好奇心に殺される。

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受胎。

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5月17日。


最近サプリにハマってるんだよね、と、ピルケースに入ったカラフルな錠剤を飲んで満足気な様子で彼奴は言った。元々化学的な栄養には興味のなかった俺は、生返事を漏らして微笑み返した。

俺と彼奴の間には、子供が出来ない。所謂不妊症だ。しかも、自然であっても人工であっても、妊娠の可能性はゼロ、らしい。検査の結果が出た時、彼奴は診察室で泣き崩れてそのまま倒れた。暫く体調を崩していた彼奴が昔のように笑えるまで回復したのは最近のことだ。サプリでも何でも、元気になってくれるなら構わない。プラシーボ効果だとしても、口を出さずに見守ってやろう。



6月2日。


彼奴は、1つのサプリメントを俺に勧めてきた。白い小さなカプセルで、軽い。中身は、今後生きていくために必要な物が入ってるとのことだった。「貴方も、私も、どちらの為にもなるものなの」と力説されれば、断る理由は無かった。彼奴によると、1週間に1回、様子を見ながら飲み続けていくのがいいらしい。彼奴は、変わらず機嫌が良い。倒れる前より元気になっているような気がする。



6月3日。


久しぶりに彼奴の手料理を食べた。しかも、おかずは机から溢れるくらい沢山作られていた。プラシーボ効果だとバカにしていたが、こうも元気になるとは。サプリメントもなかなかやるもんだ。俺は勧められた物を彼奴が飽きるまで飲む事しかしないけど、暫く自由にさせてやろうと思う。



6月5日。


彼奴が、ずっと抱いて寝ていた「子供の名付け辞典」をゴミの日で捨てていた。これは、進歩なのだろうか。進歩だと思いたい。彼奴はきっと彼奴なりに切り替えて、答えを出して、やり方は多少強引かもしれないが前に進んでいるのかもしれない。見守る事しか出来ないのが、歯がゆい。妊娠が望めないのは自分のせいだと思うと、余計に歯がゆい。御免な。



6月9日。


食後、彼奴が俺の腹に耳を当てて、くふくふと嬉しそうに笑っていた。一瞬ギョッとしたが、「少し痩せたんじゃない?」のセリフに安心した。彼奴がまるで母犬に甘える子犬のように見えて、微笑ましかった。考え過ぎて敏感になって、彼奴の塞がりかかった傷を開くのは良くないな。反省。



6月11日。


…筆が重い。彼奴は、前に進めていなかったようだった。「すばく、すばく」と呟いていたから意味を尋ねると、「子供の名前だよ」と言った。医師に妊娠不可だと告げられた時以来の、胸の痛みだった。この前の行動も、今日の言葉も、やっぱり彼奴は子供の幻覚から抜け出せていない。名付け辞典を捨てたのだって、前を向いたんじゃない。名前が決まっただけだったんだ。俺は、自分の能天気さと無力を恨む。



6月17日。


数日考えていた。無理に前を向かせても、きっと彼奴は後ろを振り返る。だから、気を紛らわせるわけじゃないけど、ペットを飼うことに決めた。彼奴の好きな犬、柴犬を1匹飼おう。名前は、彼奴が俺たちの子供に付けたかった「すばく」。明日にでもペットショップへ行って、可愛らしい子を探してこよう。彼奴が、本当に我が子のように可愛がれる子を連れて帰ろう。
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