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七
分かれ行く道-7
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「息子がすっかりお世話になっているようで、申し訳ございません、殿下」
持参した豪華な図鑑に夢中のクーロの隣で、彼が撮りためたフォト・アルバムを眺めていたベネディクトに、仕事から戻ったらしいバシリオが声をかけた。
「あ、父さん……」
「いい子にしていたか。殿下に失礼の無いようにするのだぞ、クーロ」
「クーロは写真を撮るのが上手ですね。感心していました」
にこやかに、ベネディクトが声をかける。もう、はじめの日のように、バシリオに怖じ気づくようなことは無かった。むしろ、この屋敷に居る方が、城に居るよりも落ち着くくらいだ。
「クーロ、食堂に行って、殿下の分も何か菓子をもらってきなさい」
「はあいっ」
父に促され、クーロは眺めていた図鑑をパタンと閉じて、軽やかに部屋を出て行く。おやつを食べることを許されたのが嬉しいらしい。息子の小さな背中を見送って、バシリオは小さく息をつき、それから、改まって膝を折り、ベネディクトに向き直った。
「お元気そうなお顔を拝見できて、安心いたしました」
「え?」
いたわるような、安心したような声に、ベネディクトはきょとんと目を丸くする。「失礼ながら、城内で、悪い噂を耳にしましたゆえ、殿下のことを心配申し上げていたのです」
「悪い……噂……?」
「はい。殿下が、皇帝陛下から疎まれておられると」
「あ……」
その言葉に、少年はギクリと背中を震わせる。身体じゅうの毛穴から、冷たい汗が滲むような、嫌な、怖い感じ。けれど、バシリオは恭しく膝をついたまま、ベネディクトの目を見て続けた。
「私は、納得がいかないのです。殿下のように聡明で慈悲深い皇子がいらっしゃるのに、なぜ、病弱でおられる皇女殿下に、帝位という重責を負わせようとなさるのでしょう。ロイヤル・バイオレットの伝統を守ることだけに固執することが、はたしてエウロの民のためになりましょうか」
それは、非常に危うい台詞だった。
貴族を中心としたエウロ上流階級において、皇帝アドルフに楯突くような言動は禁忌である。アドルフは、自らに敵対の意志を見せた者に対して、一切の容赦をしない。だから、今の言葉を誰かに聞かれでもしたら、コルティス家の栄華は一瞬にして灰燼に帰すだろう。
「バシリオ……そんなことを言っては……」
ベネディクトは、不安に頬を紅潮させ、掠れた声で言う。けれど、バシリオはあくまで真剣に、少年の前で頭を垂れて続ける。
「言動には責任を持つ覚悟でおります。今の言葉、もしもお怒り触れましたならば、どうか陛下に全てお話しください。どのような罰も受けましょう。ですが……」
男は、瞳に強い光を宿し、語気を強める。
「殿下こそがアヴァロンの光。真にエウロの為を思うならば、我ら商人が生涯の忠誠を捧げるのは貴方様であるべきだと、このバシリオ、確信しているのです」
ベネディクトは、男の気迫に圧倒されたようにしばらく黙り込んだ。そして、おずおずと口を開く。
「い、今のは……誰にも、言いませんから……安心してください」
自分のことを、両親だってこんなに肯定してくれたことは無いのだ。疎まれ、避けられ、相手にされなかった自分に手を差し伸べ、忠誠を誓うとまで。そんな男の言葉を、どうして告発などできようか。
持参した豪華な図鑑に夢中のクーロの隣で、彼が撮りためたフォト・アルバムを眺めていたベネディクトに、仕事から戻ったらしいバシリオが声をかけた。
「あ、父さん……」
「いい子にしていたか。殿下に失礼の無いようにするのだぞ、クーロ」
「クーロは写真を撮るのが上手ですね。感心していました」
にこやかに、ベネディクトが声をかける。もう、はじめの日のように、バシリオに怖じ気づくようなことは無かった。むしろ、この屋敷に居る方が、城に居るよりも落ち着くくらいだ。
「クーロ、食堂に行って、殿下の分も何か菓子をもらってきなさい」
「はあいっ」
父に促され、クーロは眺めていた図鑑をパタンと閉じて、軽やかに部屋を出て行く。おやつを食べることを許されたのが嬉しいらしい。息子の小さな背中を見送って、バシリオは小さく息をつき、それから、改まって膝を折り、ベネディクトに向き直った。
「お元気そうなお顔を拝見できて、安心いたしました」
「え?」
いたわるような、安心したような声に、ベネディクトはきょとんと目を丸くする。「失礼ながら、城内で、悪い噂を耳にしましたゆえ、殿下のことを心配申し上げていたのです」
「悪い……噂……?」
「はい。殿下が、皇帝陛下から疎まれておられると」
「あ……」
その言葉に、少年はギクリと背中を震わせる。身体じゅうの毛穴から、冷たい汗が滲むような、嫌な、怖い感じ。けれど、バシリオは恭しく膝をついたまま、ベネディクトの目を見て続けた。
「私は、納得がいかないのです。殿下のように聡明で慈悲深い皇子がいらっしゃるのに、なぜ、病弱でおられる皇女殿下に、帝位という重責を負わせようとなさるのでしょう。ロイヤル・バイオレットの伝統を守ることだけに固執することが、はたしてエウロの民のためになりましょうか」
それは、非常に危うい台詞だった。
貴族を中心としたエウロ上流階級において、皇帝アドルフに楯突くような言動は禁忌である。アドルフは、自らに敵対の意志を見せた者に対して、一切の容赦をしない。だから、今の言葉を誰かに聞かれでもしたら、コルティス家の栄華は一瞬にして灰燼に帰すだろう。
「バシリオ……そんなことを言っては……」
ベネディクトは、不安に頬を紅潮させ、掠れた声で言う。けれど、バシリオはあくまで真剣に、少年の前で頭を垂れて続ける。
「言動には責任を持つ覚悟でおります。今の言葉、もしもお怒り触れましたならば、どうか陛下に全てお話しください。どのような罰も受けましょう。ですが……」
男は、瞳に強い光を宿し、語気を強める。
「殿下こそがアヴァロンの光。真にエウロの為を思うならば、我ら商人が生涯の忠誠を捧げるのは貴方様であるべきだと、このバシリオ、確信しているのです」
ベネディクトは、男の気迫に圧倒されたようにしばらく黙り込んだ。そして、おずおずと口を開く。
「い、今のは……誰にも、言いませんから……安心してください」
自分のことを、両親だってこんなに肯定してくれたことは無いのだ。疎まれ、避けられ、相手にされなかった自分に手を差し伸べ、忠誠を誓うとまで。そんな男の言葉を、どうして告発などできようか。
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