花冠とベールの君よ、黒き勇者と誓いのキスを

石月煤子

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 吹き渡る海風に島中の洗濯物がはためく午後、ステュは断崖絶壁の草原へ出かけた。
 二回、ディナイと一緒に訪れた場所。彼との思い出に無性に触れたくなって、時にウサギが飛び跳ねる草むらを一人で進んだ。
 崖っぷちで揺れる青い花を見つけ、花摘みの欲求に駆られたものの、彼の言いつけを守って我慢した。

(自分は摘んできたくせに)

 花々がおっとりとそよぐ草原の片隅で仰向けになって、ステュは真っ青な空を見上げる。

(危ないからって、俺にはやめさせた)

 子ども扱いしてもいい。
 もう十八になったけど、末の弟にするみたいに、過保護に構ってもいいから、今すぐ帰ってきてほしい。
 永遠に置き去りにだけはされたくない。

「う」

 ステュの表情が俄かにくしゃくしゃに歪んだ。咄嗟に片腕で顔を覆い、唇をぐっと噛む。
 まだ何一つ不確かなのだから、堪えた。
 先走って最悪な結末ばかり想像するのはよくないと、涙するのを踏み止まった。

(同じ空、どこかで見てるかな……ううん、きっと見てるはず)

 小さな虫が腕を這う。弾き飛ばすこともせず、ステュはしばらくじっとしていた。

「せめて手紙の一つくらい」

 近くで鳥が囀っていた。
 目の前の世界はこんなにも平和で穏やかなのに、行方の知れないディナイのことを思うと、ステュの胸は張り裂けそうだった。




 白亜の町を照らしていた太陽が沈む。
 日暮れと共に開放される娼館の門。
 今宵も日常から寄り道したお客様が甘い夢を求めてやってくる。

 ローザの贈り物は屋根裏部屋の丸テーブルに飾った。彼女の祈りがこめられた花冠。捧げられて一週間は経過したが、ちっとも枯れず、瑞々しさを保っていた。
 マフィンを齧りながら本を読んでいたステュは、やおら何もかも中断すると、肘掛け椅子の上でメイド服のまま丸まった。
 お風呂に入らなければ。
 窓が開けっ放しだ、閉めなければ。

「うっ」 

 ここ最近、気を抜くと泣きそうになる。
 ステュは立てた膝に顔を突っ込んだ。
 島へやってくる船乗りや旅行者に尋ねても、黒き勇者の現状を知る者はいなかった。
 落胆する一方で「死」に直結する言葉がなかったことに、ステュはほっとしていた。

(シン様の言葉を信じよう)

 不安に駆られて情緒不安定になりつつも、自分を取り囲む人々の励ましを支えにして、何とか踏ん張る。

「……全部、勇者様のせいだ……」

 歯軋りし、膝に額をゴリゴリと押しつけ、ステュは唸った。
 夜、屋根裏部屋で一人きりになると、不安が倍増して心にのしかかってくる。ここ最近の堂々巡りっぷりには自己嫌悪が募るばかりだった。

(どうしたらいいんだろう)

 ステュは顔を上げた。赤くなって、やや痛みも生じている額に手を当てた。

「おでこが痛いのも勇者様のせいだ」

 このまま、いつになるかわからないディナイの帰りを待っていたら、気が変になりそうであった。

「……そうだ」

 いっそのこと、探しにいったらよいのでは?
 待っているだけが苦しいのなら、こちらから迎えにいけばいいのでは?

「俺ってすごい!」

 無謀にも程がある案を思いついたステュは、呑気に自分を褒め称えた。 

「明日から行こう!」

 とことん無謀な計画を思い立つ。肘掛け椅子から立ち上がろうとし、足が痺れていたため、絨毯の上に倒れ込んだ。それなのに笑顔で這い蹲って床を移動する。傍から見れば怖い光景だろう。
 四つん這いになったステュは寝台の下から長方形の木箱を取り出した。
 蓋を開ければ、将来のため大事にとっておいた、下働きのお給金が保管されていた。

「これでどこまで行けるかな」

 メイド姿であぐらをかいたステュは、金貨やら銀貨やら、コツコツ貯めてきたお金をきちんと並べる。
 一先ず船に乗せてもらい、行けるところまで行って、降りた島で次の移動費を稼ぐのもアリだ。

「きっと何でもやれる」


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