紫灰の日時計

二月ほづみ

文字の大きさ
73 / 126
十二

奇跡-6

しおりを挟む
 華やいだ気配が、音楽とともにバルコニーへと流れてくる。はしゃぐとすぐに疲れきってしまうアーシュラは、こんな風に静かにパーティの気配を楽しむのが好きだった。
 軽い椅子を持ちだして腰を掛け、片方しか見えない目で、明るい夜を見ている――と、広い死角に人の気配を感じ、ふわりと微笑む。先程から姿の見えない従者が戻ってきたのだと思ったようだ。
「広間の様子はどうだった?」
 鈴のような声が、優雅な室内楽にのって響いた。
「……慣れないので、どうしようかと思いましたよ」
 ようやく声を聞けた感動を押し殺し、冗談めかして少年は言った。
「えっ……」
 声を聞いて初めて、そこに立っているのがエリンでないと理解したらしいアーシュラは、驚きに言葉を詰まらせて立ち上がった。豪華なドレスの裾が引っかかり、椅子が倒れる。
「こんばんは、殿下」
「ど……して、ここ、今日、ゲオルグ……」
 大きな目を見開いて、何だか支離滅裂なアーシュラに、ゲオルグは思わずクスクスと笑う。エリンにああ言われたとはいえ、不意打ちで訪問して、しかも私室のバルコニーだなんて、さすがに怒られるんじゃないかとドキドキしていたのに……そんなのが何となく、馬鹿らしく思えてしまった。
 アーシュラが、外から見ても分かるほど、嬉しそうな顔をしてくれたからだ。
「会いたかったから」
 微笑みを引っ込めて、少し真面目な顔で、けれど迷いなく。
「忍び込んでしまいました」
 そして、改めてニコリと笑う。アーシュラは、夢をみるような表情でその台詞を聞いて、そのまま黙りこんでしまった。
 いつもはか細い身体に似合わない大胆な冒険家なのに、今夜は気弱な子猫のように小さくなって俯く。けれど、もうゲオルグから見れば、彼女のどんな所作も、表情も、奇跡のように美しく、可愛らしく思えるのだ。
 そして、ずっと雲の上の存在だったこの人に、今夜はこんなに近い。
「具合が悪いって聞いていたから、心配で。大丈夫ですか?」
「……大丈夫よ」
「うん。そう見えます……良かった」
「そのっ……ゲオルグ、あのね……わたくし、元気になったらすぐ、連絡をしようと思っていたのよ? ほら、寝込んでるなんて報告したって、つまらないでしょう?」
 手を伸ばせば、呆気無く触れてしまえそうな距離で、アーシュラは何だか慌てている。照れているのだと、普段のゲオルグであればすぐに気がついたはずだけれど、舞い上がっているせいで今夜はそこまで気が回らない。
「そんなことはない!」
 だからそう、真面目な顔で言った。抗議するような色を帯びた声に、アーシュラは驚いて顔を上げる。
「つまらなくはないです……殿下のことなんだから」
「え……」
「せめて、連絡くらい」
「…………」
 ふと、言葉が途切れた。いつの間にか広間の音楽も止んで、二人の間に、沈み込むような沈黙が訪れる。お互いの気持ちを伺うように、控えめに見つめ合う二人を、月の光が照らしていた。
「……もう、暗闇も、静寂も、死すらも、怖くはないと思っていたのに」
 やがて、独り言のように、アーシュラが言う。
「あなたに会うとだめね、ゲオルグ」
 そして、はにかむように微笑んだ。
「あなたの顔が見たい。声が聞きたいの。生きていたいと思ってしまう」
 紫水晶の瞳が潤んで、光る水面のように月光がたゆたう。そして、少女はもう迷わなかった。
「あなたが好きよ」
 世界が震え、愛の言葉が届く。 

 夢にも思っていなかった告白だったのに、聞いてしまうと、ゲオルグは驚かなかった。なぜなら、自分と彼女にとって、それはとても、とても自然なことのように思われたから。
 そうだ。――そうなのだ。
「……やっぱり、運命はあるんだね、殿下」
 これで正しいのだ。僕たちは。
 手を伸ばして、細い指を掴む。
 そっと握ると、少女の指先は、戸惑うようにギクリと強ばった。いつもはあんなに堂々として偉そうなお姫様なのに、これはなんとも、初心すぎる反応だ。ゲオルグは可笑しそうに笑う。
 それを見たアーシュラが何か、おそらく抗議めいた台詞を口にしようとしたのを遮るように、掴んだ手を引き、傾いた軽い身体を思いきり抱きしめた。
「僕も好きです、大好きです。アーシュラ」
「……!」
 想いが通じる、奇跡の音が聴こえた気がした。
 腕の中で、薄い肩が上下して、彼女が呼吸をしている。たったそれだけのことに、気が遠くなるくらい幸せを感じた。
 彼女ほど世間知らずではないと自負するゲオルグだけれど、こんな風に異性を好きになったのは初めてだった。
「……僕はきっと、君に出会うために生まれてきたんだ」
 柔らかい髪の甘い匂いに、頭の芯が痺れるような。
 優しい夜風が、再び広間に流れ始めた音楽を、二人の元へと運んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

処理中です...