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* 死神生活ニ年目 *
第125話 すれ違いエレジー(哀歌)
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第三班に配属された新人と死神ちゃんとの出会いは最悪なものだった。新人がやってくることになっていた某日、死神ちゃんが勤務を終えて寮に戻ると、エントランスではマッコイが見知らぬ誰かと会話をしていた。どうやら、日中に出迎えることになっていた新人が遅れに遅れ今到着したらしい。
死神ちゃんは邪魔にならぬようにと、その横を「お疲れ様」とだけ挨拶して通り過ぎた。すると、去りゆく死神ちゃんの背中に失礼な言葉が刺さった。
「は? 死神って、こんなガキもいるの?」
「はい……?」
死神ちゃんは思わず立ち止まると、振り返って新人をひと睨みした。新人はギリシャ彫刻のように見目の麗しい男だった。浅黒い肌に、深い焦げ茶の髪。薄いブルーの瞳を有した彼は、さながらハー◯クインのヒーローのようだった。
マッコイは困ったように控えめの笑顔を浮かべると、死神ちゃんを手招きした。そして、死神ちゃんを手のひらで指し示しながら新人に向かって言った。
「彼女は小花《おはな》薫《かおる》さん。あなたの一年先輩よ。こう見えて、れっきとした大人の女性なのよ」
新人は高圧的な態度で、死神ちゃんをじろじろと見た。死神ちゃんが怒りを抑えながらも挨拶をすると、彼はぶっきらぼうに「クリストスです。――クリスって呼んで」と返してきた。
翌日以降も、クリスは死神ちゃんに対して失礼な態度をとった。他の寮民とはそれとなく話をするのに、死神ちゃんには挨拶すらしない。しかしながら、彼は遠目から死神ちゃんのことをじろじろと見続けるのだ。
そして、彼はマッコイにはとても懐いているようだった。マッコイは研修のために彼に付きっきりとなっていたのだが、それを抜かしても二人で一緒にいることが多いように見受けられた。
今まで通り、マッコイは死神ちゃんをご飯に誘ってきたし、死神ちゃんも彼をご飯に誘っていた。しかし、そこに必ずクリスがくっついて来るのだ。他のみんなとも一緒になって食事に行く際はまだ耐えられるのだが、正直、三人だけの時は息が詰まるようだった。何故なら、食事中もずっと、クリスは死神ちゃんのことを値踏みでもするかのようにじっとりと見つめてきたからだ。
死神ちゃんは一度、自分の顔に何か付いているのかとクリスに尋ねてみたことがある。じろじろ見るのを止めて欲しいと言ったこともある。しかし彼は、別にと言ってはぐらかすだけで、死神ちゃんを観察することを止めなかった。
そして、彼はやはりマッコイとは楽しそうに会話をする。マッコイもまた、それに楽しそうに応えていた。二人の様子に肩身が狭く感じた死神ちゃんは、マッコイから食事に誘われても断り、自分からも誘わなくなった。
クリスたち新人がダンジョンに出るようになってからすぐのこと。死神ちゃんが待機室で出動待ちをしていると、一人の死神にじっと見つめられた。見慣れぬ骸骨を死神ちゃんが怪訝な表情で見つめ返すと、その骸骨はモニターブースにいたマッコイに向かって言った。
「何で薫は骸骨姿ではないの? もしかして、死神として出来損ないなわけ?」
失礼なことを言ってのけたそいつは、案の定クリスだった。失礼な上に呼び捨てまでされてさすがにカチンと来た死神ちゃんは、立ち上がると彼らの元へと近づいていった。すると、マッコイが口を開いた。
「魔道士様が気まぐれを起こされたせいで、仕方なくこうなのよ。決して出来損ないだからではないの。それに、薫ちゃんは入社以来ずっと、トップレベルの営業成績を維持しているわ。――さすがに失礼よ、クリス。謝りなさい」
常に穏やかなマッコイから笑みが消えたことが、よっぽど恐ろしかったのだろう。クリスは死神ちゃんにたどたどしく謝罪してきた。しかしながら、彼の態度はやはり少々不躾なままで、死神ちゃんの気分が良くなることはなかった。
クリスのおかげで、死神ちゃんは常に元気がなく、イライラとするようになった。マッコイはそんな死神ちゃんを心配して気にかけてはくれるのだが、ひとたびクリスに呼ばれるとそちらのほうを優先させた。
こちらに来て日の浅い者は精神的に不安定になりがちだ。また、こちらの世界や人々に馴染めず孤立もしがちである。だから、直属の上司であるマッコイがクリスのことを優先的に、そして甲斐甲斐しく世話するのは当然のことだった。死神ちゃんも同じように面倒見てもらっていたので、それは十分に理解している。
それでも、むしゃくしゃして仕方がないのだ。何故なら、マッコイがクリスに呼ばれて死神ちゃんのもとを離れるたびに、クリスは死神ちゃんのことをじっと注視しているのだ。しかも、彼はこの状況を心なしか楽しんでいるようだった。これで、腹が立たないほうがおかしい。
クリスが不可解なのは、そうやってマッコイを死神ちゃんから遠ざけたあとで、死神ちゃんにおずおずと近づいてくることだった。他の誰かが周りにいる時はじっと見つめてくるばかりでろくに話しもしないくせに、死神ちゃんが一人きりになるとこそこそとやって来るのだ。
彼は「少し会話しよう」と言うと、二言三言話しかけてくる。そして死神ちゃんが答えてやると、彼は心なしか満足気に頷き去っていく。――死神ちゃんは、彼の真意が理解できず、より一層イライラを募らせた。
死神ちゃんはクリスのことをマッコイに相談しようと思った。マッコイもクリスについてのことを、何か伝えたいようだった。しかし中々タイミングが合わず、二人は落ち着いて会話をすることができなかった。そしてこんな気持ちの整理がつかずにむしゃくしゃとした状態ではクリスを心から歓迎できようもないと思った死神ちゃんは、若干申し訳ないと思いつつも彼の歓迎会を欠席した。
ある日、死神ちゃんはマッコイに「お風呂に入りましょう」と声をかけられた。新年度に入ってからこの方、マッコイが忙しさから開放される時間にはすでに死神ちゃんが寝てしまっていたこともあり、入浴も満足にできてはいなかった。だから、これでのんびり会話ができると、死神ちゃんは嬉しく思った。しかし、お風呂セットを抱えて廊下に現れたマッコイの背後には何故かクリスが控えていた。
死神ちゃんはクリスを見て愕然とした。それはクリスも同じだったようで、彼は顔を青ざめさせると、マッコイに何やらひそひそと耳打ちをした。マッコイは苦笑いを浮かべると、死神ちゃんとクリスの二人に向かって「あのね」と言った。死神ちゃんはそれを遮ると、マッコイを冷たく見上げて言った。
「俺、風呂はやっぱいいや。――何だか、お邪魔みたいですし」
含みのある言い方にマッコイが〈理解しかねる〉と言いたげに眉根を寄せて固まっていたが、死神ちゃんはそんなのもお構いなしに自室へと戻った。
翌日、これではいけないと思い、死神ちゃんは寮長室を訪ねた。今月はいろいろと忙しいために、共通の休みが一日しかなかった。だから、その日はどこか一緒に遊びに行きたいねと、シフトが出てすぐに約束していたのだ。ケイティーも誘って天狐のところに遊びに行こうか、サーシャやアリサを誘ってお茶でもしようか。それとも二人でのんびりゲームセンターにでも繰り出そうか。――そんなことを話し合ってはいたものの、結局まだどうしようか決めてはいなかった。
貴重な休みが潰れるのは勿体無いが、折角だから最近話せていないことを話すために使用させてもらおう。――そう思った死神ちゃんは、それを伝えるべく寮長室を訪ねたのだ。
寮長室に入ると、マッコイは大量の仕事に忙殺されていた。死神ちゃんが休みのことを切り出すと、彼は作業の手を止めてスケジュール帳に手を伸ばした。
「その日は、クリスに施設案内を頼まれているわね。百貨店とか、見て回りたいそうで」
「……その日、どこか遊びにでも行こうかって約束してたよな。俺と休みが重なるのが、今月はその日しか無いからって」
ここでもクリスか。――心の中で毒づくと、死神ちゃんは顔を歪めた。マッコイは申し訳無さそうに眉根を寄せて言った。
「ごめんなさい。忙しすぎて、スケジュール管理がきちんとできていなかったみたい。――クリスには、他の日に変更してもらうから。本当に、ごめんなさいね」
「……別に、もうどうだっていい」
死神ちゃんは呟くようにそう言いながら、俯いてマッコイに背を向けた。彼は引き止めようと声をかけてきたが、死神ちゃんは構うことなく寮長室をあとにした。
自室に戻りベッドに乗り上げて、何となく寂しい気持ちとなりクマのぬいぐるみを抱きかかえると、自然と涙が溢れてきた。死神ちゃんはクマに顔を埋めると、静かに嗚咽を漏らし始めた。
秋にサックスを吹いてから〈元の姿に戻りたい〉という思いが強くなった。年明け前にストーカーに追いかけられてからは、より強くそう願うようになった。先日アリサが健康診断の際に「ジューゾーが元の姿に戻ったら」という妄想を語るのを聞いて、自分の存在価値はどこにあるのだろうかとも思った。
そうやって思い悩んでいる時に、今まで一番側にいたはずの人までが居ないというこの状態は結構堪えるものがあった。しかも、その人が仕方がないとはいえ自分を差し置いて〈さらなる苛立ちを植え付けてくる相手〉と親密にしているとくれば、なおさら辛い。死神ちゃんはクマをギュウと抱きしめると、顔をクシャクシャにして歯を食いしばった。
ちょうどその時、誰かが部屋のドアをノックした。死神ちゃんが返事をしないでいると、「入るわよ」と言ってマッコイが入ってきた。ドアに背を向けたまま死神ちゃんが振り向かないでいると、マッコイが心配して声をかけながら肩に触れてきた。死神ちゃんは「触るな」と言いながら、その手を力いっぱい払いのけた。
死神ちゃんは振り向いてマッコイを睨みつけた。彼はとても傷ついた表情を浮かべていて、死神ちゃんは少しだけ心がチクリとした。それでも、死神ちゃんは彼を睨むことを止めなかった。
「予定、変更してもらったわ。本当に、ごめんなさいね」
「どうだっていいって言っただろう。どうぞ、彼氏と楽しい楽しい一日をお過ごしください」
「……何を言っているの? クリスはね――」
「お前、あいつとデキてるんだろう? だから常に一緒にいて、あんなベタベタとボディータッチして、風呂だって一緒に入るんだろ。あいつ、お前が大っ好きなハー◯クインの世界からまるで抜け出してきたみたいだもんな。そりゃあ一緒にいて楽しいだろうよ。こんな幼女と一緒にいるよか、ずっと」
「それ、本気で言っているの?」
「どうせお前は幼女のナリにさせられたのが不憫で、同情していただけなんだろう? どんな姿をしていても俺は俺だとか、俺が悲しいと自分も悲しいとか言っていたのだって、俺が不憫で仕方がなかったから社交辞令で言ったんだろう? どうせ、俺にはその程度の価値しかないんだよ。だからって、哀れみを受け続けるのはもうたくさんなんだよ!」
「それは、本心なの……?」
「俺はれっきとした大人の男なのに、彼女とか女性とか言うしさ! もうやだ! もうやだああああ!」
言いたくもない、思ってもいないようなことが次から次へと口から流れ出た。止めたくても止められない口がようやく活動を止め、死神ちゃんはえぐえぐと嗚咽を漏らした。
マッコイは何か言おうと口を開いたが、そのたびに死神ちゃんはギュウギュウと耳を塞いだ。すると彼は諦め混じりのため息をつき、死神ちゃんに構わずゆっくりと話し始めた。
「薫ちゃんは、アタシがオカマだというのが不憫で、むしろ一部のオカマさんからは仲間とも認めてもらえないような中途半端な存在だから同情していたの? 誰よりも女性らしい、れっきとした女だって言ってくれたのも、最高の友人だって言ってくれたのも、全部社交辞令? 本当は、こんなアタシのことなんて、みんなきっと気持ち悪いと思って近寄らないだろうと思って、それは可哀想だと思って、そんな同情心で寮長室に入り浸ってたの? 本当は気持ち悪いと思っているのを無理して、アタシの作ったお菓子やお料理を食べてたの?」
死神ちゃんは、彼が〈死神ちゃんの言ったことを自分に置き換えて喩え話をしている〉ということに気が付きハッとした。そんなことはないと即座に否定したかったのだが、のどが詰まったかのように締まりきって声が出ず、死神ちゃんはゆっくりと首を横に振ることしかできなかった。
マッコイは顔色を変えることなく、淡々とした口調で続けた。
「年末にも言ったと思うけれど、アタシは薫ちゃんがくれた言葉の全てが嬉しかったわ。それでとても救われたし、本当に幸せだと思った。だから、一番の友人として側にいてくれるのが本当に嬉しかったし、そんな薫ちゃんが喜んでくれるならこんなに嬉しいことはないと思ったから、お料理するのも大好きになったの。それに、薫ちゃんに対して嘘を言ったことなんて、もちろん、ない。――でも、全部アタシの勘違いだったのね」
アタシ、馬鹿みたい。――そうポツリと呟くと、マッコイは部屋から出て行ってしまった。すぐさま追いかけたかったものの、死神ちゃんはショックで身体が硬直して動けなかった。
**********
住職の部屋を訪れた死神ちゃんは、ひとしきり泣いて落ち着いたあと、嗚咽を飲み込みながらたどたどしく言った。
「何で俺、幼女なんだろう? 喜怒哀楽が激しすぎるの、本当に辛い。思ってもないことがポンポンと口を突いて出てきて止められなくて、逆に言わなきゃいけないことは全く声にならなくて。すぐさま追いかけて行きたかったのに、初めて人と言い合いになって物別れに終わったのが、喧嘩したっていうのがショックすぎて動けなくて。――元の姿だったら、もっと上手くやれただろうに。こんなにも、感情に振り回されることもなかっただろうに。何で俺、幼女なんだろう?」
死神ちゃんは再び顔をぐしゃぐしゃにすると、住職にしがみついて泣いた。住職は死神ちゃんの背中をあやすようにポンポンと軽く叩きながら、諭すように声をかけた。
「仮に元の姿であっても、遅かれ早かれこういうことは起きていたかもしれないぜ? なにせこっちの世界に来て、転生前よりも感情が豊かになって、いろいろ思うようになったんだから。――爆発しちまったのは、話したくても話せない状態が続いたからなわけだし、きちんと謝って、何が何でも〈話す時間〉を確保しな」
「でもさ、今さら謝って許してもらえるかな? あいつ、感激屋ですぐ泣くくせに、今回は涙ひとつ見せなかったんだ。きっともう、俺のことなんてどうでもいいに違いないよ」
死神ちゃんが泣きはらしたままの顔を俯かせると、住職は何やら言いづらそうに呻き声を上げながら視線をさまよわせた。そして死神ちゃんに視線を戻すと、眉間にしわを寄せて言いづらそうにぽつりと「泣いてたよ」と言った。
死神ちゃんがマッコイと喧嘩してから彼の部屋を訪ねるまでの短い間に、住職は所用で寮長室を訪ねたのだそうだ。しかしそこにマッコイがいなかったため、彼はその奥にあるマッコイの部屋を訪ねてみた。――マッコイは灯りもつけずに部屋の中にいて、クマのゴ◯ゴに顔を埋めて微動だにしなかったそうだ。
死神ちゃんは愕然とすると、再び火がついたように泣き始めた。どんなにあやしても死神ちゃんが泣き止まないことに困り果てた住職は、好きなものを与えれば泣き止むはずとばかりに力こぶを作った。すると死神ちゃんは号泣しながらも、必死に住職の上腕二頭筋にしがみついた。
**********
次の日から、死神ちゃんはマッコイに謝るべく必死に彼のあとを追いかけた。しかし、彼は死神ちゃんに謝罪する隙を一切与えなかった。そんな状態が数日続き、さすがの死神ちゃんも疲弊が色濃くなってきた。この数日で死神ちゃんが一番堪えたのは、職場で指示を受けた際に〈小花さん〉と呼ばれたことだった。その呼び方に明らかな拒絶を感じた死神ちゃんは愕然とすると、もう二度と許してはもらえないのではと思い、目の前が暗くなった。
「やっぱりもう、無理なんじゃないかな……」
死神ちゃんは住職の上腕二頭筋にしがみつきながら、べそべそと泣き言を垂れた。住職は困ったように笑うと、ただ一言「正攻法が駄目なら、裏をかけば」と言った。
**********
深夜近く。マッコイはキリの良いところで仕事を終えると、風呂場へと向かった。戻ってきて自室に足を踏み入れた彼は、灯りも付けずにその場で立ち止まった。――部屋の中に、誰か居る。
彼は部屋の中を見渡して顔をしかめると、静かにベッドへと近づいた。そして掛け布団を勢い良く捲ると、彼は布団に視線を落としたままぎょっとして固まった。彼の視線の先では、死神ちゃんがスヤスヤと寝息を立てていた。
マッコイはひどく困惑して、どうしたら良いのか思い悩んだ。しばらくして、彼は死神ちゃんを部屋に運ぶことに決めた。
死神ちゃんはほんの少し体を持ち上げられると、もぞもぞと動き出した。そのまま寝かせておいたほうがよかったか、とマッコイは抱きかかえるのをためらった。だが、死神ちゃんはギュウと抱きつき、そのまま彼の首筋辺りに鼻をくっつけた。
「シャンプー変えた?」
「え、ええ……。新しいのが出ていたから、ちょっと試してみようと思って」
急に耳元で話しかけられ、マッコイは思わず声を上ずらせた。完全に抱きかかえられ、死神ちゃんは満足気にフウと息をつくと、再びそのまま寝息を立て始めた。マッコイは心なしか眉根を寄せて二、三度瞬きをすると、少しだけ死神ちゃんの方に顔を振った。
「薫ちゃん?」
「……はい、何でしょう」
「起きてたの? それとも、起こしちゃったの?」
「今、起きました。でも、寝そうです」
とてつもなく眠いからなのか、何故か死神ちゃんは敬語で受け答えした。マッコイは起こしてしまったことを謝罪すると、眠るようにと促した。しかし死神ちゃんが嫌だと言ってぐずりかけたので、マッコイは死神ちゃんを抱えたままベッドに腰掛けると、少しだけおしゃべりをすることにした。
「ねえ、何で人のベッドに入り込んでいたの?」
「そのくらいしないと、話す機会がないと思いました」
「乙女のベッドに無断で忍び込むって、とても破廉恥だと思うんですけど」
「はい、すみません。……でも、話せたから嬉しい」
