紫灰の日時計

二月ほづみ

文字の大きさ
34 / 126

太陽の少年-5

しおりを挟む
 広い庭は静かで、彼ら以外の人影を見ることはなかった。そよ風と、時折梢を揺らす鳥の羽ばたき。ここがジュネーヴのアヴァロン城だなんて、とても思えないような、のどかな風景だ。
 エリンはそこで、主人が初めて個人的に招いた、しかも異性の客人と過ごす姿を、ただ黙って見守っていた。
 アーシュラには友人といえる存在はほとんどいないと思う。城で開かれる夜会にやって来る貴族から挨拶を受けることはあるが、あまり長く話をしているようなことは無いし、あんなふうに嬉しそうに笑ったりしない。彼女と親しくするのは、家族の他は使用人か教師、お付きの医師、それと、自分だけだ。
「…………」
 居心地の良い木の上に身を隠して、エリンは、主人の隣でヘラヘラと笑うゲオルグの姿を、納得のいかないような心持ちで見つめていた。
 あれは、特に変わった人間にも、優れた人間にも見えない。
 彼女があの少年に会いたいと言えば、自分はそれを叶えるよう力を尽くすのみである。そんなことはもちろん分かっているのだけれど――――なんだろう、これは。分からない。
(……分からないとは?)
 その感情を、エリンは知らない。

「――ああ、そうだ」
 曲が途切れたところで、ゲオルグはハッとした様子で時計を取り出す。
「殿下、時間とかって、大丈夫ですか? すみません、つい夢中になっちゃって」
 アーシュラは首をかしげる。
「時間?」
「はい……お忙しいでしょう?」
「全然」
「えっ?」
「わたくし、忙しいなんてことは無いのよ。今日はお勉強の予定も無いから、そうね、することといえば、お茶と、お散歩くらいかしら」
「……そういうものなんですか」
「そういうものよ」
 目を丸くするゲオルグに、アーシュラは悪戯っぽく笑う。
「皇女殿下ともなれば、こう……分刻みのスケジュールがびっしり、みたいなイメージでした」
 少年は心底意外そうに言った。
「ふふふふ、それ、何か、別のお仕事と勘違いしているのではなくて?」
「そうですかねぇ……」
 首をひねるゲオルグに、皇女は嬉しそうな顔で続ける。
「ねぇ、ミラノの人はみんなあなたみたいなの?」
「は?」
「だから、その、全然畏まらない話し方とか」
「えっ、わ、す、すみません……」
「ふふふふ、良いのよ。こういうの、前から憧れだったの。畏まらずに話して、って、お願いしても、みんなぎこちなくって、うまくやってくれないのだもの。だって、ドラマに出てくるお友達同士のようでしょう?」
「はぁ……そういうものですか」
「そういうものなの」
 アーシュラはやはり、上機嫌だった。
「僕は……まぁ、自分ではこれで普通だと思ってるんですけど。でも、今日ここに来るのとか、家族はみんなビックリ仰天していましたね」
「家族って? お父様と、お母様?」
「はい。あと、祖父と、祖母と、曽祖父に曾祖母……それから、叔母と……怖い姉が二人ほど居ます」
「……大家族ね!」
 指を折って家族を数えるゲオルグに、今度はアーシュラが目をくるくるさせて驚いた。
「そうなんです。長生きの家系で。爺さんも婆さんも、僕より元気なくらいで、これがなかなか死にません」
「まぁ、ふふふふ、素敵ね、会ってみたいわ」
「殿下がミラノに来たら、きっとお祭り騒ぎになりますね」
「うーん……騒ぎは嫌だわ、ゆっくり見て回れないでしょ」
「だったら、殿下が殿下だってことを、内緒にして来ればいいんですよ。街の連中は気持ちのいい人ばっかりだから、きっと、気に入ります」
「それは……それはとっても素敵なアイデアだわ! 冴えてるわね」
「でしょう」
 ゲオルグの口から語られる、商都ミラノの賑やかさや、人々の陽気さは、城の中の世界とも、時折顔を合わせる貴族たちの世界とも、全く異なったもののように思え、アーシュラにとっては本当に夢の世界のように思われるものだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

【完結】あなたを忘れたい

やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。 そんな時、不幸が訪れる。 ■□■ 【毎日更新】毎日8時と18時更新です。 【完結保証】最終話まで書き終えています。 最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)

処理中です...