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第二話 「くじら侍と河童騒動」
お堀
しおりを挟むあっ……!!
達したせつない声を発した余韻を残して、夜鷹の女は崩れ落ちた。
さっきまで男にしがみついていた指の爪は、伊佐馬の赤銅色の分厚い皮膚に遮られて傷一つつけられなかった。
腰に絡みついていた長い足もついには力尽き、女はぐったりと河原に敷いた着物のうえにうつぶせになった。
陸に上がった蛙のようでさえあった。
長い間、伊佐馬に抱え上げられたまま貫かれた余波で、ほとんど息も絶え絶えになっている。
はしたない格好を晒している女の態勢を整える気の遣いようは余裕のあらわれであろう。
身軽とはいえ、一人の女を延々と抱え上げたまま責めたてるという化け物じみた体力を見せつけておいて、それでもなおまだ伊佐馬はけろりとしていた。
上腕部がやや震えていたが、これは仕方のないことだった。
その程度において伊佐馬も人間の範疇に含まれるということだ。
「―――やりすぎたかのお」
女にとってはそれどころの騒ぎではないのだが、彼にとってはごく通常の男女の営みにすぎない。
堅くて尖った石のゴロゴロしている河原で着物を敷いただけで女を組み敷くよりは、ずっと持ち上げていた方が楽だというだけのことだ。
した方はともかく、単語された方は堪らないとばかりに荒い息を吐いている。
股間は太ももに至るまで出された体液でひどく濡れていた。
「……旦那、あんた、本当に人なの? 鬼とか天狗の類いじゃないのかい?」
「武士に向かってなんだ、それは。わしは、まあ、面には自信がないが人並み外れて体力は優しいのだぞ」
「わたしも色々相手にしてきたけど、あんたほどの化け物にお目にかかったことはないよ……うっ」
足が地面につかない状態を長い間強いられていたせいで、眩暈さえ起こしそうだった。
腰もほとんど抜けていた。
なのに、元凶はぴんぴんしている。
だんだん女も癪にさわってくる。
抱かれている間はまるで桃源郷にいるようだったが、よく考えると足から首までずっぽりと地獄の壺に叩き込まれていて、頭の一部だけが天を舞っていただけかもしれない。
それぐらい尋常ではない営みであったのだ。
「それで、本当にただでいいのか。わしは天に誓って一銭もないぞ」
女は恨めしそうに、
「しくじったと思っておりますよ。まさか、こんな目にあわされてお代をとらないというのは、商売女としてはしくじり以外のなんなのという有様ですから」
ただし、と続けて、
「わたしの場合は金というよりも気に入った殿方と交わりたいという遊び心の方が多いのでして、勘弁して差し上げます。―――ごほっ」
と、伊佐馬も首をかしげることを言う。
「わいつ、もしかしてそもそも淫蕩な女子なのか」
「たった今、抱いたばかりの女にいうことじゃあありませんね。恥を承知で喋りますと、わたしは、たまに狂わんばかりに男に抱かれたい、犯されたいと思うことがありまして。……そんときばかりは銭もなにもかかわりなく、どうしようもなく嬲られてみたくなるんでさあ。それがたまたま今日だったという訳ですよ」
この時代の女という性には、自分の性欲を表に出して認めるという振る舞いは許されていない。
最底辺の夜鷹でさえ、女には慎みと献身が求められるのであって、自ら男を招き入れるというのはまずありえないことであった。
結婚している女はラブレターのやりとりをするだけで追放される。
西鶴の「好色五人女」「西鶴諸国咄」などには身分や性差によってがんじがらめにされている自分を解き放ち、自分の意思で好きな男を獲得する女が登場するが、これは死刑を覚悟して初めてできる行為だった。
一人の女として生きるというのはそれだけ困難極まることなのである。
「変わった夜鷹だな、わいつ」
「で、ござりましょう」
しどけなく横たわっていた女が伊佐馬の足に触れる。
ちょいちょいと引っ張る。
「なんだ」
「わたしが立てるようになるまで、ちょいと抱いていておくんなまし」
「さすがにもう出せんぞ」
「……もうおしげりは十分ですよ。火照りが冷めるまで一緒にいて欲しいというだけのことです」
要するに、事後のひとときを過ごしてほしいということだ。
野暮天の伊佐馬でも気持ちは理解できた。
「わかった」
どかっと座り込むと、まるで幼子でもあやすように女を膝に乗せた。
不器用ものなりにできるかぎり優しく横抱きにする。
「こうだな」
「……悪くはありませんさね」
女の顔が徐々に緩くなっていく様子が伊佐馬としても興味深かった。
あまり男に甘えてきたことのない女なのだろう。
これはこれで可愛いとも思える。
「わいつ、名前はなんという」
「名前ですか……どうしてそんなこと知りたいので」
「わしはわいつを買った訳ではないのでな。銭ども関係なしの色恋で寝た女の名前ぐらいは憶えておきたくなったのさ」
「今日のことはツケだってことを忘れないでくださいな。……ここではお堀と呼ばれていますわ」
「お堀か」
伊佐馬は吹きだしそうになった。
さきほど河童と間違えた女の名前が「お堀」では笑い話か怪談噺だからだ。
河童という水に棲む妖魅をそれぞれに呼ぶときは「~川の河童」とは呼ばず、「~堀の河童」として扱うのが常なのである。
川全体よりも、根城にしている特定の深い部分を指すことで河童たちを区別しようとする意図があるのだろう。
だから、この妙な夜鷹がお堀と名乗ることはとても可笑しなことだった。
「なにさ、旦那。言いたいことがあるの」
「ないな」
「本当に」
「特に」
「ありそうだけど」
「そうかな」
追及は頑固で執拗だったが、伊佐馬はなんとか躱しきった。
こういうとき、女はしつこくて厄介だ。
しばらくして、お堀は無言で立ち上がり、枯れ木にかけてあったまだ乾いてもいない白い襦袢を羽織ると、
「そろそろいきますね」
音も立てずに水の中へと歩みだした。
来たときと同様に川へと戻るつもりなのだろう。
本当に河に棲む妖怪であったのかもしれない、と伊佐馬は黙って見送るしかなかった。
引き留めてみたくなる衝動も、かすかだが胸中にはあった。
「―――また、旦那がそこに突っ立っていたら、上陸ってくるわ」
「わしはこのあたりの者ではないぞ。あと、夜釣りはせん」
「じゃあ、わたしに会いに来て。一応、二十四文は支度してね。ツケは今日限りだよ」
そういって、河童のような夜鷹は夜の隅田川に消えていった。
―――これが元禄十年。
権藤伊佐馬が江戸にきた翌年の初夏のことであった。
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