マッコイは〈嬉しい〉という言葉を聞いて申し訳無さそうに笑うと、意地悪が過ぎたと謝罪した。死神ちゃんが何か悩みを抱えているのを知っていて、ずっと気に留めていたにもかかわず、売り言葉に買い言葉でひどいことを言ってしまったと。それに対して死神ちゃんが「全部自分が悪い」と言って縮こまると、マッコイは死神ちゃんの背中をポンポンと叩きながら優しい声で言った。
「いいえ、薫ちゃんは悪くないわ。これは全部、上長であるアタシの責任。あなた、クリスの歓迎会にも参加しなかったでしょう? だから無理にでも説明をする時間を確保しなくちゃいけなかったのに、結局後回しにしてしまったから。班長失格ね。職務怠慢もいいところだわ」
「そんなこと、ない……」
「あるのよ。自分が職務怠慢したくせに、いきなりクリスのことを彼氏だとか言われてびっくりしちゃって。薫ちゃんが思ってもないことを言っているのも理解していながら、ついカッとなっちゃって。本当にごめんなさいね。――あと、一応お伝えしておきますけれど、アタシ、別に彼女とはもちろん付き合ってはいないから」
「はい……?」
死神ちゃんはしがみついていたマッコイから身を離すと、表情もなく彼の顔を覗き込んだ。すると、マッコイは拗ねた顔を浮かべた。
「やっぱりね。どんなに遮られても、無理にでも話せばよかった。ていうか、むしろ、誰からも聞いていないの?」
「いや、ちょっと待て。彼女……?」
マッコイは頷くと、そのまま勢いよく捲し立てた。
「そう、彼女。薫ちゃんは元々はおっさんだから本当なら三人称は〈彼〉だけれど、幼女の見た目で〈彼〉っていうのも微妙だし、でも見た目に合わせて〈彼女〉とするのも変だから、一貫して〈死神ちゃん〉で通しているじゃない? でもってアタシの場合は、本当だったら〈彼女〉としたいところですけど、転生前の世界の戸籍上の性別に合わせて不服ながらも〈彼〉としているじゃない。でね、その観点から言うと、クリスは〈彼女〉なのよ。――まあ、だからといって地の文でクリスを指して〈彼女〉と記載すると、読み手が『えっ、彼女? 見た目、男じゃなかった? どちらが正解なの?』って戸惑うと思うから、地の文ではアタシ同様に〈彼〉って記載されるけれど」
「地の文って何だ、地の文って。あと、読み手って誰だ。お前のそのワケの分からない発言、すごく久々だな」
「……とにかく、クリスは〈彼女〉なの」
何でも、クリスのいた世界では〈見た目は男性・中身は女性〉だと女性で、その逆だと男性なのだそうだ。だから、クリスにとってマッコイは〈自分と同じ女性〉であり、幼女姿の死神ちゃんは〈男性〉、そして男性陣は〈オナベさん〉で女性陣は〈オカマさん〉となるらしい。なので真の姿は大人の男性である死神ちゃんを紹介する際、マッコイはこちらの世界に来た直後で不慣れだったクリスに「肉体の性は、本来はあなたと同じである」というのを伝えるために、彼の世界基準に則って死神ちゃんのことを〈彼女〉〈こう見えて大人の女性〉と形容したのだった。
「何て言うか、あべこべだな。ややこしくて、頭がこんがらかりそうなんだが」
「ちなみに、彼女は異性愛者だから、こちらの世界で言うところの〈オナベさん〉が好きなの。――でね、薫ちゃんに失礼な態度をとってしまっていたのは、気になる異性は目で追ってしまう、アレ。気になる異性に意地悪したくなっちゃう、アレね。アレが発動しただけなのよ」
「俺のこの姿は仮初なんだが」
「それはもちろん説明したわよ。でもほら、結果的に、現状は〈オナベさん〉の状態じゃない。で、どうやら脳内再生した〈幼女からそのまま大人化した薫ちゃんの姿〉がタイプらしくて、だから『実際に目にするまでは信じない』って聞かなくて」
苦笑いを浮かべるマッコイに、死神ちゃんは呆れるしかなかった。そしてポツリと「そういう情報はもっと早く教えて欲しかったです」とこぼすと、マッコイはしょんぼりと表情を曇らせた。
「本当にごめんなさいね。……ていうかね、上司としては『ごめんなさい』だけど、友人としてはちょっとだけ『ひどい!』って思っているのよ。何度も説明しようとしたのに、聞こうともしてくれないんだもの」
「はい、ごめんなさい。次からはきちんと、どんなことがあっても、人の話は最後まで聞くようにします」
死神ちゃんはバツが悪そうに頬を掻いた。マッコイがクスクスと笑うのを見て、死神ちゃんはホッと胸を撫で下ろすとともにしょんぼりと肩を落とした。
「少しだけ話を戻すけど、少なくとも、アタシや第三のみんなは薫ちゃんが幼女だろうがおっさんだろうが気にしていないわ。幼女姿のときに抱えている欠点だって、別に何とも思っていないし。だから、そのことで〈きっと迷惑だ〉とか〈情けない〉とか思う必要もないし、そんなに悩んで苦しいなら言ってくれればいいのに。そしたら、いくらでも、何度だって、自信が持てるようになるまで『薫ちゃんは薫ちゃんでしょ?』って言えたのに。――もちろん、薫ちゃんが本来の姿で健やかに過ごせるのが一番幸せなことだというのも理解してるわよ。でも、幼女姿だからって薫ちゃんの価値が下がるなんてことは絶対にないし、不幸せだと思って欲しくはないわ。だって、どんな姿であっても、薫ちゃんは薫ちゃんなんだから」
「はい、すみません……」
「ううん、結局は話す時間さえ確保できなかったアタシも悪いから。だから、おあいこ」
情けない顔でマッコイを見つめると、死神ちゃんはためらいがちに「じゃあ、許してくれる?」と聞いた。すると、彼はきっぱりと「許さない」と答えた。そして、愕然とする死神ちゃんから視線を反らすと、彼は恥ずかしそうに頬を朱に染めた。
「今度のお休み、約束通り一緒に過ごしてくれなきゃ許さない」
死神ちゃんをちらりと一瞥すると、彼は完全にそっぽを向いて俯いた。耳まで真っ赤にした彼を束の間見つめると、死神ちゃんはクスクスと笑い出した。
「とりあえず、俺、衝撃の事実を知って完全に目が覚めちまったからさ。夜食でも摘みながら予定を立てようか」
そう言ってマッコイの膝から降りると、死神ちゃんは「早くキッチンに行こう」と彼を急かしたのだった。
