紫灰の日時計

二月ほづみ

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剣のつとめ-3

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「あ……」
 終了の声を聞くと、張り詰めていた緊張の糸が切れ、全身の力が抜けてしまう。戦闘中にはむしろ集中力を高めてくれる痛みが、打って変わって耐え難い辛苦となって小さなエリンを襲った。
「最後はなかなか頑張りましたね。おかげで私の服が台無しです」
 少年を助け起こしながら、労うように師は言った。褒められるなんて珍しい。ハッとしてエリンは足に力を入れる。
「最初に相手の気配を感じた時、闇雲に動いては駄目です。あと半呼吸待っていれば、あなたは私の位置を正確に掴めていた。そうすれば、間合いを詰められることなく終わらせられたかもしれない。分かりますか?」
「……はい」
「よろしい。では、一度戻って傷の手当をしてきなさい」
「はい」
 ズキズキ痛む肩を押さえて、少年はペコリと頭を下げると、急いで城の方へと戻っていった。
 人間の体とは脆いもので、指一本使えないだけで万事において大変な不便を強いられる。かすり傷でも、一度怪我をしてしまうとしばらく痛みと付きあわなければならない。ツヴァイは当然、少しばかり怪我をしたからといって、休むことを許してくれはしない。明日からも同じ指導が待っているのに、きっと右手がろくに使えないだろうと想像すると、どうにも暗澹あんたんたる気持ちになった。

 足早に部屋へと戻る途中、薄暗い渡り廊下を、ちらりと小さな人影が横切るのが見えた。まだ夜も明けきっていないのに、きちんと着替えてどこかへ向かおうとしているようだ。
 アーシュラの弟である、ベネディクト皇子だった。
「あっ、エリン!」
 こちらに気付いたらしい、皇子はニコリと笑って嬉しそうに手を降った。
 彼はエリンと同い年だ。アーシュラを交えた三人で遊ぶこともある。エリンにとっては主君の弟だが、向こうはエリンを友人だと思っているらしい。姿を見ると、決まって親しげに話しかけてくれるのだ。
「皇子……随分お早いのですね」
「うん、東の森に、渡り鳥が来ているんだよ」
 首にぶら下げた望遠鏡を見せながら、ベネディクトは嬉しそうに言った。
「鳥ですか」
「そうだよ。観察に行くんだ、お前も行かないか?」
「あ……ええと、申し訳ありません。僕はその、まだ先生と稽古が……」
「あれっ? エリン、もしかして、怪我をしてる?」
「はい……」
「た、大変だ、すぐにクヴェンを呼んで手当をさせ……」
「大丈夫です、皇子。自分でできますから……」
「本当に……?」
 素直なベネディクトは、心配そうにのぞき込む。
「ご心配にはおよびません。すぐに治りますし」
 言って、微笑んでみせる。けれど、傷口を押さえるエリンの手のひらが血で汚れているのに気づくと、ベネディクトはみるみる悲しそうな顔になり、今にも泣きそうな様子で言うのだ。
「痛くない?」
「痛いですけど」
「そんな……」
 気にせず鳥を見に行けと説得して納得させるのに骨が折れるくらい、皇子は、気持ちの優しい少年だった。
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