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大うつけの物語
復活のショショーニ
しおりを挟む尾張には珍しい種である樺の木に目がけて、イサクァは手斧を素早く何度も投擲していた。
故郷で用いていたものと比べても切れ味がはるかに鋭く、しかも刃全体の重みがしっくりと手に馴染む良品である。
投げやすく、当たりやすい。
這う這うの体で流れ着いたこの奇妙な島国は、こういった金属の加工についてイスパニアの白人どもを越える優秀さがある。
柄の部分は彼のお手製だが、飽きるぐらいに調整を繰り返した結果、無造作に投げたとしても確実に刃の部分が目標に刺さるようになっていた。
横から投げて、一文字の傷を作り、さらに縦から投げて十字にする。
投げるたびに回収するのが面倒になったため、皮を鞣して紐を編み込み、それを柄につけることで手元に引き寄せられるように工夫もした。
それからというもの、日に何百と投擲を繰り返したおかげで、かつての技量をとり戻しつつある手ごたえを感じていた。
エスパニアの船で風を読む奴隷として使われていたときは、刃物など一切持たせてもらえなかったので、祖父と父から習得した手斧術は完全に錆びついてしまっていた。
そのエスパニアの船がとあるポルトガルの商船に襲われ、多くの略奪品とともにイサクァの所有権までが移ってから、今度は奇妙な成り行きのままに最新兵器である鉄砲の扱いを教え込まれた。
ポルトガル人が格段に親切だったという訳ではなく、単に長い航海の暇つぶし程度のことだったのだろう。
エスパニア人と違って彼のことをトントと呼ばない連中だったこともあり、ある意味では気も楽だったと言っていい。
とはいえ、奴隷の身分であることに変わりはなかった。ただ、ご主人さまの国籍が変わっただけのことだ。
船が激しい嵐のために極東の島国に漂着し、そこには白人よりショショーニ族に近い容姿の文明人が住んでいることを知ったイサクァは迷わず逃げ出すことに成功する。
ちょうど鉄砲の買い付けに訪れていた根来寺の僧侶と偶然に知り合い、彼の助けを経て京都大阪を抜けて紀伊半島まで来たが、日本の言葉をいくらか覚えたことをきっかけに別れることになった。
野山を彷徨い狩りをしながら、時には道々の輩などとの交流を経て、尾張にまで辿り着いたのである。
尾張という名前を国の東の果てという意味だと勘違いした結果ではあったのは笑い話でしかない。
もっとも、それは運命だったのかもしれない。
奴隷となって以来初めて、故郷で与えられた〈悪霊〉退治の使命を果たすことができそうになっているからだ。
かつてショショーニ族にいた精霊使いの長老は彼に伝えた。
(――〈悪霊〉を退治できるものこそショショーニの希望である。それは天に輝く星のように、明るい朝陽のように不可欠なものだ。いつか、おまえもそうなるだろう。イサクァ――空を走る風の名を与えられたのはおまえだけだ)
だが、教えを忠実にこなすことはできなかった。
くだらないしくじりから、白人どもの奴隷となり二度とショショーニの村に帰れなくなってしまったからだ。
川のせせらぎが聞こえてくる場所にいると、ほんのちょっとした油断から白人たちのしかけた虎ばさみに足を挟まれて、網をかけられ囚われたときの記憶が蘇る。寝ているときもわずかな雨音を耳にするのをきっかけに屈辱を思い出す。
両手に縄を巻かれ、抵抗すれば殴られ、そして風を読む先住民族の知恵と眼を主人たちの役に立てるように搾り取られる毎日。数えで九年の忌まわしい時間だった。まだ少年だったイサクァは段違いに立派な大人の体格となっても、白人たちの数には敵わず、ずっといいように利用され続けた。
だからこそ、今の自由は素晴らしい。
だからこそ、〈悪霊〉の気配と放つ悪臭を嗅いだときに長らく忘れていたショショーニの使命さえもくっきりと思い出したのだ。
『―――我らの精霊の力も届かないようなこんな土地でも、おれの生き方を貫けというのだな、長老よ』
それ以来、ショショーニ族としては特別に悪とは看做されない他の部族(土地の住民)からの略奪もやめ、できる限り交換のみを行うことで余計な軋轢を生まないように努め始めた。
〈悪霊〉と戦うためには、余計な敵を作っている余裕はないのだから。
戦技の再訓練も開始した。
弓矢もトマホークも、素手での捕獲術も、忘れかけていたすべての技術をしっかりと思い出す。
同時に、今までやっていなかった「ウマ」という生き物に乗る術やポルトガル人から習った鉄砲も練習した。
理屈の分からぬ土地では身に着けた戦技のみが生き残る鍵となる。
獣を捕らえて捌いて食らうことと寝ること以外のすべての時間を、かつての戦技の発展と改善に努めた。例外としては、息抜きに地元民の若き長のところへ顔を出すことぐらいのものだ。
ただし、それはやらねばならぬことでもあった。
なぜなら、その若き長こそ、イサクァが〈悪霊〉と対峙するために必要な手がかりでもあるからだ。
耳を澄ますと東の方から馬の蹄の音が聞こえてくる。
今となってはイサクァのみが感じ取れる精霊の気配も一緒だ。
『……さすがは、キモサベだ。必要とあれば精霊の守りに乗ってすぐにでも駆け付けてくる』
手綱もつけていないのに、華麗な馬捌きでイサクァのすぐ前で止まる。
やってきた信長は、背中に鉄砲と太刀を背負っていた。
どうやって知ったのか明らかにいくさの準備をしているといってもいい。
おそらく優れた勘働きの仕業だろう。
何か感じるところがあって、武装をしてきたのだ。
いつもの彼と比べても顔つきが堅い。
「こんなところでなにをしておる!」
『戦いの支度だよ、キモサベ』
「何と戦うつもりなのだ?」
『わかりきったことを聞くな。おれが戦うのならば、相手は〈悪霊〉と決まっている。――おまえもそのために精霊の使いとともに来たのだろう』
「ふん、おれは銀浪にここまで連れてこられたにすぎん。おまえの使命などというものにまったく興味はない」
事実その通りだ。
信長は尾張の守護代の息子として、父の代わりに城下を経営し、土地に敵が侵入してきたら撃退するのが主な仕事だ。
〈悪霊〉退治などという怪力乱神を語るようなことは考えるものではない。
しかし、信長は……
「今度はどこで〈悪霊〉とやらを見つけたのだ。この尾張の中なのか?」
『そうだ。おまえの国の中で、だ』
「濃を拉致したこの間のような真似をしているということか。よし、連れていけ。訳のわからん奴におれの国で好き勝手をさせるわけにはいかん。――おまえも含めてだがな」
『ふん、精霊の導きを信じろ』
イサクァは信長の後ろに乗った。
道案内をするにも同乗しないとならない。
以前はあれほど抵抗したのに慣れたもので身じろぎもしない。
『それでは出発だ』
二人を乗せた銀浪は再び走り出した。
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