――――どんなに仲の良い友人同士だって、結局は他人だもの、すれ違うことだって時にはある。でも、しっかりとした絆で結ばれているからこそ、過ちが起きても修正していける。許し合えるということは、とても素敵で素晴らしいことなのDEATH。
死神ちゃんは邪魔にならぬようにと、その横を「お疲れ様」とだけ挨拶して通り過ぎた。すると、去りゆく死神ちゃんの背中に失礼な言葉が刺さった。
「は? 死神って、こんなガキもいるの?」
「はい……?」
死神ちゃんは思わず立ち止まると、振り返って新人をひと睨みした。新人はギリシャ彫刻のように見目の麗しい男だった。浅黒い肌に、深い焦げ茶の髪。薄いブルーの瞳を有した彼は、さながらハー◯クインのヒーローのようだった。
マッコイは困ったように控えめの笑顔を浮かべると、死神ちゃんを手招きした。そして、死神ちゃんを手のひらで指し示しながら新人に向かって言った。
「彼女は小花《おはな》薫《かおる》さん。あなたの一年先輩よ。こう見えて、れっきとした大人の女性なのよ」
新人は高圧的な態度で、死神ちゃんをじろじろと見た。死神ちゃんが怒りを抑えながらも挨拶をすると、彼はぶっきらぼうに「クリストスです。――クリスって呼んで」と返してきた。
翌日以降も、クリスは死神ちゃんに対して失礼な態度をとった。他の寮民とはそれとなく話をするのに、死神ちゃんには挨拶すらしない。しかしながら、彼は遠目から死神ちゃんのことをじろじろと見続けるのだ。
そして、彼はマッコイにはとても懐いているようだった。マッコイは研修のために彼に付きっきりとなっていたのだが、それを抜かしても二人で一緒にいることが多いように見受けられた。
今まで通り、マッコイは死神ちゃんをご飯に誘ってきたし、死神ちゃんも彼をご飯に誘っていた。しかし、そこに必ずクリスがくっついて来るのだ。他のみんなとも一緒になって食事に行く際はまだ耐えられるのだが、正直、三人だけの時は息が詰まるようだった。何故なら、食事中もずっと、クリスは死神ちゃんのことを値踏みでもするかのようにじっとりと見つめてきたからだ。
死神ちゃんは一度、自分の顔に何か付いているのかとクリスに尋ねてみたことがある。じろじろ見るのを止めて欲しいと言ったこともある。しかし彼は、別にと言ってはぐらかすだけで、死神ちゃんを観察することを止めなかった。
そして、彼はやはりマッコイとは楽しそうに会話をする。マッコイもまた、それに楽しそうに応えていた。二人の様子に肩身が狭く感じた死神ちゃんは、マッコイから食事に誘われても断り、自分からも誘わなくなった。
クリスたち新人がダンジョンに出るようになってからすぐのこと。死神ちゃんが待機室で出動待ちをしていると、一人の死神にじっと見つめられた。見慣れぬ骸骨を死神ちゃんが怪訝な表情で見つめ返すと、その骸骨はモニターブースにいたマッコイに向かって言った。
「何で薫は骸骨姿ではないの? もしかして、死神として出来損ないなわけ?」
失礼なことを言ってのけたそいつは、案の定クリスだった。失礼な上に呼び捨てまでされてさすがにカチンと来た死神ちゃんは、立ち上がると彼らの元へと近づいていった。すると、マッコイが口を開いた。
「魔道士様が気まぐれを起こされたせいで、仕方なくこうなのよ。決して出来損ないだからではないの。それに、薫ちゃんは入社以来ずっと、トップレベルの営業成績を維持しているわ。――さすがに失礼よ、クリス。謝りなさい」
常に穏やかなマッコイから笑みが消えたことが、よっぽど恐ろしかったのだろう。クリスは死神ちゃんにたどたどしく謝罪してきた。しかしながら、彼の態度はやはり少々不躾なままで、死神ちゃんの気分が良くなることはなかった。
クリスのおかげで、死神ちゃんは常に元気がなく、イライラとするようになった。マッコイはそんな死神ちゃんを心配して気にかけてはくれるのだが、ひとたびクリスに呼ばれるとそちらのほうを優先させた。
こちらに来て日の浅い者は精神的に不安定になりがちだ。また、こちらの世界や人々に馴染めず孤立もしがちである。だから、直属の上司であるマッコイがクリスのことを優先的に、そして甲斐甲斐しく世話するのは当然のことだった。死神ちゃんも同じように面倒見てもらっていたので、それは十分に理解している。
それでも、むしゃくしゃして仕方がないのだ。何故なら、マッコイがクリスに呼ばれて死神ちゃんのもとを離れるたびに、クリスは死神ちゃんのことをじっと注視しているのだ。しかも、彼はこの状況を心なしか楽しんでいるようだった。これで、腹が立たないほうがおかしい。
クリスが不可解なのは、そうやってマッコイを死神ちゃんから遠ざけたあとで、死神ちゃんにおずおずと近づいてくることだった。他の誰かが周りにいる時はじっと見つめてくるばかりでろくに話しもしないくせに、死神ちゃんが一人きりになるとこそこそとやって来るのだ。
彼は「少し会話しよう」と言うと、二言三言話しかけてくる。そして死神ちゃんが答えてやると、彼は心なしか満足気に頷き去っていく。――死神ちゃんは、彼の真意が理解できず、より一層イライラを募らせた。
死神ちゃんはクリスのことをマッコイに相談しようと思った。マッコイもクリスについてのことを、何か伝えたいようだった。しかし中々タイミングが合わず、二人は落ち着いて会話をすることができなかった。そしてこんな気持ちの整理がつかずにむしゃくしゃとした状態ではクリスを心から歓迎できようもないと思った死神ちゃんは、若干申し訳ないと思いつつも彼の歓迎会を欠席した。
ある日、死神ちゃんはマッコイに「お風呂に入りましょう」と声をかけられた。新年度に入ってからこの方、マッコイが忙しさから開放される時間にはすでに死神ちゃんが寝てしまっていたこともあり、入浴も満足にできてはいなかった。だから、これでのんびり会話ができると、死神ちゃんは嬉しく思った。しかし、お風呂セットを抱えて廊下に現れたマッコイの背後には何故かクリスが控えていた。
