紫灰の日時計

二月ほづみ

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十五

影-4

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 部屋に戻り、血に濡れた服を脱いだエリンの背中に、どん、と、あまり重くないものがのしかかった。
「……お戻りでしたか」
「お前とは違う車だったのよね。心配したわ」
「申し訳ありません」
 いつも通り、普通に答えたつもりだったけれど、その声は妙に重たく落ちた。
 皇女の剣として生きることになって十三年。ツヴァイとアドルフが治めるアヴァロンはずっと平和で、エリンが手を汚さねばならないことは無かった。稽古相手の師は強く、殺すつもりでかかっていっても返り討ちに会うことのほうが多い。ずっと、それが当たり前の暮らしになっていたけれど。
「怪我はない?」
「はい」
 こうなってみて初めて、自分がどのようなものなのか理解した気がした。皇女に銃を向けた、あの男の身体は脆かった。知っている通りにやれば、容易く命が消え失せた。三歳から繰り返し教えこまれたあらゆる技術は、まさに人の命を奪うためだけのもので、今はもう、エリンの身体と地続きのものになっている。
 ――あっけない、こんなものか。
 そう思う存在こそが、自分という、つまり、アヴァロンの影の剣なのだ。
「……エリン」
 アーシュラの冷たい指がピタリと腹に張り付いて、背に静かな口付けが落とされる。主は言った。
「血のにおいがするわ」
 優しい声だった。
「離れて下さい」

「駄目よ。あの者の死は、わたくしの背負うべきものだから」
「アーシュラ……」
「……ありがとう。お前に初めて、命を助けられたわね」
 その言葉を聞いて、改めて恐ろしくなった。さっきの男の銃弾がアーシュラを撃ちぬいていたら、今、ここに、この人は居なかったかもしれないのだから。
「帰りましょう、アヴァロンへ」
 珍しく懇願するような色を含んだ声に、アーシュラは笑って首を振る。それから、改めて彼の正面に立った。出会った頃は自分より高くて、いつの間にか同じくらいになり、今では自分の方が随分高くなってしまった目線。伸びない背をいつも気にしていた、美しい、小さな彼の主。
「逃げたりは出来ないわ。待っている人たちの希望になるのが、わたくしの仕事なのだから」
 言って、アーシュラは背伸びをして、返り血のこびりついた頬を撫でる。
「だからお前は、これからもわたくしを見ていてね」
 先ほどまではエウロの民に向けられていた微笑みが、今はエリンだけを見ている。二人で一対のものとして、今だけは自分を。
 守れて良かった。本当に。
「……はい」
 安堵のため息をついた彼の手を、アーシュラはパッと明るく笑って握った。
「では、お風呂に入りましょ」
 いつもの我が儘を言う時の調子に戻って、呆気にとられる従者をぐいと引っ張る。
「お前も一緒によ」
「え?」
 一呼吸置いて、彼女がまたよく分からないことを言い出していることに気付く。
「ちょ……っと、待ってください、どうして……」
「そんな格好では、お前、いつまでも元気が無いでしょう。わたくしが、きれいにしてあげます」
 何となく、子供の頃を思い出した。昔から彼女の入浴の手助けはエリンの仕事だったけれど、幼い頃はよく人形代わりにされて酷い目に遭わされたものだ。
「結構です……!」
 口では抵抗しても、本当に彼女に逆らうことは出来ない。エリンは手を引かれるままについて行かざるを得ないのだった。
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