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十四
覚悟-4
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そして、その事件が起きたのは、それから二週間ばかりが過ぎた、とある晴れた日の午後のことであった。
ゲオルグがミラノの家庭教師に呼び出されて帰省し、暫く城に姿を見せなかったため、ずっと憂鬱に過ごしていた皇女の元を、久しぶりに少年が訪れていた。もちろん、アーシュラはとても喜んだ。
そして、主人の機嫌が良いのにホッとしつつ姿を消していたエリンに、ゲオルグが出ておいでよと声をかけたのだ。
何かと器用な少年は、三人で午後のお茶の時間を楽しもうと、何故か下ごしらえをしたケーキの種を持参していた。何でも、彼の地元ではメジャーな菓子らしい。トルタ・カプレーゼという、いかにも甘そうなチョコレートケーキだ。
焼きあがったら三人で食べようと言って厨房を借りに行くゲオルグに、アーシュラも楽しげに付いていく。明るい真昼のテラスで、エリンはそこで待っていてねと上機嫌に念を押され――つい、言われたとおりにしてしまったのだ。
これ以上彼女の機嫌を悪くするようなことをして嫌われるのは嫌だと思ったのが裏目に出たのだろう。五〇分ほど焼けば仕上がるという話を素直に信じて、日当たりの良いテラスでぼんやりと待った。けれど……
「エリン」
師の、どことなく呆れた声がした。
「先生?」
「あなた、いつまでそうしているのですか?」
「え?」
その瞬間まで疑いを忘れていたエリンの間の抜けた返事に、いつの間か隣に立っていたツヴァイは、苦笑して息をつく。それから、ちょうど扉が開いて、こちらに入ってくるメイドの方を見て言った。
「ケーキは焼けたようですが、一人で食べるのですか?」
「あ……」
その言葉で、エリンはようやく、自分がまんまと二人に騙されたことに気がついたのだった。
「うまくいったかしら?」
「たぶんね」
「信じられない!」
旧市街の出口に止まった馬車から顔を出し、アーシュラとゲオルグは顔を見合わせて笑いあった。
つい一時間ほど前、唐突にこの計画を言い出したのはゲオルグだ。ケーキの焼き時間の間エリンを待たせ、その隙に城の前に待たせてあった馬車で旧市街を抜けて来た。ゲオルグなりに色々と考えてきたつもりではあったが、まさか、こんなに見事に成功するとは。
「エリン、さすがにちょっと可哀想だったかなぁ……」
アーシュラは、アヴァロン城を見上げて気の毒そうに呟くゲオルグの前に回り込むと、背伸びして首に手を回し、少し強引にキスをする。
「さあ、どこへ連れて行ってくれるの?」
キラキラ光るふたつの紫水晶に射抜かれて、ゲオルグは照れたような、困ったような顔で少女を抱きしめた。
「本当は、このままミラノまで君を連れて行きたいくらいなんだけど……」
それから、いつも少しひんやりしているアーシュラの手を握る。
「今日のところは、ジュネーヴで君がゆっくり出来そうな店を知ってるから、そこに行こう」
道行く人は豪華なドレスを纏ったアーシュラを振り返って見るが、彼女が皇女であることに気付いたかどうかは分からない。
「ねぇ、知ってるお店って?」
「姉さんの友達が開いた店でさ、こっちに越してからはよく行くんだ」
ゲオルグは、彼女があまりに人目を引くので、人通りの少ない道を選んで歩いた。少年にとってジュネーヴはもともとあまり馴染みのある街ではなかったのだが、彼女に会いに城に通ううちに詳しくなって、アパートを借りて暮らすようになった今ではもう、すっかり自分の庭のようだ。
「わたくし、この街でお店に入るのは初めてだわ」
「君の街なのにねぇ」
「本当に。でも、誰も連れてきてくれなかったんだもの!」
アーシュラは弾んだ声でそう言って笑った。
ゲオルグがミラノの家庭教師に呼び出されて帰省し、暫く城に姿を見せなかったため、ずっと憂鬱に過ごしていた皇女の元を、久しぶりに少年が訪れていた。もちろん、アーシュラはとても喜んだ。
そして、主人の機嫌が良いのにホッとしつつ姿を消していたエリンに、ゲオルグが出ておいでよと声をかけたのだ。
何かと器用な少年は、三人で午後のお茶の時間を楽しもうと、何故か下ごしらえをしたケーキの種を持参していた。何でも、彼の地元ではメジャーな菓子らしい。トルタ・カプレーゼという、いかにも甘そうなチョコレートケーキだ。
焼きあがったら三人で食べようと言って厨房を借りに行くゲオルグに、アーシュラも楽しげに付いていく。明るい真昼のテラスで、エリンはそこで待っていてねと上機嫌に念を押され――つい、言われたとおりにしてしまったのだ。
これ以上彼女の機嫌を悪くするようなことをして嫌われるのは嫌だと思ったのが裏目に出たのだろう。五〇分ほど焼けば仕上がるという話を素直に信じて、日当たりの良いテラスでぼんやりと待った。けれど……
「エリン」
師の、どことなく呆れた声がした。
「先生?」
「あなた、いつまでそうしているのですか?」
「え?」
その瞬間まで疑いを忘れていたエリンの間の抜けた返事に、いつの間か隣に立っていたツヴァイは、苦笑して息をつく。それから、ちょうど扉が開いて、こちらに入ってくるメイドの方を見て言った。
「ケーキは焼けたようですが、一人で食べるのですか?」
「あ……」
その言葉で、エリンはようやく、自分がまんまと二人に騙されたことに気がついたのだった。
「うまくいったかしら?」
「たぶんね」
「信じられない!」
旧市街の出口に止まった馬車から顔を出し、アーシュラとゲオルグは顔を見合わせて笑いあった。
つい一時間ほど前、唐突にこの計画を言い出したのはゲオルグだ。ケーキの焼き時間の間エリンを待たせ、その隙に城の前に待たせてあった馬車で旧市街を抜けて来た。ゲオルグなりに色々と考えてきたつもりではあったが、まさか、こんなに見事に成功するとは。
「エリン、さすがにちょっと可哀想だったかなぁ……」
アーシュラは、アヴァロン城を見上げて気の毒そうに呟くゲオルグの前に回り込むと、背伸びして首に手を回し、少し強引にキスをする。
「さあ、どこへ連れて行ってくれるの?」
キラキラ光るふたつの紫水晶に射抜かれて、ゲオルグは照れたような、困ったような顔で少女を抱きしめた。
「本当は、このままミラノまで君を連れて行きたいくらいなんだけど……」
それから、いつも少しひんやりしているアーシュラの手を握る。
「今日のところは、ジュネーヴで君がゆっくり出来そうな店を知ってるから、そこに行こう」
道行く人は豪華なドレスを纏ったアーシュラを振り返って見るが、彼女が皇女であることに気付いたかどうかは分からない。
「ねぇ、知ってるお店って?」
「姉さんの友達が開いた店でさ、こっちに越してからはよく行くんだ」
ゲオルグは、彼女があまりに人目を引くので、人通りの少ない道を選んで歩いた。少年にとってジュネーヴはもともとあまり馴染みのある街ではなかったのだが、彼女に会いに城に通ううちに詳しくなって、アパートを借りて暮らすようになった今ではもう、すっかり自分の庭のようだ。
「わたくし、この街でお店に入るのは初めてだわ」
「君の街なのにねぇ」
「本当に。でも、誰も連れてきてくれなかったんだもの!」
アーシュラは弾んだ声でそう言って笑った。
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