死神ちゃんはクリスを見て愕然とした。それはクリスも同じだったようで、彼は顔を青ざめさせると、マッコイに何やらひそひそと耳打ちをした。マッコイは苦笑いを浮かべると、死神ちゃんとクリスの二人に向かって「あのね」と言った。死神ちゃんはそれを遮ると、マッコイを冷たく見上げて言った。
「俺、風呂はやっぱいいや。――何だか、お邪魔みたいですし」
含みのある言い方にマッコイが〈理解しかねる〉と言いたげに眉根を寄せて固まっていたが、死神ちゃんはそんなのもお構いなしに自室へと戻った。
翌日、これではいけないと思い、死神ちゃんは寮長室を訪ねた。今月はいろいろと忙しいために、共通の休みが一日しかなかった。だから、その日はどこか一緒に遊びに行きたいねと、シフトが出てすぐに約束していたのだ。ケイティーも誘って天狐のところに遊びに行こうか、サーシャやアリサを誘ってお茶でもしようか。それとも二人でのんびりゲームセンターにでも繰り出そうか。――そんなことを話し合ってはいたものの、結局まだどうしようか決めてはいなかった。
貴重な休みが潰れるのは勿体無いが、折角だから最近話せていないことを話すために使用させてもらおう。――そう思った死神ちゃんは、それを伝えるべく寮長室を訪ねたのだ。
寮長室に入ると、マッコイは大量の仕事に忙殺されていた。死神ちゃんが休みのことを切り出すと、彼は作業の手を止めてスケジュール帳に手を伸ばした。
「その日は、クリスに施設案内を頼まれているわね。百貨店とか、見て回りたいそうで」
「……その日、どこか遊びにでも行こうかって約束してたよな。俺と休みが重なるのが、今月はその日しか無いからって」
ここでもクリスか。――心の中で毒づくと、死神ちゃんは顔を歪めた。マッコイは申し訳無さそうに眉根を寄せて言った。
「ごめんなさい。忙しすぎて、スケジュール管理がきちんとできていなかったみたい。――クリスには、他の日に変更してもらうから。本当に、ごめんなさいね」
「……別に、もうどうだっていい」
死神ちゃんは呟くようにそう言いながら、俯いてマッコイに背を向けた。彼は引き止めようと声をかけてきたが、死神ちゃんは構うことなく寮長室をあとにした。
自室に戻りベッドに乗り上げて、何となく寂しい気持ちとなりクマのぬいぐるみを抱きかかえると、自然と涙が溢れてきた。死神ちゃんはクマに顔を埋めると、静かに嗚咽を漏らし始めた。
秋にサックスを吹いてから〈元の姿に戻りたい〉という思いが強くなった。年明け前にストーカーに追いかけられてからは、より強くそう願うようになった。先日アリサが健康診断の際に「ジューゾーが元の姿に戻ったら」という妄想を語るのを聞いて、自分の存在価値はどこにあるのだろうかとも思った。
そうやって思い悩んでいる時に、今まで一番側にいたはずの人までが居ないというこの状態は結構堪えるものがあった。しかも、その人が仕方がないとはいえ自分を差し置いて〈さらなる苛立ちを植え付けてくる相手〉と親密にしているとくれば、なおさら辛い。死神ちゃんはクマをギュウと抱きしめると、顔をクシャクシャにして歯を食いしばった。
ちょうどその時、誰かが部屋のドアをノックした。死神ちゃんが返事をしないでいると、「入るわよ」と言ってマッコイが入ってきた。ドアに背を向けたまま死神ちゃんが振り向かないでいると、マッコイが心配して声をかけながら肩に触れてきた。死神ちゃんは「触るな」と言いながら、その手を力いっぱい払いのけた。
死神ちゃんは振り向いてマッコイを睨みつけた。彼はとても傷ついた表情を浮かべていて、死神ちゃんは少しだけ心がチクリとした。それでも、死神ちゃんは彼を睨むことを止めなかった。
「予定、変更してもらったわ。本当に、ごめんなさいね」
「どうだっていいって言っただろう。どうぞ、彼氏と楽しい楽しい一日をお過ごしください」
「……何を言っているの? クリスはね――」
「お前、あいつとデキてるんだろう? だから常に一緒にいて、あんなベタベタとボディータッチして、風呂だって一緒に入るんだろ。あいつ、お前が大っ好きなハー◯クインの世界からまるで抜け出してきたみたいだもんな。そりゃあ一緒にいて楽しいだろうよ。こんな幼女と一緒にいるよか、ずっと」
「それ、本気で言っているの?」
「どうせお前は幼女のナリにさせられたのが不憫で、同情していただけなんだろう? どんな姿をしていても俺は俺だとか、俺が悲しいと自分も悲しいとか言っていたのだって、俺が不憫で仕方がなかったから社交辞令で言ったんだろう? どうせ、俺にはその程度の価値しかないんだよ。だからって、哀れみを受け続けるのはもうたくさんなんだよ!」
「それは、本心なの……?」
「俺はれっきとした大人の男なのに、彼女とか女性とか言うしさ! もうやだ! もうやだああああ!」
言いたくもない、思ってもいないようなことが次から次へと口から流れ出た。止めたくても止められない口がようやく活動を止め、死神ちゃんはえぐえぐと嗚咽を漏らした。
マッコイは何か言おうと口を開いたが、そのたびに死神ちゃんはギュウギュウと耳を塞いだ。すると彼は諦め混じりのため息をつき、死神ちゃんに構わずゆっくりと話し始めた。
「薫ちゃんは、アタシがオカマだというのが不憫で、むしろ一部のオカマさんからは仲間とも認めてもらえないような中途半端な存在だから同情していたの? 誰よりも女性らしい、れっきとした女だって言ってくれたのも、最高の友人だって言ってくれたのも、全部社交辞令? 本当は、こんなアタシのことなんて、みんなきっと気持ち悪いと思って近寄らないだろうと思って、それは可哀想だと思って、そんな同情心で寮長室に入り浸ってたの? 本当は気持ち悪いと思っているのを無理して、アタシの作ったお菓子やお料理を食べてたの?」
死神ちゃんは、彼が〈死神ちゃんの言ったことを自分に置き換えて喩え話をしている〉ということに気が付きハッとした。そんなことはないと即座に否定したかったのだが、のどが詰まったかのように締まりきって声が出ず、死神ちゃんはゆっくりと首を横に振ることしかできなかった。
マッコイは顔色を変えることなく、淡々とした口調で続けた。
