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三
剣のつとめ-2
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まるで老人のように、夜が明ける前に目を覚まし、身支度をして、庭へ降りる。剣の稽古は夜明け前、明るくなるまでと決まっていた。
朝露に濡れた芝生を踏んで、庭森へ入る。毎朝のことなのに、毎朝のように足がすくんだ。予定よりずっと早く出てきたつもりだったけれど、今日もツヴァイのほうが早いかもしれない。朝、師はこの庭でエリンを待っているのではなく、どこかに隠れ潜んでいるのだ。
注意深く辺りを窺う。
神経を研ぎ澄まして、気配を探れ。
見つけないと、向こうから仕掛けてくる。心を落ち着けるように、所持している武器を触って確認する。それは訓練用に用意された模造品ではなく、れっきとした、相手を殺せる武器だった。
ツヴァイからは昼間、普通の剣の稽古も受けている。けれどこの、朝の最初の時間だけは真剣勝負だった。ただシンプルに、殺せ、もしくは、殺されるな、と命じられていた。
師が本当に手加減せずに自分を襲っているのかどうかは分からない。けれど、加減をしてくれない、と信じるに足りるくらいには、彼はこの五年、何度も命の危険を感じてきた。
最初の頃は、ひたすら逃げて太陽を待ち、命をつないだ。しかし最近になって少しずつ逃げるのが難しくなり、短剣や投げナイフをある程度扱えるようになってきたこともあって、反撃もしくは先制について真剣に考えるようになっていた。
一瞬でも早く、気配を捕まえることが重要だ。ここには隠れる場所なんていくらでもあるけれど、師は、必ずこちらの動きを把握できる場所にいるはず。そして、それが可能なポイントは、そんなに多くないはずなのだ。
(あの茂みか、それか、こっちの木の後ろ……)
可能な限り注意深く周囲を伺う。小さな物音にも耳をそばだてる。そよ風に木の葉がこすれ、ざわざわと余計な音をたてる。ああ、その音じゃなくて、聞かなければいけないのは――――
刹那、微かに、枯れ葉を踏んだ音が響いた。
「……っ!!」
野生動物のように、小さな体が跳ねる。
攻撃される、と、思う前に手が動いていた。上着に仕込んだナイフを取り出して、音のした方へ投げた。
それは大人の手のひらにはすっぽりと収まるくらいのもので、今のエリンにはまだ少し大きくて重い。けれど、数え切れないほど投げているうち、一息の動作で投げられるくらいには扱えるようになっていた。だが――
「狙いが不正確ですね」
無感情な言葉と共に、音が聞こえた場所から5歩ほどずれた茂みから、長身の影が姿を現す。
「気配を感じた瞬間に動くと、こういうこともあるのです」
言い終わらない内に間合いを詰めた師が腕を振り上げる。夜明け前の青い空気の中、木々が落とす影は未だ闇に近い。ツヴァイが振り上げた手の先には剣のようなものが見えた。
従者であり守護者である、影の剣の武器は全て暗器だ。避け切れないと悟ったエリンは、咄嗟に両手を交差させてそれを受けた。重い衝撃と、なぜか澄んだ、ベルのような音が響く。師の攻撃を2本の手でようやく受け止めた、エリンの両手にも同じ短剣があった。
剣撃の音が美しいのは、それが金属ではなく特殊なガラスで出来た刃物だからだ。透明の剣は、太陽の下では幻のように、月光の下では氷のように、そして、闇と薄明においてはまるでそこに存在しないように見える。
ツヴァイは間髪入れず、空いた方の手を少年の喉元めがけ振り下ろした。剣は常に攻撃をもって防御と為す。二本の手には二本の剣があり、その他、隠し持つ全ての武器も攻撃のためのものである。
少年は、両手で師の剣を受けたまま、沈み込むように身体を低くし、上体を捻って攻撃をかわした。低い重心を保ったまま、足を狙って二度三度剣を振るった。けれど、すんでのところで切っ先は師の体に届かない。
「先程から、狙いが甘いと言っています。雑ですよ、エリン」
ヒュッと風を切る音がして、次の瞬間、右の上腕に鋭い痛みが走る。刃が肩を抉っていた。瞬間、痛みに体の動きが止まる。しまった、これでは腕が使えない。
肩が燃えるような感覚に、しかしエリンは取り乱したりはしなかった。この痛みにはもう慣れている。左手でナイフを取り、次の動作に移ろうとするツヴァイの顔めがけて投げた。至近距離だったおかげもあって今度の狙いは正確で、全身で避けたツヴァイに一瞬の、しかし大きな隙が生じた。
