紫灰の日時計

二月ほづみ

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剣と太陽の誕生日-5

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「あら……もう、こんな時間?」
 ゲオルグの腕時計に目を落としたアーシュラが、忘れていた時間を思い出す。いつの間にか、就寝の時間が近かった
「本当だ、なんか、早いですね」
「少し待っていてね、すぐお部屋に案内させるから」
「はい。殿下はもうお休みですか?」
「そうだけど、その前にお風呂ね。エリン、行きましょう」
「はい」
「ちょ……二人で!?」
 当然のようにエリンを連れて部屋を出ようとする皇女を、ゲオルグは思わず呼び止める。アーシュラはきょとんとして振り返った。
「どうしたの?」
「えっ、い、いや……その、殿下? お風呂に、その……そっちの、剣の人と、入るんですか?」
「エリンは入らないわよね」
「ですよね……」
「はい。私は、見ているだけです」
「はぁ!?」
 ゲオルグの困惑は無理からぬことであるが、アーシュラもエリンも、何を驚かれているのか今ひとつ理解していないようだ。
 おやすみなさいと名残惜しそうに挨拶をして部屋を出ていく皇女を、ゲオルグはショックを隠しきれない様相で見送るのだった。

 来賓用の寝室に案内され、就寝の準備を整えてからも、夜更かしが多いせいか、豪華過ぎる部屋のせいか、想い人が近くにいるせいか、とにかくゲオルグは眠れなかった。
 夜半過ぎまで広いベッドの上でジタバタしてから、絶望的に眠気が訪れないのに諦めて、仕方なく上着を羽織ってバルコニーに出る。
「寒っ……」
 雪はいつの間にか止んでおり、星あかりに照らされた中庭は銀世界。明日の朝アーシュラが目覚めたら、希望が叶えられていることにきっと大喜びするだろう。
「積もったなぁ……」
 このまま、明日の特急が止まって、もう一日ここに居ることは出来ないだろうか。そんなことに思いを巡らせてしまう。ここはゲオルグにとっては日常を遠く離れたおとぎの国で、大好きなお姫様が暮らしているのだ。
「ま……風呂まで一緒の騎士様がいらっしゃるんだけどさあ」
 先刻のことを根に持っているらしく、恨みがましい独り言を吐く。当然、誰にも聞かれていないことを前提とした言葉だったが――
「騎士ではありません」
 予想外の返事が真上から落ちてくる。ぎょっとして上を見ると、真上のバルコニーの手摺りに腰をかけているらしい、件の騎士様の姿が見えた。
「な……に、やってんの」
 驚いてしまってから、驚くだけ無駄だと思い至り、慣れてきたなと思った。
「庭を、見ておりました」
「もしかしてその上、殿下の部屋?」
「そうです」
 思っていたよりずっと近くて、心臓をギュッと掴まれるような心地がする。
「……もう、寝てる?」
「お休みです」
 そっけない返事に少しだけ落胆するけれど、こんな時間なのだから、当たり前だ。
「そっか……」
 吐いた息は白い。しんと冷えきった空気も、慣れると心地よかった。エリンは寝ないのか、と、尋ねようと思ったけれど、ぽんと頭に浮かんだのは別の話だった。
「あのさあ」
 見上げないと姿が見えない、微妙な距離が良かったのだろう。ゲオルグは覚悟も無いまま、ほとんど無意識に言葉を紡ぐ。
「僕、殿下のことが好きなんだ」
 雪景色の静寂に、ゲオルグの告白が沈む。エリンからの返事は無い。彼が何も言わない時は、言う必要の無い時だ、と、ゲオルグもそろそろ理解していたのだけれど、その時は、ぜひ彼の返事が欲しかった。
「ノーコメントなの? 冷たいなあ」
「すみません」
 言葉と同時に黒い影が舞い降りる。ゆらりと立ち上がったエリンとゲオルグの目線は、ちょうど同じくらい。
「ではお伺いします。アーシュラのどこが、どのくらい、なぜ、お好きなので?」
 エリンが苛立っているように思えたのは、たぶん、気のせいではないのだろう。その人間らしさに、ゲオルグは少し安堵をおぼえる。
「どこ……といわれると、難しいけど、可愛いでしょ」
「無論です」
「あと、前向きで……僕の話を喜んで聞いてくれるし……あと……どのくらい、っていうのは、うまく言えないけど、なぜ、っていうのは、分かるかも。それはねえ、きっと……」
 ゲオルグは、白い息を吐いて笑った。その瞳は、夜の中にあっても明るい。
「運命でしょ」
 あっけらかんとした宣言。けれど、ゲオルグは大真面目だ。
「偶然出会って、偶然仲良くなって、偶然好きになったんだから、これはもうさあ、偶然じゃないって思うんだ。そういうのって、運命でしょう。もう、最高だよね」
 運命という言葉は、エリンにとってそんな明るく好ましい意味で用いられるものではない。逃れられず、受け入れるしかないものを指す言葉のはず。だから当然、ゲオルグの言葉は理解できない。
「……殿下が、あなたのことを好きでなくても?」
 理解できない眩しさに嫉妬を憶え、意地悪をするつもりで言った。
「そうなの?」
「仮定の話です」
「それはショックだよ。失恋だね」
「それでも……最高だと?」
 エリンの問いに、ゲオルグは迷わなかった。
「もちろん」
 自信満々の回答だ。
「だって、好きになった気持ちは僕のものなんだよ。報われなかったからって後悔するようなものじゃない」
 彼は、少しも迷いの無い目で、エリンを見る。
「そんなのでは、好きになった意味も甲斐も無いって」
 この冷たい石の城に、彼の明るさはやはり異質だ。エリンは、うっかりアーシュラがこの少年に惹かれる理由を分かってしまいそうになって、焦った。
 ――認めたくない。
 アーシュラもこの少年が好きなのだ。彼女はそうとは言わないけれど、エリンはとっくに知っている。
 彼女の気持ちを彼が知ったら、二人はどうなるのだろう。
 主が遠い所へ行ってしまうような気がする。それがたまらなく怖い。
「で、君はどうなの?」
「は?」
 意識に入り込んでくる、少年の楽天的な言葉。

「君はどう思ってるの? アーシュラ様のこと」
「私……?」
「好き?」
「当たり前です」
「お役目抜きの、君個人として?」
 挑むような、試すような瞳を、エリンは見つめ返すことができなかった。
 その疑問への答えを、剣である自分が持ち得ないことを、問われるまでもなく知っているからだ。
「……その問いは無意味です。カルサス様」
 澄み渡っていたはずの夜空には、知らぬ間に雲がかかり、再び雪が舞い始めていた。エリンは冷たい息を吐いた。
 口にすべき答えは決まっているのに、なぜかとても苦しい。
「私は剣です。剣以外の私はありえない。だから……何もかも全て、アーシュラの意に従うまでです」
 たとえ二人が結ばれて、彼女が自分を必要としなくなったとしても。
 切ないその言葉はしかし、声にはならなかった。
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