「年末にも言ったと思うけれど、アタシは薫ちゃんがくれた言葉の全てが嬉しかったわ。それでとても救われたし、本当に幸せだと思った。だから、一番の友人として側にいてくれるのが本当に嬉しかったし、そんな薫ちゃんが喜んでくれるならこんなに嬉しいことはないと思ったから、お料理するのも大好きになったの。それに、薫ちゃんに対して嘘を言ったことなんて、もちろん、ない。――でも、全部アタシの勘違いだったのね」
アタシ、馬鹿みたい。――そうポツリと呟くと、マッコイは部屋から出て行ってしまった。すぐさま追いかけたかったものの、死神ちゃんはショックで身体が硬直して動けなかった。
**********
住職の部屋を訪れた死神ちゃんは、ひとしきり泣いて落ち着いたあと、嗚咽を飲み込みながらたどたどしく言った。
「何で俺、幼女なんだろう? 喜怒哀楽が激しすぎるの、本当に辛い。思ってもないことがポンポンと口を突いて出てきて止められなくて、逆に言わなきゃいけないことは全く声にならなくて。すぐさま追いかけて行きたかったのに、初めて人と言い合いになって物別れに終わったのが、喧嘩したっていうのがショックすぎて動けなくて。――元の姿だったら、もっと上手くやれただろうに。こんなにも、感情に振り回されることもなかっただろうに。何で俺、幼女なんだろう?」
死神ちゃんは再び顔をぐしゃぐしゃにすると、住職にしがみついて泣いた。住職は死神ちゃんの背中をあやすようにポンポンと軽く叩きながら、諭すように声をかけた。
「仮に元の姿であっても、遅かれ早かれこういうことは起きていたかもしれないぜ? なにせこっちの世界に来て、転生前よりも感情が豊かになって、いろいろ思うようになったんだから。――爆発しちまったのは、話したくても話せない状態が続いたからなわけだし、きちんと謝って、何が何でも〈話す時間〉を確保しな」
「でもさ、今さら謝って許してもらえるかな? あいつ、感激屋ですぐ泣くくせに、今回は涙ひとつ見せなかったんだ。きっともう、俺のことなんてどうでもいいに違いないよ」
死神ちゃんが泣きはらしたままの顔を俯かせると、住職は何やら言いづらそうに呻き声を上げながら視線をさまよわせた。そして死神ちゃんに視線を戻すと、眉間にしわを寄せて言いづらそうにぽつりと「泣いてたよ」と言った。
死神ちゃんがマッコイと喧嘩してから彼の部屋を訪ねるまでの短い間に、住職は所用で寮長室を訪ねたのだそうだ。しかしそこにマッコイがいなかったため、彼はその奥にあるマッコイの部屋を訪ねてみた。――マッコイは灯りもつけずに部屋の中にいて、クマのゴ◯ゴに顔を埋めて微動だにしなかったそうだ。
死神ちゃんは愕然とすると、再び火がついたように泣き始めた。どんなにあやしても死神ちゃんが泣き止まないことに困り果てた住職は、好きなものを与えれば泣き止むはずとばかりに力こぶを作った。すると死神ちゃんは号泣しながらも、必死に住職の上腕二頭筋にしがみついた。
**********
次の日から、死神ちゃんはマッコイに謝るべく必死に彼のあとを追いかけた。しかし、彼は死神ちゃんに謝罪する隙を一切与えなかった。そんな状態が数日続き、さすがの死神ちゃんも疲弊が色濃くなってきた。この数日で死神ちゃんが一番堪えたのは、職場で指示を受けた際に〈小花さん〉と呼ばれたことだった。その呼び方に明らかな拒絶を感じた死神ちゃんは愕然とすると、もう二度と許してはもらえないのではと思い、目の前が暗くなった。
「やっぱりもう、無理なんじゃないかな……」
死神ちゃんは住職の上腕二頭筋にしがみつきながら、べそべそと泣き言を垂れた。住職は困ったように笑うと、ただ一言「正攻法が駄目なら、裏をかけば」と言った。
**********
深夜近く。マッコイはキリの良いところで仕事を終えると、風呂場へと向かった。戻ってきて自室に足を踏み入れた彼は、灯りも付けずにその場で立ち止まった。――部屋の中に、誰か居る。
彼は部屋の中を見渡して顔をしかめると、静かにベッドへと近づいた。そして掛け布団を勢い良く捲ると、彼は布団に視線を落としたままぎょっとして固まった。彼の視線の先では、死神ちゃんがスヤスヤと寝息を立てていた。
マッコイはひどく困惑して、どうしたら良いのか思い悩んだ。しばらくして、彼は死神ちゃんを部屋に運ぶことに決めた。
死神ちゃんはほんの少し体を持ち上げられると、もぞもぞと動き出した。そのまま寝かせておいたほうがよかったか、とマッコイは抱きかかえるのをためらった。だが、死神ちゃんはギュウと抱きつき、そのまま彼の首筋辺りに鼻をくっつけた。
「シャンプー変えた?」
「え、ええ……。新しいのが出ていたから、ちょっと試してみようと思って」
急に耳元で話しかけられ、マッコイは思わず声を上ずらせた。完全に抱きかかえられ、死神ちゃんは満足気にフウと息をつくと、再びそのまま寝息を立て始めた。マッコイは心なしか眉根を寄せて二、三度瞬きをすると、少しだけ死神ちゃんの方に顔を振った。
「薫ちゃん?」
「……はい、何でしょう」
「起きてたの? それとも、起こしちゃったの?」
「今、起きました。でも、寝そうです」
とてつもなく眠いからなのか、何故か死神ちゃんは敬語で受け答えした。マッコイは起こしてしまったことを謝罪すると、眠るようにと促した。しかし死神ちゃんが嫌だと言ってぐずりかけたので、マッコイは死神ちゃんを抱えたままベッドに腰掛けると、少しだけおしゃべりをすることにした。
「ねえ、何で人のベッドに入り込んでいたの?」
「そのくらいしないと、話す機会がないと思いました」
「乙女のベッドに無断で忍び込むって、とても破廉恥だと思うんですけど」
「はい、すみません。……でも、話せたから嬉しい」
マッコイは〈嬉しい〉という言葉を聞いて申し訳無さそうに笑うと、意地悪が過ぎたと謝罪した。死神ちゃんが何か悩みを抱えているのを知っていて、ずっと気に留めていたにもかかわず、売り言葉に買い言葉でひどいことを言ってしまったと。それに対して死神ちゃんが「全部自分が悪い」と言って縮こまると、マッコイは死神ちゃんの背中をポンポンと叩きながら優しい声で言った。