体重をかかとに移動させると、つま先の仕込みナイフがまもなく飛び出す。背中を刺すつもりで思い切り蹴った――のだけれど、ツヴァイの白い衣装がザクリと切れて、光沢のある布がひらりと舞った。
「そこまで」
朝露に濡れた芝生を踏んで、庭森へ入る。毎朝のことなのに、毎朝のように足がすくんだ。予定よりずっと早く出てきたつもりだったけれど、今日もツヴァイのほうが早いかもしれない。朝、師はこの庭でエリンを待っているのではなく、どこかに隠れ潜んでいるのだ。
注意深く辺りを窺う。
神経を研ぎ澄まして、気配を探れ。
見つけないと、向こうから仕掛けてくる。心を落ち着けるように、所持している武器を触って確認する。それは訓練用に用意された模造品ではなく、れっきとした、相手を殺せる武器だった。
ツヴァイからは昼間、普通の剣の稽古も受けている。けれどこの、朝の最初の時間だけは真剣勝負だった。ただシンプルに、殺せ、もしくは、殺されるな、と命じられていた。
師が本当に手加減せずに自分を襲っているのかどうかは分からない。けれど、加減をしてくれない、と信じるに足りるくらいには、彼はこの五年、何度も命の危険を感じてきた。
最初の頃は、ひたすら逃げて太陽を待ち、命をつないだ。しかし最近になって少しずつ逃げるのが難しくなり、短剣や投げナイフをある程度扱えるようになってきたこともあって、反撃もしくは先制について真剣に考えるようになっていた。
一瞬でも早く、気配を捕まえることが重要だ。ここには隠れる場所なんていくらでもあるけれど、師は、必ずこちらの動きを把握できる場所にいるはず。そして、それが可能なポイントは、そんなに多くないはずなのだ。
(あの茂みか、それか、こっちの木の後ろ……)
可能な限り注意深く周囲を伺う。小さな物音にも耳をそばだてる。そよ風に木の葉がこすれ、ざわざわと余計な音をたてる。ああ、その音じゃなくて、聞かなければいけないのは――――
刹那、微かに、枯れ葉を踏んだ音が響いた。
「……っ!!」
野生動物のように、小さな体が跳ねる。
攻撃される、と、思う前に手が動いていた。上着に仕込んだナイフを取り出して、音のした方へ投げた。
それは大人の手のひらにはすっぽりと収まるくらいのもので、今のエリンにはまだ少し大きくて重い。けれど、数え切れないほど投げているうち、一息の動作で投げられるくらいには扱えるようになっていた。だが――
「狙いが不正確ですね」
無感情な言葉と共に、音が聞こえた場所から5歩ほどずれた茂みから、長身の影が姿を現す。
「気配を感じた瞬間に動くと、こういうこともあるのです」
言い終わらない内に間合いを詰めた師が腕を振り上げる。夜明け前の青い空気の中、木々が落とす影は未だ闇に近い。ツヴァイが振り上げた手の先には剣のようなものが見えた。
従者であり守護者である、影の剣の武器は全て暗器だ。避け切れないと悟ったエリンは、咄嗟に両手を交差させてそれを受けた。重い衝撃と、なぜか澄んだ、ベルのような音が響く。師の攻撃を2本の手でようやく受け止めた、エリンの両手にも同じ短剣があった。
剣撃の音が美しいのは、それが金属ではなく特殊なガラスで出来た刃物だからだ。透明の剣は、太陽の下では幻のように、月光の下では氷のように、そして、闇と薄明においてはまるでそこに存在しないように見える。
ツヴァイは間髪入れず、空いた方の手を少年の喉元めがけ振り下ろした。剣は常に攻撃をもって防御と為す。二本の手には二本の剣があり、その他、隠し持つ全ての武器も攻撃のためのものである。
少年は、両手で師の剣を受けたまま、沈み込むように身体を低くし、上体を捻って攻撃をかわした。低い重心を保ったまま、足を狙って二度三度剣を振るった。けれど、すんでのところで切っ先は師の体に届かない。
「先程から、狙いが甘いと言っています。雑ですよ、エリン」
ヒュッと風を切る音がして、次の瞬間、右の上腕に鋭い痛みが走る。刃が肩を抉っていた。瞬間、痛みに体の動きが止まる。しまった、これでは腕が使えない。
肩が燃えるような感覚に、しかしエリンは取り乱したりはしなかった。この痛みにはもう慣れている。左手でナイフを取り、次の動作に移ろうとするツヴァイの顔めがけて投げた。至近距離だったおかげもあって今度の狙いは正確で、全身で避けたツヴァイに一瞬の、しかし大きな隙が生じた。
体重をかかとに移動させると、つま先の仕込みナイフがまもなく飛び出す。背中を刺すつもりで思い切り蹴った――のだけれど、ツヴァイの白い衣装がザクリと切れて、光沢のある布がひらりと舞った。
「そこまで」
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