45 / 126
七
分かれゆく道-8
しおりを挟む
「リゼット、僕はやっぱり、よくわからないな」
皇女が起きてこないせいで、予定より数時間はやく帰路につくことになったゲオルグが、のんびりと旧市街の坂道を下りながらつぶやいた。
「はぁ?」
徒歩で帰ることになった客の台詞に、同じく歩いて見送るリゼットが、素っ頓狂な声で冷たく返す。
アヴァロン城の周囲は『旧市街』と呼ばれる。伝統的町並みの保全地域とされており、自動車の使用が禁止されていた。
基本的に、移動には馬車を使うのであるが、ゲオルグの来訪は城の来賓として数えられてはいなかったので、今日のように、アヴァロンで客の送迎用に使われている馬車が出払っていることがたまにあるのだ。
「だから、殿下と、その剣のこと」
真面目で礼儀正しく、きちんとしたこの少女が、自分の前ではつっけんどんな態度をとることに、ゲオルグはすっかり慣れていた。だから、特に気にする様子も無く続ける。
「ああ……そのお話ですか」
何かお聞きになったのですか、と、少女はすました顔を装って尋ねた。
「ちょっとだけね……」
と、ゲオルグは曖昧な返事でお茶を濁しながら、晩秋の高い空を見上げる。
「そういえば、君もずっとお城で暮らしているようなものなんだよね」
「私、ですか?」
「うん。勉強もアヴァロン城でやってるって」
「あ……はい。皇帝陛下に格別のご配慮を頂いております」
「街の学校には通ったりしたことないの?」
「ありません」
「下の街に遊びに行くとかは?」
「お休みの日は勉強をさせて頂いておりますので、あまり……」
「そっかぁ。じゃあ、リゼットも殿下と同じで、お姫様みたいなものだね」
「は!?」
からかわれたと思ったのだろう、パッと赤くなって眉を吊り上げる気の強い少女に、ゲオルグは感慨深そうに続ける。
「世間知らずっぽいのに偉そうでさ、だけど、妙に特別な感じがする。殿下もだけど、君もとてもきれいだし」
「き……!?」
ゲオルグは当たり前のように言ったが、褒められ慣れていないリゼットは言葉を詰まらせ、思わず足を止めてしまう。
自分の言葉の一つ一つに、この年下らしいメイドの少女が翻弄されていることを分かっているらしいゲオルグは、少し面白そうな顔で振り返り、黄みを帯び始めた太陽のせいだけでない、赤みのさした彼女の顔を見て、悪戯っぽく笑った。
「そういうの、僕の勝手なイメージでは、お姫様かなあって」
ゲオルグの言葉の意味を図りかねたリゼットは、どうにか文句を言いかけた口をつぐむ。朗らかな少年は、無邪気に、けれどどことなく寂しいような口調で話を続けた。
「アヴァロン城は、そうだなぁ……ほら、絵本の世界みたいだからさ。君たちはみんな、僕からみれば夢の世界の住人って感じがするんだよ。だから、こうやって帰る時はさ、いつも、夢から醒めてしまうみたいな、残念な気がしてしまうんだ」
坂道を下る少年の背中の向こうには、傾いた太陽の光を眩しく反射するレマン湖が見える。
箱庭育ちの姫に従う、同じく外の世界を知らない少女は、その時、夕日を背に立つ、外の世界から来た少年の陽気な笑顔とスラリとした立ち姿を、目眩のするような気持ちで、ただ、見つめることしか出来なかった。
そしてたぶん、その頃から、リゼットの気持ちは、この都会生まれの明るい少年に、少しずつ傾いていたのだろう。
アーシュラが目を覚ましたのは、自室のベッドの上だった。外は夕焼けなのだろう、部屋がぼんやりと赤い光に包まれている。眠っていたつもりの無かったらしい皇女は、紫色の目を何度かまばたかせて天井を見つめ、それから、傍らに控えるエリンの方を見た。
「ゲオルグは?」
「お帰りになりました」
従者の言葉に、アーシュラはあからさまに落胆した様子で身を起こし、寝台から降りて窓の傍へ駆け寄る。
「いつ? まだその辺りに居ない?」
「……今頃城門を出られた頃かと」
「どうして起こしてくれなかったの?」
「よくお休みでしたので」
「ばか! 気が利かないわね!」
アーシュラは癇癪を起こすが、エリンは気にする風もない。
「カルサス様の相手ならば、リゼットが努めておりましたし、心配は無いでしょう」「無いでしょう、じゃ、ないわ! わたくしがお話したかったのに!」
「彼が遊びに来るたび、色々と無理をしてはしゃぐからですよ。体調を崩されては大変です」
エリンはたしなめるように言う。その忠告に思い当たる節があるらしく、アーシュラは急にしおらしくなってソファに座り、そのままぐったり沈み込むように横になった。
「だけど……近頃本当に調子が良いのよ。少々走っても息が上がらないし、頭もはっきりして身体が軽いの」
彼女の言葉は真実だった。確かにここしばらくの皇女は健康で、寝こむことが無い。エリンにすれば、だからこそ無理をして欲しくなかったのだけれど――アーシュラにとっては、健康でいられる時間は黄金よりも貴重なのだ。
「きっと、彼のおかげなんだわ……ゲオルグ・カルサス」
少女は紫の目にキラキラした光を湛えて、夢をみるように呟いたのだった。
皇女が起きてこないせいで、予定より数時間はやく帰路につくことになったゲオルグが、のんびりと旧市街の坂道を下りながらつぶやいた。
「はぁ?」
徒歩で帰ることになった客の台詞に、同じく歩いて見送るリゼットが、素っ頓狂な声で冷たく返す。
アヴァロン城の周囲は『旧市街』と呼ばれる。伝統的町並みの保全地域とされており、自動車の使用が禁止されていた。
基本的に、移動には馬車を使うのであるが、ゲオルグの来訪は城の来賓として数えられてはいなかったので、今日のように、アヴァロンで客の送迎用に使われている馬車が出払っていることがたまにあるのだ。
「だから、殿下と、その剣のこと」
真面目で礼儀正しく、きちんとしたこの少女が、自分の前ではつっけんどんな態度をとることに、ゲオルグはすっかり慣れていた。だから、特に気にする様子も無く続ける。
