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歩む死の孤兵
急使
しおりを挟む森三左衛門可成は主人の姿を探して那古野城を歩き回っていた。
三年前に信長の配下となってから持ち歩くようになった十文字の槍を抱えて、多少の怒気を発しながら足早に進む。
端正で男前と言っていい顔立ちをしているが、通常よりも大きく無駄のない体躯にしなやかな筋肉がついた、見るからに精悍な若武者である。
「三郎どのを見たか?」
東西の城門の門番に聞いても、首を傾げられるばかりで収穫がない。
かといって馬周りの衆に尋ねても、
「―――いい天気ですが、今日はまだ参られておりませぬ」
と、叱りつけたくなるぐらいに呑気な返答しか得られない。
門の外の城下町は遠目にも賑やかに栄えているのがわかる。尾張でもここ那古野と清州がもっとも商売が盛り上がっている土地であった。
(それもこれも、大うつけどののおかげという訳かよ)
傍目からすると、大うつけという評判がそのままの奇行ばかりの殿様であるが、実務という点ではなかなかの名君であることをこの三年間で可成はよく理解していた。
可成のような野武士あがりに近い武士を近習にしているという点だけでも頭がおかしいが、それに輪をかけておかしなことを繰り返す。
さすがに慣れてきたとはいえ、いまだに主人の底までも見抜けているかというと心許ない。
破天荒が過ぎるのである。
この三年、随分と苦労をさせられてきたといってよく、事あるごとにため息がでるようになっていた。
とはいえ感慨に浸っている暇はなく、さっさと主人を見つけ出さないとならなかった。
「……どこに行きやがったんだ、あのうつけ殿は……」
城から出ていないということは、妻の帰蝶のところだろうか。
可能性はかなり高い。
この城で信長の最大の理解者といっていいのは彼女だから、ことあるごとに妻のところに通っているのは熟知している。
ただ、可成にとっては帰蝶の傍は鬼門のような場所である。
なぜなら、かつて可成は事情があったとはいえ、織田家に輿入れする寸前の帰蝶を誘拐したという過去があったからだ。
三年前、松平竹千代暗殺にしくじり捕らえられた可成を、信長は那古野城まで連れてきて家来にすると宣言をした。
それ以来、可成は警護のための近習として仕えることになったのだが、そのとき帰蝶のもとへと引き連れていき、
「覚えておるか。去年、おまえを攫った野武士の首魁だ。今日からおれの家来になった。苦しうないぞ」
と、高らかに宣言したのである。
帰蝶は少し驚いてから、殿のなさることなので仕方ありませんねと簡単に受け入れたのだが、後ろにいた各務野などの侍女たちは時が経っても縛られて河原に転がされたときの屈辱を忘れず、城内でことあるたびに嫌味を言ってくるようになった。
信長の前では「この城にも女を攫うような悪党がいるそうです」などの間接話法型で、帰蝶だけのときは「森どのの傍にいては命がいくつあっても足りませぬ」などの直接罵倒という、ねちねちしたいびられ方であった。
女ごときに言われっぱなしというのは癪であったが、信長の正室として寵愛深い帰蝶が大切にしている侍女たちに何かを言えるはずもない。確かに負い目もあるし、口では敵わないのである。無言のまま、心中で幾度も罵るぐらいしか対抗する術はなかった。
可成は本来沈毅な男なので、よく喋る女を相手にするのは苦手なのである。
最も無難な立ち回りとしては、帰蝶の傍に近寄らないようにするというものしかなかった。
ゆえに、どれほど火急の事態があったとしても、那古野城二の丸の奥までいくのは実にしんどいのである。
「可成どの」
横合いから声をかけられた。
前田利家であった。
信長の小姓から、林秀貞の与力となり、去年信長の与力として近習に復帰したばかりの同僚であった。
幼少のころから信長とつきあいがあるため、可成からすると先達という立場にいるが、一回り年下であるためやや距離が遠い。
「前田どのかよ。どうした?」
「殿をお探しのようですね」
「ああ。おぬしならわかるかね」
すると、利家も首を横に振った。
「私も今日はお見掛けしていないのですが……」
「城下にもでていないことは確かなのだ」
すると、利家は手を叩き、
「そういえば、先ほど、例の白馬が二の廓へと向かっているのを見ました。もしや……」
「銀浪が? ならば二の廓だな」
信長は多くの名馬を所有しているが、その中に一頭だけ目が覚めるように白く美しい馬がいた。
この馬は何故か城の馬房に繋がれていないにもかかわらず、時折、気が付いたときには信長を乗せて走っているのである。
普段はどこに繋がれているのか誰も知らない。この馬が騎手もつれずに閉ざされた門に現れたら、絶対に招き入れねばならず、下手な扱いをすれば信長に殺されないというもっぱらの評判であった。
どれほど主人が寵愛しているかはわかっていても、この自由気ままに振る舞う馬の存在は、那古野城の不思議の一つであるが深く追求するものはいない。
下手なことをすると城の主の怒りを買いかねないからである。
普段は鷹揚な城主だが、幾つか触れてはならぬ逆鱗があり、白馬の銀浪はその一つであった。
そして、もう一つ。
那古野城のものたちがあえて触れようとしない不思議なものがいた。
「……イサクァもいたのかね?」
利家がどことなく嫌そうな顔をする。
いまだに城のものたちはあのおかしな異人を受け付けられないのだ。
以前は、西の丘にある小屋にまで信長が通わなければでてこなかったが、近頃は平然と城内をうろつくようになってきている。
しかも、今年になってからはほとんど城のどこかに塒があるかのように毎日見掛けるのだ。
信長自身の言葉がなければ、警戒した家臣に闇討ちされかねない。
仮に、それが可能であったとしてだが。
イサクァは老若男女問わずに避けられている異形であり、親しく接しているのは信長と帰蝶、数名の家臣だけなのであった。
その中には可成も含まれて入るのだが。
「わかった」
そのまま、二の廓に向かう。
噂していた通りに、馬の嘶きのする傍に行くと、汗水流して長い間探していた主人がいた。
石の上に腰を掛け、何やら熱心に話をしている。
相手はさきほど話題に出ていた顔に土を塗った異人であった。
「三郎どの!」
可成にとって信長は主人であるが、いまだに我が殿さまという意識は持てなかった。父の仕える土岐頼芸が第一であった時代が長すぎたためだろう。
イサクァが首を動かさず、目の玉だけで彼を見た。
殺気を感じる一歩手前の眼力であった。
この場に尋常ならざる緊張感が漂っている。
まるで軍議の場に迷い込んだようであった。
『キモサベ、モリだ』
「わかっておる。――この話は終わりだ」
『銀浪まできている。白人や日ノ本のヒトと違う。ショショーニは嘘をつかない』
「疑ってはおらん。……どうした、三左」
二人はかなり深刻な密談をしていたようであった。
信長が顔を向けたことで、ようやく可成は自分が発言していいことを悟った。
空気はいまだ強張ったままであったが。
「平手さまがお呼びです。大至急とのこと。……あの御仁の慌てようだと、何か厄介ごとがあったものと存じますが」
「爺が慌てているだと。――いくさか?」
「さて。まずは三郎どのに伝えよとの仰せでした」
わざわざ可成を使いに出したということは、いつものお小言でないだろうと信長にもわかった。
いったい何があったというのか。
意見を聞こうと、イサクァを見ると、能面のように無表情になっていた。
「どうした」
『急いだ方がいい。おれの勘が告げている』
この異人の勘の良さは知りすぎている。
おそらく本当に悪いことが起きているのは確かだろう。
信長は、彼にしては珍しく走って二の丸へと向かった。
そして、平手政秀の口から驚くべきことを聞き出すことになる。
―――織田信秀が死んだ、というのであった。
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