「いいえ、薫ちゃんは悪くないわ。これは全部、上長であるアタシの責任。あなた、クリスの歓迎会にも参加しなかったでしょう? だから無理にでも説明をする時間を確保しなくちゃいけなかったのに、結局後回しにしてしまったから。班長失格ね。職務怠慢もいいところだわ」
「そんなこと、ない……」
「あるのよ。自分が職務怠慢したくせに、いきなりクリスのことを彼氏だとか言われてびっくりしちゃって。薫ちゃんが思ってもないことを言っているのも理解していながら、ついカッとなっちゃって。本当にごめんなさいね。――あと、一応お伝えしておきますけれど、アタシ、別に彼女とはもちろん付き合ってはいないから」
「はい……?」
死神ちゃんはしがみついていたマッコイから身を離すと、表情もなく彼の顔を覗き込んだ。すると、マッコイは拗ねた顔を浮かべた。
「やっぱりね。どんなに遮られても、無理にでも話せばよかった。ていうか、むしろ、誰からも聞いていないの?」
「いや、ちょっと待て。彼女……?」
マッコイは頷くと、そのまま勢いよく捲し立てた。
「そう、彼女。薫ちゃんは元々はおっさんだから本当なら三人称は〈彼〉だけれど、幼女の見た目で〈彼〉っていうのも微妙だし、でも見た目に合わせて〈彼女〉とするのも変だから、一貫して〈死神ちゃん〉で通しているじゃない? でもってアタシの場合は、本当だったら〈彼女〉としたいところですけど、転生前の世界の戸籍上の性別に合わせて不服ながらも〈彼〉としているじゃない。でね、その観点から言うと、クリスは〈彼女〉なのよ。――まあ、だからといって地の文でクリスを指して〈彼女〉と記載すると、読み手が『えっ、彼女? 見た目、男じゃなかった? どちらが正解なの?』って戸惑うと思うから、地の文ではアタシ同様に〈彼〉って記載されるけれど」
「地の文って何だ、地の文って。あと、読み手って誰だ。お前のそのワケの分からない発言、すごく久々だな」
「……とにかく、クリスは〈彼女〉なの」
何でも、クリスのいた世界では〈見た目は男性・中身は女性〉だと女性で、その逆だと男性なのだそうだ。だから、クリスにとってマッコイは〈自分と同じ女性〉であり、幼女姿の死神ちゃんは〈男性〉、そして男性陣は〈オナベさん〉で女性陣は〈オカマさん〉となるらしい。なので真の姿は大人の男性である死神ちゃんを紹介する際、マッコイはこちらの世界に来た直後で不慣れだったクリスに「肉体の性は、本来はあなたと同じである」というのを伝えるために、彼の世界基準に則って死神ちゃんのことを〈彼女〉〈こう見えて大人の女性〉と形容したのだった。
「何て言うか、あべこべだな。ややこしくて、頭がこんがらかりそうなんだが」
「ちなみに、彼女は異性愛者だから、こちらの世界で言うところの〈オナベさん〉が好きなの。――でね、薫ちゃんに失礼な態度をとってしまっていたのは、気になる異性は目で追ってしまう、アレ。気になる異性に意地悪したくなっちゃう、アレね。アレが発動しただけなのよ」
「俺のこの姿は仮初なんだが」
「それはもちろん説明したわよ。でもほら、結果的に、現状は〈オナベさん〉の状態じゃない。で、どうやら脳内再生した〈幼女からそのまま大人化した薫ちゃんの姿〉がタイプらしくて、だから『実際に目にするまでは信じない』って聞かなくて」
苦笑いを浮かべるマッコイに、死神ちゃんは呆れるしかなかった。そしてポツリと「そういう情報はもっと早く教えて欲しかったです」とこぼすと、マッコイはしょんぼりと表情を曇らせた。
「本当にごめんなさいね。……ていうかね、上司としては『ごめんなさい』だけど、友人としてはちょっとだけ『ひどい!』って思っているのよ。何度も説明しようとしたのに、聞こうともしてくれないんだもの」
「はい、ごめんなさい。次からはきちんと、どんなことがあっても、人の話は最後まで聞くようにします」
死神ちゃんはバツが悪そうに頬を掻いた。マッコイがクスクスと笑うのを見て、死神ちゃんはホッと胸を撫で下ろすとともにしょんぼりと肩を落とした。
「少しだけ話を戻すけど、少なくとも、アタシや第三のみんなは薫ちゃんが幼女だろうがおっさんだろうが気にしていないわ。幼女姿のときに抱えている欠点だって、別に何とも思っていないし。だから、そのことで〈きっと迷惑だ〉とか〈情けない〉とか思う必要もないし、そんなに悩んで苦しいなら言ってくれればいいのに。そしたら、いくらでも、何度だって、自信が持てるようになるまで『薫ちゃんは薫ちゃんでしょ?』って言えたのに。――もちろん、薫ちゃんが本来の姿で健やかに過ごせるのが一番幸せなことだというのも理解してるわよ。でも、幼女姿だからって薫ちゃんの価値が下がるなんてことは絶対にないし、不幸せだと思って欲しくはないわ。だって、どんな姿であっても、薫ちゃんは薫ちゃんなんだから」
「はい、すみません……」
「ううん、結局は話す時間さえ確保できなかったアタシも悪いから。だから、おあいこ」
情けない顔でマッコイを見つめると、死神ちゃんはためらいがちに「じゃあ、許してくれる?」と聞いた。すると、彼はきっぱりと「許さない」と答えた。そして、愕然とする死神ちゃんから視線を反らすと、彼は恥ずかしそうに頬を朱に染めた。
「今度のお休み、約束通り一緒に過ごしてくれなきゃ許さない」
死神ちゃんをちらりと一瞥すると、彼は完全にそっぽを向いて俯いた。耳まで真っ赤にした彼を束の間見つめると、死神ちゃんはクスクスと笑い出した。
「とりあえず、俺、衝撃の事実を知って完全に目が覚めちまったからさ。夜食でも摘みながら予定を立てようか」
そう言ってマッコイの膝から降りると、死神ちゃんは「早くキッチンに行こう」と彼を急かしたのだった。
――――どんなに仲の良い友人同士だって、結局は他人だもの、すれ違うことだって時にはある。でも、しっかりとした絆で結ばれているからこそ、過ちが起きても修正していける。許し合えるということは、とても素敵で素晴らしいことなのDEATH。
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