「ああ……そのお話ですか」
何かお聞きになったのですか、と、少女はすました顔を装って尋ねた。
「ちょっとだけね……」
と、ゲオルグは曖昧な返事でお茶を濁しながら、晩秋の高い空を見上げる。
「そういえば、君もずっとお城で暮らしているようなものなんだよね」
「私、ですか?」
「うん。勉強もアヴァロン城でやってるって」
「あ……はい。皇帝陛下に格別のご配慮を頂いております」
「街の学校には通ったりしたことないの?」
「ありません」
「下の街に遊びに行くとかは?」
「お休みの日は勉強をさせて頂いておりますので、あまり……」
「そっかぁ。じゃあ、リゼットも殿下と同じで、お姫様みたいなものだね」
「は!?」
からかわれたと思ったのだろう、パッと赤くなって眉を吊り上げる気の強い少女に、ゲオルグは感慨深そうに続ける。
「世間知らずっぽいのに偉そうでさ、だけど、妙に特別な感じがする。殿下もだけど、君もとてもきれいだし」
「き……!?」
ゲオルグは当たり前のように言ったが、褒められ慣れていないリゼットは言葉を詰まらせ、思わず足を止めてしまう。
自分の言葉の一つ一つに、この年下らしいメイドの少女が翻弄されていることを分かっているらしいゲオルグは、少し面白そうな顔で振り返り、黄みを帯び始めた太陽のせいだけでない、赤みのさした彼女の顔を見て、悪戯っぽく笑った。
「そういうの、僕の勝手なイメージでは、お姫様かなあって」
ゲオルグの言葉の意味を図りかねたリゼットは、どうにか文句を言いかけた口をつぐむ。朗らかな少年は、無邪気に、けれどどことなく寂しいような口調で話を続けた。
「アヴァロン城は、そうだなぁ……ほら、絵本の世界みたいだからさ。君たちはみんな、僕からみれば夢の世界の住人って感じがするんだよ。だから、こうやって帰る時はさ、いつも、夢から醒めてしまうみたいな、残念な気がしてしまうんだ」
坂道を下る少年の背中の向こうには、傾いた太陽の光を眩しく反射するレマン湖が見える。
箱庭育ちの姫に従う、同じく外の世界を知らない少女は、その時、夕日を背に立つ、外の世界から来た少年の陽気な笑顔とスラリとした立ち姿を、目眩のするような気持ちで、ただ、見つめることしか出来なかった。
そしてたぶん、その頃から、リゼットの気持ちは、この都会生まれの明るい少年に、少しずつ傾いていたのだろう。
アーシュラが目を覚ましたのは、自室のベッドの上だった。外は夕焼けなのだろう、部屋がぼんやりと赤い光に包まれている。眠っていたつもりの無かったらしい皇女は、紫色の目を何度かまばたかせて天井を見つめ、それから、傍らに控えるエリンの方を見た。
「ゲオルグは?」
「お帰りになりました」
従者の言葉に、アーシュラはあからさまに落胆した様子で身を起こし、寝台から降りて窓の傍へ駆け寄る。
「いつ? まだその辺りに居ない?」
「……今頃城門を出られた頃かと」
「どうして起こしてくれなかったの?」
「よくお休みでしたので」
「ばか! 気が利かないわね!」
アーシュラは癇癪を起こすが、エリンは気にする風もない。
「カルサス様の相手ならば、リゼットが努めておりましたし、心配は無いでしょう」「無いでしょう、じゃ、ないわ! わたくしがお話したかったのに!」
「彼が遊びに来るたび、色々と無理をしてはしゃぐからですよ。体調を崩されては大変です」
エリンはたしなめるように言う。その忠告に思い当たる節があるらしく、アーシュラは急にしおらしくなってソファに座り、そのままぐったり沈み込むように横になった。
「だけど……近頃本当に調子が良いのよ。少々走っても息が上がらないし、頭もはっきりして身体が軽いの」
彼女の言葉は真実だった。確かにここしばらくの皇女は健康で、寝こむことが無い。エリンにすれば、だからこそ無理をして欲しくなかったのだけれど――アーシュラにとっては、健康でいられる時間は黄金よりも貴重なのだ。
「きっと、彼のおかげなんだわ……ゲオルグ・カルサス」
少女は紫の目にキラキラした光を湛えて、夢をみるように呟いたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活
しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。
新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。
二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。
ところが。
◆市場に行けばついてくる
◆荷物は全部持ちたがる
◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる
◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる
……どう見ても、干渉しまくり。
「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」
「……君のことを、放っておけない」
距離はゆっくり縮まり、
優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。
そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。
“冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え――
「二度と妻を侮辱するな」
守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、
いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる