の低い丘陵地帯であり、原野や田畑が岡崎へと続いているため、順調に兵を進められれば一日足らずで辿り着く。
 しかも池田恒興らには土地勘があり、案内役を用意する必要がない。
 成功の確率はかなり高いものといえた。
 ただし、秀吉から軍目付として堀秀政がつけられ、援軍として秀吉の甥である三好秀次が派遣されたため、当初の予定である少人数での迅速な行軍ができなくなってしまう。
 諸説あるが、およそ二万五千の大兵力の編成になってしまったのである。
 これが森長可にとっての致命傷になるとは誰も予想すらしていなかった……

     ◇◆◇

「岡崎までは婿殿と我ら池田一族のみでいきたいところであったが、さすがは猿よ、万事抜け目のないずる賢い男だ」
「そうだな、舅殿。池田の身内ばかりでは味方から反感を買うと言われては、総大将にあの餓鬼を置かざるを得ん。しかも、堀を軍目付につけるというのは見張り役としては妥当なところだ。無碍にはできんからな」

 犬山城で細かい点の打ち合わせという軍議をしつつ、長可と恒興は苦々しく感想を述べた。
 堀秀政はともかく、まだ二十六歳の長可からしても、十七歳の秀次は餓鬼といわれても仕方のない年齢であった。経験の面で信用ができない。
「甫本本太閤記」によると「いざ此すき間を幸に三州に至て中入し、国中所々放火せん」と機動力を活かして岡崎城下を放火して回るのが長可の作戦であった。
 もともと、彼が鬼武蔵という異名を信長より授かったのは、関所において放火までした大暴れが原因だったこともある。
 長可はかつてのことを思い出していた。
信長が京都の内裏の修理をした際に、近江の瀬田橋に通過する大名を記憶するために番所をもうけたことがあった。
 瀬田橋といえば平安の世に俵藤太の大ムカデ退治でも有名な日本の三古橋の一つである。
 京都という地を守るためには是非とも押さえておきたい場所でもあった。
 そこに長可が家中のものたちを連れて通りかかった。
 番所につめていた役人たちは当然のこととして、

「下馬して名乗られたい」

 と、居丈高に命じてきた。
 番所を通るものに対しては例外なく吟味せよという主君からの命令があったからだ。
 だが、信長は大名たちの家名・実名は記録するように命じていたが、下馬させることまでは要求していなかった。
 馬を下りるという行為は貴人に対する礼のためのものであり、大名・武将たちに強制することではなかったからである。
 つまり、下馬については単に役人たちが無断で行っていたことであり、信長という虎を背景にしたことで狐の如く驕っていたのである。
 命じられた長可は、

「おれは森勝蔵、濃州の住人である」

 と、ぶっきらぼうに言い捨てるとその場を立ち去ろうとした。
長可にとって、たかだか通行の際に名前を控えておけば足りることであり、わざわざ下馬をする必要など微塵も感じなかったからだった。
 だから、それでいいと思っていた。
 だいたい馬から下りるということは、いざという時に騎乗で戦うことができるという利を失うことである。合理的に考えれば無意味であり、害しかなさない。長可にとっては当然の思考の結果であり、疑問に思う余地さえもない話であった。
 そんな彼の前を役人たちが遮った。
 彼のことを、言うことを聞かぬ狼藉ものとみて、鋭い槍を突き付けてきたのである。

「……なんのつもりだ」
「馬に乗ったままでこの先に行かせるわけにはいかぬ。下馬せい」
「おまえたちのような木っ端が、おれにむかって下馬せよだと? 殿ご自身のお言葉ならばともかく、この勝蔵がおまえたちの指図を受けるゆえんはない!」

 長可は腰に佩いた刀でもって抜き打ちで、またたくまに番所の役人を切り伏せた。
 返す刀で槍の穂先を叩き切り、それだけでなく持ち主までも突き殺す。
 槍持にもたせていた愛槍人間無骨を使うまでもない。

「ゆくぞ、おまえら」

 主人のいつもの乱暴者ぶりに対して黙ったままの家臣たちに告げて、そのまま橋を突き進んだ。
 すわ番所破りであると、役人たちは武器を手にしてわらわらと集まってくる。
 長可たちが馬に騎乗したまま、強引に橋を通り抜けようとしていると悟ると、大津・膳所ぜぜの木戸をぴたりと閉じた。
 狼藉ものを通すまいということと、閉じ込めてしまおうしたのだ。
 その動きを察知すると、長可は家臣たちに怒鳴り散らした。

「血迷いおって。ええい、もうどうでもいいわ。町に火をかけよ! ことごとく焼いてしまえば木戸を閉められようがどうにでもなる!」

 主人の命を聞いて、家臣たちはそれぞれ松明に火をつけた。
 おそろしいほどに手際がいい。
 火付の類に慣れているとしか思えない手際のよさであった。
 血迷っているのはどちらであろうかという無法ぶりである。
 それを見ていた役人たちはさすがに仰天した。
 まさか、下馬を命じただけで役人を切り捨て、町を焼き払おうとする乱暴者が存在するなど考えもしなかったからだ。
 たちまち役人たちは日和り、木戸をもう一度開けて、長可たちの一行を通してしまうことにしたのである。
 一行は休むことなく駆け抜け、そのまま信長のところまで行って仔細を説明した。
 京都を防衛するための瀬田橋を無理やりに突破したのである。
 居合わせた重臣や大名たちは、長可が切腹を命じられるだろうものと予想していた。織田信長という人物の癇癪の強さを十分に理解していたからだ。こんな勝手気ままにことをやる家臣など、そのまま首をはねられても当然と誰しもが思っていた。
 しかし、信長はにやりと笑い、

「さすがは勝蔵よ。わしの威を借りて偉そうに振舞う世迷どもを成敗してみせよったか。ようやったぞ」

 と、称賛の言葉を与えたのである。
 主の手放しの称賛を受けた側の長可はそれを当然のことのように受け取った。

「ははあ」

 平伏するだけで、特に命を拾ったという風にも見えない落ち着きようであった。
 あまりの抜け抜けとした態度に思わず重臣たちが腰を抜かしそうになるほどに。
 まるで許してもらえるのが当たり前とでも思っていなければ、こんな態度を信長の前ではとれるはずはないからだ。

「勝蔵よ。かつて瀬田の大橋で大ムカデを退治したという藤原秀郷は弓を使ったそうだが、おまえは刀で武蔵坊弁慶のように人を切ったようだな」
「さようで」
「では、わしもおまえのことを武蔵と呼ぶことにしよう。今日からおまえは鬼武蔵だ」
「ありがたきしあわせでござる」

 終始ご機嫌のまま、信長による長可への裁定は終わった。
 咎めだてどころか、お褒めの言葉を賜ったうえで、主から名まで頂戴したのである。
 この席に居合わせたものは、長可のことを、

「実に忠のある武士である」

 と、羨んだという。
 これが、森勝蔵長可が織田信長より直々に鬼武蔵の異名をもつことになった経緯である。
 疾風怒濤の特攻と火付けは彼の得意技といっていいのである。
 つまり、二万もの大軍との相性は当然悪い。
 そのため、二万の軍勢は二段構えの作戦となり、先手の戦力が岡崎城下を放火し、後手が三河への途中にある裕福字山に秀吉方の全線砦を築くということになった。
 先手はもちろん森長可と池田一族、後手が堀秀政と三好秀次の編成となったのである。

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