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溺れる
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しおりを挟む「まさかここに来てスーツを着ることになるとは……」
いきなりの事にもすぐに用意されたスーツは身体にぴったりで、着慣れていないはずなのにしっくりくるほど。隣では黒のスーツに身を包んだ氷怜先輩がふっと笑った。
「似合ってる」
そう言うこの色男が1番似合っているのだが、大きな手で撫でられては言い返す気にもならない。静かなバーはピアノが置いてあるけど今は音を立てていない。その代わりに響く水の音が水色の世界を響かせる。
「ひゃー360度!」
「ここの海にいる魚だからほとんど海中にいる気分になれるんだって」
なんだかんだ優もここについて知識を入れていたらしい。言葉は冷静でも目がキラキラだ。
「おおアレ食ったら美味そう」
「えー……色気なーイ。しかもアレ毒あるしアッキーなんてイチコロー」
「え?!」
せっかくスーツでパリっと決めてるのに秋は食い気が勝ったらしい。夕食前に行ったから仕方ないけど瑠衣先輩は優とおれを見習えと頬をつつく。
「あれでもみんないないですね」
幹部の人達はあんなに目立つのだからすぐに目につきそうなのに見つからない。ようやく一番最初に見つけた紫苑さんは女の人でも連れているのかと思ったのに、彼は1人でカウンターに座っていておれたちに気がつくとすぐにこちらに来た。
「あれ結局連れてきたんですか」
「まあ……紫苑、こいつらにいくつか頼んでやれ」
「紫苑さんおれも行きます!花火の、花火のが飲みたいのです!」
その写真の破壊力が凄すぎて名前を忘れてしまった。
ソファに座った氷怜先輩の横で手をあげたおれに紫苑さんはなるほど……とニヤリと笑う。
「ああ花火ね……水槽もうちのクラブじゃ無いですもんね」
「早く行け……」
「了解です。持ってくるから座ってな唯」
微笑ましいと笑った紫苑さんはおれの頭をポンポンしてカウンターに行ってしまった。
「紫苑さん、1人なのが意外……」
「ああ見えて真面目だから偵察兼ねてますよ。こう言うとこならではのドリンクがあるから」
赤羽さんがにこりと言う。
なるほどモテ男でイケメン、なおかつ仕事に真面目のそろい踏み。相変わらず出来る男しか周りにいない。
そして振り返ればまた系統の違う2人がソファの後ろで笑う。
式も桃花もスーツをまとってゆっくりと周りを見渡していた。おれの視線に気づいた桃花がふわりと笑う。桃花には着物が似合うけどその美人な顔にはスーツも合うわけか。いつもは可愛いが強いけどこんな場だとガラリと雰囲気が変わる。
「桃花今日かっこいいねぇ」
「え?!」
あ、真っ赤になっちゃった。
「やっぱりかわいいねぇ」
「え?!」
「遊ぶなよ桃花で……」
その隣で式が呆れ返る。
なんでだ。間違ったことは何一つ言ってないし、ましてや遊んでもいないのに式に怒られた。何故。そんな彼だってスーツがよく似合う。
「式も似合ってるよ?」
「俺は良いんだよ」
何が良いのだ。何か最近身長が伸びてきてぐんぐん差が開いて前より男っぽさが増しているんだ彼は。くぅ、羨ましい。
「似合うよな。マジで」
「カッコいい」
秋と優も参加すると彼はふいっと顔を背ける。これが照れ隠しなのだから式と桃花ってギャップ萌え。
そんな会話が続くとカウンターから紫苑さんが戻ってきた。後に店員さんがついてくるとその手に持ったボードの上にはお待ちかねのドリンクが。
「ほら唯、言っとくけど酒は抜いてるからな」
「やったー!」
キラキラカクテルはオレンジが花のようにカットされてグラスに刺さっている。発色の良いオレンジジュースの中にはナタデココのようなつぶつぶが沈んでいた。そして何よりも刺さっている細身の花火。
ついにテーブルに置かれライターで火がつけられた。すぐにパチパチと音が鳴り火花が散り始める。グラスを照らす光が消えないうちにスマホに写真を納める。
「可愛いー!」
「室内で花火してる背徳感が逆にテンション上がるわ……」
「これケーキにさしたら楽しそうですよ瑠衣先輩」
「ソレ良いね優たんー」
なんだか色んな感想が漏れる中で花火は一瞬で終わってしまった。でもそれもまたいい。グラスから花火の抜いてドリンクを流し込めばフレッシュな香りが鼻を抜ける。甘酸っぱいさとナタデココの甘さ。
「綺麗だったから倍美味しい~」
「そうかよ」
単純なおれに氷怜先輩がクツクツと笑って頭を撫でてくれた。楽しんでいるのはおれなのに彼まで嬉しそうに微笑んでくれるなんて幸せ。また一つ胸が暖かくなる、しかも音楽まで心地の良いリズムで余計に。
「ん、音楽ってピアノ……?」
さっきまで流れていなかったのに、ピアノの繊細で綺麗な音が聞こえてくる。視線をピアノに向ければ明るいブロンドの髪を緩く後ろで束ねた男の人がピアノを弾いていた。ここからでも分かるくらい男らしい体とは真逆の綺麗な音楽。
「すごい……」
バーの雰囲気が一気に変わり、他のお客様も手を止めてピアノに聞き惚れる。少し長めの一曲が終わると拍手が降り注いだ。
「俺ピアノちゃんと弾くの初めて見たかも、結構感動するなぁ」
秋がぽつりと言うとその頰が横に伸びる。不満気な顔で秋の顔を覗き込む瑠衣先輩。
「オレも弾けるケドー?」
「あ、それ。そうっすよ瑠衣先輩弾けるんですよね!見たい!」
「えー面倒~」
「じゃあイジけんでくださいよ……」
「いじけてませーん」
瑠衣先輩と秋が言い合っているとピアノから立ち上がるその人。もしや先輩達以上の身長なのではと思うその体はしっかりと鍛えられていてグレーのスーツの上からでもよく分かる。こちらを向いたその顔はどう見ても外国の方だがその顔に見覚えがあった。
「あれなんか、見たことないかな……?」
「え?」
「しかも、昨日」
昨日、見た映画に。
優はまだピアノを弾いていた人の顔を見ていなかったらしくおれの言葉で視線を初めてその人に向けた。息を呑んだのは秋も同じだ。
「グリオ……?」
昨日見た映画はおれたちが大好きなシリーズもので、ファンタジー系だけど迫力満点の大人から子供まで楽しめるものだ。その主人公の名前、それがグリオ・ランディである。ライオンの背中に乗り戦う姿に何度泣かされたことか。
そしてその人と同じ顔の人間が今、目の前にいる。
目の前に。
何故とかそんな事はもう思考の端だ。かっこよくて勇敢な憧れの主人公。その英雄のグリオが目の前にいて手を振り微笑んでいる。
「やあ、ハジメマシテ」
少しずつカタコトの日本語。そして、その声を聞いた途端秋と優とおれは同時につぶやいた。
「かっこいい……」
これだからおれたちは素直すぎるところが良くないってまた思うのだろう。
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